わかってしまった夜 午後6時32分 ~告白
日曜の夕方。
駅前は休日の空気だった。
買い物袋を持った人達と、デートのカップル。
葵は店のガラスに映る自分をちらっと見る。ベージュのニット。黒のロングスカート。髪は軽く巻いてみた。会社より、少し柔らかい格好。・・・大丈夫かな。
先日の昼休みを思い出す。
『駅前に新しい店できたんだけどさ』
何気ない顔で言った。
『今度、一緒に行かない?』
大樹はスマホを見ながら、
『いいよ』
あっさり。
『日曜とか?』
『じゃあ日曜で』
それだけ。それだけなのに。休日にOKって・・・ほんの少しだけ期待してしまう。
その時。
「葵さん?」
振り向く。
「・・・大樹さんっ」
黒のオーバーサイズのパーカー。ダメージデニム。首元からちらりとシルバーのネックレスが見える。ラフで少し治安が悪そうなのに、妙に似合っている。休日の大樹、ずるいな。
大樹は葵を見て、少し目を細めた。
「今日、雰囲気違うな」
「そう?」
「うん。似合ってる」
さらっと言う。
葵は少し笑った。
「ありがと」
二人は店に入った。新しい店らしく、店内は賑やかだ。
天井からはあたたかい色のペンダントライトがいくつも下がり、木目のテーブルをやわらかく照らしている。奥のオープンキッチンでは、肉が焼ける音と香ばしい匂いが絶えず立ちのぼっていて、会話のざわめきに混ざって食欲を刺激してくる。グラスが触れ合う軽い音、笑い声、店員の明るい声。どこを切り取っても、今この瞬間を楽しんでいる人達の熱があった。
料理が運ばれてくる。グリル料理とクラフトビール。
湯気の向こうで、大樹の横顔が少しだけやわらぐ。いつもの整った空気はそのままなのに、こういう場所だと、ほんの少しだけ無防備に見えるのが不思議だった。
大樹は一口食べて頷いた。
「うまい」
短い一言。
でも、その低い声と、ほんの少し目を細める仕草だけで、ちゃんと気に入ってるのがわかる。
「でしょ?」
葵も口に運ぶ。確かに美味しい。
大樹はグラスを持つ指先がきれいで、ラフな照明の下でも妙に目についた。喉仏が上下するのを、つい視線で追ってしまう。飲み慣れているはずの仕草なのに、何だか余裕があって見ている側を落ち着かなくさせる。
大樹は店内を軽く見回す。その視線の動きがやけに自然で、無駄がない。人の流れや席の埋まり具合をさっと見て、すぐに興味を手放す感じ。こういうところ、本当に仕事ができる人のそれだと思う
「ここ人気出そうだな」
「もう出てるっぽいよ」
「また誰かと来よ」
その言い方が、いかにも大樹らしい。軽くて、深くないみたいに聞こえるのに。誰と来るのかは、きっとちゃんと選んでる。葵は少し笑う。ほんと顔広いよね、この人。
ビールを一口飲んでから、葵は言った。
「あ、そうだ」
「ん?」
「今度BBQやる話出てるんだけど」
「BBQ?」
大樹の目が少し楽しそうになる。
「誠さんとか、紫音とか。あと友達呼んでもいいって」
「へえ」
「大樹さんも来ない?」
「行く」
即答だった。
葵は笑う。
「早」
「BBQ好き」
「火起こし係ね」
「任せろ」
少し笑い合う。
その流れで、大樹が聞いた。
「彩さんは?」
葵は少しだけ手を止める。フォークの先で肉を押さえたまま、ほんの一拍、間が空いた。
「誘わないの?」
その時。大樹の目が、ほんの一瞬変わった。さっきまでと同じ顔。同じ温度。
なのに、光の奥に、何かが沈む。期待、というには静かすぎて。でも、どうでもいい相手に向ける視線じゃない。
ほんの一瞬。でも確かに。
あ・・・葵は気づく。けれど普通に答える。
「たぶん来ないと思う」
「なんで?」
大樹はグラスに口をつける。
その動きが、僅かにゆっくりになる。
飲む量も、少しだけ少ない。
聞き逃さないためみたいに。
「彩さんってさ」
葵は肩をすくめた。
「会社とプライベート分けるタイプじゃん」
「あー」
相槌は軽い。
いつも通り。
でもテーブルに置いた指先だけが、ほんの少し力を失っている。
「飲み会もほぼ来ないし」
フォークをくるくる回す。
「別に嫌いじゃないけど」
少し笑う。
「ちょっと真面目すぎるっていうか。頭固いよね」
その瞬間。大樹の視線が、ほんの少しだけ鋭くなる。すぐ戻る。何もなかったみたいに。
でも。
・・・あ。
葵は見てしまった。
あれは怒りじゃない。
もっと静かなもの。
ふれられたくないものにふれられたときの顔。否定したいわけでも、訂正したいわけでもない。ただ、そこに触れてほしくなかった、みたいな。
大樹は何も言わない。ナイフとフォークを持ち直す。さっきよりも少しだけ丁寧に。無駄に整えられた動き。
ああ、そっか。
その『整え方』、見た事ある。
踏み込まれたくないときのやつ。
葵はビールを一口飲む。
少し苦い。
喉を落ちていく冷たさの奥で、じわっと何かが形になる。言葉にするほどじゃない。でも、たぶん間違ってない。
あの一瞬の目。
あの、触れられたくなさそうな静けさ。軽く流すには、少しだけ重い。しかも、わりと面倒なやつ。
葵はグラスを置いて、何でもない顔で笑う。
気づかなかったふりくらい、してあげる。その方が、きっと、この人は楽だから。
大樹は普通の声で言う。
「BBQ楽しそうだな」
「でしょ?」
「肉いっぱい焼くか」
「期待してる」
葵が返すと、大樹が笑う。
照明に照らされたその笑顔は、相変わらず整っていて。少しだけ目尻が下がる癖と、白い歯の見え方がやけに自然で。計算してないのに、人を惹きつけるタイプの笑い方。
ビールを飲む時に、喉仏がすっと動く。シャツの開いた襟元から覗くラインが、ふと目に入る。ラフな店の空気の中でも、妙に目立つ。
カウンター席の奥では、肉が焼ける音が弾けて、煙がゆらりと上がる。スパイスの香りと、アルコールの匂いが混ざって、店の熱がさらに濃くなる。
いつもの顔。
でも。
こんな顔してるんじゃ、私じゃ無理だな。休日にわざわざ来てくれて。ご飯も楽しくて。
それでも。
大樹の目はあの人の名前で変わった。さっきの、ほんの一瞬の温度差。
あれを見てしまったら、もう誤魔化せない。追いかけるのも嫌いじゃないけど、無理目なのを振り向かせるのはいいや。
葵は笑った。
「じゃあBBQ決まりね」
「うん」
大樹はあっさり頷く。
その軽さが、余計に綺麗で。きっと誰に対しても優しいんだろうな、と思わせる距離感のまま。
店は賑やかで、料理も美味しくて、会話も楽しい。隣のテーブルでは笑い声が弾けて、グラスがまたひとつ触れ合う音がした。
それでも葵の中では、もう一つの答えが静かに決まっていた。
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