フォロワー100万人の「奇跡の美少女」に「君の編集は古臭いからクビ」と言われましたが、あなたのその美貌も、透き通るような声も、すべて僕の自作AIリアルタイム補正だったこと、まさか忘れてませんよね?
「ミナト、ちょっと話があるんだけど」
金曜日の夜、スタジオ代わりに使っているワンルームマンションで、僕はいつものように編集作業をしていた。三台のモニターに映し出されているのは、明日の企業案件ライブ配信のためのテスト映像だ。
画面の中のララは、まるで人形のように完璧だった。
透き通るような白い肌。大きくて潤んだ瞳。風になびくサラサラの髪。そして、鈴を転がすような清らかな声。
――全部、僕が作ったものだ。
正確に言えば、僕が開発した『女神のヴェール』というプログラムが作り出している。
AIによるリアルタイム映像補正システム。肌質、骨格、輪郭、瞳の大きさ、髪の質感――カメラに映るすべてを、フレーム単位で自然に補正する。さらに音声のピッチとフォルマントもリアルタイムで調整し、どんな声でも「清楚系美少女ボイス」に変換する。
映像だけじゃない。背景もだ。AIが被写体と背景をリアルタイムで自動分離し、背景だけを別の映像に差し替える。精度は市販のアプリとは次元が違う。ZoomやGoogle Meetの仮想背景みたいに輪郭がチラついたり、動くたびに背景が溶けたりすることは絶対にない。
とはいえ、ララの部屋はあまりにも汚いので、念のためカメラの背後にグリーンバックも設置してある。万が一システムに負荷がかかった時の保険だ。三年間一度も必要になったことはないけれど。
僕が三年かけて、ララのためだけに開発したシステムだった。
「……何?」
振り返ると、ララがソファに寝転がったままスマホをいじっていた。テーブルの上にはコンビニ弁当の空き容器が三つ。足元にはペットボトルの山。部屋の隅には脱ぎ散らかした服が小山を作っている。
画面の中の「奇跡の美少女」とは似ても似つかない光景だ。
もちろん、素のララだって「そこそこ可愛い」レベルではある。しかし、フォロワー100万人が崇拝する「1000年に1人の美少女」とは、さすがに程遠い。
「あのさ、明日の配信から、ショウ君にプロデュースお願いすることにしたから」
ショウ。先月あたりからララに急接近してきたイケメンだ。自称プロデューサー。「これからはTikTokの時代っしょw」が口癖で、使っている機材は最新のiPhoneだけ。技術的な素養はゼロだが、顔がいいのでララは上機嫌だった。
……最近、ララのインスタのストーリーにショウと二人で食事している写真が頻繁に上がっている。「プロデューサーと打ち合わせ♡」というキャプション付きで。打ち合わせにハートマークは付けない。
僕は、そういうことだと理解していた。
「つまり、僕はクビってこと?」
「クビっていうか……交代? ミナトの編集ってさ、正直古臭いんだよね。なんか重たいソフトばっかり使ってさ。ショウ君はスマホ一台でサクッとやるタイプだから、そっちの方が今っぽいじゃん」
ララはスマホから目を離さずに続ける。
「あとさ、ぶっちゃけミナトって映えないんだよね。ショウ君はイケメンだからさ、隣に並んでも画になるっていうか。ミナトはなんか……地味じゃん? 暗い部屋でずっとカタカタやってるだけだし。髪ボサボサだし。もうちょっと華が欲しいわけ」
映えない。地味。髪ボサボサ。
まあ、その通りだと思う。
三年間、ララの配信のために毎日十時間以上モニターに向かい続けた結果が、伸びっぱなしの黒髪とヨレたパーカーと万年クマのある目元だ。身なりに気を遣う余裕なんて、一度もなかった。
……ショウは確かにイケメンだ。高い鼻、整った髪、白い歯を見せて笑う爽やかな顔。隣に並べば、画になるだろう。
プロデューサーとしてだけじゃなく、彼氏としても。
ララが選んだのは僕の技術じゃなく、ショウの顔だった。
分かっていた。分かっていたから、余計に「映えない」という言葉が深く刺さった。
「……分かった」
「え、マジ? もっとゴネるかと思った。ほんと助かる、ミナトは物分かりいいよね」
物分かりがいい。
そうだ。僕はいつだって物分かりがよかった。ララに「もうちょっと目を大きく」と言われれば補正パラメータを調整し、「声がちょっと低い」と言われればピッチ変換のアルゴリズムを書き直した。深夜三時に「明日の投稿のサムネ変えて」とLINEが来れば、黙って布団から出てPCに向かった。
全部、幼馴染だからだと思っていた。
いや、正直に言えば――幼馴染だから、だけじゃなかった。
中学の頃、教室の隅でスマホに映る自分の顔を見つめて、「もうちょっと目が大きかったらな」と呟いていたララ。その横顔が、どうしようもなく放っておけなかった。
「じゃあ、僕が作ってあげるよ」
あの日の僕の声は、きっと震えていた。
好きだったのだ。認めたくないけれど、ずっと。
でも、もういい。
「ただ、一つだけ確認。僕のサーバーで動かしてる『女神のヴェール』と、コメント欄のモデレーターBot、あれも全部止めていいんだよね?」
ララは面倒くさそうに手を振った。
「ああ、あの重いやつ? いらないいらない。ショウ君が『ナチュラルが一番ウケる』って言ってたし。これからはありのままで勝負するから」
ありのまま。
僕は小さく笑った。声には出さなかった。
ララは知らない。
自分の「ありのまま」がどういうものか。
三年間、一度たりとも、補正なしの自分の配信映像を見たことがないのだから。
この汚部屋がおしゃれなスタジオに見えているのも、全部僕のシステムのおかげだ。カメラ背後のグリーンバックも合わせて、完璧な背景合成を実現していた。僕のシステムが止まれば、このコンビニ弁当の山もペットボトルの山も、カメラに映り放題になる。
……まあ、グリーンバックだけは物理的に残るから、それが映るだけかもしれないけど。
「じゃあ、今夜中にサーバーの契約を全部解除しておくよ。アカウントの紐付けも外す。モデレーターBotも停止する。あと、カメラの後ろのグリーンバックはそのままにしておくから、使うなら使って」
