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十二話 高飛車

 声が返還され、喧騒を取り戻した教室の賑わい。

 勇者の凱旋とは真逆の無関心。カクテルパーティーの中でも自分の名前だけは正確に聞き取れるとはいえ、誰も僕の話題を口にしないのだから仕方ない。僕や海斗君が奮闘した事実などは荒野を転がる枯草に過ぎないのかもしれない。

 だが、その無関心が肌を刺すようで、どこか懐かしい。


「おはよう、心さん」


 席に座りながら声をかけると、よく耳に馴染んだ明るい声が、朗らかな笑みと共に返ってくる。無関心な教室の中で僕に差し込む唯一の光。失いかけても、また取り戻せた。それだけで報われたような気がした。


「この席、誰の? 転校生?」


 教室の扉を開けたときから気にしていた疑問を口にする。僕の背後に、いつもはないはずの空席が佇んでいた。


「転校生ではないらしい。なんでも、初日からずっと休んでた子が来るって噂だよ」


 なるほど。それは温かく迎え入れてあげなければ。

 自信はあまりないけれど──


「噂話とは、いい趣味してやがる」

「うわぁ!?」


 背後から降ってきた冷ややかな声に、魚が一本釣りされるが如く思わず飛び出た声が心さんと重なった。

 勢いよく声の方に向き直ると、リュックから取り出した教科書を机の中に放り込む海斗君の姿があった。不機嫌そうな眉間の皺。だが、その制服は、意外にも着崩されることなく指先まで神経が行き届いている。


「海斗君がいる……」

「人を化け物みたいに言いやがって。お前が前の席だなんて、運がねぇな」


 一拍、荷物を整理する動きを止めると、彼は端正な顔に意地の悪い笑みを浮かべた。


「ま、黒板が見やすいっていうのは救いかもな。お前小せぇし。デカブツが前に居座られたらたまったもんじゃねぇ」


 海斗君は鼻を鳴らして席に着くと、黒革のブックカバーを着こなした文庫本を読み始めた。一方的にボールを打ち、回収せずに放置するその様。まるで、これ以上の会話を拒絶しているかのように見えた。

 お前小せぇし──。

 壊れたラジオが何度も同じフレーズを繰り返すように脳内に反響する。

 いやいや。僕、別に小さくないし。背の順では真ん中より少し前くらいだし。そりゃあ、海斗君と比べるとなると閉口せざるを得ないけど。

 

「えっと、本当に私を助けてくれた人と同じ人……?」

 

 心さんがコソッと耳打ちしてきたので、僕は思わず苦笑した。

 根はいい人なのだが、色々ともったいないというか。

 

「なんて言うか……すごい、強烈だね……」


 やや引き気味の心さんの声が最後、一日の始まりを告げるチャイムが鳴り響き、僕らの朝は幕を閉じた。




 ガタガタと、机の足裏が床を擦れる音が響く。一限目の国語。先生は自分の周りの三人から四人でグループを作るように指示を出した。

 机を動かす合間、心さんと顔を見合わせる。海斗君の、僕らを足手纏いとしか思っていない表情を想像するだけで青冷めた。


 先生が配ったプリントには、近代文学の難解な読解問題が並んでいた。本来なら数十分かけて議論し、答えを導き出すはずのグループワーク。だが、その時間は開始数十秒で「作業」へと変わった。


「……チッ、まどろっこしい。お前ら、鉛筆止めて見てろ」


 海斗君が苛立ちを隠さずに僕らのプリントを覗き込む。

 彼は迷うことなくシャーペンを走らせた。さらさらと、流れるような筆致で回答欄が埋まっていく。


「ここ、作者の意図はこの三行目に集約されてる。構成比を考えれば自ずと答えはこれだ。……おい、お前。さっきから口開けて見てる暇があったら、こっちの要約を清書しろ。そっちの女は漢字の書き取りでもしとけ」

「えっ、あ、はい……」


 心さんと二人、圧倒的な熱量に押されて頷くことしかできない。

 海斗君の解法は、もはや勉強というよりは、急所を的確に射抜く狙撃に近い。迷いが一切ないのだ。不登校だったなんて嘘じゃないかと思うほど、彼の知識は鋭く、そして深い。


「……できた。ほら、持ってけ」


 宣言通り、十分も経たないうちにグループの回答が完成した。他のグループがまだ一行目について話し合っている中、僕らの机の上だけは、模範解答のような完璧なプリントが鎮座している。


