一章 姫なのに城を追い出された! 1
住宅街の一角、一軒の木造家屋の前に一台の動力車が停車する。
後部座席から小柄な少女が降り、座席から刀を取り出して左の腰に帯刀した。
「・・・」
少女は家を見上げて頬を膨らませる。
「姫様、こちらが今日から住む場所にございます。」
運転席から降りた燕尾を着た青年が、斜め後ろに立つと同じく見上げて言う。
「クレイ・・・」
「なんでございましょう?」
少女は振り向く事もなく、溜息を吐くように燕尾を着た青年の名前を呼んだ。
「姫は止めていただけません?此処に駐留する以上、立場を公にするわけにはいきませんもの。」
「では何とお呼びいたしましょう?」
少女は腕を組むようにして、片手を顎に持っていき考える素振りをする。
「お嬢・・・」
「ミラ様。」
少女が言いかけると、クレイが被せる様に名前を呼んだ。
少女は咄嗟に振り向きクレイを睨み付ける。
「気安く名前を口にしないでいただけません?しかも従者が愛称で呼ぶなど無礼です。」
「お言葉ですがミラ様。」
クレイは笑みを崩さずに再度名前を呼ぶ。
少女がまた睨むもクレイは気にせず続きを口にした。
「正式な名で呼んでしまうとミラ様の素性が知られる危険がございます。また、この程度の小さな家に従者がいるとはいえ、お嬢様はおこがましいかと存じます。」
「なっ!?」
笑顔で淡々と言うクレイに少女は開いた口が塞がらなかった。
「あ、あなたね、言い方ってものがあるでしょう。素性を隠す必要があるとは言え、その言い方はなんですの!?」
少女は完全にクレイの方に向き直り、両手を腰に当てた。
「失礼致しました。言葉遣いについても上申する必要がございました。一介の街の小娘風情なのですから、それに相応しい話し言葉を身に着けてくださいませ。」
「わ、私に向かって小娘風情とは聞き捨てなりませんわ!王族にその様な態度をとって無事でいられると思いますの!?」
クレイは笑顔のまま、右手の人差し指を口に当てた。
「ミラ様、声が大き過ぎます。」
「誰の所為だと思ってるのよ。」
慌てて少女は小声になる。
顔を赤らめ頬を膨らませる少女を通り過ぎ、クレイは玄関まで移動して鍵を開けた。
「立ち話しもなんですから、中に入られてはいかがでしょうか。」
クレイは扉を開けると左手の掌を上にして家の中へ向けた。
少女はクレイを睨み付けながら玄関に移動する。
「わたくしは動力車を車庫へ入れてまいります。荷物はお運びしますので、先に二階の部屋でお待ちください。」
「わかったわ。」
「そう言えば。」
少女が玄関の中に入ると、クレイが呼び止める。
「まだ何かありますの?」
「陛下よりお言葉を預かっております。」
「お父様から?」
「はい。」
少女は普段の表情に戻ると、首を傾げてクレイを見る。
「公務にも関わらず、食って寝て遊んでいる奴は要らねぇ。市井の義務教育もそうだが、一般教養、一般常識を身に着けるまで帰ってくんな。でございます。」
「・・・」
少女は顔を真っ赤にすると、玄関の扉を叩きつける様に閉めた。
王国歴七百二十八年。
エルテスニア王国は、西方に位置する隣国オルベウイと長年に渡る戦争状態にあった。
領土拡大を企むオルベウイの侵略に、エルテスニアの防衛戦が数十年続いている。
エルテスニア現国王は南方から東方に続くカーラウス共和国と同盟を結び、この侵略戦争に終止符を打とうとしている。
戦争開始時に奪われた南西に位置するワエンセウ地方を、十年前に同盟の協力を得て取り戻したが、現在は膠着状態となっていた。
カーラウス共和国はアテンセ、イーフェイヴ、ウリナッツァの三国から成っている。
中でもオルベウイと隣接するアテンセにとっては、エルテスニアが侵略される事は対岸の火事ではないと危険を感じていた。
そのためエルテスニアへの協力は惜しまず、関係強化へと繋げている。
共和国との同盟により力を蓄えたエルテスニアは、侵略に対する報復を計画し実行段階まで推移した。
現国王セイリオン・エル・ヴェルフェリート二世の反撃が始まろうとしている。
「これは何?」
「流石はミラ様。既に言葉遣いを矯正していらっしゃるとは、わたくし感服でございます。」
ダイニングの椅子に座った少女は、テーブルに並べられた料理を目にして目を細めた。