「グリーンバック? あの緑の布? ショウ君があれダサいって言ってたわ。外していいでしょ」
「……外すと背景が丸見えになるけど」
「だからショウ君がアプリで何とかするんでしょ。ZoomとかTeamsとかと同じやつ。今どきスマホでできるんだから」
ZoomやTeamsと同じ。
市販の仮想背景機能のことだ。確かに背景を差し替えることはできる。でも、精度は僕のシステムとは比べ物にならない。動くたびに輪郭がチラつくし、細い髪の毛は背景に溶けるし、少しでも速い動きをすると処理が追いつかず背景が一瞬消える。
――まあ、それを説明したところで理解してもらえないだろう。
「好きにして」
「オッケー。……ていうかミナト、その前髪邪魔じゃないの? 目にかかってるじゃん。ほんと身なりに無頓着だよね。だから映えないんだって」
僕はモニターの電源を一台ずつ落とした。
三年分の作業環境が、静かに暗転していく。
「じゃあね、ララ。元気で」
「うん。あ、でもさ、もしショウ君と上手くいかなかったら戻ってきてもらうかもだから、連絡先は消さないでね? ミナトは便利だし」
便利。
技術者としても、都合のいい幼馴染としても。
好きだった女が、自分ではなくイケメンを選んだ。その上で、「上手くいかなかったら戻ってきて」と言える神経。恋愛でも仕事でも、僕は「保険」でしかなかったのだ。
僕は何も答えずにドアを閉めた。
◇◇◇
自宅に帰り、デスクに座る。
目の前には自分のPCと、クラウドサーバーの管理画面。
『女神のヴェール』の稼働状況がリアルタイムで表示されている。CPU使用率、GPU負荷、補正パラメータの一覧。三年間、一日も止まることなく動き続けた僕の最高傑作。
マウスカーソルを「サービス停止」のボタンに合わせる。
指が、止まった。
中学二年の文化祭。ララがクラスの出し物で歌を歌った日のことを思い出す。
お世辞にも上手いとは言えない歌声だったけど、楽しそうに笑いながらステージに立つララの姿が、眩しかった。
「ねえミナト、私、もっとたくさんの人に見てもらいたい」
帰り道にそう言ったララの目は、本当にキラキラしていた。あの輝きは、加工じゃない。本物だった。
あの日のララを、僕は好きになった。
でも、今日クビを言い渡したあの女は、もうあの頃のララじゃない。
フォロワーの数字に溺れ、周囲をすべて「自分を飾るための道具」としか見なくなった。僕のことも、僕の技術のことも。
……それでも。
このボタンを押したら、ララは終わる。それが分かっている。
スマホが鳴った。LINEの通知。
ララからだ。
「あ、そうだ。ミナトが使ってたあの古いデスクとモニター、明日までに引き取ってね。ショウ君の機材置く場所ないから。あとスタジオの合鍵も返して。もう来ることないでしょ?笑」
……迷いが、消えた。
僕は静かにボタンをクリックした。
『女神のヴェール』――サービスを停止しました。
『モデレーターBot ver.3.2』――サービスを停止しました。
『音声リアルタイム補正モジュール』――サービスを停止しました。
三年間、動き続けたシステムが沈黙する。
モニターに並んだ停止通知を眺めながら、僕はブックマークに入れていたメールフォルダを開いた。
一通目。差出人は、海外のVTuberプロダクション「STELLA LIVE」のCTO。三ヶ月前に届いたスカウトメールだった。
「あなたがSNS上で公開している技術デモ映像を拝見しました。特にリアルタイム映像補正の精度は、私たちの開発チームでも実現できていないレベルです。ぜひ一度お話しさせてください」
二通目。国内の大手映像制作会社から。
「貴方の技術に興味があります。弊社の次期プロジェクトにぜひ参加していただきたい」
ララの仕事に追われて、どちらにも返信する余裕がなかった。
今まで返信できなかった理由が、今日なくなった。
僕はメールの返信を書き始めた。
◇◇◇
翌日、土曜日の午後二時。
ララの企業案件配信が始まった。
僕は自分の部屋で、スマホの画面を見つめていた。見届ける義務なんてない。むしろ見ない方がいい。
でも、指が勝手に配信ページを開いていた。
三年間、隣にいた相手だ。一日で割り切れるほど、僕は器用じゃなかった。
画面にララが映る。
僕は、最初の一秒で異変に気づいた。
まず、背景。
いつもの「白を基調としたおしゃれなスタジオ」ではない。カメラの画角には、ララの部屋の壁がそのまま映っていた。……いや、壁だけじゃない。画面の端に、見覚えのある枯れかけのパキラが見切れている。窓際のカーテンも、洗濯物を干すために使っているあの突っ張り棒も。
――やっぱり、グリーンバックを外したんだ。
代わりにショウが設定したのだろう、市販アプリの仮想背景が薄くかかっている。ぼんやりとした白い部屋の画像が、ララの輪郭の周りにちらちらと表示されている。でも、精度がひどい。ララの髪の毛先が背景に溶けて消えているし、少し動くたびに輪郭と背景の境目がガタガタと揺れている。
Google Meetで上司とビデオ会議する時に見るあれだ。仕事の会議なら許される程度の品質でも、「奇跡の美少女」の配信でやるのは致命的だった。
次に、顔。
ショウが設定した市販のフィルターが、ララの顔に美肌補正と小顔効果をかけている。でも、『女神のヴェール』とは次元が違う。肌の質感はのっぺりしたプラスチックのようで、いかにも「フィルターかけてます」という安っぽさ。輪郭の補正も雑で、顔の周囲のピクセルが引っ張られて背景ごと歪んでいる。
これまでの配信では、僕のシステムが「加工だと気づかれないレベル」で補正していた。肌の毛穴は残しつつくすみだけを消し、輪郭も骨格に合わせて自然に調整していた。だから三年間、誰一人「加工してる」と指摘しなかった。
でも今、画面に映っているのは、明らかに「加工アプリを使っている女」だった。
