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七話 縁結び

 腹の上に、重みを感じた。

 全体重を預けられているわけではないが、そこには確かな体温と、無視できない圧迫感がある。

 長い間眠っていたせいか、視界は白く霞み、意識のピントがなかなか合わない。何度か瞬きを繰り返し、ようやく霧が晴れたとき、僕の上に跨っている「誰か」と、至近距離で視線が衝突した。

 鎖骨のあたりに、冷たい空気が触れる。

 そこでようやく、自分の制服のボタンが外されていることに気づいた。目の前の人物の指先が、まさに僕の三番目のボタンに指をかけようとしている。


「え……あ……な、何……っ」

「……チッ、起きたのか」


 その少年は忌々しそうに舌打ちすると、僕の上から弾かれるように飛び退いた。そして、露出した僕の胸元を「見てはいけないもの」でも隠すように、乱暴に布団を跳ね上げる。


「傷の具合を見ようとしただけだ。変な勘違いすんじゃねぇよ」

「えっと……海斗、君……?」


 僕はその顔に覚えがあった。路地裏で銃口を向けてきた、あの少年だ。

 脂汗を拭いながら周囲を見渡す。勉強机に、無造作に本が積まれた棚。昨日と今日で、二つの聖域を覗き見ることになるとは。

 パステルカラーが暴力的なくらいに色彩を主張していた心さんの部屋とは対照的に、ここは白と黒だけで塗りつぶされた、渋みの強い空間だった。飾り気はなく、ただ生きるためだけに整えられた、研ぎ澄まされた生活感。

 その静かな部屋の空気に視界を馴染ませながら、僕は忙しなく身支度を整える海斗君の背中に焦点を絞った。

 その見慣れない環境を視界に馴染ませるようにぐるりと見回した後、忙しく動き回っている海斗君に焦点を絞った。


「ありがとう……その、助けてくれて」

「……礼を言われる筋合いはねぇよ。死にかけで倒れてて目障りだったから運んだだけだ」


 海斗君は一度もこちらを振り返らず、部屋の隅に放られていた上着をひったくった。その一連の動作には、これ以上の干渉を峻拒するような刺々しい壁がある。


「どこに行くの」

「決まってるだろ。あの化け物をぶっ殺しにいく」


 吐き捨てられた言葉。それと同時に、僕の脳裏にあの悍ましくも美しい「黒い花嫁」の残像が鮮烈に蘇った。


「待って、僕も一緒に──」


 起き上がろうとした瞬間、全身に焼けるような激痛が走り、無惨にもベッドから転げ落ちた。心さんが放った矢の雨、そして茨に打たれた傷跡が、心臓の鼓動と共鳴して疼く。


「そんな傷だらけで、何ができるっていうんだ。足手纏いはいらねぇ。大人しく寝てろ」


 冷たく突き放す言葉。彼は扉に手をかけ、振り返ることもなく出て行こうとする。


「心さんは……『仲間』なんだ」


 絞り出した僕の声に、海斗君の肩が、見えざる糸に弾かれたように微かに震えた。


「仲間だと? ……ふざけるな。あんなのはもう、ただの災害だ。そんな甘っちょろいこと、俺の知ったことじゃない」


 冷たい床に這いつくばったまま、僕は扉の前に立つ背中を見つめた。

 視界の端で、自分の灰色の髪が力なく揺れる。この色は、僕にとって「孤独」の証左だった。


 ──あぁ、僕は知っている。


 幼い頃から、この髪色のせいで引かれてきた境界線を。僕を恐れる視線。腫れ物に触れるような優しさ。あるいは、僕の力のせいで誰かを傷つけ、結果として自分自身を透明な檻に閉じ込めてきたあの日々を。

