疑念
「悪いけど、予定より少し遅れる‥‥‥うん、そんなとこかな」
トーマの話し声に、私は我に返った。どうやら、知らずに眠っていたようだ。
日は、まだ昇り切ったばかりで、空が白み始めたのを見たのは覚えているから、眠ったのは半時くらいか。
「もちろん冗談だよ‥‥‥まあ、女と一緒ってのは事実だけど」
目と耳だけを、そちらに向ける。兜だけを被ったトーマが、荷車に背を預けながら喋っている。口ぶりからして、誰かと話している──とは思う。
「ちょいと面白いやつだよ‥‥‥いや、あくまで毛色が違うってだけさ」
その〝誰か〟の姿がどこにも見えない。まさか、相手は幽霊とでも言うのか。
「おっと、お姫様がお目覚めだ‥‥‥はいはい、わ~ってるよ。んじゃ」
会話は終わったらしい。トーマは腰を上げると、兜を脱ぐ。流れから考えて、あの兜には、普段見えないモノを見せる力でもあるのだろうか。
「おはようさん。怪我の調子はどうでござ~ますか?」
と、トーマはこちらを振り返った。
私は、黙って立ち上がる。そのまま、地面を蹴り、同時に翼を大きくはためかせて体を浮かせた。
「ご覧の通り、飛んで跳ねる分には、全く問題無いわ」
とはいえ、完治してるとは言い難い。この調子なら、鉱山に着くまでには治せる自信はあるが、それも無理をしなければの話だ。
「なら良かった。でも、無理はするなよ」
そのトーマの苦笑は、まるで全てを見透かしているようだった。何だか意地を張る自分の方が、何だか幼く見えた。
「で、良かったついでに、そろそろ出発するよ」
トーマは、私の足元を指差す。そこには、私の使っていた掛布と敷布があった。
「自分が使ったモノくらいは、自分で片付けてくれると有り難いんだよね」
たった今気付いたが、傍にあった焜炉ややかんは、既に片付けられていた。明らかに、わざと残したのだ。
「何よ、もう‥‥‥」
着地した私は、ぼやきながら寝具類を畳んでいく。一方のトーマは、駆鳥に荷車の引き具を手早く繋ぐと、御者台に乗った。黙って手綱を振るい、鳥車を前進させる。
「ち、ちょっとっ!」
私は、畳んだ寝具を抱えて慌てて飛び上がる。その間に、鳥車は加速した。
「‥‥‥っ」
翼の痛みを堪えながら、私も加速する。鳥車がさらに加速する前に、幌が開けられた後部から、荷台の中に飛びこんだ。
「確かに完治とは言い難いけど、動き回るには問題無いようだね」
御者台のトーマは、前を向いたまま言う。
「いや、恐れ入ったよ。本当に一晩で治したんだね」
どうやら、本当にまともに動けるか、試されたらしい。
「やってやれない事は無いって言ったのは、貴方よ?」
「どうせ途中で諦めて、投げ出すと思ってたんだよ」
振り返ったトーマは、疑わしげに私の体を見つめる。
「どういう心境の変化だい? まさか、別の誰かがすり替わってるとか?」
「私は、本物かどうかを疑われるくらい、信用が無かったのかしら?」
「信用されてると思うかい?」
思わない──私は、言葉の代わりに嘆息を返し、
「お荷物なままなのが、癪だっただけよ。心境の変化なんて大げさなことじゃないし、誰かがすり替わってるわけでもないわ」
「それは良かった」
本気で疑ったわけでないのだろう。トーマもそれ以上は、追及してこなかった。
私は、その場に腰を下ろす。縁を挟んで、トーマとは背中合わせになる形になった。
「でも、うろ覚えの輝術でも、やってみるものね。こんなことなら、最初からこうしてれば良かったわ」
そうすれば、あんな痛い思いをしてまで、刺さった石を抉り出さなくても良かった──その考えを、しかしトーマは否定した。
