契約
目を覚ました──と、認識するのに、しばらく時間がかかった。そして、認識するほど頭が回転すれば、次は自分に何が起こったかだった。
「っ!」
私は、掛けられた毛布を跳ね飛ばしながら、飛び起きた。周りを見回すと、すぐ傍に置かれていた剣を見つけたので、それを拾う。
私は、所狭しと積まれた荷箱の間にいた。どうやら幌を掛けられた荷車の中らしい事が分かる。移動中なのか、断続的な揺れが絶えない。
「二時間で覚める麻酔で、一晩眠りっぱなしとはね」
その声に、私は振り返る。正面側の幌から、そいつは顔だけを覗かせていた。まだ、年若い少年であった。
「よっぽど疲れてたんだね、君は」
「貴方は」
言いかけて、声が掠れた。口から喉の奥まで、へばり付くような感触があった。
「お喋りの前に、水を飲むんだ。そこの樽に入ってる」
少年は樽を指差し、幌の向こうに引っ込んだ。言われたとおり、樽のふたを開けると、容量一杯の水が入っていた。縁に引っ掛けられているひしゃくで、一瞬躊躇うも、一気に飲み干した。それで、だいぶ喉が渇いていた事に、ようやく気づく。一晩眠っていた、という少年の話は、嘘ではなかったようだ。もう二杯飲み下し、景気づけにもう一杯腹に流し込み、
「ふぅ」
大きく息を吐き出しながら、正面側の幌を開ける。
荷車を引くのは、駆鳥と呼ばれる巨大な鳥。その御者台に座るのは、先ほどの少年が、一人。翼が無いので、地駆民のようだ。
「訊きたいことが、いくつもあるんだけど? 貴方は」
「いくつも同時に訊かれてもままならないからね。出来れば一つ一つ分けてくれると、かな~り有り難いかな」
最初の問いを、少年は飄々と遮った。実際、矢継ぎ早に次の問いが出そうになった私は、いきなり出鼻を挫かれる形となった。
一度深呼吸して、改めて問いかける。
「まず、貴方は何者?」
「まずは、見ての通りだね」
と、少年は荷車と駆鳥を指差し、
「聖都と鉱山を鳥車で行き来して、運送業務に勤しむ地駆民。名前を聞いてるなら、トーマだ」
「どうして、私の邪魔をしたの? 返答次第では、容赦しないわよ」
問いかけながら、私は剣の柄に手をかけておく。このトーマという地駆民の幼生が、私を昏倒させたのは明らかだ。
「じゃあ逆に訊くけど‥‥‥仮に、君が連中を殺ってたら?」
ややあって、トーマは逆に問い返した。その物騒な物言いに、私は言葉を詰まらせる。
「ベ、別に殺すつもりは」
「そうかい? あの、輝力量を見る限りじゃ、殺るつもりだったとしか思えないけど」
「か、加減を間違えただけよ。それに、先に手を出したのは、あの地駆民共だわ」
「そんなのは問題じゃないよ」
トーマは私の言葉を遮り、言い聞かせるように続ける。
「理由はどうあれ、人を殺したら? 傷つけたら? 災いをもたらしたら? それが、魔翼だったら?」
「‥‥‥」
返せる言葉は無かった。
トーマの言うとおり、事情はどうあれ、魔翼を背負う自分が危害を加えようものなら──良くないどころか、悪い想像しか浮かんでこなかった。
「少しは頭が冷えたかい?」
などと、トーマは笑って言うが、私は笑えなかった。頭はおろか、背筋が急速に冷えていく。
そして、もう一つ疑問が浮かんだ。
「どうして見ず知らずの貴方が、そんな事を気にかけるの?」
トーマと面と向かうのは、初めてのはずだ。私のことを気にかける義理も義務も無いはず。
「決まってるじゃないか」
と、トーマは妙に気取った笑顔を浮かべ、
「女性を危険から助けるのは、紳士の義務。それが魔翼だろうと聖翼だろうと地駆民だろうとね」
歯をキラリと輝かせた。素晴らしく板についていない。
「あ、そ」
要は、通りすがりの気まぐれ──と、私は思う事にした。もちろん、紳士云々は、欠片も信じない。
「それは、どうも」
私は、翼を広げる。どの道、こんな所で時間を食うわけにはいかない。
「トーマと言ったわね。紳士ごっこも良いけど、自分の仕事を忘れちゃだめよ。しっかり働きなさい」
「君もね‥‥‥失踪事件の調査、頑張りなよ」
「言われなくても、そのつもりよ」
トーマの激励に、私は頷きながら飛び立ち、
「ちょっと待ちなさい?」
すぐさま元の位置に降り立った。
「何で、私の使命を知ってるのよ?」
私は、使命の事はおろか、失踪事件のことだって一言も口にしなかったはずだ。
「はぁ‥‥‥」
トーマの返事は、深々とした嘆息だった。何だか、凄く馬鹿にされた気がした。
「貴方、何か知ってるわね?」
「‥‥‥君ね」
態度が不穏になる私に対して、トーマの反応は冷めていた。
「仮にも調べ物をするんだから、少しは、頭を働かせてみなよ。君だって、何も知らないわけじゃないだろ? 前情報とか、いくつか聞いてるんじゃないか?」
「前情報‥‥‥」
私は、聖皇から聞かされた話を思い出してみる。結果、
「えっと‥‥‥」
何も出てこなかった。トーマは、怪訝そうに目を細め、