「すごい……海斗君、頭いい……」

「この程度の問題、解けない方がどうかしてる。お前らの脳みそは飾りか?」


 鼻で笑いながら、海斗君は興味なさげに窓の外へ視線を投げた。

 口は最悪に悪いけれど、その実力は認めざるを得ない。僕は心さんと顔を見合わせ、苦笑い混じりに溜息をついた。

 本当に、この人は……

 刺々しい言葉の裏に隠された、圧倒的な不敗の自負。

 けれど、窓の外を見つめる彼の横顔に、ほんの一瞬だけ。鋭い神獣が獲物を探すような、張り詰めた色が混じったのを、僕は見逃さなかった。


***


 英文に、方程式、元素記号。

 こんな無意味な余興に付き合うために、動物園にも劣る集団へわざわざ足を運んだわけじゃない

 俺には使命がある。

 背筋に刻まれた印が燃え盛るのを感じながら、クラスを見渡す。

 眼前のカラフルヒヨッコ二人組、は正直言ってどうでもいい。

 ポツポツ、と。虫に食われたかのような空席。今朝はこうじゃなかった。

 どういうわけか、授業中に居眠りをしていた生徒が次々と体調を崩して早退してやがる。

 教師どもは「季節外れの風邪か」などと、脳みその足りない推論で納得した面を晒している。滑稽極まりない。集団感染にしては予兆がなさすぎるし、何よりこの鼻を突くような悪臭──。

 甘ったるい、腐った果実のような残香。

 常人には感知すらできない微かな「澱み」が、この退屈な教室の空気に混じり始めている。

 ──夢、か。

 眠りに落ちた獲物の精神を内側から喰い破る。陰湿で、浅ましい、三流の怪異の仕業だ。

 この俺を、わざわざこんな「檻」までおびき寄せた礼は、たっぷりとくれてやる。


「……ふん」


 ちらりと、目の前で呑気な顔をしているボロ雑巾──颯人に視線をやる。

 こいつの無垢すぎる光は、この手の淀んだ怪異にとっては格好の餌食だろう。

 

 守ってやる、なんて殊勝な言葉を吐くつもりはない。

 ただ、俺の視界の中で、俺の許可なくこいつが泥を塗られるような事態は万に一つも許容できない。

 神獣どもを一匹残らず「勝利」の名の元に蹂躙する。それが俺の使命だ。



 つまらん授業を抜け出し、保健室へと赴いた。夢を主戦場とする神獣が相手なら、やることは一つ。

 少し薬品くせぇが、贅沢も言ってられない。俺はベッドに横になり、カーテンを閉ざした。

 

 薬品の匂いと、微かに耳に届く遠くのチャイム。

意識の輪郭がぼやけ、沈み込むような感覚に身を任せる。

 「勝利」を宿す俺にとって、不覚を取る眠りなど存在しない。これは、獲物の喉元へ潜り込むための最短ルートだ。

 微睡みの幕を潜り抜けた先は、歪んだ学校の廊下だった。

 壁は脈動するように波打ち、天井からはどろりとした未知の液体が滴っている。


「……趣味の悪い。掃除のしがいがあるな」


 吐き捨てた直後、背筋に冷たい「悦び」が走った。

 霧のように立ち込める桃色の煙の向こうから、そいつは現れた。

 ──サキュバス。

 人の精神の隙間、最も脆い部分に指をかけ、甘美な悪夢で骨まで溶かす淫らな捕食者。

 そいつは、俺の「記憶」を弄ぼうと、形の定まらない影を揺らめかせながら、耳障りな嬌声をあげた。


「おやおや、自ら招き入れられるのを待たずに、土足で踏み込んでくるなんて。……強情な魂ね、坊や。それとも、よっぽど酷い夢を見せてほしいのかしら?」

「あいにく、俺は負ける夢を見たことがなくてな。……見せてくれるっていうなら、お前が消滅する瞬間を特等席で拝ませろ」


 右手を掲げると、その掌中に「不敗」を象徴する鋭利な気が凝縮される。

 だが、あいつは余裕を崩さない。


「ふふ、勇ましいこと。でも、あなたの中に眠る『泥』……それは消せないわよ?」


 指を鳴らした瞬間、周囲の景色が急速に反転した。

廊下が崩れ、現れたのは──どす黒い憎悪が渦巻く、海斗の過去の断片。

 