「はーい! みんな元気? ララだよ~! 今日はね、大手化粧品ブランド『ルミエール』さんとのスペシャルコラボ配信! 新作コスメを実際に使ってレビューしちゃいまーす!」
そして、声。
甘くて透明感のある清楚ボイスではない。やや低くて、かすれた、ドスの効いた声。夜更かしと不摂生がそのまま出ている、ララの「本当の声」だ。
僕はずっと、この声を「清楚ボイス」に変換し続けていた。毎秒、リアルタイムで。ララ本人すら、配信中の自分の声が加工されていることに気づいていなかった。
配信のコメント欄に、反応が殺到し始めた。
『今日なんかフィルター感すごくない???』
『顔の周り歪んでるんだが……加工アプリ丸出しじゃん』
『いつものスタジオどこ?? 背景ちらついてるし、端っこに洗濯物見えてない???』
『てか声も違くない?? 別人???』
『なんか全体的にクオリティ落ちすぎてない? 何があった?』
異変は一目瞭然だった。映像も、背景も、声も、すべてが「いつもと違う」。
でも、ララはコメント欄の騒ぎに気づいていなかった。
ララが化粧品のパレットを手に取り、笑顔でカメラに近づく。
その動きに、仮想背景の処理が一瞬追いつかなくなった。
ララの右肩の向こうに、仮想背景が消え、部屋の一角がちらりと映った。テーブルの上のコンビニ弁当の空き容器。ペットボトルの山。
『今背景消えたぞww 汚部屋見えたwww』
『スタジオじゃないじゃん。普通の部屋じゃん。しかも汚い』
『切り抜き保存した。やばいぞこれ』
そして――致命的な瞬間が訪れた。
ララが新作リップを試すために、大きく身を乗り出してカメラに顔を近づけた。
その急な動きに、フィルターの顔認識が追いつけなかった。
一瞬――ほんの0.5秒。フィルターが脱落した。
画面に映ったのは、素のララの顔だった。
ファンデーションでは隠しきれない肌荒れ。くすんだ目元。昨日の夜更かしで腫れたまぶた。
「そこそこ可愛い」素顔と、フォロワー100万人が崇める「奇跡の美少女」との落差は、あまりにも残酷だった。
0.5秒。
しかし、インターネットにおいて0.5秒は永遠だ。
その瞬間のスクリーンショットは、すでに数百人の手によって保存されていた。
僕はスマホを握りしめたまま、息を止めていた。
胸の奥が、痛かった。
ざまあみろ、とは思えなかった。
思いたかったのに。
◇◇◇
コメント欄が、地獄に変わった。
『え、今の誰????』
『別人やんけwwww』
『加工バレた????』
『スクショ撮ったわ。比較画像作るw』
『詐欺じゃん』
『100万フォロワーの正体がこれ?』
ここからが、本当の地獄だった。
今まで、ララの画面にこの手のコメントが表示されることはなかった。僕が開発したモデレーターBotが、ネガティブなコメントをリアルタイムで検知し、ララの画面からは非表示にしていたからだ。
しかもBotは単純なNGワード方式ではない。文脈を読むAIフィルターだ。「可愛いね(嘲笑)」のような皮肉も、「加工って言ってる人いるけど」のような間接的な煽りも、すべて検知して消していた。その上で、称賛コメントだけを選別してララの画面に流し、さらにコメントの流速が遅い時は過去の称賛コメントを再表示して、常に「絶え間ない称賛」が流れているように見せかけていた。
ララはそれが「みんなの本心」だと信じていた。
Botが作り出した、偽りの楽園の中で三年間生きていた。
しかし、今、Botは停止している。
フィルターも処理もない、生のコメント欄が、ララの目の前に直接流れ込んでいた。
「ちょ、ちょっと……なにこれ……」
ララの顔がこわばった。
画面の中で、彼女の目が左右に揺れている。スクロールしても、スクロールしても、罵倒と嘲笑しかない。
『ブッサwww』
『今まで全部加工だったの草』
『返金しろ詐欺師』
『ルミエールさん可哀想すぎるだろ』
『声も別人じゃん。誰だよこのおばさん』
ララの目に涙が溜まり始めた。唇が震えている。
彼女のメンタルが弱いことを、僕は誰よりも知っていた。だからこそ、アンチコメントを一つ残らず消し続けていたのだ。ララの精神を守るために。
その守りが、今はもうない。
「ショウ! ちょっと! なにこのコメント! あんた何とかしなさいよ!!」
ララがカメラの外にいるショウに叫ぶ。
その叫び声はマイクが拾い、全世界に配信されている。甲高くて、キンキンした、ヒステリックな声。清楚な美少女の面影は、もうどこにもなかった。
「え、いや、俺に言われても……」
「知らないわよそんなの! ミナトがいつもやってたんだから! あんたプロデューサーでしょ!? なんとかしなさいよこの役立たず!!」
ショウの顔が引きつった。
そして、ショウは最悪のミスを犯した。
フィルターアプリを調整しようとスマホを触り、誤ってアプリ自体を終了してしまったのだ。
顔のフィルターだけじゃない。仮想背景も同じアプリで処理していた。つまり――全部が、一瞬で消えた。
画面が、切り替わった。
映し出されたのは、何の加工もない、ララの部屋そのものだった。
テーブルの上のコンビニ弁当の空き容器。ペットボトルの山。脱ぎ散らかした服の小山。壁際に積まれたAmazonの段ボール。窓際の枯れかけたパキラ。洗濯物が垂れ下がった突っ張り棒。
さっきまで仮想背景の隙間からチラチラと見えていた汚部屋が、今度はフルスクリーンで晒された。
そして、その汚部屋の真ん中で、鬼のような形相で隣の男を怒鳴りつけている、すっぴんの女。
「あんた何やってんのよ!! 早く直しなさいよ!! 使えない男ね!!」
コメント欄が、爆発した。
『え? え?? 誰このおばさん????????????????????』
『声www チンピラかよwww』
『奇跡の美少女の正体がこれは草wwww』
『加工外れたら性格までブスで草』
『汚部屋+すっぴん+罵声の三重苦www』
『隣の男、完全にフリーズしてるww』
『これ企業案件の配信だよね??? ルミエールさん可哀想すぎない???』
『録画した。永久保存版だこれ』
