決意 -護るために-
家の前まで来たアインはじりじりと、少しずつドアに近づいていた。
「今日も随分遅くなったからな。あれをくらうのはもうごめんだ」
昨日はドアノブに手をかけた瞬間エリスが現れた。ならばと思い、家の前にかけてあった傘を使ってドアノブをつついてみた。が、反応が無い。
「さすがにもう寝てるよな」
警戒を解いたアインがドアを開けて中に入ろうとしたその時。
「ぐっは!?」
背中に衝撃。無防備だったアインは突っ込んできた何かとともに、家の中に吹っ飛んだ。
「いってぇ……ってエリス!?」
アインはうつ伏せで痛む顎をさすりながら後ろを振り向くと、赤髪の少女、エリスが腰に腕をまわしてしがみついていた。
「こんな時間に外で何してたんだ」
「それはこっちのセリフよ……」
アインの背中に顔を埋めながら喋ったので、表情はうかがえず、声はくぐもっていた。
「こんな時間まで何してんのよ……ただでさえ今日は、アーセナルが変な動きしてたから不安だったのに……」
「エリス……」
アズマールの一般家庭には通信機が普及しておらず、アインの家にも置いていない。だとしても、誰かを遣いに寄越すとか、まず自分の無事を知らせなければならなかったと反省した。
「ごめんな、エリス。この通り俺は大丈夫だよ」
「……ん……」
エリスがしがみつく力を強くしたので、安心させようと思い頭を撫でようとしたのだが、手が届かない。
「エリス、一度放してくれないか?動けないんだが」
「……もう心配させないって約束するなら、放す」
「わかったよ、もう心配させたりしない。安心しろ」
「じゃあ許す」
エリスが腕を緩めて立ち上がったので、アインも身を起こすことができた。ようやく見えたエリスの顔は、涙で頬を濡らしまぶたは赤くなっていた。
「心配させてごめんな。もしかして俺を探すために外にいたのか?」
「……うん」
アインが頭を撫でながら訊ねると、珍しく素直に答えた。それだけ気を張っていたのだろう。
「ごはん、冷めちゃってるけど…」
「それでもいいよ。エリスの料理はいつだって美味しいからな。もう寝ててもいいぞ?」
「…わかった、おやすみ」
「おやすみ。本当にごめんな」
今日はさすがにもう食べていてくれたようだ。それでもおそらくアインの帰りを待ち、食べるのが遅くなったことだろう。
「いただきます」
アインは感謝と謝罪の気持ちを込めてそう言い、エリスが作ってくれたフライの盛り合わせを食べ始めた。アインが多少遅くなることも見越して冷めても美味しく食べられるものを選んだのだろう。
「俺は…」
アーセナルを狙う敵は根を断たなければいつまでも攻めてくるかもしれない。そのためにはアーセナルを連れて逃げ続けるか、その根を断ちに行かねば、アズマールの皆に迷惑をかけ続けてしまう。
だが、アインが出ていけばエリスはこの家に一人残されてしまう。
「どうすりゃいいんだ…」
今のアインができることは少ない。迎え撃つか、相手に渡してしまうか、そのどちらかだ。
渡してしまえばもう襲撃してこないかもしれない、と一瞬思ったが、そんな保証はどこにもない。それに、あの化け物じみた性能のアーセナルを敵に渡せばどうなるか分からない。
「迎え撃つしかないのか…?」
アインはその結論を受け入れたくなかった。そして、皆の制止を振り切って出ていくことができない自分の力と心の弱さに無性に苛立った。
気がつくとアインは、見知らぬ場所に立っていた。太陽の光を反射する硝子板に覆われた直方体の巨大な塔のような何かが乱立して、地面は黒くて固い。周囲に人影はない。
「ここはどこだ…気味の悪い場所だな」
アインが辺りを探索しようと一歩踏み出した瞬間、いや、初めからそこにいたのかもしれない。銀色に淡く輝く影の塊のようなものが目の前に立っていた。それは人の形をしているが、全身、顔まで銀色なので何者かわからない。アインが警戒して構えをとると、銀色の影から声が発せられた。
『何故拒む。俺を受け入れろ』
「い、いきなりなんのことだ!」
その声はアインの声とそっくりだった。アインは驚いたが、今一番気になること、知らなくてはならないことをぶつけた。
「ここはどこだ!お前は何者だ!」
『ここは俺の世界だ。俺は力だ。俺は知恵だ。そして、俺はお前だ。』
「どういうことだ?ちゃんと説明しろ!」
アインは銀色の影を取り押さえようと飛びかかった。しかし、銀色の影は足を動かすことなく滑るように移動してこれを避けた。
『だから説明しただろう。ここは俺の世界、俺はお前なんだ。ものわかりの悪いやつだ。……まぁいい、これだけは言っておく。お前に死なれちゃ困るからな。まだ分からないかもしれないが、善なる神と悪しき神には気を付けろよ』
銀色の影はそう言うと再び、滑るように移動してアインから離れていった。
