講義
ネコは報告書を書き終わり、暇だった。隣を見るといつもと同じように真剣な顔をして、でも時々悲しそうに目を細めるメリアが資料を見比べ、報告書を書いている。ため息をつきながら飲みかけのコーヒーを飲み、頭の中で考える。
どうすればメリアが笑顔を自然に使えるようになるのか、そして現世で出来た心の穴を塞ぐためにはどうすればいいか。ネコはこの数ヶ月、様々な方法を試したが、進捗は芳しい。
ネコは報告書を書き終わるのを待ってメリアに話しかける。
「メリア、これから講義しようか」
「は?」
おそらく素だろう。敬語や敬意という気持ちがない。メリアの頭の中は混乱で埋め尽くされているだろう。
「僕の技術、盗んでみてよ」
「…なにをですか?」
メリアは混乱しているからだろう敬語が戻っている。
「そうだな…。基礎と僕が作った技術。応用はできるよね?」
「応用ならできますけど…」
「ならまずは基礎ね」
「それより仕事は…」
「そんなのあと。僕たちに来てるのは報告書と監察だから急ぎじゃないし、そろそろ教えたいことがあったからね」
監察の期限は長く設定されているし、そんなに難しくない。
ネコは笑顔でウィンクをし、楽しそうに続けた。
「最初に教えなきゃいけないこと教えてないからさー、教えてあげないと」
「え…?教えなきゃいけないことって、天警の基礎ってことですか?」
「あー、まぁそんなところ?」
「…」
メリアはきょとんとしていた。表情の変化はあるし、人よりその振れ幅は大きい。
「……あの、一体どんなことを教えてくれるの?」
メリアは情報処理に多少の時間がかかっていたが大丈夫だろう。
俺は机の引き出しから用紙を取り出す。
「悪魔と指名手配犯のランクについて」
悪魔と指名手配犯のランクが書かれている紙を手渡す。メリアは受け取り、ゆっくりと目に通す。
指名手配犯はこれまで一度、悪魔は全くと言って遭遇していない。これまでメリアは巡査が主な活動とする中神国からの治安維持の方をしていた。たまに俺が誘って一緒に監察には行くが、ほとんど関わらせななかった。理由としては俺が担当する区域は王族が多い。王族にトラウマを持っているメリアにはまだ苦痛なはずだと考え、あまり刑事課らしいことはさせなかった。
メリアが悪魔の欄を読んでいると突然震えが始まった。
俺は悪魔にもトラウマがあるのかと気楽に考えていた。
メリアは数分と持たずに過呼吸と発汗が始まった。俺はメリアをその場で横にするとその場にいた刑事課の仲間に声を掛ける。
「急いで医療セットとアジサイを呼んできてくれ」
「わ、わかった」
切迫した俺の表情に只事ではないと察した仲間は情報係まで走っていった。
「メリア、息をゆっくり吐いて」
俺は声を掛けるが声が届いていないようで呼吸が荒い。ゆっくり息を吐くように促しながら俺は原因の追求をする。メリアが見ていたのは悪魔の欄だ。それは間違いない。しかし、なぜ読んだだけで恐怖心が煽られ、震え始めるのか。もし、悪魔自体が恐怖の対象ならば、もっと早く症状が出るはずだ。しかし、メリアが症状を出したのは読んでから約10分後。
俺は処置をしながらアジサイが来るのを待ち、その間に考える。
「となると対象は1個体…」
俺は頭の中で悪魔を羅列し、その中で用紙に書かれるほどの強者を抜いていく。その中にいるはずだ。ある程度ピックアップした時、アジサイが走りながら状況を仲間に聞いているのが見えた。
「ちょっと、ネコさんに部下がいるなんて初耳ですよ。なんで教えてくれなかったんですか?しかもトラウマ持ちだなんて」
「ごめん。王族には持ってること知ってたんだけど、悪魔にも持ってるなんて知らなかった。処置お願い」
「わかりました。状況は?」
「15分ほど前から震え、過呼吸、発汗。その他はうわ言、ぐらい」