 一人でいることには慣れていた。けれど、慣れることと、痛くないことは別だ。


「……あの日、路地裏で傷だらけの君を見て、思ったんだ」


 脳裏に、血と火薬の匂いにまみれて蹲っていた海斗君の姿が蘇る。

 神の力を振るいながら、その実、空腹に内臓を鳴らし、震える腕で銃口を向けていた一人の少年。

 彼は、かつての僕と同じだった。誰にも助けを求めず、誰にも理解されず、ただ牙を剥くことでしか自分を守れない。


「みんな、たった独りで戦ってる。……心さんも、君も、きっと」


 心さんが僕を利用しようとしたことなんて、どうでもよかった。彼女が「灰燼」に呑み込まれたのは、その利用せざるを得なかった孤独が、彼女の器を焼き潰したからだ。

 そして今、目の前にいる海斗君もまた、その孤独の炎に身を投じようとしている。


「君を、独りで戦いに行かせるわけにはいかない」


 僕は震える腕に力を込め、剥がれかけた床を掴んで体を押し上げた。

 傷口が裂け、熱い血がシャツを汚していくのがわかる。それでも、ここで彼を見送れば、僕は一生自分を許せない。


「僕は……もう、誰も一人にしたくない。誰も、失いたくないんだよ」


 心さんを救うための戦力が必要だ。そうかも知れない。

 でも、それ以上に──ただ隣にいたい。

 この灰色の呪いに縛られた世界で、独りきりで夜の帳へ消えていこうとする彼の服の裾を、掴んでいたかった。


「もし、君に何かあったら──僕は、一生後悔すると思う」


 喉の奥から絞り出した声が、静まり返ったモノトーンの部屋に、祈りのように響いた。

 海斗君という一人の人間が、これ以上傷つくのを、僕はただ見ていられないんだ。


「……だから、お願い。一緒に行かせてほしい」

 

 海斗君の背中が、わずかに、本当にわずかに、強張ったように見えた。


 長い沈黙が、重く部屋に居座る。

 海斗君は扉の取っ手を握ったまま、動かなかった。その拳が白くなるほど強く握りしめられ、微かに震えているのが見える。

 やがて、彼は吐き捨てるように、短く息を漏らした。


「……チッ。勝手にしろ」


 海斗君は振り返り、その鋭い視線で僕を射抜いた。


「今回だけだ。足引っ張んなよ。」

「……ありがとう! 海斗君」


 僕は痛む体に鞭打ち、彼の手を取るようにして立ち上がった。

 外は、不気味なほどに静まり返っていた。

 海斗君は空気に混じる「神の気配」を敏感に感じ取り、迷いのない足取りで進んでいく。辿り着いたのは、旧校舎の裏──そこには、現実の世界が腐食したかのような、空間の「裂け目」が口を開けていた。

 どす黒い霧が渦巻き、その先には色彩を失った死の街が広がっている。


「……行くぞ」


 海斗君が裂け目へと飛び込み、僕もそれに続く。

 一瞬の浮遊感。着地した先は、先ほど僕が膝をついたあの灰色の『聖域』だった。

 中心に、彼女がいた。

 黒いヴェールをなびかせた「花嫁」は、もはや人の形を保つことすら苦痛であるかのように、膨大な数の蔦を周囲に蠢かせている。


「来ないで……!」


 心さんのノイズ混じりの声が響くと同時に、無数の茨が一斉に牙を剥いた。


「颯人、合わせろ! 死にたくなきゃ動け!」

「わかった!」


 僕たちは互いの背を預け、全方位から迫り来る蔦を迎え撃つ。

 海斗君の右腕が鈍い光を放ち、その形状を鋭利な日本刀へと変貌させた。彼は流れるような抜刀術で、迫る茨を次々と細切れにしていく。対する僕は、アマテラスから伝わる熱を四肢に纏わせ、弾丸のような踏み込みで蔦を弾き、あるいは掴んで引きちぎった。


「くっ……!」


 死角から迫った鋭い蔦が、僕の喉元を狙う。

 

 間に合わない──!