8万7千人が、その姿を見ていた。
企業案件のスポンサーであるルミエールの担当者も、その中にいた。
◇◇◇
配信は、ショウが慌ててスマホの電源を引き抜いたことで強制終了した。
配信時間は、わずか12分間だった。
しかし、インターネットにとって12分は十分すぎた。
一時間後。「ララ加工バレ」がトレンド1位に。
配信のアーカイブが複数のまとめサイトに転載され、「加工前後の比較画像」が数十パターン作成され、SNS中を駆け巡った。
特に拡散されたのは、「奇跡の美少女」と「汚部屋で男を罵倒するすっぴんの女」を左右に並べた比較画像だった。キャプションは「左:フォロワー100万人の姿 右:現実」。
三時間後。ルミエールが公式声明を発表。
「弊社はインフルエンサー・ララ氏とのコラボレーション企画を即時中止いたします。配信内容は弊社のブランドイメージと著しく乖離しており、ブランド毀損に関する損害賠償を検討しております」
六時間後。ショウが沈黙を破った。
ただし、謝罪ではなかった。
ショウは自身のSNSに長文の投稿をした。
「皆さんに正直に言います。俺はララさんの『プロデューサー』として雇われましたが、実態は違いました。最初から『イケメンの彼氏がプロデューサー』という画が欲しかっただけ。交際関係もありましたが、それも配信映えのための演出の一環だったと、今になって分かりました。技術的な仕事は一切求められておらず、ギャラも支払われていません。今回の件で俺も被害者です」
さらに、ショウはこう続けた。
「ぶっちゃけ、最初からヤバいなとは思ってました。前任のエンジニアさん(名前は伏せます)がクビにされた時、ララさんは『あんなの誰でもできる仕事』『スマホアプリで十分』と言ってましたが、俺から見てもあの人の技術は異常なレベルでした。あの配信クオリティをスマホ一台で再現しろと言われても、絶対に無理です。正直、あの人を切って俺と付き合う意味が分からなかった」
この投稿がさらに炎上を加速させた。
ショウの「交際関係もあった」という暴露に、コメント欄は新たな燃料を得た。
『前任エンジニアを切って彼氏をプロデューサーにしたの?? 公私混同にも程があるだろ』
『技術者より彼氏の顔を選んだ結果がこれかww』
『ショウも「あの人を切って俺と付き合う意味が分からなかった」って言ってるの草。全方位から否定されてるじゃん』
翌朝。「ララ 汚部屋」「ララ 本性」「ララ 詐欺」「ララ 前任エンジニア」がトレンドの上位を独占。
フォロワー数は100万人から18万人に急落。残ったフォロワーの大半は、炎上を見届けるための野次馬だった。
そしてその日の夜、ララは最悪の判断をした。
◇◇◇
ララが「弁明配信」を行ったのだ。
涙ながらに「私は被害者です」と訴える内容だった。
「みんな聞いて……私、ずっと騙されてたの。前に組んでたエンジニアが、勝手に私の映像を加工してたの。私は知らなかった。だから私は被害者なの……」
一瞬だけ、同情の声が出た。
しかし、それは一瞬で終わった。
ララの弁明配信が始まった直後、ある匿名アカウントがスクリーンショットを投稿した。
それは、ララとミナトの過去のLINEのやり取りだった。
ララ「ミナトー、明日の配信さ、もうちょっと目デカくして。あと肌もっと白く。前回ちょっとくすんでた」
ミナト「了解。補正パラメータ調整しとく」
ララ「あとさ、声ももうちょっと高くできない? 清楚系の声がいいんだけど」
ミナト「ピッチ変換のアルゴリズム調整してみる」
ララ「さすが便利。ミナトがいると楽でいいわー笑」
投稿者が誰かは分からない。ミナトではなかった。ショウが、ララのスマホを操作していた時に見つけてスクショを撮っていたのだ。「俺も被害者」というポジションを確立するために。
LINEのやり取りは一目瞭然だった。
ララは加工を「知らなかった」のではない。自ら指示していた。
「被害者」どころか、共犯者――いや、主犯だった。
コメント欄が爆発した。
『「知らなかった」は無理があるでしょwww』
『自分で「目デカくして」って指示してるじゃん』
『嘘つきの上に被害者ムーブとか最悪すぎ』
『エンジニアの人、マジで可哀想……「便利」扱いかよ』
『しかもこのエンジニア、無報酬だったらしいぞ。幼馴染だからタダって言われてたって』
『人間として終わってる』
ララは配信中にこれらのコメントを見てしまい(もうBotはない)、号泣しながら配信を中断した。
弁明配信の視聴者数は14万人。炎上の「第二波」として、まとめサイトは歓喜した。
フォロワーは18万人から6万人に。
企業からの案件は完全にゼロになった。
ショウは「もう関わりたくない。仕事も、プライベートも」とLINEをブロックして消えた。金にも名声にもならない女に用はない。最初から、ララのフォロワーを利用して自分を売り出すつもりだっただけだ。交際すら、そのための投資に過ぎなかった。
ララは一夜にして、仕事も、恋人も、フォロワーも、すべてを失った。
◇◇◇
炎上から一週間が経った。
僕のスマホには、ララからの着信が72回、LINEのメッセージが89通入っていた。
「ミナト お願い 戻ってきて」
「何でもするから」
「ごめんなさい 全部私が悪かった」
「ショウに捨てられた もう誰もいない」
「ミナトがいないと何もできない」
「お願い 返事して」
「見捨てないで」
最後のメッセージは、こうだった。
「ミナトの技術がすごいのは分かってた。分かってたのに。ごめん。本当にごめん」
僕はスマホの画面を見つめたまま、長い時間動けなかった。
ショウに捨てられた。
あのイケメンの隣に並びたくて、僕をクビにした。僕の技術より、ショウの顔を選んだ。それなのに、そのショウにもあっさり捨てられて、結局泣きついてくるのは僕のところだ。
技術者としてだけじゃない。男としても、僕はずっと二番目以下だったのだ。
分かってたのに。