「残念だけど、〝包養〟は、あくまで傷を癒すだけさ。体に刺さった異物を排除するには、また別の輝術を使わないといけない。下手すれば、異物ごと傷を塞ぎかねないよ」
想像してみた。石が刺さったのは、右脇腹を始め計五か所。それら全てが、体の内部にそのまま残ったりしたら、確かに危険である。
それにしても、
「輝術に詳しいのね? 地駆民なのに」
「そうかい? ちょいと勉強すればこのくらいは」
「ちょいと勉強、ね‥‥‥」
確かに、不可能ではない──ただし、限りなくそれに近い。
何しろ、輝術に関するあらゆる技術、知識は、全て大聖宮の中だ。地駆民に漏れるようなことは、まず無い。トーマと何らかの関わりを持つ天翔民が、つい口を滑らせたとも考えられるが、
「それでも、天翔民に親しい知り合いでもいない限りは、無理よ」
「僕は顔が広いって言ったろ。天翔民にも、それなりに親しくしてもらってる人がいてね」
「それって」
さっき貴方と話してた幽霊?──その問いを、私は飲み込む。いちいち回りくどく問いただしたところで、はぐらかされるだけだろう。
だから、
「貴方、何者なの?」
率直に言った。トーマは、何を今更と言いたげな表情を浮かべ、
「鳥車往還運送業者?」
「それじゃあ‥‥‥何で私に近づいたの?」
「そりゃ、護衛のために」
「そんなのは方便でしょ。貴方にそんなもの、必要無いもの」
何せ、激流のような輝術をあっさり受け止める〝力〟を有しているのだから。
「大体、荷物にしかならない〝籠の鳥〟を、無理に連れているのも、変な話よね?」
「運送業者が荷物を運んで、何かおかしいかい?」
「貴方の場合はね」
「何だい何だい? やけにつっかかるね?」
「私の本当の仕事、忘れたわけじゃないでしょう?」
とか言いつつ、実は私自身、色々あって忘れかけていたが。
「貴方、失踪事件に何か関係あるの?」
その問いに、少々の間を置いて返ってきたアイールの答えは、
「‥‥‥まあ、素人にしては、かな。馬鹿正直過ぎるのは、御愛嬌と思う事にしよう」
期待はしてなかったが、やはり真面目に答える気は無いようだ──そう思っていた。
「まず、失踪事件に関係云々だけど──答えは、否だね。君と出会った時に喋った以上の事は、知らない」
だから、返ってきた明確な答えを、私は危うく聞き逃すところであった。
「それと、君に近付いたのは、本当に偶然だ。強いて言えば、半聖半魔なんて珍しい拾い物をした──そんなとこさ。その意味なら、護衛云々が方便てのは間違いないよ。それで、僕が何者かだけど」
言いかけて、しかしトーマは何やら思案し、
「今はまだ秘密──というか、君には理解出来ない。だから今は、あくまで鳥車往還運送業者、てことで」
「それで、私が納得すると思う?」
トーマは、嘘を言っていないだけだ。全てを話してるわけではない。
「納得するかは、ご自由に。僕には、大事なことじゃないよ」
私は、肩をすくめる。
結局、トーマは私を信用していない。昨日までに比べれば、まだマシなだけだ。これ以上何を聞いたところで、まともな答えは返ってこないだろう。
「貴方は」
だからその問いは、あくまで興味本位であった。
「その〝力〟で、これから何をしようとしてるの?」
昨夕のトーマの問いを、そのまま返す。興味本位なので、答えは期待してない。
「僕らが目指すのは、あの空の向こう‥‥‥雲よりも、青空よりもずっと向こうの、星の海だよ」
「‥‥‥」
星の正体を確かめるという試みは、天翔民によって過去に何度か行われてる。何人もの天翔民が、星空に向かって飛び立った。そして、誰一人として生きて帰ってこなかった。
なので、私はその言葉を真に受けなかった。
少なくとも、今この時は。