19.父と娘とメイドと皇帝
暖かい日差しの中を柔らかな風が静かに吹いている、そんな陽気の日、ミホとブルボンは街を歩いていた。穏やかで明るい空と同じく、ミホの心はどこか軽やかである。
今日二人はヒサエの元に、例のごとく支払いに行くのだが、今まで散々苦しめられてきたヒサエへの債務も、実は完済間近まで来ているのである。その事を考えるだけで、ミホの背筋は伸び、何だかスキップでもしたくなるような気分であった。
「フン、私はあの女の顔を見なければならないと思うだけで憂鬱だ……」
フンフンと鼻歌を口ずさむミホを見て、ブルボンは溜息混じりに言った。しかし、そんな彼の願いも虚しく、目の前にはもうアマゾノ探偵事務所が迫っていた。
しかし、そこまで来て、突然ミホは歩みを止めた。その視線の先にはアマゾノ探偵事務所の扉……そして、そこから出てきた男の姿があった。異様な雰囲気を漂わせる男であった。真っ黒なスーツとシャツ、そしてその上から白いコートを着ており、長い髪の毛をオールバックにして後ろで一つに縛っている。痩せた顔からはどこか近寄り難いオーラ……周囲からすればそんな印象を受けそうな男であるが、ミホにとっては違った。彼女の目はその顔をしっかり捉えていた。
「お父さん……?」
目の前に立っている男は、五年前に姿を消してしまった父親に似ていた。随分と雰囲気は変わってしまったが、しかし、娘のミホはしっかりとその面影を見つけることが出来た。が、しかし男はそんなミホの視線に気が付かなかったのか、サングラスをかけるとミホとは反対の方向へ歩き出してしまった。ハッとして、ミホは駆け出した。その男の背中を追って……
「お父さん!」
男が曲がった角をミホも曲がって、そして同時に叫んだ。しかしその姿はもう、ミホの視界にはなかった。
ミホの父、コジマ・サダヒロは彼女の知る限り普通のサラリーマンであった。ミホは三才の時に母親を亡くしたので、はっきりと記憶している肉親はサダヒロだけである。彼は無口で、あまり感情を表に出さない人間ではあったが、しかし、ミホが泣いている時などはよくその膝に彼女を乗せ、静かに微笑みながら黙って頭を撫でてくれるような、そんな優しい父親だった。しかし、そんな記憶の中の父親の微笑みがミホを悩ませる……先ほどの男の顔は確かにサダヒロに似ていた。しかし、五年前のそれより痩せていたようにミホは感じた。それに、その格好もただならぬものだった。ミホの前から消えてからの五年間に、一体何があったのか? いや、そもそも、あれは本当にサダヒロだったのか? そんな疑問が、ミホの頭の中で低い音を立てながらぐるぐると回った。
「いらっしゃいませ! ご主人様、お嬢様!」
「へ? な、何?」
考え込んでいたところを、ミホは突然首根っこを掴まれて、強引に現実に引き戻された。目の前には可愛らしいメイド達がいる。そこはメイド喫茶マックイーンだった。
「何で? メイド喫茶?」
「貴様、話を聞いていなかったのか? あの女探偵の所で、ここの割引券を貰ったんだろうが」
ブルボンの言葉を聞いて、ミホはヒサエの事務所でのことを思い出す。そう言えば、そんな物を貰った気がしないでもない……しかし正直、それどころではなかったので覚えていなかった。
『さっき来た男? さあね、何者かは知らないけど、前受けた仕事のことで話を聞かれただけだよ……あの男がどうかしたのかい?』
ヒサエの言葉で、ミホが覚えているのはそれだけであった……
「あの〜、お嬢様?」
また考え事の世界にいたらしい。気がつくと、ミホの目の前にはメイドの顔があった。
「御注文をお伺いしたいのです〜。無視したら、イクノでも怒りますよ? プン、プン!」
イクノは可愛らしくポーズをとりながら頬を膨らませた。それを見ると、ミホは慌ててメニューを手に取る。
「えっと……じゃあ、イチゴパフェで」
「かしこまりました〜!」