分かってたなら、なぜ「古臭い」と言った。なぜ「誰でもできる」と笑った。なぜ「便利」の一言で片付けた。なぜ「映えない」「地味」と貶しておいて、顔だけのイケメンを選んだ。
分かっていなかったのだ。本当は。
技術の価値も、僕の気持ちも、何一つ。
僕はメッセージを既読にせず、ララの番号をブロックした。
LINEもブロックした。
その夜、一人で缶ビールを開けた。
テレビもつけず、暗い部屋でぼんやりと天井を見上げる。
洗面台の鏡に映る自分の顔。
伸びっぱなしの黒髪。無精ひげ。クマのある目元。ヨレたパーカー。
映えない男の顔だ。ショウみたいなイケメンには、逆立ちしてもなれない。
――この顔だから、選ばれなかった。
技術がどれだけあっても、この顔じゃ、ダメだったのだ。
缶ビールはぬるくて、ひどく苦かった。
◇◇◇
翌週、STELLA LIVEのCTOとのオンラインミーティングを終え、映像制作会社との打ち合わせも済ませた僕は、ふと思い立ってGitHubに新しいリポジトリを作った。
『女神のヴェール』の技術をベースにした、リアルタイム映像変換のデモンストレーション動画を投稿するためのものだ。
ララのためではなく、自分の技術を世界に見せるために。初めて、自分のために何かをした気がした。
デモ動画をSNSに投稿してから三日後。
一通のDMが届いた。
「初めまして。藤堂アオイと申します。SNSで公開されているリアルタイム映像変換のデモ映像を拝見し、その技術精度に衝撃を受けました。もしお時間があれば、ぜひ一度お会いしてお話しさせていただけないでしょうか。事業のご提案があります」
プロフィールを見た。
藤堂アオイ。元モデル、現在はIT企業でUI/UXデザイナー。
プロフィール写真は、カメラ目線ではなく、窓の外を見ているような横顔のショットだった。
――綺麗な人だな、とぼんやり思った。
でも、すぐに思考を切り替えた。もう、綺麗な女に振り回されるのは御免だ。
翌日、僕は都内のカフェで藤堂アオイと待ち合わせた。
◇◇◇
カフェのドアを開けた瞬間、僕は足が止まった。
窓際の席に、一人の女性が座っていた。
長い黒髪をゆるく一つに結んで、薄いメイクに白いブラウス。手元にはタブレットとノート。姿勢がよくて、佇まいに品がある。
振り向いた横顔を見て、息を呑んだ。
プロフィール写真の印象とは、次元が違った。
三年間、「偽りの美」を作り続けてきた僕だからこそ分かる。この人の美しさに、一切の加工は入っていない。全部、本物だ。
「水瀬さん、ですか?」
「あ、はい。水瀬ミナトです。……すみません、ちょっと、ぼーっとしてて」
「大丈夫ですよ。座ってください」
アオイさんは穏やかに笑った。
その笑顔を見た瞬間、心臓が一回だけ、大きく跳ねた。
――やめろ。これはビジネスの話だ。集中しろ。
席に着いた僕を、アオイさんが一瞬じっと見た。何かを観察するような視線。
「……あの、何か?」
「あ、すみません。つい職業病で。水瀬さん、骨格がすごく綺麗ですね」
「……は?」
「造形が整ってるなと。モデル時代、いろんな人の顔を見てきましたけど、輪郭のバランスがかなりいい。……失礼なこと言ってたらすみません」
僕は面食らった。
何を言われているのか、正直よく分からなかった。僕の顔が「綺麗」? ララには三年間、「映えない」「地味」としか言われたことがないのに。
「いえ……そんなこと言われたの、初めてです」
「そうですか? もったいないですね」
アオイさんは、さらりとそう言ってからタブレットを取り出した。
「単刀直入に言います。水瀬さんの技術で、一緒にアプリを作りませんか」
「……アプリ?」
「ライブ配信向けの、AIリアルタイム衣装チェンジ&背景チェンジアプリです」
画面に表示されたのは、手描きのワイヤーフレームとコンセプト図だった。
「配信中にワンタップで衣装がリアルタイムに切り替わるんです。ドレス、着物、サイバーパンク、ゴシック、何でも。背景も自由自在。しかも、体の動きに完全追従する」
「……それ、僕の技術デモで見た機能そのものですね」
「そうなんです」
アオイさんの目が、ぱっと輝いた。
落ち着いた大人の女性の印象が一瞬で崩れて、子供のように無邪気な表情になった。
――その落差に、また心臓が跳ねた。やめろ。
「あのデモ映像を見た時、鳥肌が立ちました。被写体と背景の分離精度があのレベルなら、衣装のオーバーレイもリアルタイムでいけるはずです。あと、環境光に合わせて衣装の陰影をリアルタイムで生成しているのは見たことがない。だから違和感がゼロなんですよね」
この人、技術を正確に理解している。
「だからこそ確信したんです。水瀬さんの技術は、エンタメの形を変える力がある。それを『顔の加工』なんかに使っているのは、もったいなさすぎる」
三年間、僕がやっていたことの本質を、この人は初対面で言い当てた。
「……なんで僕なんですか。大手の開発会社に依頼した方が確実だと思いますけど」
「大手は『できること』の範囲内でしか作りません。水瀬さんは『まだ誰もやっていないこと』を一人で実現してしまう。そういう人と組みたかったんです」
その言葉が、三年間ずっと空っぽだった場所に、静かに染み込んでいった。
泣きそうになった。泣かなかったけど、危なかった。
「……やります。やらせてください」
アオイさんが、満面の笑みで手を差し出した。
僕はその手を握った。
細くて、温かい手だった。
握手を解いた後も、掌の温度が、しばらく消えなかった。
◇◇◇
開発が始まった。
アプリの名前は『Dressia』。
最初の一週間は、純粋に仕事だけに集中できていた。
問題は、二週目から始まった。
深夜のオンラインミーティング。
モニター越しのアオイさんは、髪をほどいて眼鏡をかけていた。昼間の凛とした雰囲気とは別人のような、やわらかい表情。ルームウェアの襟元がゆるい。
「水瀬さん、ここのトランジションなんですけど」と画面共有をしながら身を乗り出した時、鎖骨のラインが画面に映った。
集中しろ。コードに集中しろ。
「……水瀬さん? 聞いてます?」
