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運が良かった。久しぶりに彼女と落ち合えたのは四国のはずれの境内で、彼女はちょっとやせこけた印象をうけた。近くのこじんまりとしたレストランでメニューのかたっぱしから頼んであげた。
「元気にしてた?具合は悪くない?」
「それはこっちのセリフだよ。どこで寝泊まりしてるの?」
「この近所に一人暮らしのおばあちゃんがいて、そこに泊めてもらってるわ。でもそろそろお暇しないと悪いわね」
そう言って彼女は並べられた料理をちょこっとずつつまみながらぎこちなくほほ笑んだ。久々に間近で見る彼女の笑顔に僕は子供みたいにそわそわした。
「少しくらいいいんじゃないか。最近ずっと野宿生活だったんだろ?」
「いいの、それはそれで楽しいものよ?ある時なんかノラネコちゃんとずっと旅してたんだから」
そういう彼女は普通にしていれば丸の内のOLといっても不思議じゃない雰囲気で、こんな生活をしているのがあまりに不似合いであった。
会計を済ませようとすると彼女は伝票をかすめ取った。
「ここはお姉さんにまかせなさい」
お金がないはずなのにそんな無茶な。しかしさっさと席を立った彼女はどういうわけか会計を済ませて戻ってきた。またか、と僕は問い詰めたが、彼女は一蹴した。
「裏技を使ったの。気にしないでいいわ」
○
一時の気分で何かをしでかしてしまうことがある。
かつて僕はそんな少年で、窓ガラスを割ることはもちろん下手すれば人を傷つけかねないような危ない真似を突拍子もなくやってしまうことがあった。
当然ながら周りの大人は僕に手を焼き、またその行く末を案じたけど、正直自分でもどうしてそんなことをしてしまうのか全然わからなかった。
何しろ僕の家は一族そろいもそろって証券会社や大手金融機関などの重役ばかりで、親も子育てに対してごく普通の神経をもっていた。家庭環境は恵まれていたし何不自由ない生活だったわけだ。
中学三年にあがるころに見かねた母が心療内科に僕を連れていった。
案の定先生はそれを反抗期ととらえ、その程度がはなはだしいのでしょうと一応の結論をつけて経過観察を促した。しかしそれは反抗期というにはあまりに奇抜で不合理なもので(内容はひかえさせていただく)、周囲もどう対処したものかとひどく悩まされたようだった。
そんな中で唯一話をよく聞いてくれたのがその心療内科で助手をしていた人で、僕はなぜだかその人にだけは感じていることをうまく言葉に表わせたし、そうすることで気分が落ち着いたように思えた。僕はその人のことを先生より信頼できた。
半年くらいたったころ、その人は突然いなくなった。先生によると親御さんの病気が篤いとかで実家に帰るというような書置きがあっただけで、なんの前触れもなかったそうだ。まさかなにか事件にでも巻き込まれたんじゃないかと心配もしたが、どうすることもできないまま時が過ぎた。
それからというもの、また僕は自分の情緒に泣かされ続けていたがなんとか高校生にはなれた。学校は都心にあり、気の置けない悪友もできた。そんな時、僕は思いもかけずその人に出会うことになった。
そのとき僕は悪友たちとなんとはなしに興味本位で風俗の並ぶ路地裏をぶらついていた。冬枯れの街路は寒々しく、ちょっとばかり緊張と興奮をもって僕たちは盛り上がっていた。その一角の店の裏口から、その人は出てきた。