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コノハナ  作者: 浅倉手毬
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第1話

 辺りは既に、闇夜に覆われ始めていた。

 巻き上がる花吹雪に金髪が踊る。その視界の端で、黒いフリルのスカートが影の様にふわりと蠢いた。

「……ッざけんな!あのペテン師野郎!」

 吠える勢いで、俺は横に居た魚のソンビのようなモノを薙ぎ倒す。その姿が崩れていくとともに、淡い色の花びらが舞い落ちていった。

 それはとても幻想的な光景だ。しかし今はそれに見惚れている余裕はない。

 見据える先には、無数の魚型のゾンビがひしめき合っている。細く白い腕を正眼に構え、再度気合を入れた。

 こんな状況を生み出した張本人を心の中で呪いながら、それでも彼を頼るしかない。首から下がる金色の鍵に一瞬だけ視線を移し、後ろ足に力を込めた。


 こんな状況、こんな姿だが。一つだけはっきりさせておこう。

 俺――秋吉健介。この春晴れて高校へ進学した、れっきとした男子高校生である。




 うっとおしくなる位の快晴だった。


 花の高校生活とか世間では色々言われてはいるが、たかが中学校から高校に変わったところで何が変わるとも思えない。

「義務教育から外れた自覚を持って」とさっきまでこの学校の校長が散々語ってはいたが、中卒で就職する人なんて稀な昨今、高校も半ば義務みたいなものだ。

 強いて良くなったところを挙げるとすれば、高校生になった事で大っぴらにバイトがしやすくなったという事位か。

 ようやく訪れた喧騒の中、俺は真新しい鞄の中からアルバイト情報誌を取り出す。

「お前、秋吉健介だろ。あの噂の」

 ……本を開こうとした瞬間に声が降ってきた。思わず視線を上げる。そこにある人懐っこい視線に思わずため息が漏れた。この手の奴らの相手は疲れる。

「同情とかはいいから、放っておいて欲しいんだけど」

 不幸な生い立ちも天涯孤独な境遇も、断じて俺のせいじゃない。ましてやそのせいで特別扱いを受けるなんて真っ平ごめんだ。

「お前飯食わねーの? 」

 聞いてやしない。あろう事か横の椅子を引っ張ってきて俺の目の前に腰掛けてくる。その手の袋の中には何種類かの惣菜パンとコーヒー牛乳が入っていた。

「邪魔だから自分の席で食べてくれないか」

 すっぱりと言う。この手の人間ははっきり言った方が早い。

「ん? 俺の席そこだし」

 真後ろの席を指差しながら言う。既に食べる気満々で、手にしたカレーパンの封は既に破られている。

「だから自分の席で……」

「俺、東千尋。よろしく、健介」

 とことん人の話を聞かないこの男を無視する事に決めて、改めて情報誌に視線を戻す。何かごちゃごちゃと言っている声が聞こえるが、付きあってやる義理はない。

 人間生きていくために必要なものは金。どんなに奇麗事を言ってもそれに尽きる。いかに今は亡きじいさんのお陰で進学するのに問題は無いと言っても、あって困る事はない。

 そんな訳で、少しでも割のいいバイトを探す事は急務といっていい。目を皿のようにして目の前の文字列に集中する。


『花の世話・仕入れの手伝い。学生大歓迎! 時給1,000円から。フラワーショップ【サクヤ】』

 その文章に視線がいく。確かこの雑誌は朝も軽く目を通したはずだ。その時には目に付かなかったはずなのに……いや隅っこに小さく載っているからそういう事もあるかもしれないが。