「おい、待て!善なる神と悪しき神ってなんだよ!」
アインは銀色の影を問い詰めようと追いかけたが、どんなに走っても追いつけない。
銀色の影が見えなくなったとき、アインの視界が暗転した。
目を開けた時、アインの視界に飛び込んできたのは見慣れた天井と、見慣れた照明と、見慣れた赤髪の少女。
「ってエリスぐふぉあぁ!?」
「ふぅ、やっと起きた」
アインが目を覚ました瞬間、エリスがボディプレスしてきたのだ。無防備な腹部に全力ボディプレスはいけない。ダメ、ゼッタイ。
「ばっか…エリスお前…」
「うなされてるみたいで全然起きないんだもん。どうしたの?」
「そういや、夢…だったのか?」
それにしてはなんだか違和感があった。聞いたことの無い言葉、見たことの無い場所。そんな夢を見るだろうか。
「まだ寝ぼけてんの?ほら、朝ごはんできてるわよ」
「わかった、すぐ行くよ。着替えてから行くから下で待っててくれ」
「はーい」
エリスは元気よく下の階へと走っていった。どうやら昨日の機嫌は治ったようだ。
「夢についてウジウジ悩んでても仕方ないよな」
アインは起き上がって着替えを始めた。今日は初めから戦闘向きの服装だ。
鍛え、知識を蓄えねば外に出ても無力だと昨日のテオドアの言葉で改めて考えさせられたため、今日から徹底的に文武両道、どちらの道も極めようと決めた。
「俺には力も知恵も、まだ足りない。アーセナルの性能を活かし使いこなすには、足りない」
使える武器の種類を増やし、それぞれの武器の特色を知り、戦略を覚え、新たな格闘術を会得しなければ、アーセナルのポテンシャルを無駄にしてしまう。
「っと、朝ごはん朝ごはん」
アインは腹の虫に急かされ、急いで下の階へと向かった。
アインは朝食を食べ終えて、まずは城の資料室へと向かった。体を動かす前に格闘術や戦略、武器について調べておこうと思ったのだ。
資料室には、紙の資料だけではなく武具の展示もしており、一般的な武器の他に、太古の希少武器のレプリカまである。武器に合わせた戦略を考えるため、アインは武器から調べることにした。
(チャクラム、トンファー……本当にたくさんあるな。…神話とか太古の書物の武器の再現レプリカまであるぞ)
一通り武器のレプリカを見終わったアインは、紙の資料が並ぶ本棚で調べものを始めた。
しばらく調べものをしていると、ガロンが様子を見にやってきた。
「調子はどうだ」
「父さん、ちょうどよかった。この資料を研究科に渡しておいてくれないか」
「ほう、父親を使いっ走りに使おうとはいい度胸だな」
「ぐ…わかったよ、自分で行く」
アインが資料を引き戻そうとすると、ガロンが笑いながらその資料を受け取った。
「冗談だ。ちょうどこの後研究科に用があるんでな。他に伝えておきたいことはあるか?」
「ありがとう。そうだな……今度Oシリーズの資料を見せてもらえるか研究科に聞いてくれると助かるんだけど」
「わかった、伝えておこう。あまり無理はするなよ」
そう言うとガロンはこちらに背を向けたまま手を挙げて資料室から出ていった。ガロンが出ていって少し経ってから、アインは無意識に呟いていた。
「……ごめん、父さん。今は無理をしてでも強くならなきゃいけないんだ」
その日からアインは、今まで以上に訓練に打ち込んだ。
ある日は射撃を、ある日は剣術を、またある日は資料室に入り浸り、周りの人から大変心配されて城への立ち入りを禁じられたこともあった。それでもどこかいい場所を探して訓練し、訓練をしない日は一日も無かった。
しかし、そんな生活を続けていれば体に相当な負担がかかる。訓練生活を始めてから二週間。遂にアインは訓練中に倒れてしまった。
『言っただろ?お前に死なれちゃ困る、と』
「やっぱりただの夢じゃなかったようだな」
アインは意識を失った中、再びあの場所で銀色の影と対峙していた。
『それにしても、お前のところではあいつ、アーセナルと呼ばれているのか。安直なネーミングセンスだな』
「本当の名前じゃないって言うのか。そもそも、何故お前がアーセナルを知っている」
アーセナルは長らく秘匿事項だったため、知っているとしたら研究員か国の上層部だけだ。
『元愛機だからだ。名前は違えど姿はあまり変わらん』
「元愛機ってどういうことだ。アーセナルは俺の専用機だぞ」
『今は、な』
表情は見えないが、なんだか落ち込んでいるようだった。アインがさらに質問をしようとしたが、銀色の影に手で制された。
『そろそろ時間だ。これ以上はまだ話すべきではないしな。近々、アズマール、だったか?お前の国の近くに神託兵が現れると思う。敵ではないはずだ、安心しろ』
「おい、待てって!」
前回と同じく銀色の影は滑るように遠ざかっていき、アインの視界は暗転した。




