1.双子の姉妹
「ほら、行くってば」
扇洋子は力いっぱい、校門にしがみつく、妹の千江を引っぱった。
「やだよ、たまには休もうよ」
そうわがままを言う千江に、洋子はあきれて、
「あんた、ピアノ教室の月謝、月々いくらかかってると思ってるのよ」
「でも…、友達と遊びたいし、マンガも見たい年頃なのよね」
「もーっ、時間がもったいない!」
洋子が怒ったので、千江は校門から手を離して、
「わかったよ、ごめん、お姉ちゃん」
と謝った。お姉ちゃんとはいっても、洋子と千江は双子の姉妹である。たった、3時間先に生まれただけで、こんなにも性格が違うのかと、千江は我ながらあきれていた。
「そうそう、素直が一番」
と、洋子は千江にウインクしたのだった。
「雪が降っていて、大変だったでしょう」
ピアノ教室の先生、木村咲子の家に着くと、咲子は暖かい紅茶とケーキを用意して待ってくれていた。
咲子はちらりと時計を見て、
「練習は6時からね。まずは、体を温めないとね」
「すみませんね」
と、千江が早速食べようとすると、手をパチッと洋子に叩かれた。
「いただきます、でしょう」
「お母さんみたい」
そうやって二人はわらっていた。
「さすが父親が音楽家だけの事はあるわね。二人とも、将来有望よ。先生はもうそろそろ教えることがなくなっちゃうわね」
二人とも、ピアノの上達はかなり早かった。もちろん、いい加減にやっている千江より、いつも熱心に練習している洋子のほうが、上手であったが。
二人がしばらくの間、夢中になって演奏していると、咲子先生が手を叩いた。
「はい、今日はこれでおしまいね。お疲れさま」
そう言われたら、千江は急に肩の力が抜けてぐったりとなるのに、洋子は、まだ演奏を続けている。千江は、そんな洋子をつついて、
「お姉ちゃん、もう終わりだよ、次の人待ってるし、延滞料金とられちゃうよ」
「千江っ、失礼よ」
洋子が千江をたしなめた。
「冗談だってばぁ」
咲子の家を出ると、もう外は一面の雪景色だった。さっそく、洋子が携帯電話を取り出して、両親に向かえを頼もうとすると、
「それ、あたしやりたい」
と千江が割り込んできた。
「だめよ、使い方も知らないくせに」
洋子に言われて、千江はプイとあちらを向いて、すねてしまった。
「あっ、お母さん、今おわったの」
「あら、それじゃあ、迎えに行くわ」
「今日、私達、お誕生日だよね」
「もうレストラン予約済みよ」
「うわーっ、ありがとう楽しみだな」
飛び上がってる洋子を見ていると、千江もいいことがあった気がして、うれしくなる。やっぱり、いくらケンカしても、双子なんだね。
でも、いくら待っても迎えは来なかった。二人は一緒のかさに入って、震えていた。
「遅いね…」
千江は不安になって、洋子に尋ねた。いつもなら15分とかからないはずだが、すでに30分経過している。
「どうしたんだろうね」
「安心しなよ。レストラン行くから、お母さんがお化粧に手間取ってるのよ」
洋子はそう言って、千江をなだめた。
─さらに10分が過ぎた。
「おかしいよ、なにかあったのかなぁ…」
今度は、千江は泣きそうな声で、洋子を揺すった。
「もう一度電話してみるからさ。お父さんの携帯電話に」
でも、つながらなかった。ますます不安がる千江に、
「運転中だから、電源きってあるだけだよ」
と洋子はなぐさめたが、もう千江はいてもたってもいられない様子で、
「怖い、怖いよ、なにかあったんだ…」
「だいじょうぶだって」
同じ年齢。洋子だって、不安で、胸が張り裂けそうだった。でも、ここで自分が崩れてしまう訳にはいかない。
携帯電話が鳴った。表示を見ると非通知だった。怖かったけど、洋子はとりあえず、
「はい、扇洋子ですが…」
「あ、扇和夫さんのご家族ですか?」
「そうですけど」
「私、F病院の者ですが、扇さんの夫婦が事故に遭われて、今、この病院で治療しているので、至急、こちらへ来てもらえますか」
「は…」
一瞬訳がわからなくなった洋子は、気のぬけた返事をした。千江は相変わらず心配そうに、
「ねえ、お父さんからなんでしょ、代わってよ!」
「うるさい!」
洋子はその場にうずくまり、泣き崩れた。
F病院へは、咲子先生の車に乗せていってもらった。到着するやいなや、医者に両親がいる集中治療室へ案内された二人は、言葉を失った。信じられなかった。これが現実だとは。親が、様々な機器囲まれ、包帯で体中を縛られ、人工呼吸器を当てがわれている。父親がいつ死んでもおかしくはないと、二人は直感的にわかった。
「お父さん…、あれっ、お母さんがいないよ…」
千江が耐えられなくなって、中に入ろうとすると、医者に制止された。
「これを着て、入りなさい」
二人とも医者の指示された服と帽子を着用し、中に入った。
「こんな事は言いたくないが、父親の命は、あと1時間も、もたない」
「何があったんですか…」
洋子は、父親を見つめながら、やっとの思い出尋ねた。
「事故に遭われたんです。トラックと正面衝突。お母さんは即死。お父さんが、即死でなかったのは、奇跡だろう」
千江が泣きじゃくりながら、お父さんに抱きつこうとすると、それを見た洋子はあわてて千江を押さえつけた。
「だめよ! さわると死んじゃうわよ!」
「だって、どうせ死ぬんだもん! 最後くらいお父さんと一緒にいたい」
「洋子…」
かすかな声が父親の口から漏れた。
「え、なに? お父さん」
洋子は父親の口に、思いっきり自分の耳近づけて、聞いた。
「つい、二人の誕生日が楽しみで、飛ばしすぎてしまって…」
「…もういいよ。しゃべらないで」
「いや、聞いてくれ。これが最後の言葉だから、
「おとうさん!」
じたばたして、泣き叫ぶ千江は、医者に体をつかまれて、身動きが取れなかった。放っておいたら、何千万円もする医療機器を破壊しそうであった。
洋子は千江が荒れるほど、冷静になった。
─私が、しっかりしなくてな…。
「こんな時の為に、遺言を書いておいた。場所は金庫の中だ」
父親の心拍数が上昇した。でも医者はもう会話を止めさせなかった。もう、手のほどこしようがなかった。洋子は父親の手を取り、握り締めて、
「でも、私には開けられないよ…」
「わかってるさ。番号は…」
「おとうさん!」
千江が医者を振り切り、洋子のそばにやってきた。父親の最後の言葉になった。
「お前達の、誕生日だよ、ハッピーバースデー、洋子、千江」
父親はそう言うと、ゆっくりと目を閉じた。
千江の泣き声だけが、一晩中、病院に響き続けていた。