 しかしこれは。見れば見る程破格の条件過ぎる。

 そう思った瞬間、俺の手は自分の携帯に伸びていた。そしてそこに書かれていた番号を回そうと……

「あ、健介も携帯持ってるのか。番号とメアド教えろよ」

 向かいに座った東にがっしりと携帯を掴まれる。その目は何処までも無邪気だ。

 俺は再びため息をつく。高校生活は前途多難そうだった。


『それじゃあ学校が終わったら早速店に来てくれないかな』

 若い女性の声で告げられたその場所へと自転車を走らせる。

 地方都市といえば聞こえはいいが、裏を返せばただのド田舎。公共機関なんて瀕死のこの土地では、自転車はもはや命綱といっていい。

 ギア付き5段変速は譲れない。その代わり自転車が高級品扱いになってしまうのは諦めている。だからこそチェーンロック2つは必要最低限の防犯対策だ。いかに時間がかかってしまうとしても。

 俺はそれらのいつもの作業を済ませ、そのビルに目をやった。

『モナリザビルの中2階にドアがあるの。ちょっと分かりにくいけどそこが入り口だから、勝手に入ってきてね』

 花屋というからには1階にテナントが出ていそうなものだが、生憎そういったものは見当たらない。

むしろこの店は。

「どう見ても……スナック、だよな」

 一瞬自分が聞き間違えたのかと錯覚する。しかし手にした情報誌に載った住所も確かにここだ。

 ……約束した時間もある。とりあえず行ってみるしかない。そう判断し、目の前に伸びている外階段に目をやる。

 外階段とは言えどもビルの一部のようなつくりになっており、不安定な感じではない。視線を漂わせると、踊り場のあたりにアンティークな扉が鎮座しているのが目に入る。

 なんだ、この目立たなさは。

 思わず頭を抱えそうになるが、おそらくあの扉で間違いはない。多少頭痛がし始めた頭を押さえながら、やや長いその階段を上りその扉の前に立った。

【フラワーショップ・サクヤ】

 確かに間違いはないようだ。女性らしい丸く可愛らしい文字で書かれたプレートを見て、胸を撫で下ろす。となれば高時給のこのバイト。逃すわけには行かない。

 今度は別の緊張が襲ってくる。ここまで来たら引き返せない。俺は覚悟を決めてその扉を押した――。


 ちりちりん、と可愛らしい鈴の音と共に扉が開く。思わず恐る恐る中を覗いてしまう。なんというか、暗い。

 客商売と言うものは、もう少し明るい場所でするものではないのだろうか。とどうでもいい事を思ってしまう。

「あの……すみません」

 控えめに中に声を吹き込んだ。返答は期待してはおらず、足を踏み入れるための口実のようなものだ。

 案の定返答はない。深呼吸をして、思い切り扉を開いた。

「わんっ」

「へ? 」

 踏み出そうとした足元から甲高い声が聞こえた。後ろを振り返るが誰も居ない。恐る恐る視線を足元へと向ける。そこにはもわもわとした白い毛玉が。

「わんわんっ」

 否。白くてもわもわした、犬と思わしき物体がそこにあった。真っ黒い瞳をきらきらさせて、俺の靴にちょこんと脚(?)を乗せている。

「チャコ、お客さん? 」

 奥の方から声が聞こえた。はっとする。

 この声は間違いない。昼休み電話で聞いた声だ。白い腕が這い出しその毛玉を抱え込んだ。自然と視線が上がる。そして丁度俺の胸の辺りで視線が結ばれた。

 色素の薄い大きな瞳が俺を捉える。白く小さな顎は何処かあどけなく、それでも彼女を構成するものは間違いなく大人の女性のそれだった。

「あ、もしかして」

 瞳が色を持って動き出す。

 どうしようもなく全てが整っているのに、それを遠慮なく崩す様は控えめに言って物凄く可愛い。

「秋吉健介君? バイトの電話くれた」

「は……はい」

 妙な吃音を含んだ声が漏れ、自分でも焦ってしまう。

「どうぞ入って。その辺に掛けて待っててくれないかな。準備してくるから」

