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歌は真白を望む  作者: 立鳥 跡
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第一話 真白との再会

 ――――幸せだったあの頃が懐かしい。

 父と双子の妹……それから母と笑顔で暮らしていた六年前。

 母が心筋梗塞で死んでから、僕らは本当の笑顔を失った。

 それ以来、母が言っていた真白にはなれていない。


        *


朝灯あさひ月灯つきひ。もう疲れちゃった』

「やだ、まだ歌って」

「うん、僕もまだ聴きたい」

『う~ん、じゃあ少し休憩させて?』

「少しってどのくらい?」

『三十分?』

「長~い。すぐに聴きたいの! アサもそう思うでしょ?」

「うん、お母さん歌って」

『あらあら、困っちゃった』

「こらこら、あんまりお母さんを困らせちゃいけないよ。もう十回も歌わせてるじゃないか。少しは休ませてあげないと喉を傷めてしまうよ」

「え~、どうしても聴きたいの」

「……聴きたい」

「本当に月灯と朝灯は、お母さんの歌が好きなんだね」

「うん、大好き! お母さんの歌は心がポカポカするんだもん」

「僕も大好き。お母さんの歌は心を真っ白にしてくれるから」

『う~、二人とも嬉しい事を言ってくれちゃって~。よ~し、お母さん歌っちゃう!』

「「やった~」」

「ちょっとお母さんっ?」

『可愛い我が子にここまで言われちゃ歌わずにはいられないよ』

「は~。まったく、お母さんは二人に甘いんだから」

「お母さん早く歌ってよ~」

「歌って~」

『よ~し、二人にもっと真っ白をプレゼントするよ~』

『――――――――』

『――――――――』

『――――――――』


      *


 いつも通りの同じ夢で目が覚めた。

「泣いてたよ。また昔の夢?」

「……うん」

 自分の部屋のベットで寝ていた僕の隣には、毎朝と同様に、今は亡き母親の面影を色濃く受け継いだ妹の姿があった。二卵性双生児なので、瓜二つとはいかないだろうが、母親よりも父親の血を濃く受け継いだようで、僕と月灯は双子と言うほど似てはいない。

 ベッドの端に座って僕の顔を見つめていた月灯は、目覚めたばかりの僕の頬に手を当て、涙を拭う。

「今日も歌う?」

「……うん、お願い」

「すぅ~。――――――――」

 一息深呼吸した月灯は、涙で濡れた僕の頬を撫でながら、容姿以上に母に似た優しい歌声を部屋中に満たす。

 どちらかと言うと父親似の僕と違い、年をとるにつれ月灯は母に近づいていく。その姿を見てまた目から涙が零れ落ちる。

 月灯は、歌いながら涙で濡れた僕の顔を胸に抱き寄せる。

 妹の胸の鼓動と歌声を聴きながら強く思う。この時間よ、早く過ぎてくれと。



 月灯は歌い終わった後、今日は日直だからと先に家を出た。

 顔を洗い、制服に着替え、月灯が用意してくれた朝食を食べながら、プロのシンガーソングライターとして活動していた母がよく言っていた事を思い出す。

『私はね、本当に凄い歌や凄い歌手の条件は、聴く人を真白にできるかだと思うの』

「「真白?」」

 まだ幼かった月灯と僕に、優しい口調で語りかける母。

『私が歌手になったのはね、私に真白になるという事を教えてくれた尊敬する歌手が居たから。彼女の歌を聴くと、どんなにつらい事があろうと、どんなに楽しい事があっても、聴いている間だけは、何もかも忘れてしまったの。あるのは歌への感動だけだった。それをね、お母さんは真白と呼んでいるの』

 今を思えば、まだ幼かった僕達にはなかなか理解し難い母の独特の心理表現は、不思議と僕には理解できた。

 その事を告げた時の母の嬉しそうな笑顔は今も忘れない。

 朝食を食べ終え、玄関で高校入学したばかりでまだ履きなれていない革靴を履き、現在は月灯と二人暮らししているマンションの扉を開ける。

 扉を開けると、空は清々しいほどに晴天の青空だった。

 母は、今日の様な青空の日に、よく嬉しそうにピアノを弾きながら歌っていた。

「……僕はもう真白になれそうにないよ」

 まるで笑っているかの様な青空に向け一言呟き、ヘッドホンを耳に着け、音楽を聴きながら学校へ向けて歩を進める。




 入学してから一か月、同級生の大半は、未だ新しい高校生活に浮かれている。

 僕や月灯は、十三歳の頃から音楽活動をしており、学園生活を純粋に楽しめていない。

 曲作りだけの僕と違い、特に月灯は、歌い手として表舞台に立つ事が仕事という事もあり、中学生の頃から度々早退し、青春とも言える学生時代を今まで謳歌できていない。

 今日も夕方から音楽雑誌の取材があるらしく、授業が終わったらすぐに学校を出ると言っていた筈なのだが……。

「ねぇ、やっぱりアサも一緒に取材へ行かない?」

 帰りのホームルームが終わり、急ぎの仕事もなかったので、のんびりと帰り支度をしていたのだが、帰っている筈の月灯が今、目の前にいた。

「今日急ぎじゃなかった?」

「だから急いでアサのクラスまで誘いに来たんじゃない」

 月灯のクラスは一年五組で、東廊下の端。僕のクラスは一年一組で西廊下の端にあり、五つあるクラスの中でも一番離れている。ならば、わざわざ離れたクラスに誘いに来ないで、そのまま取材場所へ向かえばいいのにとは、口にはしない。