「あ、はい! すみません、ちょっとコードのことを考えてて」
嘘だ。
自分が嫌になる。
ララの時もそうだった。好意が先に立って、冷静な判断ができなくなる。だから利用された。
同じ轍を踏むわけにはいかない。感情を出さない。プロに徹する。
……そう決めていたのに。
対面作業の日。アオイさんがUIのプロトタイプを説明するために、僕のノートPCに身を乗り出してきた。
ふわ、と。シャンプーの匂い。柑橘系の、さっぱりした香り。
「水瀬さん?」
「はい」
「顔、赤いですよ」
「……暖房が、効きすぎてるんだと思います」
アオイさんが、ふっと笑った。信じてないな、という顔だった。
◇◇◇
だが、僕にだけ余裕がなかったわけではないことに気づいたのは、三週目のことだった。
対面の作業日。二人でデスクに並んで座り、僕がコードを書いている横で、アオイさんがデザインカンプを作っていた。
何気なく集中していると、ふとアオイさんの視線を感じた。
横目で確認する。
アオイさんが、自分のタブレットから目を離して、僕の手元を見ていた。
画面ではなく、キーボードを打つ僕の指を。
五分後。またアオイさんの視線を感じる。
今度は手元ではなく、僕の横顔だった。
目が合いそうになった瞬間、アオイさんがさっとタブレットに視線を戻した。
――耳が、わずかに赤い。
これは、気のせいじゃない。
その日の帰り、二人で駅まで歩いた。
いつもなら仕事の話をしながら歩くのだが、その日はなぜか二人とも黙っていた。黙っているのに、不快じゃない。
「……あの、アオイさん」
「はい」
「さっき、僕のこと見てませんでした?」
アオイさんが足を止めた。
街灯の下で、こちらを見上げる。
「……見てました」
認めた。
「コードを打ってる時の水瀬さんの手が、すごく綺麗だなと思って。指が長くて、動きに無駄がなくて。……デザイナーの職業病です」
職業病。
だけど、職業病で耳は赤くならない。
でも、そこから先は踏み込めなかった。
今の関係を壊すのが怖い。
――ララの時がそうだったように。
「……ありがとうございます」
アオイさんが少し笑って、また歩き始めた。
僕も隣に並んで歩く。
さっきより、半歩だけ距離が近い気がした。
◇◇◇
開発を始めて一ヶ月が経った頃。
ある日の打ち合わせ後、オフィスでコーヒーを飲みながら、アオイさんが聞いてきた。
「水瀬さん。前に一緒に仕事してた人のこと、好きだったんですか?」
直球だった。
「……どうして、そう思うんですか」
「利用されてただけなら、怒りで済むはずです。でも水瀬さん、その話をする時、悲しそうな顔をします」
「……好きでした。ずっと」
声に出すのは、初めてだった。
「幼馴染で、中学の頃からずっと。だから、何を言われても離れられなかった。『映えない』『地味』と言われても。好きだったから、全部我慢した」
「……」
「でも、告白なんてできなかった。ずっと隣にいられるだけでよかったから。……それなのに、先月知り合ったばかりのイケメンと付き合い始めて、僕はクビになりました。技術は『古臭い』と切り捨てられて、そいつの隣に並ぶために。……技術者としてだけじゃなく、男としても、最初から眼中になかったんだなって」
沈黙が流れた。
アオイさんは何も言わず、ただ隣にいた。
しばらくして、アオイさんが静かに口を開いた。
「私が水瀬さんに声をかけたのは、技術の奥にある『考え方』に共感したからです。デモ映像の端々に、見た人を笑顔にしたいっていう優しさがある」
「……」
「だから、道具扱いなんてしません。約束します」
少し間を置いて、アオイさんが続けた。
「……それに。正直に言うと、水瀬さんのことは、ビジネスパートナーとしてだけ見るの、ちょっと難しくなってきてます」
心臓が、止まった気がした。
「コードを書いてる時の集中した横顔とか。難しい問題が解けた時の、小さなガッツポーズとか。気づいてないでしょうけど、目で追ってしまうんです。職業病じゃなくて」
アオイさんの声は平静だったが、コーヒーカップを持つ指先が、わずかに震えていた。
「……今のは、忘れてもらっても構いません。仕事に支障が出るなら」
「......忘れません」
気づいたら、口が勝手に動いていた。
「忘れたくないです。……でも、今は怖いんです。また同じになるかもしれないって」
「……うん」
「だから、もう少しだけ時間をください」
アオイさんが、静かに頷いた。
「待ちます。水瀬さんのペースで」
その言葉が、ララに踏み荒らされた心の傷口に、そっとガーゼを当てられたみたいだった。
◇◇◇
それからの日々は、何かが変わった。
お互いの気持ちが言葉になったことで、隠す必要がなくなった。
でも、付き合っているわけではない。名前のつけられない距離。でも、不思議と居心地が悪くなかった。
深夜のオンラインミーティングで、アオイさんが不意に笑顔を見せた時。以前なら慌てて目を逸らしていたけど、今は少しだけ長く見つめ返せるようになった。
アオイさんも、目を逸らさなくなった。
少しずつ、距離が縮まっていく。
◇◇◇
そんな中、アオイさんが提案してきた。
「水瀬さん、カンファレンスの登壇が決まってますよね。一度、ちゃんと髪を切りませんか」
「髪?」
「もったいないんですよ。骨格があれだけ綺麗なのに、前髪で全部隠してしまってる。Dressiaの顔として人前に出るなら、見た目もプロダクトの一部です」
もったいない。
ララなら「映えないから直せ」と言うところを、アオイさんは「もったいないから活かそう」と言う。
同じことを指摘しているのに、受け取る気持ちがまるで違う。
「……アオイさんに任せていいですか」
「任せてください」
翌週、青山のヘアサロンに連れて行かれた。
一時間後。
鏡の中に映っていたのは、見覚えのない男だった。
伸びっぱなしだった黒髪が、すっきりとしたマッシュショートになっている。前髪は額が見えるくらい短く整えられ、目元がはっきり見える。
……これが、僕?