 にこっと擬音が出そうな微笑を残し、店の中へと引っ込んでいく。その小さな影を追いかけて、おおよそ花屋とは思えないその薄暗い空間に足を踏み入れた。


「お邪魔します……」

 よく考えれば店に入るのに挨拶などはいらないのだろうが、この書斎のような空間に踏み入るための挨拶としては、これが一番適当なように思える。

 扉を入ってすぐ左側に、でんとばかりに存在を主張する応接ソファーにおずおずと身を収めた。

 少し闇に馴れた目を辺りに彷徨わせる。反対側の壁際に花らしき物が並ぶ棚があるものの、その少し広めな間取りは驚くほどに花屋とは言いがたい。

 所々に花をかたどったランプシェードが灰明く灯る空間は、花屋と言うよりももはや大人の社交場だ。

 何か変な事になってる。ようやく本能が警報を鳴らした。

 逃げた方がいいのかもしれないが、頭に先程の可愛らしい笑顔がちらついてそれもままならない。

 さて、どうしたものか。


「考えるだけ無駄って事も世の中にはあるさ」


 闇から聞こえてきた声に、俺は言葉通りのけぞった。思わずそちらへ目を凝らす。薄暗い中に浮かぶソファーの影に、ほんの少し違和感のある膨らみが見えた。

 その影がもぞりと動き、目が合う。暗い中でも分かる程に、その瞳はくっきりと笑みの形を浮かべていた。

「ようこそ、秋吉健介君。君が来るのを待っていたよ」

 身を起こしながら、痩身の男が挨拶を寄越してくる。ご丁寧にも胡散臭気な帽子を手にしながら。

「俺は松波。この店の……そうだな、仕入担当兼用心棒ってところかな」

 芝居がかった動作で頭を下げてくる。なんだろう。丁寧な動作のはずなのに、馬鹿にされているように感じる。

「……調達担当って、この店花がないじゃないですか。花屋ですよね、ここ」

 そのせいか、いつもより無遠慮な物言いになってしまった。慌てて取り消そうと口を開こうとする。

「あるさ。そこに」

 彼の指先を追う。その先にあったものは……例の花の形のランプシェードだ。

「は……?あの」

「ごめんねー、健介君。……あー、やと君また初対面の人いじめてる」

 店の奥から救いの手が現れた。いや、女神だ。そうに違いない。

「みちる、いい加減その呼び名は……」

「ああっ!ごめん、やと君!」

「……。わかった、もういい」

 げんなりと溜息をつく姿を見て、ほんの少しだけ溜飲が下がった。

「改めまして。私は星塚みちる。この店【サクヤ】の店長です。そしてこちらが松波君。そこにある花の仕入を担当してくれてるの」

 ちゃんと向き合った上で、改めて不思議な事を突きつけられる。

「は……はい。あの、そこにある花って……」

「うん。そこの光ってる花」

 花は光るものだっただろうか。いや正直花にはそんなに詳しくはない。しかし……

「不審感が拭えないって顔だな」

「はい、まあ……」

 それでも時給1,000円だ。この話を蹴るのは惜しい。とても惜しい。

「あ、じゃあこういうのはどうかな」

 ぽん、とみちるさんが手を打つ。なにそれ可愛い。

「とりあえず一週間、お試しで勤めてみるってのはどう?うちってちょっと変わった所だし、そうすれば健介君も安心できるんじゃないかな」

 成人女性のドヤ顔でこんなに癒やされる日が来るとは正直思っていなかった。

「まあ……それなら」

 思わず頷いてしまう。瞬間みちるさんが飛びついてきた。

「良かったあっ!とりあえず一週間よろしくね、健介君」

「は……はい」

 妙齢の女性に抱きつかれるなんて、人生初の体験だ。思わず視線を泳がせると、ニヤニヤ笑う松波と目が合う。

 まるですべてお見通しだと言わんばかりのその顔に、やり場のない怒りが湧いてくる。


 高校生初日。

 俺は可愛いお姉さんのみちるさんと、彼女の店【サクヤ】。そして胡散臭い謎の男、松波と出逢った。


 そして、あの一週間が幕を開けたのだ――。

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