「昨日も言ったけど、ピアノ演奏者としてライブや番組に参加するのはともかく、呼ばれてもいない取材について行っても、邪魔になるから行かないよ」

「…………どうしても?」

「どうしても」

「……ちぇ~。可愛い妹の頼みが聞けないなんて、兄として失格だと思うんだけど~」

「いいから行きなよ。マネージャーさん待たせているんでしょ?」

「はいはい、わかりましたよ」

 拗ねた仕草をしながら僕の元を離れ、一年一組の教室から出ていく。

 一年前、二人暮らしを始めた頃から、月灯は何かと一緒に居たがるようになった。

 母が亡くなり、十三歳で歌手活動を始めた月灯だが、それでも今ほど僕と一緒に居たがった訳じゃない。

 依存という表現が適切かはわからないが、僕への依存は日に日に強まっているように感じる。まぁ、月灯のおかげで、ギリギリの所で正常を保ってきた僕も人の事は言えない。

 僕らは、助け合い、依存し合いながら心の穴を埋めてきた。

 ……だけど。周囲に目を向ければ、友人達と楽しそうに下校したり、部活に行く生徒達の姿が見受けられる。その生き生きとした姿を見れば、今の月灯や僕の生き方が間違っていると言われている様で、居心地が悪くなる。逃げる様に帰り支度を済ませ、教室を出る。

今日はまっすぐ自宅に帰ろうかと思ったが、そんな気持ちじゃなくなった。

 もやもやした気持ちを紛らわせようと、帰路の変更を考えながら、下駄箱から自分の靴を出そうと手を伸ばす。すると、靴とは違う紙の感触が手に伝わる。下駄箱の中を覗けば、ハートのシールで封をされた一通の手紙が入っていた。またかと溜息を吐きたくなる。

 作詞、作曲家として中学の頃から活動していると、時々こういう手紙をもらうことがある。中身は、ほとんどが曲に対してのファンレターなのだが、たまにラブレターだったりする事もあるので、今この場で確認した方がいいのかもしれない。

 ――かさっ。封を剥がし、便箋を広げ文章に視線を向ける。

『放課後、屋上で待ってます。一年一組――――豊利明とよりめい

 ただのファンレターを期待していたのだが、この文章だと、ラブレターの確率が濃厚そうだ。

 以前、似たような文章で、歌手としてデビューさせてと、二、三人の女子から告げられた事があった。単なる若手の音楽作家に、プロデュースしてデビューさせる力などないと、丁重にお断りしたが。そういうこともあり、百パーセントラブレターだとは言えないが、どちらにしても断りに行くのは面倒だ。しかし、屋上で待っているのなら、無視して帰るわけにもいかない。

 下駄箱の扉を閉め、脱ぎかけた上履きを履き直し、歩先を屋上へと進路変更させる。

 ――豊利明か。階段を上りながら、手紙に書かれていた名前を思い出す。同じクラスに在籍しているので、顔と名前は一致しているが、親しいわけじゃない。彼女に関して知っている事と言えば、アメリカと日本のハーフで、人工的に染めたプリン頭の様な金髪の所為で、最初はヤンキーだとクラスメイトに誤解されていたが、活発な性格ですぐにクラスに溶け込み、今ではクラスの人気者だという事くらい。未だにクラスに馴染んでいない僕とは大違いな彼女が、僕を好きになるとは思えない……思考を巡らせながら、校舎の四階まで上ってきた。あと1階分の階段を上れば、屋上に辿り着く。

「――ふぅ」と息を小さく吐き出し、歩を進める。しかし、残りの階段を上ろうと動かしていた足が、かすかに聴こえてきた音によって止まる。

 ――歌だ。曲自体は日本人でも知っている洋楽の名曲。だが、かすかにしか聴こえてこない歌声に、心が騒ぎ出す。止まっていた足が確かな旋律を求め、音源である屋上に向け再び動き出す。聴こえる。一歩一歩、歩みを進めるごとに歌が明確になる。足を急がせる。今、僕と歌を隔てているのは、目の前にある屋上のドアのみ。何の為に屋上を目指していたのかも忘れ、今ある旋律への強い欲求を満たす為、ドアノブを強く引く。

 ――美しい……としか言いようがない。屋上から見える街並みの風景も、太陽の光で煌めく金の長髪をなびかせ歌う彼女も、すべてが彼女が紡ぐ優しき旋律を際立たせる要因にしか思えない程、その歌声は美しく、僕の心を引き寄せる。永遠に続くのではないかと思わせた旋律は、残念ながら、彼女が僕に気付いた事により終わりを告げる。

「待ってたよ。柊朝灯君」

 ――この日、無くした筈の真白を取り戻した。

 

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