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2枚の楽譜  作者: あき
3/4

3.おとうさんの声

 ようやく落ち着いた二人は、金庫を開けることにした。自分たち二人の誕生日、12月24日だから、1、2、2、4、とダイヤルする。

 中には、B5版の封筒が入っていて、絶対見るな、と懐かしい父の文字がそれに書いてあった。

「覚悟はいい、千江?」

「もう、じれったいな、早くしてよ」

二人とも、ようやく両親との別れの衝撃から立ち直ったようである。

 中には、2冊の楽譜が入っていた。洋子はおそるおそるそれを眺め、ふと右上に、「千江へ」と書いてあるのが見えた。

「これ、あんたのだけ、ハイ」

そして、千江は自分の持っていた楽譜を洋子に手渡した。

「これは『洋子さん』へ、って書いてある。なんで私は呼び捨てなのよ!」

「あんたが子供だからよ」

「さすが音楽家らしいわね。音楽家にとって、音楽、これすなわち言葉だものね」

と先生が夕食を運びながら、二人を見つめて、言った。

「そうだ、二人とも!」

咲子先生は、いい事がひらめいたように、手を叩いた。すぐに戻るからと言い、今日届いたチラシの山の中から、

『日ソ親睦ピアノコンサート in 新潟』

と銘打ったものを持ち出してきた。

「これに出場してみたらどうかしら? 扇和夫の曲は世界でも有名だから、その楽譜を演奏すれば、きっと、どちらかが優勝できるわよ」

「でも、受験もあるしな…」

洋子が悩んでいると、千江はチラシの隅に書かれていた、大会要綱をじっと見つめて、

「えっ、優勝賞金が1000万円!」

千江の声に、洋子が振り返り、二人そろって、

「出ます!」

と意気込んで言った。


 でも、二人とも、電車で一時間離れた隣町で行われた地区予選で、あえなく、落選してしまった。

「おとうさんに、裏切られちゃったね」

帰りの電車の中で、千江は離れていく隣町をさみしそうに見送り、つぶやいた。

「ちがうってば、私たちの技術が、追いついていないだけ。もっとがんばらなくっちゃね」

洋子はがっかりする千江を慰めたが、千江は、

「でも、おとうさんに悪いけど、あの遺言の曲、そんなに素晴らしいとは思えないの。今までの、おとうさんの曲と、何か違う。何か欠けてる気がするの」

それは、洋子も感じていた事だった。でも、遺作という事もあって、信じてその曲を練習してきたのだった。

「やっぱり、今までお父さんが作ってくれた曲を演奏した方がよかったのかな」

「ま、がっかりしても、仕方ないよ」

そう言いながら、洋子もがっかりしていた。だって、あのコンクールに優勝すれば、ピアニストとしての将来が約束される。それは、洋子たちの夢だ。早く一流のピアニストになって、咲子先生にお礼がしたいし、差し押さえられた、想い出の我が家を取り戻したい。でも、すべては、消え去ってしまった。