 叫ぶよりも早く、海斗君が左腕を拳銃へと変え、僕の肩越しに火を噴いた。

 放たれた神の弾丸が蔦を粉砕する。


「よそ見してんじゃねぇ!」

「ごめん──海斗君! 後ろ!」


 今度は、海斗君が斬撃の反動で体勢を崩した背後から、大蛇のような蔦が襲いかかる。

 僕は一気に地を蹴り、空中で体を捻った。重力に逆らうような鋭い回し蹴りが、海斗君を狙った蔦を真っ向から叩き折る。


 言葉を交わす暇もない。互いを庇い合い、絶望の嵐を切り裂いていく。

 しかし、異変はすぐに訪れた。


「……っ、強度を増してやがる」


 海斗君の焦った声。

 心さんの放つ蔦が、突如としてどす黒い輝きを増し、鋼鉄以上の強度を帯び始めたのだ。刀で斬っても火花が散るだけで、傷一つつかない。


「くっ……ああああっ!」


 防戦一方に追い込まれた瞬間、地面から突き出した蔦が僕の両足と両腕を瞬時に捕らえた。


「颯人!」


 僕を助けようと海斗君が踏み込む。しかし、それを嘲笑うかのように別の蔦が彼の死角を突き、その体勢を無惨に崩した。


「がはっ……!」


 宙に浮いた海斗君の体に、心さんの掲げた手から放たれる無慈悲な連撃が叩き込まれる。

 僕は蔦に吊るし上げられ、身動き一つ取れない。

 目の前で、ボロボロになって地面に叩きつけられる海斗君の姿。


 身を裂くような断罪の雨。


「ガ……ハッ……」


 視界の端で、海斗君の体が力なく地面を転がっていく。


 あぁ、まただ。

 僕の周りからは、いつも色が消えていく。

 差し出された手は茨に変わり、交わした言葉は呪詛に溶ける。

 灰色の静寂。

 それは、誰も傷つけない代わりに、誰にも触れられない永遠の冬。

 けれど、その檻の中に閉じこもって、死を待つような無垢を、僕はもう「清らか」だなんて思わない。

 僕を蝕むこの「灰」は、孤独の証ではない。

 いつか、大切な誰かを暖めるための、燃えかすなんだ。

 魂を削り、命を焚べ、真っ白な灰になるまで焼き尽くして、それでも残る熱。

 それを「愛」と呼ぶのなら、僕は喜んでこの身を捧げよう。

 独りでは見ることのできなかった、あの鮮やかなパステルカラー。

 独りでは感じることのできなかった、海斗君の不器用な体温。

 奪われることが怖いんじゃない。

 守るべきものがあるこの痛みを、手放すことの方が、僕には何倍も恐ろしい。

 僕の命が、この瞬間のために紡がれてきたのだとしたら。

 この血の一滴、吐息の一つに至るまで、彼らを救うための薪になれ。


「アマ……テラス……もう一度、力を貸して……」


 懐の鏡を、骨がきしむほど強く握りしめる。

 内側から溢れ出す熱。手のひらの皮が焼け、肉が焦げる匂いがしても、僕はその光を離さなかった。


「やめろ、颯人。これ以上は器が保たねえ。お前の体がどうなろうと知らねぇぞ」


 鏡の中から、アマテラスの焦燥に満ちた声が響く。

 けれど、僕の心は驚くほどに凪いでいた。

 意識の輪郭が、白い光に溶けていく。


「──僕の命に、僕以上の価値を与えて。この『終わり』の先に、彼らの『続き』があるのなら、代償なんて安すぎるよ」


 刹那、世界から音が消えた。


「……ふっ、面白い。いいだろう。神の真髄、その身に刻め」


 鏡が爆発的な輝きを放ち、液体のようにうねりながら形を変えていく。

 溢れ出した黄金の奔流が、僕の右手に収束し、一本の神剣へと結晶化した。

 重い。

 八百万の神々の意志を束ねたような、絶対的な権威。

 それが、僕の絶望を切り裂くための「牙」──神剣へと変貌した。

 右手に宿る、惑星ほしの核を握りしめているかのような、悍ましくも重厚な手応え。

 噴き出す黄金の霊気が、僕を縛り上げていた茨を塵も残さず焼き払い、凍てついていた空気を一変させた。


「これは……」


 掌から伝わる、宇宙の産声のような鼓動。そのあまりの力に、僕のからだは悲鳴を上げている。


「『天叢雲剣あめのむらくものつるぎ』……。三種の神器の一つだ」


 剣から響くアマテラスの声は、先ほどまでの荒々しさが消え、神としての冷徹な厳かさを帯びていた。


「いいか颯人、それはあらゆることわりを断つ刃だ。だが、神の業を振るう代償は高くつくぞ。お前の命、その魂の欠片すら……この一振りが喰らい尽くすことになるが、それでも構わねえか」


