最大の壁
トーマ達から見えなくなる位置まで進んだ所で、私はその場に降りた。
歩いて上るのが礼法──を守るためではなく、自分でも分かるくらい、気持ちが昂ぶっていたからだ。鍵をもらったというのに、封環は未だにそのままだったことを忘れるくらい。
手足と首の封環を外すと、指先に輝力を集める。その過程に、一切滞りは無い。
「よしっ」
捨てた封環を蹴りつけて階段を駆け上り、天頂の間に出る。
入るのは二度目だから、それにしても狭苦しく感じる。その理由が、周囲を覆う防御壁のせいであると、すぐに悟った。
「こうなると、なんか殺風景ね」
「無駄を削ぎ落とした、と言ってほしいな」
広間の中央──玉座のミカエルが、無表情に告げる。
歩いて玉座に近づきながら、私はもう一度周りを見渡し、
「‥‥‥失礼しました」
と、私は頭を下げる。
今の自分の感想は、確かに失礼で無粋であった。周囲を一望できる光景が、この天頂の間の最高の装飾なのだから。
「何用だ?」
そう言うミカエルの表情は、変わらない。まるで、分かり切ったことを改めて確認した、とばかりに。
ならば、話は早い。
「最後のけじめを付けにきた、というところかしらね」
私は、翼を広げ、剣を抜いた。
「そうか」
肩をすくめながら、ミカエルは剣を抜いた。
「そのまま、黙って立ち去っていれば」
ミカエルの言葉を待たず、私は背後の床を蹴っていた。翼も使って一気に加速し、瞬く間に間合いを詰め、ミカエルの心臓目がけて剣を突き出した。それが届くよりも先に、ミカエルは真横に跳び、私の剣は玉座の背もたれに突き刺さった。私は、背もたれを蹴る勢いで剣を引き抜き、同時にその場から飛び退く。私の右側から放たれたミカエルの〝貫閃〟は、背もたれを塵にした。
「仮にも玉座でしょう?」
「たかが椅子の」
ミカエルは身を屈め、翼を広げ、
「替えなどいくらでもある」
言った時点で、既にミカエルは目の前で剣を振り下ろしていた。私はそれを剣で受け、そのままずらして受け流しながらミカエルの左側に回り込み、ミカエルの左の二の腕を斬り付けた。
「っ!」
ミカエルが息を呑むのを聞いた気がした。気がした程度なので、私は気にせず、そのまま飛んで離れた。そして輝術を食らわせようと振り返り、
「‥‥‥」
ミカエルの消えた表情を目にした。
真横に飛びのく──判断ではなく、直感で。
直後、巨大な光の激流が、私のいた場所を飲み込んだ。のみならず、激流は床を抉りながら壁に衝突し、そのまま突き抜けた。内側からとはいえ、輝力などでは傷一つ付かないはずの防御壁を、である。
「‥‥‥貴方が大聖宮を破壊する気っ?」
「この程度」
その冷え切った声は、すぐ傍から聞こえた。聞いた時には、反射で剣を薙ぎ払っていた。それが空を切った直後、頬に大きな衝撃を受け、
「どうということは無い」
さらに腹に一撃を受けた。弾き飛ばされた私は、床を何度も跳ね、壁に叩きつけられた。
「ぐぅっ‥‥‥」
痛みよりも、立て続けの衝撃で意識が朦朧としかかる。霞みがかった目で、ミカエルを探すと、天井に近い位置で、ミカエルの姿と収束していく輝力が見えた。
私は、片膝立ちで剣を真横に構え、目の前に輝力を集める。
防性輝術〝咆盾〟──輝力によって形成された光の障壁が、私の前を塞いだ。
閃光──放たれたのは、先の倍以上の激流。私は、吹き飛ばされそうになるのを必死に堪えながら、障壁に輝力を全開で注ぎ込む。
だが、私の輝力が障壁を補うよりも、ミカエルの激流が障壁を削り取るのが早かった。障壁に亀裂が走り、それはあっという間に広がっていき、砕けた。
「──っ!」
私はなすすべも無く、飲み込まれる──ミカエルの位置からはそう見えたはずだ。
「なわけ」
その声に、ミカエルは目を見開いてこちらを見上げた。