「そんな事はどうでもいいの。これが何か教えて。」
「昼食にございます。」
「これが昼食・・・」
茹でた根菜を添えた鶏肉のソテー、玉葱のスープ、グリーンサラダ、バゲット。
特に遜色なく並べられた料理だったが、少女は浮かない表情をする。
「一般的な昼食ではございますが、この界隈ではこれでも贅沢な部類に入ります。今後、協調性を重視し環境に合わせた内容で用意致しますので、ご留意いただきたく存じます。」
クレイが言うと、少女は無言でナイフとフォークを手に取って鶏肉に向けた。
「お食事中失礼かと存じますが、今後の予定についてお伝えします。」
「いいわ。」
少女はスープを飲んだ後に、続けて構わないと伝えた。
「明日よりこの地域の学校に通っていただきます。」
「学校?」
「はい。この国では十五歳までに社会で通用するための学問、教養、道徳といったものの修得が義務付けられております。ミラ様も例外なく存分に学んでいただきます。」
「・・・」
満面の笑顔で言うクレイに、少女の手が止まり不満を露わにする。
「お城でもいいでしょう?」
「身に付けなければそもそも王城には帰れません。」
少女は不貞た様に頬を膨らませると、フォークを鶏肉に突き刺して口に運び齧った。
「初日はわたくしが動力車で送り迎えを致しますが、それ以降は徒歩で登下校をしてください。」
一度咀嚼を止めた少女は、苦虫を噛み潰した様な顔で再び嚙み始める。
「おや、お口に合いませんでしたか?」
「うるさい、いいから続けて。」
「承知致しました。徒歩での登下校はご学友との交流機会でもございます。存分にお楽しみください。」
「・・・」
愉快そうに言うクレイを見ることなく、少女は食事を続ける。
「また、元素変換は許可があるまで使用禁止です。」
「は?」
クレイの言葉に少女は反応を示し、口を開けて疑問を向けた。
「そもそも魔法使いが希少です。特に元素変換は王族と一部の人間しか使用できません。寒いからといって火を出したり、水汲みが面倒だからと言って空気中の水分を集めて花に水をかけたりといった様な行為はおやめください。」
「許可って、誰が出すのよ。」
「わたくしでございます。」
「・・・」
またも満面の笑みを浮かべたクレイに、少女は口を開いたまま硬直する。
「見苦しいので物を食べた状態で口を開けっぱなしにするのはお止めください。」
「見苦しいですって!?誰にものを言っているのかしら。」
思わず立ち上がって少女は抗議の声を上げる。
「ミラ様、口調が戻っておりますよ。」
少女は勢いよく椅子に座り直すと頬を膨らませてそっぽを向いた。
「また、本日夕刻より前線であるケリウス兵舎を訪問致します。」
少女の手がとまり、クレイに視線を向ける。
「何故兵舎に?」
「陛下からお聞きになっておられませんか?」
「いいえ。」
少女は陛下という言葉に不穏を感じながらも、平静を装い食事を続ける。
「新兵として登録しといてやった、前線で揉まれて来い。万が一死んだら、骨くらい拾いに行ってやる。と、お言葉を預かっております。」
「ぶっ・・・」
「そこまで庶民に合わた行動をせずともよろしかと存じます。」
スープを噴き出した少女にクレイは笑顔を向ける。
「違いますわ!今の件で驚いた事くらいわかっているでしょう!誰が好き好んで汚れる様な真似をしますの!」
「これは失礼致しました。」
クレイは胸元からポケットチーフを取り出し、少女の口元を拭こうとする。
「自分でやりますわ。」
「ミラ様、言葉遣いが・・・」
「お黙り。」
少女は奪う様に取ると、口を拭いて疑問の目をクレイに向けた。
「市井の民はスープを噴き出すなんて事をしているの?」
「さぁ、わたくしは存じませんが。」
クレイは何を言っているのか?とばかりに首を傾げた。
その態度に少女は一瞬口を開けて硬直したが、すぐにポケットチーフをクレイに投げつけた。
「しかし、おとう・・・陛下は自分の娘を前線に放り出すとか、何をしたいのかな。」
「わたくしめが計り知る事は出来かねます。」
クレイは受け取った布を素早く畳んでズボンのポケットに押し込みながら返事をする。
「わかってる。クレイに聞いたわけじゃないから。」
言いながら少女は、憂いの顔を王城の方に向けた。