出立
気がつけば、夕暮れに差し掛かっており、空が赤みを帯び始めていた。
この時期特有の北風のおかげで、時間の割に進める距離はそう多くは無い事は、翼を背負う天翔民ならば子供でも知っていることだ。
そんな事も忘れていた私は、出立から半日以上は全力で飛んでいたことになる。思えば、かれこれ百年ぶりの〝外出〟だ。事情が事情ということもあり、随分と我を見失ってたらしい。
気付いてみたら、途端に疲れが押し寄せてきた。荒くなった息を整えながら、地上の草原に降りると、足がもつれ、その場に尻餅をついた。自分は百年もの間、引きこもり同然の生活をしていたのだ、体力も落ちて当然だろう。
そんな私の目に、静かに下りてきた白と黒の羽毛が入ってきた。着地で大きく羽ばたいた際に、飛び散った物だ。
私は、そのうちの一枚──黒い羽毛を手に取った。
「魔翼‥‥‥」
荒い息で上下する肩に合わせて、背中の翼が揺れる──純白の左翼と、漆黒の右翼が。
〝穢れた翼〟
〝混沌の象徴〟
〝半端者〟
〝混ざりモノ〟
物心ついた頃から、そんな言葉を言われ続けてきた。奇異と侮蔑にさらされ、常に爪弾きにされてきた。
黒い翼を半分受け継いだ、〝半聖半魔〟というだけで。
それが私──ステラという名の、天翔民だった。
その筈だった。
「っ!」
気付けば、私は黒羽を握り潰していた。
身の内から、何かが静かに、しかし、ものすごい勢いで湧き上がってきた。それが、冷めかけていた怒りだと気付いた時には、それは疲れを上回っていた。
その勢いを借りて、バネ仕掛けのように跳ね起き、そのまま今飛んできた方向を振り返り、
「見てなさいよっ! 気まぐれで使命なんてくれた事を、後悔させてあげるわっ!」
出せる限りの声で、叫んだ。これだけ大声を張り上げたのは、いつ以来だろう。
そうだ──気まぐれだろうが子供の使いだろうが、使命自体は、あいつが直々に出した正式なものだ。つまり、またと無い機会なのだ──連中を見返すために。
「よしっ」
疲れなど、とうに吹き飛んでいた。今なら、もう半日全力飛行できる気がする。勢いよく飛び立とうと、私は大きく翼を広げた。
左肩に鋭い衝撃を受けたのは、その時であった。
「え‥‥‥」
見れば、大きな矢が、左肩に刺さっていた。痛みを感じる前に、右太腿にもう一本の矢が突き刺さり、私は膝をついた。
「く‥‥‥っ」
激痛で呻きが漏れるのを堪えながら、矢の飛んできた方向を見やる。斜面に身を隠すようにして、弩弓を構える男がいた。
「今だ、行けっ!」
その男は、叫びながら三本目の矢を放つ。私は、それを避けながら視線を巡らす。弩弓の男と挟み込む形で、別の男が迫ってきた。その手には、斧が握られている。
「魔翼めっ!」
裂帛の気合いで、男は斧を振りかぶる。それに合わせて、私は大きく羽ばたいた。生じた風圧で男は吹き飛ばされ、私は真上へと上昇する。
「くそっ」
弩弓の男が、四本目を放つが、私が少しその場から動いただけで、矢は逸れた。腕は悪くないようだが、どうやら素人のようだ。
私は、腰に下げていた剣を抜き、彼らに切っ先を向ける。
「さっさと消えなさい、地駆民共。今なら、手違いで済ませるわ」
穏やかに──しかし、威圧を込めて警告した。もちろん、嘘ではない。私とて、弱者をいたぶるような趣味は無い。
二人は怯むが、すぐに得物を構え直した。
「良い度胸、と思っておくわね」
言いながら、私は自身の内側から、それ(・・)を引き出した。
〝輝力〟と呼ばれる、私達天翔民が持つ奇跡の光。それは、私の頭上で瞬く間に球形を形成していった。
攻性系輝術〝烈砕〟──輝力の塊を鉄槌のように叩きつけ、破砕する。
「ひっ‥‥‥」
それを目にした二人は、我先にと背を向けた。恥も外聞も失くしたその姿に、私は不快を感じずにはいられなかった。
「前言撤回──見苦しいわ」
私は、彼ら目がけて頭上の〝烈砕〟を、
「え‥‥‥」
放とうとして、愕然とした。
誓って言うが、私に殺意は無かった。せいぜい仕置き程度に、打ち据えるつもりであった。私が作ろうとした〝烈砕〟は、せいぜい一抱え程度のものであり、そのように輝力を調節した──はずだった。
「何よ、これ‥‥‥」
今頭上にあったのは、大の大人を二、三人は一飲みしそうな、巨大な輝力の塊だった。こんなもの食らったら、打ち据えるどころかひき肉に、
「あ‥‥‥」
首筋に、小さな痛みを感じたのは、その時だった。
身体の力が、私の意志とは無関係に抜けていき、意識が混濁していく。支えを失った光の巨塊は、見る間に霧散していく。
「っ‥‥‥」
浮力を失い、視界が逆転する。
どうして──そんな疑問が、混濁した脳裏に浮かんだ。