その時点で、私は剣を振りかぶっていた。
攻性輝術〝神剣〟──私は、そう名付けることにした。
輝力の停滞が出来るなら──缶詰を輝術で開ける中、私はそんな事を考えていた。かといって、何も無い空間に輝力を停滞させるのは、非常に難しい。
そう──何も無い空間なら。
「ないでしょっ!」
それを、私は躊躇なく振り下ろす──私の輝力を纏ったことで、光の刃と化した衛兵の剣を。
ミカエルは完全に虚を突かれる形となり、反応は遅れた。それでも、真横に飛んだおかげで直撃は避けたが、光の刃は逃げ遅れたミカエルの右翼に届き、勢いをそのままに右腕諸共切り落とした。
「ぐっ」
ミカエルの体勢が崩れる。私は、立ち上がりの勢いで、剣をミカエルの腹に突き立てた。
「が、ぁ‥‥‥っ」
苦悶の声と共に吐き出された血を、しかし私は身にかかるのも気にせず、突き刺した剣に輝力を注ぎ込む。瞬く間に伸長していく光剣によって押し込まれたミカエルは、腰掛だけとなった玉座を弾き飛ばし、壁に叩きつけられ、そのまま縫い止められた。
咆盾が砕ける反動と、翼を含めた全身をバネにして、私は直上に跳躍。光の激流は、同時に私の姿を隠す壁にもなったため、ミカエルを欺く結果となった。
私は輝力の停滞を解除し、元の鋼の剣に戻した。
何かを〝芯〟にすれば負担が減る事を、缶詰を開ける中で私は気付いた。とはいえ、無から作るよりはいくらかマシというだけで、やはり消耗が激しい事に変わりは無い。
止める鋲が無くなった事で落ちたミカエルは、床に横たわったまま動かない。安堵しかけた私の目に、夕空が映る。
夕空──ここは、隔壁で完全に外の景色を遮断していたはず。私は視線を巡らせる。
私の周囲は、壁と天井の半分が完全に消失していた。残っていたのは、私が背にしていた僅かな部位のみ。
つまりそれが、ミカエルの放った輝術の破壊力だった。
私は、戦慄と共に弛みかけた緊張を引き締めた。ミカエルは、あくまで最大の壁──通過点に過ぎないのだ。
全身に痛みが走るが、〝包養〟は必要無い──というより、残りの輝力量を考えると、使えない。目的を達するには、どうしても輝力が必要であり、これ以上の消耗は避けなければならない。
私は、玉座のあった場所に歩み寄る。玉座が無くなって剥き出しになった青い床には、黒塗りの蓋があった。それを開け、中にあった取っ手を引っ張る。
地鳴りのような鈍い音が足元から響き、床が私を乗せたまま左右に開いていく。口を開けたのは、基底部へと続く、深い縦穴だった。
私は翼を広げ、縦穴に飛びこむ。落ちるにまかせて、長い縦穴を急降下していき、縦穴を抜けたところで翼を広げ、減速。
そこは、椀の内側のような半球で形どられた空間だった。大聖宮の基底部で間違いない。そして、その中央に浮かぶ、青白い光を放つ巨石を、私は見上げる。
「これが‥‥‥」
正八面体に磨かれた、この大聖宮の心臓──稀翔石だ。浮遊する性質を持つ鉱物を、更に強力な浮揚力場を発するよう、精製加工した奇跡の石。
近づいてみると、その大きさに圧倒される。当然ながら、稀翔石が大きくなれば、比例してその力の規模も大きくなり、浮かばせる対象が大きく重くなれば、必要な力も比例する。
今目の前にあるのは、ざっと見ても坑道の奥で見た魔翼の巨像の倍はありそうだ。大聖宮のような巨大なモノが浮かぶのも頷ける。
そして──これを失えば、もう二度と大聖宮が浮かぶ事は無い。この聖地において、原石となる鉱物は、採れないからだ。
「お前の目当ては、それだったか」
その声の主を確かめる前に、私はその場から飛び退いた。
その場を、輝力の激流が雪崩れこむ。姿勢を立て直しながら、私はその元を辿る。
「私が通過点とは、見くびられたものだな」
光を背負ったミカエルが、静かに降りてきた。