 僕は、光を放つその柄を、迷うことなく握り直した。


「……構わない。僕の全てが灰になっても、二人を救えるなら……本望だ」


 地を蹴った刹那、僕の体は黄金の閃光と化した。

 海斗君を執拗に打ち据えていた漆黒の蔦が、再びその鎌首をもたげ、獲物を仕留めようと振り下ろされる。しかし、その凶刃が海斗君の肌に触れるよりも早く、天叢雲剣の一閃が空間そのものを横凪に切り裂いた。


 ──断。


 鋼鉄をも凌ぐ強度を誇っていたはずの蔦が、まるで熱したナイフを通したバターのように、抵抗もなく霧散していく。


「……は、や……と……?」


 血に塗れ、瓦礫に沈んでいた海斗君が、信じられないものを見るように目を見開いた。僕は彼を背にかばうように、凛と立ち塞がる。


「遅くなってごめん。あとは僕に任せて、少し休んでて」


 振り向かずにそう告げると、僕は「黒い花嫁」へと視線を据えた。

 心さんの放つ絶望の圧は、なおも増大し続けている。だが、今の僕の右手には、それらすべてを無に帰す「神の意志」が宿っている。

 彼女が悲鳴のような叫びを上げると、周囲の瓦礫を巻き込みながら、数千もの蔦が津波となって押し寄せた。視界が真っ黒に塗りつぶされるほどの圧倒的な物量。

 僕は神剣を正眼に構え、真っ向からその渦中へと飛び込んだ。

 一歩踏み込むごとに、剣筋が光の円環を描く。

 斬るのではない。存在そのものを「否定」するように、天叢雲剣は触れるものすべてを純白の灰へと変えていく。

 右から迫る茨を払い、左から突き出される槍のような蔦を叩き折り、僕は最短距離を駆け抜ける。


「……心さん!!」


 絶叫と共に跳躍した。

 ヴェールの奥、剥き出しになった心臓──赤黒く脈打つ、あの核。

 彼女を傷つけるためではない。彼女を縛り付ける「絶望」を終わらせるために。

 僕は全体重を預け、天叢雲剣をその核の深奥へと突き立てた。

 瞬間、耳を刺すような高周波の音が聖域に響き渡り、視界が真っ白な爆辞に飲み込まれる。

 熱い。

 けれど、冷たい。

 気がつくと、瓦礫の山も、灰色の塵も、海斗君の姿も消えていた。

 そこは、果てしなく続く、鏡のように穏やかな水面が広がる世界。

 音もなく、風もない。

 ただ一人。

 その中心で、黒いヴェールを脱ぎ捨て、本来の制服姿で蹲っている心さんの姿だけがあった。

 ここは、彼女の魂の最深部。

 僕と、心さん。二人だけの、静寂の空間だった。




 鏡のような水面に、私の惨めな姿が映っている。

 黒いヴェールの下からこぼれ落ちたのは、呪いのように鮮やかな桃色。

 ピンクには、淫らな意味があるらしい。

 どこかで聞いた、誰かが吐き捨てた言葉。そんな色を生まれ持った私は、望まずとも誰かを誘惑し、熱を奪い、渇きを癒そうとする──愛に飢えた性の権化なのだと。

 生まれた時から、私の世界はこの色のせいで歪んでいた。


 「そんな髪色、恥ずかしくないの」という近所の視線。私の存在そのものを視界から消した、両親の凍てつくような無関心。

 寂しさが降り積もるたび、胸に刻まれた薔薇の紋章が脈打ち、私を内側から焼き焦がした。

 この痛みから逃れる方法は、たった一つ。誰かからの愛を受け取り、その熱で呪いを上書きすることだけ。


 あの日。

 生徒指導室の前で颯人君を見つけたとき、私の本能が嘲笑うように囁いたのだ。


 あぁ、この人なら。この少年の優しさなら、きっと利用できる。


 卑怯で、汚くて、最低な確信。

 私は自分の痛みを癒すための「熱源」として、彼に狙いを定めた。

 そんな私が、彼に「仲間」だなんて呼ばれて、あんなに真っ直ぐな瞳で見つめられて……。

 耐えられるはずがなかった。優しくされればされるほど、私の醜さが浮き彫りになって、絶望に身を焼かれる。


「……心さん」


 静寂を波立たせるように、颯人君の声が届く。

 私は顔を上げられないまま、震える声で告白した。


「私に……颯人君の『仲間』を名乗る資格なんて、ないよ。だって、私は最初から、自分の痛みを消すために君を利用したんだから。……最低な女なの」