「ちょっと待て。本当に、何も知らないのかい? 鉱山で、具体的にどういう事が起こって、どういう状況が進行してるとか」
「‥‥‥」
私の沈黙は、それが答えだった。トーマは鼻を鳴らし、
「大聖宮がやっと重い腰を上げたと思ったら、こんなのだよ。ままならないもんだね」
気に入らない言い草だが、今トーマは、気になることを言った。
「やっと? そんなに前から、騒ぎになっていたの?」
「そこからかよ。まあ、いいや」
肩をすくめながら、トーマは知っている事を話していく。
失踪騒ぎが始まったのは、今から一ヶ月ほど前から。鉱山の地駆民からは、捜索や事件解決を願う声が、鉱山の執政官を通じて大聖宮に寄せられていた。それも、幾度となく。
「──尾鰭も他にたくさんあるけど、とりあえずまとめると、こんな感じかな」
言い終えて、トーマは一息付く。その先は、私が付け加えた。
「その矢先に、こんな所を天翔民がうろついていたから、ちょっとカマをかけてみた──そんなところかしら?」
「そういうこと、なんだけどね」
肯定しながらも、トーマは首を傾げた。訝しげな目を私に向け、
「正直、半信半疑なんだよ。君がその調査をやるってのはさ。文字通り毛色は違うし、一人でいるし」
毛色が違う──否が応にも、私は過敏に受けてしまい、拳を握り締めた。それに気づいていないのか、トーマは続ける。
「大体、今言った内容だって、〝ウワサ話〟程度だぜ? しつこいようだけど、本当に、今僕から聞かされるまで、知らなかったのかい?」
「‥‥‥いいえ」
再度の確認に、しかし私は、首を横に振った。
失踪事件が相次いでいるから、調べてこい──ミカエルの話を要約すれば、それだけだった。自分の立場や、ミカエルの関心の薄さが、改めてよく分かる。
「‥‥‥ままならないもんだね」
トーマは、肩をすくめる。私も肩をすくめ、
「情報提供に感謝するわ」
と、話を切り上げた。これ以上の話は、彼も知らないと見ていいだろう。
「大したお礼は出来ないけど、貴方の協力が、事件解決の重要な皮切りになったって、後で同族に自慢させてあげる」
「自慢話なんかいいからさ、護衛をお願いするよ」
「護衛?」
思わぬ申出に、私は問い返した。トーマは、妙に神妙な面を浮かべ、
「いつも頼んでいる人が、腹壊しちゃってね。どうしようかと思ってたんだけど、ちょうど良かったよ」
「良かったって‥‥‥勝手に決めないで。悪いけど、私にそんな暇は無いわ」
思わぬ収穫だったが、これ以上付き合ってはいられない。今度こそ飛び立とうと翼を広げ、
「滅んだはずの黒き魔翼が復活して、再び災厄をもたらそうとしてる」
不意に呟いたトーマの言葉に、その姿勢のまま、硬直した。
「え?」
「さっき言った、〝尾鰭〟の一つだよ」
「それって‥‥‥」
私の翼は、気づかぬ内に、閉じていた。その間に、トーマの話は続く。
「そうでなくても、失踪事件が続いてる上に、解決の兆しも見えないもんだから、鉱山の地駆民達は、かなりピリピリしてるよ。君を襲った連中が、良い例さ」
襲った連中──斧と弩弓を持った、さっきの地駆民たちを思い出す。
「あの二人は鉱山の自警団だったよ。話を聞いたら、魔翼云々の噂を耳にして、いわゆる血気逸ったってクチらしくてね」
今思えば──確かに、彼らは何だか切羽詰まったような様子だった。その噂を真に受けての行動だとすれば、納得できる。
「それで、その地駆民──自警団達はどうしたの?」
「先に帰ってもらったよ。説得すんのは、ちょっと大変だったけどね」
「どうやって説得したのよ?」
「仕事柄、僕はあちこち顔が利くし、それなりに貸しもあるって事さ‥‥‥でも、君はどうだい?」
「どうだ、て?」
「ろくなツテも無い、殆ど行った事も無いような街で、しかも、そんなものを背負ってる」
トーマが指さしたのは、私の右翼──魔翼だった。
「一人でまともな調査なんて、ままなると思うかい?」
「その、くらい‥‥‥」
強がりは、すぐに萎んだ。情けない話だが、自信は全く無い。さっきの自警団の事を考えると、好きに動けるかどうかも怪しい。
「そこで、だ。」
気力の萎えかけた私に、トーマは手を叩いて言った。
「繰り返すけど、僕はそれなりに顔が利くからね。だから、鉱山での情報収集に協力するよ。それが、護衛の見返り‥‥‥なんて話は、どうだい?」
「‥‥‥」
私は、考える──ふりをした。
トーマの申し出は、私にとっては願っても無いことだ。この男の護衛など、どうという事は無い。ただ──地駆民相手に素直に頷くのは、癪だった。頭の中で、十秒ほど数え、
「良いわ、一緒に行ってあげる。その代わり、貴方もしっかり働いてもらうわよ」
「取引成立、と。短い間だけど、よろしく」
と、トーマは手を差し出すが、私はそれを払いのけた。
「地駆民と馴れ合う気は無いの」
「そりゃ残念無念~」
全然残念そうでないどころか、明らかにナメた態度であった。
いずれ、態度を改めさせないと──私は、剣の柄を握り締めるのだった。