永遠の終わり
光の正体を目にして、私は目を見開く。
「何を驚いている? 輝力の停滞とその保持が、自分のだけの技能だと思ったか?」
ミカエルはそう言うが、驚くなという方が無理だ。
それは、輝力で構成された、右腕と左腕──それがどれほど困難か、分からないはずがない。何せ私は、剣一本を数秒間維持するので精一杯なのだから。
「そうね。腕一本と翼一枚で安心してた」
私は、剣を抜く。
「どんなに腐っても、三百年前の英雄ということね」
「‥‥‥私が、腐っていると?」
「ええ、腐ってるわ」
聖皇にして三百年前の英雄──ミカエルが、その肩書に恥じぬような力を持っている事は、紛れもない事実ではある。
「当然ね。〝聖地〟なんて偉そうな名前の鳥籠に閉じ籠もって、三百年も何もしなかったもの。腐って当然だわ」
だが、それとこれとは別だ──という事を、私は改めて知った。以前は我が身で、今は目の前の男で。
「そんな事だから、息子はあんな風になってしまうし」
「知るか。あれはあれの自業自得で」
「女にも振り向いてもらえないのよ」
ミカエルの眉目秀麗が、醜く歪む。それを目にして、そういうところは親子だ、と私は思った。
私も、剣を構える。輝力を使えない今、これだけが唯一の頼みだ──そして、十分だった。
何故なら、
「そんなのに私は、絶対に負けない」
突進の勢いを乗せた剣の振り下ろしを、ミカエルは受け止める。渾身の一撃を、しかしミカエルは微動すらしない。
「小娘が、大概に思い上がったな」
右膝を、私の腹目がけて突き上げる。
「貴方こそ」
私は、それを己の右膝で受け、その勢いを利用して離れる。
「地駆民と天翔民の虐殺程度で、三百年の腐敗が引き締まると‥‥‥いえ、この期に及んでその程度で済むだなんて、本気で思ってるの?」
「何?」
言ってる間に、ミカエルは間合いに入り、剣を突き出していた。
「衛兵も近衛もあしらうあの力、貴方は見ていなかったの?」
私はそれを受け流し、ミカエルの左側に回り込んで横薙ぎに斬り付ける。それを、ミカエルは輝力の右腕で受け止めた。
「この三百年で、彼らは私達が想像もつかないようなところまで進んだのよ。貴方達が都合の悪い事を何もかも彼らに押し付けて、この僻地で三百年間引き籠ってる間に」
「その言い草は、甚だ不本意だが」
ミカエルは、剣を手の内で回して逆手に持ちかえ、私の左脇腹目がけて突きだす。私は、輝力を帯びた左手でその切っ先を受け、反動でミカエルから離れる。
「大いなる変化は、大いなる苦痛と混乱をもたらすものだ。変わらず、乱れず、平穏と安寧こそが、真の幸福だ」
「その平穏と安寧が、停滞に変わってしまったことに気付かないでいるから、ここまで腐れ切ったのよっ」
ミカエルの横顔を目がけて、膝を叩きこんだ。
「がっ」
ミカエルの体勢が崩れる。私は逃さず、次々に斬撃を叩き込んでいく。崩れたまま、無理な姿勢でそれを防ぐミカエルは、押される一方。翼と右腕の形成維持のために、輝術は使えない。この状態では、解除した瞬間に決められる。
「貴方達はっ」
トーマは言った。
『通称〝鳥籠〟と呼ばれている土地』
『三百年もの間、全くと言っても良いほど変わっていない』
それが、何を意味しているのか。
「いえ──私達は、籠の中に取り残されてしまったのよっ」
私は、剣を突き出す。一瞬遅れて、ミカエルも剣を突き出した。互いの刃を掠めて、私の剣はミカエルの左肩に突き刺さる。
肉を打つ感触と、千切れるような音──立て続けの斬撃で切れ味をほとんど失っていた衛兵の剣だが、ミカエルの左肩を砕くには、充分な破壊力を伴っていた。
「──っ」
苦悶に歪むミカエルの顔。それよりも先に、塞ぎかかっていた腹の傷に、私は蹴りを叩き込んだ。弾き飛ばされたミカエルは、基底部の壁面に叩きつけられる。輝力の翼と右腕は、音も無く霧散した。
「ぐぅっ‥‥‥」
遅れてやってきた右翼の激痛。見れば、ミカエルの剣が、刃の半ばまで突き刺さっていた。翼から力が抜け、体が傾ぐが、何とか留める。幸い、腱や筋は外れているから、痛みさえ堪えれば、動かす分には問題ない。
私は、すぐに取って返し、稀翔石に近付く。
「全てを巻き込まなければ、気が済まないか?」
身を起こしながら、荒い息でミカエルは言う。
「お前の憎悪は、それほどまでに深いものだったのか?」
「‥‥‥」
憎む、恨む──その気持ちが、一片も無いと言えば、嘘だ。今自分のしていることだって、傍から見れば復讐だろう。
だが、それ以上に、
「私が許せないのは、今の貴方達なのよ」
「何?」
「言ったでしょう‥‥‥今の聖地は、平穏と安寧じゃなくて、単なる停滞だって。進むことを止めてしまったら、遅かれ早かれ滅ぶ。だからと言って、三百年の腐敗は、ちょっとやそっとでどうにかなるものじゃないわ」
だから、それを知らしめる必要がある。
ミカエルを始め聖地の者達に、自身が〝籠の鳥〟だという事を、自覚させる──そのために一番分かり易いのが、この大聖宮の墜落だ。墜ちるはずが無かった大聖宮が地に墜ちて、しかも二度を浮き上がることは無い──その事実は、否応なく彼らに現実を突きつける。
〝絶対〟と思っていたモノが、絶対ではなかった。
〝絶対〟は、幻に過ぎなかった。
「お前は‥‥‥お前自身の手で、欺瞞を真実にすると言うのか?」
「この貸しは、大きいわよ。だから‥‥‥」
下手に加減などしてはいけない。余力など残してはいけない。残った全てを、一滴残らず絞り出す。
「前に進んで」
稀翔石の更に中心を目がけて、私は輝力を放った。
無我夢中だの、我を忘れてだのではなく、始めて自分の意志で放つ全開の〝貫閃〟は、しかしあの時のような荒れ狂うだけの激流ではなく、鋭い尖端と螺旋のような捻りを伴って稀翔石を穿った。尖端と捻りが、瞬く間に稀翔石を掘り進んでいき、中心を貫いて反対側へと突き抜けた。
大穴を開けられた稀翔石は、その輝きと浮力を失い、基底部の底に衝突した時には、単なる青い巨石に変じていた。




