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わかってしまった夜 午後6時32分 ~告白

作者: 時司 龍
掲載日:2026/03/20

 日曜の夕方。

 駅前は休日の空気だった。

 買い物袋を持った人達と、デートのカップル。


 (あおい)は店のガラスに映る自分をちらっと見る。ベージュのニット。黒のロングスカート。髪は軽く巻いてみた。会社より、少し柔らかい格好。・・・大丈夫かな。


 先日の昼休みを思い出す。

『駅前に新しい店できたんだけどさ』

 何気ない顔で言った。

『今度、一緒に行かない?』

 大樹(だいじゅ)はスマホを見ながら、

『いいよ』

 あっさり。

『日曜とか?』

『じゃあ日曜で』

 それだけ。それだけなのに。休日にOKって・・・ほんの少しだけ期待してしまう。


 その時。

「葵さん?」

 振り向く。

「・・・大樹さんっ」


 黒のオーバーサイズのパーカー。ダメージデニム。首元からちらりとシルバーのネックレスが見える。ラフで少し治安が悪そうなのに、妙に似合っている。休日の大樹、ずるいな。


 大樹は葵を見て、少し目を細めた。

「今日、雰囲気違うな」

「そう?」

「うん。似合ってる」

 さらっと言う。

 葵は少し笑った。

「ありがと」


 二人は店に入った。新しい店らしく、店内は賑やかだ。

 天井からはあたたかい色のペンダントライトがいくつも下がり、木目のテーブルをやわらかく照らしている。奥のオープンキッチンでは、肉が焼ける音と香ばしい匂いが絶えず立ちのぼっていて、会話のざわめきに混ざって食欲を刺激してくる。グラスが触れ合う軽い音、笑い声、店員の明るい声。どこを切り取っても、今この瞬間を楽しんでいる人達の熱があった。

 料理が運ばれてくる。グリル料理とクラフトビール。


 湯気の向こうで、大樹の横顔が少しだけやわらぐ。いつもの整った空気はそのままなのに、こういう場所だと、ほんの少しだけ無防備に見えるのが不思議だった。


 大樹は一口食べて頷いた。

「うまい」

 短い一言。

 でも、その低い声と、ほんの少し目を細める仕草だけで、ちゃんと気に入ってるのがわかる。

「でしょ?」

 葵も口に運ぶ。確かに美味しい。


 大樹はグラスを持つ指先がきれいで、ラフな照明の下でも妙に目についた。喉仏が上下するのを、つい視線で追ってしまう。飲み慣れているはずの仕草なのに、何だか余裕があって見ている側を落ち着かなくさせる。


 大樹は店内を軽く見回す。その視線の動きがやけに自然で、無駄がない。人の流れや席の埋まり具合をさっと見て、すぐに興味を手放す感じ。こういうところ、本当に仕事ができる人のそれだと思う

「ここ人気出そうだな」

「もう出てるっぽいよ」

「また誰かと来よ」

 その言い方が、いかにも大樹らしい。軽くて、深くないみたいに聞こえるのに。誰と来るのかは、きっとちゃんと選んでる。葵は少し笑う。ほんと顔広いよね、この人。

 ビールを一口飲んでから、葵は言った。


「あ、そうだ」

「ん?」

「今度BBQやる話出てるんだけど」

「BBQ?」

 大樹の目が少し楽しそうになる。

「誠さんとか、紫音とか。あと友達呼んでもいいって」

「へえ」

「大樹さんも来ない?」

「行く」

 即答だった。

 葵は笑う。

「早」

「BBQ好き」

「火起こし係ね」

「任せろ」

 少し笑い合う。


 その流れで、大樹が聞いた。

「彩さんは?」

 葵は少しだけ手を止める。フォークの先で肉を押さえたまま、ほんの一拍、間が空いた。

「誘わないの?」


 その時。大樹の目が、ほんの一瞬変わった。さっきまでと同じ顔。同じ温度。

 なのに、光の奥に、何かが沈む。期待、というには静かすぎて。でも、どうでもいい相手に向ける視線じゃない。

 ほんの一瞬。でも確かに。

 あ・・・葵は気づく。けれど普通に答える。


「たぶん来ないと思う」

「なんで?」


 大樹はグラスに口をつける。

 その動きが、僅かにゆっくりになる。

 飲む量も、少しだけ少ない。

 聞き逃さないためみたいに。


「彩さんってさ」

 葵は肩をすくめた。

「会社とプライベート分けるタイプじゃん」

「あー」


 相槌は軽い。

 いつも通り。

 でもテーブルに置いた指先だけが、ほんの少し力を失っている。


「飲み会もほぼ来ないし」

 フォークをくるくる回す。

「別に嫌いじゃないけど」

 少し笑う。

「ちょっと真面目すぎるっていうか。頭固いよね」


 その瞬間。大樹の視線が、ほんの少しだけ鋭くなる。すぐ戻る。何もなかったみたいに。


 でも。


 ・・・あ。

 葵は見てしまった。


 あれは怒りじゃない。

 もっと静かなもの。

 ふれられたくないものにふれられたときの顔。否定したいわけでも、訂正したいわけでもない。ただ、そこに触れてほしくなかった、みたいな。

 大樹は何も言わない。ナイフとフォークを持ち直す。さっきよりも少しだけ丁寧に。無駄に整えられた動き。


 ああ、そっか。


 その『整え方』、見た事ある。

 踏み込まれたくないときのやつ。


 葵はビールを一口飲む。

 少し苦い。

 喉を落ちていく冷たさの奥で、じわっと何かが形になる。言葉にするほどじゃない。でも、たぶん間違ってない。

 あの一瞬の目。

 あの、触れられたくなさそうな静けさ。軽く流すには、少しだけ重い。しかも、わりと面倒なやつ。


 葵はグラスを置いて、何でもない顔で笑う。

 気づかなかったふりくらい、してあげる。その方が、きっと、この人は楽だから。


 大樹は普通の声で言う。

「BBQ楽しそうだな」

「でしょ?」

「肉いっぱい焼くか」

「期待してる」

 葵が返すと、大樹が笑う。


 照明に照らされたその笑顔は、相変わらず整っていて。少しだけ目尻が下がる癖と、白い歯の見え方がやけに自然で。計算してないのに、人を惹きつけるタイプの笑い方。

 ビールを飲む時に、喉仏がすっと動く。シャツの開いた襟元から覗くラインが、ふと目に入る。ラフな店の空気の中でも、妙に目立つ。


 カウンター席の奥では、肉が焼ける音が弾けて、煙がゆらりと上がる。スパイスの香りと、アルコールの匂いが混ざって、店の熱がさらに濃くなる。


 いつもの顔。


 でも。

 こんな顔してるんじゃ、私じゃ無理だな。休日にわざわざ来てくれて。ご飯も楽しくて。


 それでも。

 大樹の目はあの人の名前で変わった。さっきの、ほんの一瞬の温度差。

 あれを見てしまったら、もう誤魔化せない。追いかけるのも嫌いじゃないけど、無理目なのを振り向かせるのはいいや。

 葵は笑った。


「じゃあBBQ決まりね」

「うん」


 大樹はあっさり頷く。

 その軽さが、余計に綺麗で。きっと誰に対しても優しいんだろうな、と思わせる距離感のまま。

 店は賑やかで、料理も美味しくて、会話も楽しい。隣のテーブルでは笑い声が弾けて、グラスがまたひとつ触れ合う音がした。


 それでも葵の中では、もう一つの答えが静かに決まっていた。


読んでくださってありがとうございます(*_ _)

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