ララに「映えない」と言われ続けた自分と、同じ人間には見えなかった。
「ほらね。やっぱり」
鏡越しに、アオイさんの声が聞こえた。
振り返ると、アオイさんが僕を見つめていた。
いつもの落ち着いた笑顔じゃない。目がわずかに見開かれていて、唇が少し開いている。
「……アオイさん?」
「……想像以上でした」
視線を逸らした。耳が、明らかに赤い。
「その……似合ってます。すごく」
スタイリストが「お姉さんも照れてるじゃないですか」と笑っていたが、アオイさんは聞こえないふりをしていた。
その後、セレクトショップでジャケットを選んだ。
ネイビーのジャケットに白のカットソーを着て試着室から出た時、アオイさんが言った。
「それです。シンプルが一番映えます」
映える。
ララが言った「映えない」の対義語だ。
ショーウインドウのガラスに、二人の姿が映った。
「……なんか」
アオイさんが、ぽつりと呟いた。
「デートみたい、ですね。……」
「......僕も思ってました」
アオイさんが足を止めた。目が合う。夕日が彼女の顔を橙色に染めている。
「……ずるいです。そういうこと、さらっと言う」
「さらっとなんて言ってないです。心臓バクバクです」
「……私もです」
二人とも、顔が赤いまま、また歩き始めた。
前よりも確実に、距離が近かった。
◇◇◇
ベータ版が完成し、デモ配信の日が来た。
配信開始五分前。アオイさんからメッセージ。
「緊張してます?」
「かなり」
「大丈夫。水瀬さんの技術は本物です」
少し間があって、もう一通。
「あと、今日のジャケット姿、楽しみにしてます」
「皆さん初めまして。藤堂アオイです。今日は、ちょっとすごいアプリをお見せします」
配信が始まった。
アオイさんがセレクターをタップする。
瞬間、白いブラウスが深紅のイブニングドレスに変わった。背景はシャンデリアのパーティ会場に。
くるりと回転すると、ドレスの裾が遠心力で広がり、生地の光沢までリアルタイムで再現される。
『えっ……????』
『は? これリアルタイム??』
『どう見ても本物のドレスにしか見えない……』
和服に。京都の竹林に。サイバーパンクに。夜の渋谷に。宇宙飛行士に。宇宙ステーションに。
切り替えるたびにコメント欄が沸き、同時視聴者数が急上昇。1万、3万、5万。
配信終盤。アオイさんが言った。
「今日お見せした『Dressia』。この技術を開発したのは、天才エンジニアの水瀬ミナトさんです」
画面が切り替わる。
ネイビーのジャケットに白のカットソー。髪もセットしてある。
「初めまして。水瀬ミナトです。Dressiaの開発を担当しています」
声は少しだけ震えていた。でも、止まらなかった。
『開発者キタ!!!!!!!!!!!!!!!!』
『え、イケメンじゃない?????????』
『エンジニアでこの顔面は反則だろ』
……イケメン? 僕が?
コメント欄を二度見した。見間違いじゃない。「イケメン」「かっこいい」というコメントが次々に流れている。
ララに「映えない」「地味」と言われ続けて、それが自分の正確な評価だと思い込んでいた。でも、ちゃんと整えただけで、世界の反応はこんなにも違うのか。
『この人、もしかしてララの「前任エンジニア」?????????????????』
最後のコメントで、配信の空気が一変した。
ララの炎上を覚えている人が、気づいたのだ。
コメント欄が一気に加速する。
『待って待って待って。ララの配信で全部の加工やってたエンジニアって、この人!?!?!?』
『リアルタイム映像補正……全部繋がったわ』
『マジかよ……「古臭い」「誰でもできる」って捨てた技術者がこのレベルかよ』
『映えないとか言われてたらしいけど、普通にイケメンで草。見る目なさすぎだろ』
『捨てた相手が世界レベルの技術者でイケメンで、元モデルの美女と組んでるとか、ララ息してる??????????????????????????????』
『このコンビ、技術も顔面も最強すぎるだろ……』
僕はコメントを読まないようにした。今日はDressiaの日だ。ララの話は、もういい。
配信が終わった時、同時視聴者数は7万人を超えていた。
◇◇◇
配信終了後。通話はまだ繋がったままだった。
「……すごかったですね」
「うん。すごかった」
アオイさんが深く息をついて、髪をほどく。緊張が解けた、無防備な表情。
「水瀬さん、声の震え、ほとんどなかったですよ」
「……アオイさんのおかげです。配信前のメッセージで、ちょっとだけ自信が持てた」
「どのメッセージ?」
「……ジャケット姿、楽しみにしてる、ってやつ」
画面の向こうで、アオイさんが口元に手を当てた。
「……あれ、送った瞬間すごく後悔したんですよ。ビジネスの場なのに、何プライベートなこと送ってるんだって」
「後悔しないでください。あれがなかったら、声が震えすぎて何も喋れなかった」
「……そう言ってもらえると、救われます」
沈黙。
配信の興奮が冷めて、二人きりの静かな時間だけが残っている。
切ればいいのに、どちらも通話を切ろうとしない。
「……ねえ、水瀬さん」
「はい」
「コメント欄で『イケメン』って流れてましたね」
「……あれ、ちょっとびっくりしました。からかわれてるのかと思った」
「からかってません。みんな本気です。……私も、ずっと思ってました」
声が、少し低くなっていた。
「初めてカフェで会った時から。整えたらすごいことになるだろうなって。だから髪を切りましょうって提案したんです。……仕事の理由もありましたけど、正直、それだけじゃなかった」
それだけじゃなかった。
つまり。
「……単純に、見たかったんです。ちゃんと整えた水瀬さんの顔を」
心臓がうるさい。
「……アオイさん、今日は正直すぎませんか」
「配信の後で気が大きくなってるのかもしれません。……忘れてください」
「忘れません。前にも言いましたけど」
「…………ずるい」
二人とも黙った。
画面越しの沈黙。でも、電話を切る気にはならない。
「……ミナトさん」
「はい」
「……あ」
アオイさんが口を押さえた。
「……今、下の名前で……」
「聞こえました」
「……忘れてください」
「忘れません」
アオイさんが、画面の向こうで真っ赤になっている。
僕もたぶん、同じだ。
「……おやすみなさい」
「おやすみなさい」
通話が切れた。
モニターが暗くなった後も、僕はしばらくその場を動けなかった。
胸の中に、温かいものが満ちていた。
◇◇◇
Dressiaのデモ配信がバズった夜。
SNSのトレンドには「Dressia」と並んで、もう一つの名前があった。
「ララ 復帰失敗」
ララが復帰配信を試みたらしい。Dressiaのデモ配信とほぼ同時刻。
「ありのままの私を見てください」というコンセプトだったが、集まったのは「答え合わせ」目的の野次馬ばかりだった。