「学校、行くよ」

いつも寝坊ばかりする千江が、今日は珍しく洋子よりも早起きだ。いや、そうではなく、洋子がいつもより、目覚めが遅いのだ。

「お姉ちゃーん」

千江が洋子の耳元で思い切り叫ぶと、洋子はうるさそうに顔をしかめて、布団の中に頭ごとうずくまってしまった。千江は、

「こらっ、遅刻するぞ! あれ? 千江ちゃんみたいになっちゃったのかなぁー」

いつもの仕返しとばかりに、千江はそうからかってみる。しかし、いよいよ時間が無くなってきたので、肩を揺すろうと手を掛けると、千江は呆然となった。

─すごい熱。

千江は大慌てで、咲子先生を呼びに行った。


「一般的な過労の症状です。まあ、いろいろ苦労が重なったから」

両親と見取ったのと同じ医者なので、事情はよくわかってくれていた。

「安静にしとれば、じきよくなります。ところで、入院費なんですが…」

「えっ、あのー」

千江が心配そうにもじもじしている。お金なんて、1円すら持っていない。すると、咲子先生が千江の肩に手を掛けて、

「私がお支払いします。ご心配なさらずに」

「先生…」

ごめんなさい、と言おうとした千江だったけど、涙で声が濁って、言葉にならなかった。

「うっ…、ひっく、ごめんなさい」

咲子先生は、わらって、

「違うわよ」

千江は、顔を上げて、咲子先生を見つめた。

「こういう時は、ありがとうでしょ」

 千江は洋子のやすらいだ表情を久しぶりに見た。だいじょうぶ、今度目を覚ました時は、きっと何もかもがよくなっているわ…。千江は、やっと少しの間晴れた夜空の星を見つめて、そう誓った。


『敗者復活戦』

咲子の家へ届いたハガキに書かれていたその文字を見たとき、千江はとっさに、

「先生、ウルトラクイズが来た!」

と叫んでしまった。夕食の後片付けをしていた咲子は、ハガキを見てわらった。

「バカね、違うわよ。これは、前に行われた、日ソ親睦ピアノコンクールの地区予選で、合格者が一人辞退したから、あと一人を追加で選考するから、また、来てくださいって」

「えっ! そうなの」

「うん、間違いないわ。そうとわかったら、今から練習よ」

 そして、1週間後、千江は、今度は一人で、隣町まで出かけていった。


 洋子が目を覚ましたと聞いて、千江は早速、地区予選の追加選考の結果報告もかねて、お見舞いに行った。

「地区予選、何とか通過したよ」

「本当! やったね!」

洋子は、自分の事のように、喜んでくれた。

「でも、私も出場できたらよかったな」

「そうだね」

千江はうなずいた。でも、こればかりは、仕方なかった。千江は、しばらく、窓に映る雪景色を眺めながら、リンゴの皮を、剥いていたが、急に手を止めて、遺書の楽譜が入っている、あの封筒を取り出すと、

「お姉ちゃんの持ってる遺言の楽譜も、これに入れておこうよ。この楽譜を演奏するわけじゃないけど、大会に持っていけば、お姉ちゃんと一緒にいるみたいな気がして、心強いから」

千江が照れた様子でそう言った。洋子は、枕の下から、楽譜を取り出して渡した。

「なくすなよ」

「はいっ! たしかにお預かりしました」

敬礼して、千江はそれを大切そうに、封筒にしまい込んだ。封筒の中にあるのは、父親から自分あての楽譜と、洋子あての楽譜の2冊の楽譜だった。地区予選も通過できなかったので、曲の内容としてはイマイチだけど、一緒に持っていると、おとうさんと、お姉ちゃんがついてくれているみたいで、千江は勇気づけられた。

 でも、千江に正直言って、大会で優勝できる自信はほとんどなかった。地区予選で演奏した曲は、今のところ、千江の手持ちの中では、最高の曲のはずだし、慣れているので、流れるような完璧な演奏ができた。でも、審査員の顔はしぶく、「他に該当者がいないので仕方なく合格」という表情であった。それに、地元の新聞では、ロシアの天才少女ピアニスト、スヴェトラーナ・トルストーイが優勝するだろうと騒がれていた。彼女は、英才教育を施され、ありとあらゆるクラシック音楽を弾きこなすそうで、到底、千江の力が及ぶ相手ではなかった。

 そんな事ばかり考えながら、病院の帰り道をとぼとぼ歩いていると、不意に鉛色の厚い雲の切れ目から、光が差し込んできた。

「わ、まぶしいよ」

千江は、楽譜の入った封筒を日よけ代わりにして、光をさえぎった。ふと、見上げると、封筒の中身の楽譜が透けて見えた。

 太陽が隠れてからも、千江はその場に立ちつくしていた。そして、さっきまでのこわばっていた表情がみるみる笑顔に変わっていった。千江は、遠く、厚い雲の切れ目から差し込む光の筋を見つめながら、

「おとうさん…。やっと楽譜の意味がわかったわ、ありがとう…」

とつぶやいていた。


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