 ライバルに毒を盛り、勝利を掠め取ったあの日。周囲を欺き、自分さえも偽り続けていた「正しさ」とは無縁の暗闇。


「この汚れ、どうやって隠すつもり? 綺麗な『あの光』に、見せられるのかしら……?」

「…………黙れ」


 額に、嫌な汗が滲む。

 夢という主戦場において、内面の「罪悪感」はそのまま致命的な刃となる。

 足元から這い上がってくる影が、俺の動きを縛り始めた。


***


 教室の喧騒を離れ、僕はアマテラスの急かすような声に導かれるまま廊下を走った。


「間違いねぇ。保健室から、甘ったるい神獣の気配が漂ってやがる。……それも、かなり『負』に偏った質やつだ」


 跳ね上がる心拍数に促されるように、保健室の重い扉を勢いよく開け放った。

 薬品の匂いが鼻を突く。一番奥のベッド、固く閉ざされたカーテンの向こうから、聞き捨てならない音が漏れていた。


「……っ……、……はぁ、……っ」


 熱に浮かされたような、苦しげな吐息。それは、いつも自信に満ち溢れた海斗君の声だった。

 僕は躊躇ちゅうちょを捨てて、カーテンを一気に引き開ける。


「海斗君!」


 そこには、制服のままシーツを握りしめ、脂汗を流してうなされる海斗君の姿があった。

 顔は赤く火照り、眉間にはこれ以上ないほど深い皺が刻まれている。何かに抗うように、指先が白くなるほど拳を握り込んでいた。


「サキュバス──眠ってるやつの精神を侵食し、内側から魂をすする低俗な神獣だ」


 アマテラスが鏡の中で忌々しげに言葉を吐き捨てた。


「サキュバス……。海斗君、夢の中で戦ってるの?」

「おう。だが、相手は夢という概念そのものを操る手練れ。今のそいつは、己の心の闇に囚われている。このままだと、精神を喰い破られるな」

「そんな……どうすれば助けられるの!?」


 僕の問いに、アマテラスはいつになく真剣な、それでいてどこか残酷な響きを持って告げた。


「方法は一つ。そいつの夢の中に飛び込み、内側から神獣をぶっ倒す。……颯人、そいつの隣に横たわれ。肌を寄せ、意識を同調させるんだ」

「え……? 隣に、って……」


 あまりに突飛な指示に、僕は呆然と立ち尽くした。

けれど、海斗君の呼吸は刻一刻と浅くなり、その表情には絶望の色が濃くなっていく。


「……わかった。やってみるよ」


 僕は靴を脱ぎ、海斗君が横たわる狭いベッドへと、恐る恐る体を滑り込ませた。


「もっとだ。意識を混ぜるには、心の壁を物理的に壊すほどの距離が必要なんだよ」

「そ、そんなことしたら……僕、殺されちゃうよ……!」


 アマテラスの無茶な怒声が、静かな保健室に響く。

 僕は顔が火を吹くほど熱くなるのを感じながら、海斗君の体の隣、わずかに空いた隙間に肩を縮めて横たわった。

 海斗君はプライドが高い。もし、こんな無防備な姿を僕に晒していたと知ったら、拳が飛んでくるに決まっている。

 けれど、僕の葛藤を無視するように、隣で魘されていた海斗君が不意に小さく声を漏らした。


「ん……っ……、颯人……」

「……っ! か、海斗……君……?」


 名前を呼ばれた。

 いつも僕を「無能」だの「ボロ雑巾」だの呼ぶ刺々しい声じゃない。縋るような、湿り気を帯びた切実な響き。

 驚いて彼の顔を覗き込んだ瞬間、海斗君の腕が、逃がさないと言わんばかりに僕の胴を強く引き寄せた。


「わっ!?」


 抵抗する間もなかった。

 海斗君は僕を抱き枕にするように、ぐいっと自分の胸元へと閉じ込める。

 鼻腔を突くのは、微かな制服の洗剤の匂いと、彼自身の体温。

 海斗君の心臓の音が、僕の背中にまでドクドクと伝わってくる。


「いちゃついてねぇで、お前もさっさと眠れ。そいつの悪夢を、内側から食い破ってやるんだよ」

「いちゃついてるんじゃなくて……っ! こんな状態で、寝れるわけ……」


 海斗君の体温に包まれているうちに、不思議と僕の緊張も解けていく。


 あれ……なんだか……急に眠くなって……。


 心臓の音だけが、子守唄のように鼓膜の奥で反転していった。


 


 

 



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