『前任のエンジニアがDressiaっていう神アプリ作ってて草。捨てた技術がこのレベル』
『しかもエンジニアの方、普通にイケメンだった。「映えない」とか言ってた奴の見る目のなさ』
『技術の目利きもできない、人を見る目もない。何ができるの?』
ララは15分で配信を中断した。
まとめサイトが記事を公開した。
「【悲報】フォロワー100万人の美少女インフルエンサーが追放した裏方エンジニア、追放後に神アプリを開発してしまうwww」
記事には二つのスクリーンショットが並べられていた。
左側:汚部屋で男を罵倒するすっぴんのララ。
右側:華麗に衣装を切り替えながら笑うアオイさんと、ジャケット姿のミナト。
キャプション:「同じエンジニアの技術で作られた映像です」。
『左はエンジニアを奴隷扱い。右はエンジニアをパートナーとして尊敬。この差よ』
『しかも右の人、加工なしで左の加工後より美人って残酷すぎ……』
さらに追い打ちをかけたのは、翌日のことだった。
海外の大手VチューバープロダクションSTELLA LIVEの看板タレント、登録者数300万人の「ルナ」が、自身のライブ配信でこう発言した。
「みんなに嬉しいお知らせ! 今日から、天才エンジニアのミナト・ミナセが、STELLA LIVEの技術顧問に就任しました! 私たちのモーショントラッキングとか映像表現が飛躍的に進化します! 彼が開発したDressiaっていうアプリ、もう見た? あれ、ヤバいよ。マジで世界が変わる」
この発言が、日本のSNSに即座に翻訳されて拡散された。
『STELLA LIVEの技術顧問!? 世界規模じゃん!!!!』
『ルナ様が直々に紹介するレベルのエンジニア……』
『これがララに「古臭い」「誰でもできる」って言われてた人か……』
『世界的VチューバーがDressiaを絶賛してて、同時にララが復帰失敗してるの、出来すぎてて草』
ララの復帰配信の同時接続は3万人。多いように見えるが、その大半はDressiaとSTELLA LIVEの話題から流れてきた野次馬だった。ルナの配信は同時接続28万人。
同じ日の、同じ時間帯の出来事だった。
さらに一ヶ月後、ララは最後のあがきに出た。
Dressiaのベータ版が公開された日、新アカウントでDressiaを使った配信を始めたのだ。
しかし、ララの動きはぎこちなく、照明パラメータも間違えて、安っぽいコスプレ動画のような仕上がりに。
『ツール使いこなせてなくて草』
『道具のせいじゃなくて使い手の問題』
『前のエンジニアの技術もまともに理解してなかった人が、同じエンジニアのアプリを使いこなせるわけないだろ』
ララは30分で配信を終了した。
その夜、アカウントは非公開に変わり、二度と更新されることはなかった。
◇◇◇
Dressiaの正式リリースから三ヶ月後。
50万ダウンロード。STELLA LIVEとの技術提携。技術カンファレンスへの登壇。
カンファレンスの前夜。
オフィスで、基調講演のリハーサルをしていた。
「ここ、もう少しゆっくり話した方がいいですね。技術の核心部分なので」
「了解。……アオイさん、ネクタイ曲がってないですか? 自分じゃ分からなくて」
「見せてください」
アオイさんが僕の前に立った。
手を伸ばして、ネクタイの結び目に触れる。
至近距離。三十センチもない。
アオイさんの睫毛が、こんなに長いことを初めて知った。柑橘系の匂いが、鼻先をかすめる。
「……ちょっとズレてますね。直します」
アオイさんの指が、ネクタイの結び目をゆっくり整えていく。
その手が、微かに震えていた。
目が合った。
至近距離で見るアオイさんの瞳は、明るい茶色だった。そこに、僕の顔が映っている。
「…………直りました」
声が、かすれていた。
手はネクタイから離れたのに、僕の胸元に添えられたまま、動かない。
「……手、まだ胸に当たってます」
「……分かってます」
心臓の鼓動が、アオイさんの掌に伝わっているはずだ。
「……すごく速いですね」
「アオイさんのせいです」
「……私のせい?」
「アオイさんが近いから、こうなってます」
アオイさんが、ようやく手を離した。
二人とも、耳まで赤かった。
「……明日、頑張りましょう」
「はい」
「終わったら、打ち上げしましょう。二人で」
「はい」
◇◇◇
カンファレンスは成功した。
Dressiaの技術デモは会場を沸かせた。
ステージの袖で、アオイさんが両手でガッツポーズをしていた。
それを見た瞬間、壇上にいるのに笑ってしまった。
レセプションパーティの後、二人で夜の街を歩いた。
「お疲れ様でした。最高でしたよ」
「……もう、『水瀬さん』はやめにしませんか」
「え?」
「半年も一緒にやってきて、ずっと『水瀬さん』は遠すぎます。ミナトでいいです」
アオイさんが足を止めた。
「……本当に?」
「呼んでください」
「……ミナト」
名前を呼ばれた。たったそれだけのことなのに、胸が震えた。
「じゃあ、私もアオイで」
「……アオイ」
名前を呼び合っただけで、空気が変わった。
秋の夜風が吹いて、アオイの髪が揺れる。
「ミナト」
「はい」
「あの日、『もう少し時間をください』って言いましたよね」
「……はい」
「もう、大丈夫ですか?」
まっすぐな声だった。
駆け引きも、遠慮も、何もない。ただ、待ち続けてくれた人の声。
三年間、「便利」の一言で済まされた僕に、この人は「待つ」と言ってくれた。
技術を「古臭い」と切り捨てた人がいた。「エンタメを変える力」と言ってくれた人がいる。
「映えない」と言った人がいた。「似合ってます、すごく」と、耳を赤くしながら言ってくれた人がいる。
技術は同じだ。顔も同じだ。変わったのは、隣にいる人間だった。
「大丈夫です」
僕は、アオイの手を取った。じっとアオイを見つめる。
街の騒音が途切れる。
「アオイ、僕と付き合ってください。」
アオイの目が、一瞬潤んだ。
それから、花が咲くように笑った。
「はい、喜んで」
僕とアオイは自然と、お互いの顔を近づけた。
そしてしばらく抱き合った。
「……長かったです。ミナトが自分から動いてくれるの、ずっと待ってたんですよ」
「ごめん。臆病で」
「知ってます。でもそこが好きなんです。臆病なのに、技術に対してだけは誰よりも大胆で。そのアンバランスさが、最初から、ずっと」
アオイの手が、僕の手を握っている。
冬の夜なのに、繋いだ手のひらだけが温かい。
東京の街がネオンに照らされている。
フィルターも補正もない、ただの夜景。
でも、隣にいる人の笑顔があれば、どんな高精度のAI補正より綺麗だった。
――今度の技術は、誰かを偽るためのものじゃない。
誰かを笑顔にするためのものだ。
そして、この手を離さないために。
了
『Dressia』ダウンロードはこちらから。
あなたの配信を、もっと自由に。