元気良く返事をして、厨房の方に駆けていったイクノ。彼女を見送ったところで、ブルボンは向かいに座るミホを見た。
「おい貴様、さっきから何だ? 何をするにも上の空ではないか」
「そ、そうですか?」
「フン、何をそんなに考え込んでいるのかは知らんが、あまりこの皇帝を蔑ろにするなよ?」
ミホに釘を刺すと、ブルボンは視線を彼女から外し、再びイクノが消えていった厨房の方を見た。トレーにオムライスとイチゴパフェを載せたイクノがちょうど出てきたところだった。
「お待たせしました〜! 『ルンルンイチゴパフェ』と『愛のニャンニャンオムライス』です〜!」
「何ですか、ニャンニャンオムライスって……」
「うるさいな、腹が減ったんだよ……おい、ケチャップの文字は『ブルボン陛下LOVE』で頼むぞ」
「は〜い!」
何を頼んでいるのか……ミホは若干呆れて溜息をつこうとした。が……
「もっと心を込めろよー!」
突然、店内に男の怒鳴り声が響き渡った。溜息をつく予定だったミホの口であったが、しかし、予定を変更してそのまま息を飲み込む。びっくりして咽ながら振り返ると、どうも衝立の向こうにいる客が騒ぎを起しているらしかった。聞こえてくる怒声と、皿の割れる音。かなりエキサイトしているようである……
「何なんでしょうね?」
「さあな……しかし、よくよく騒ぎの起きる店だな」
何が起こっているのか? 好奇心に駆られ、ブルボンは席を立つと騒ぎの渦中となっている客席の方に向かった。しかし、ブルボンが近付いたところで、突然男が一人吹っ飛ばされてきた。
「ふぎゃッ!」
ブルボンはそれに巻き込まれて激しく床に叩き付けられた。鈍い痛みが尻から背中にかけて広がる。それに悶えながらも、ブルボンは自分の上に横たわっている男を見た。頬を赤く腫らしているが見覚えのある顔……店長のメジロだった。
「おい、一体これは何の騒ぎだ?」
いつまでも自分に体重を預けているメジロを邪魔そうにどかしながら、ブルボンは彼に聞いた。
「いやね……メイドの子が一人、変なお客に絡まれちゃって……」
メジロはそう言いながら、ずれたメガネの位置を直して客席の方を見た。ブルボンもそちらに目をやる……男が一人、喚き散らしているところであった。
「俺んちに来いよ! 俺だけのメイドになれよー!」
「い、嫌……」
「くそ! やっぱり、お前ら嘘っぱちじゃねえかあああーッ!」
……ブルボンは静かに視線を戻した。
「何だ、あのクズは?」
「何かね、営業とかじゃなくてね、本気でメイドになって欲しいらしいんだけど……困ったなぁ……」
メジロは首を横に振って溜息を漏らした。ブルボンはそんな彼の様子を見ると、頭を回転させ始めた。『人が困っている』と言うことは、即ち、『足元を見て小金を稼ぐチャンス』なのであるから……
「良し、私に任せろ」
数秒後、ブルボンは自分の胸を叩きながら言った。
「で、何で私がメイドの格好しなきゃいけないんですか?」
イチゴパフェを食べていたところをいきなり呼びつけられ、何の説明も無しに衣装チェンジさせられたところでミホは尋ねた。しかし、ブルボンはニヤリと笑うだけで何も言わず、そのままミホの腕を引っ張って騒ぎを起している客の所に向かった。すると、エキサイトしていた男の目がミホの方を向いた。ミホはその血走った瞳にややたじろいだが、しかし、ブルボンはお構い無しに話を始めた。
「今日から、この『ミホ』がお前だけのメイドだ」
「ぬえぇ!」
突然のブルボンの発言に、ミホは自分でも笑ってしまいそうになるほど変な声を出した。しかし、そんなミホを他所に話は進む。
「本当に? その子が僕のメイドに?」
「あぁ、本当だ。こいつは好きにして良いぞ」
「ちょっと、陛下!」
置いてけぼりにされそうになったので、ミホは慌ててブルボンの腕を掴んで引き寄せ、耳打ちをした。
「どういうことなんですか!」