 水面に涙が落ち、波紋が広がる。

 彼に嫌われれば、この呪いは完成する。私は一人、灰色の闇に帰る。そう覚悟して、ギュッと目を閉じた。

 けれど、返ってきたのは、私の全てを包み込むような温かな息だった。


「……いいよ。心さんになら、いくらでも利用されたって」

「え……?」


 驚いて顔を上げると、颯人君は穏やかな微笑みを浮かべて私を見つめていた。その瞳には、一点の曇りも、私を責める色もない。


「僕だって、心さんに救われたんだ。お互い様だよ。……だから、もっと僕を頼ってよ。利用して、縋って、弱さを見せてよ。一人で抱えきれない痛みも、分かち合えばそれは『毒』じゃなくて、二人を繋ぐ『絆』になる。……傷を共有して、一緒に傷跡を数えていけるのが……僕たちの言う『仲間』なんじゃないかな」

「颯人君……」

「心さんの苦しみは、もう君だけのものじゃない。僕にも、半分背負わせて。……お願いだから」


 差し出された、傷だらけの手。

 あの日、利用しようとしたはずのその温もりが、今は何よりも尊く、愛おしい。

 あぁ、私は──


「……ありがとう……っ」


 溢れ出した涙が、私の頬を伝う。

 この人は、私の醜さも、ズルさも、全部知った上で「一緒にいよう」と言ってくれた。

 誰の熱でも良かったはずの私の心が、今は、この人の熱じゃなきゃダメだと泣いている。

 私はやっぱり、この人が──颯人君が、大好きだ。




 眩い白光が収束し、視界が歪む。

 次の瞬間、肺に流れ込んできたのは、旧校舎裏の湿った土と春の夜の匂いだった。


「……あ」


 緊張の糸が切れた途端、立っていられなくなった。

 右腕に宿っていた神剣の重みも、全身を支配していた熱も、霧散していく。代わりに、魂を削り取られたような猛烈な虚脱感が僕を襲った。

 崩れ落ちる僕の体を、柔らかな手が支える。


「颯人君……っ!」


 心さんの泣きそうな声が聞こえる。

けれど、重たくなった瞼を押し上げる力すら、今の僕には残っていなかった。

 意識が遠のく中、砂利を踏みしめる力強い足音が近づいてくる。


「……おい。これ以上、この場所で騒ぎを起こすんじゃねぇ」


 低く、ぶっきらぼうな声。海斗君だ。

 彼は心さんの手から僕を奪い取るようにして、ひょいと抱え上げた。

 僕の膝裏と背中に腕を通し、まるで壊れ物を運ぶような、それでいて力強い抱擁。海斗君の胸板から伝わる心音と、少しだけ焦げたような火薬の匂いが、不思議と僕を安心させた。


「海斗……君……」

「黙ってろ。ボロ雑巾が」


 海斗君は心さんを一瞥し、短く鼻を鳴らした。


「こいつは、俺が連れていく。……お前もさっさと帰って、頭でも冷やしてろ」

「……うん、ありがとう。えっと──」

「海斗だ」

「そっか、海斗君。颯人君をよろしくね」


 心さんの震える声が、遠ざかっていく。

 海斗君の歩みに合わせて、僕の体は心地よく揺れた。

 夜の帳が下りる学校。

 桃色の呪いから解き放たれた少女と、孤独を脱ぎ捨てようとする二人の少年。

 僕の意識は、温かな「仲間」の熱に包まれながら、深い眠りの底へと沈んでいった。



 





第2章、完結です。

最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。

三人の運命が交錯したその先。

次回より始まる第3章にて、またお会いしましょう。

作品を気に入っていただけましたら、評価点やブックマークにて応援いただけますと幸いです。

今後とも、彼らの物語を見守ってください。

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― 新着の感想 ―
「疫病神」と蔑まれてきた颯人の苦しみ、孤独。それを乗り越えていく姿がとても印象的でした。 熱量と緊張感に満ちた戦闘シーンも迫力があってとても印象的で良かったです!
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