「貴様があのクズに仕えると言えば、あいつはこれ以上騒ぎを起さんだろ。一件落着という奴だ……メジロから報酬も出るんだぞ?」
「どこが一件落着ですか! 私はどうなるんですか!」
「大丈夫だ、ほとぼりが冷めた頃に逃げ出してくれば良かろう」
ブルボンはそう言ってクックッと笑った。が、しかしその刹那、後から肩を掴まれた。
「ねえ、コソコソ話してるつもりだろうけど、思いっきり聞こえてるんだけど……」
振り返ると、そこには目を真っ赤にした客の男……
「お前ら嘘っぱちじゃねえかあああーッ!」
ついに怒りが最高潮に達した男。言葉にもならない声で怒鳴り散らすと、両手で側にあった椅子を掴んで振り上げた。それで何をするつもりかは、容易に想像がつく……ブルボンは咄嗟にミホを盾にした。
「ちょっ! 陛下! きゃあああッ!」
バキッ! と、店内に音が響いた。それを聞きながら、ミホは体をガチガチに強張らせる。
「ん?」
しかし、いつになっても痛みが襲ってこないので、ミホは恐る恐る目を開けてみた。するとそこにあったのは背中……黒いスーツに白いコートを着た男の背中であった。男は、自分が殴り倒した客の男にトドメの蹴りをお見舞いすると、後はそのままレジに向かい、少し多めに金を払うと黙って出口に向かった。
「待って!」
呆然と男の行動を見ていたミホだったが、男が店を出ようとしたところでようやく声をかけた。ミホの声を聞くと、男も立ち止まった。
「お父さん……だよね?」
ミホの問いに、男は何も言わず振り返ると、かけていたサングラスを外した。間近でその顔を見てミホは確信した。やはりそうだ……
「何で? お父さん……」
何と言って良いのか分からず、とりあえず、ミホはサダヒロの目を見た。サダヒロもミホを見ている。
「……元気にしてるか?」
ふと、サダヒロの唇が動いた。
「うん……」
「そうか……」
「うん……」
それ以上、言葉が出なかった。思わずミホは居心地が悪くなり、視線を足元に落とす。本当は聞きたいことが色々とあるのだが……いざとなると何も聞けなかった。しかし、一方サダヒロは、その視線をミホから後ろにいる長身の男に移した。
「シャレー・ブルボン五世……」
その名を呟くように言った。するとそれまで、黙って二人を見ていたブルボンも近付いてきた。
「この皇帝を知っているのか?」
「仕事柄な……なぜここに?」
「陛下は……今、うちに居候してるんだよ……」
「そうか……」
何とか口は動かしたが、ミホは相変わらずうつむいたままだった。サダヒロはそれからしばらくの間、そんな彼女を見つめていたが、しかし、やがて黙って踵を返した。
「お父さん!」
そこでようやく、ミホは顔を上げるとその背中に向かって言葉を発した。
「どうして出ていっちゃったの? 今、何してるの?」
ずっと抱えていた疑問を、面と向かっては聞けなかったことを、ミホはサダヒロの背中にぶつけた。それを聞くと、サダヒロは一瞬だけミホの方を見たが、しかし、サングラスをかけると一言だけ残して店を出ていった。
「元気でな……」
「いってらっしゃいませ、ご主人様!」
メイドの声が響く中、サダヒロは再びミホの前から姿を消した。呆然とするミホの頭の中に、一つだけ新しい疑問を残して……
「お父さん、何でメイド喫茶に……」
続く
ってことで19話でした。
でしたが、そんなことより……
ゴールデンウィークです。
うきうきのお休みのはずなんですが、私はちょっと不満です。
出かけようにも、どこも混んでるし……
お金下ろそうにも、ATMやってないし……
実家に帰ろうにも、連休微妙だし……
ゴールデンウィーク……なんて忌々しいやつなんでしょう。
なので、今日はちょっとゴールデンウィークに復讐をしたいと思います。
ゴールデンウィークの「ー」を一本動かして……
ゴルーデンウィーク
やーい! ざまーみろー!
ってことで、皆様。
残りのゴルーデンウィークをお楽しみください。