「…そう」
アジサイはメリアの側に座り、声を掛ける。
「聞こえる?聞こえたらどこでもいいから動かして」
メリアの手がピクリと動く。それを見るとアジサイはメリアを起こすようネコに指示する。
「頓服よ。少し飲んでみて」
アジサイはメリアの口に薬を入れる。
「薬を噛んで」
メリアは言われた通りに噛む。薬が苦いのか、表情がより険しくなる。
「…どうかしら?」
メリアは少し落ち着いたのか、息が整ってきた。
「よかった…」
「まだ不安定な状態だから少し休ませてから聞いたほうがいいですよ」
「わかった。ありがとう、助かった」
「お礼は後で挨拶に来てくださいね」
「うん」
その後、アジサイがメリアとネコに注意することや薬を渡し、トラウマについての知識の本を数冊置いて戻っていった。
「メリア」
「どうしたの?」
「ごめんね。まさかトラウマがあるとは思わず…」
「大丈夫。僕が自分で気づいてなかったからこうなったわけで」
「そんなことない」
俺はメリアの言葉を遮るように言った。
「メリアは俺の部下だ。ちゃんと部下のことを知っていればこんなことにはならなかった。だから、ちゃんと教えて。悪魔と何があったの?」
「…」
メリアは過呼吸になりそうになったが、ゆっくりと息を吐き、冷静を保った。
「僕と悪魔…ベリアルは因縁の相手。一度、僕は悪魔と契約をしようと呼び出したことがある。でも、僕の聖女の力が大きすぎたのか、一瞬で消滅してしまった。その時に少しだけ僕の心の隙に悪魔が入った。それから、僕は時々悪魔に体を乗っ取られそうになった。だから、僕の師匠に相談し、悪魔を封印していたんだけれど、不安はあるから…」
「…なるほど」
「今まで民らを襲ったことはないけど、何かあったら怖い」
メリアは震える自分を抱きしめた。
「悪魔との契約はメリア自ら?」
「違う!僕は…僕は悪魔と契約しなくても民を守る力はある」
「そっか。それならよかった」
悪魔の契約はほとんどの世界でご法度とされている。勿論、メリアのいる世界も入る。もし、自分から悪魔の契約を申し出たのであれば、理由を聞いて場合によってはそれ相応の処分をしなければならない。しかし、自分がやりたくてやったものでないなら責任はない。
俺はメリアの目を見ながらきっぱりと言う。
「もし、メリアが人々を襲ったら俺が責任を持ってメリアを地獄へ送る。だめかな?」
悪魔との契約に責任はないが、どんな理由であれ、生きるものを襲い、殺すことをしてはいけない。しかも天界警察からそのようなものを出してしまえば世界のものが怯え、誰も信用できなくなる。メリアには申し訳ないが、何かあれば俺が責任をとる。
「はい。お願い致します。天界警察をやめろと言われるのではないかと思っていたので少しだけ、ほっとしました」
「そんなことで辞めさせないよ。上が言ってたはずだよ。君の意思や思いが大切だって」
メリアの頭を撫で、体を見る。震えは止まっているし、体力も回復している。今からなら時間に間に合う。
「メリア、今から講義があるんだけど一緒に行かない?」
「講義?」
「うん。今日は爆弾の解体と処理の方法。勿論、無理にとは言わないし、体調を取ってもいい」
「行きます」
「だろうね」
俺はメリアが動き出すのを見て苦笑した。爆弾の解体と言って、メリアの目がキラキラしているのを見た。メリアは人から教わることがとても好きだった。そして、教わったこと以上の成果を上げる。生粋の天才だろう。
俺はメリアの少し前を歩いて案内する。
エレベーターで地下に向かい、部屋を開ける。
「あ、ネコー…」
部屋の中は寂れた部屋と爆弾、隈が酷い女性が1人。部屋には大きすぎるテーブルとソファ、そして寝具と爆弾、解体器具や爆弾を作るための道具が置いてあった。女性は長い白髪を束ねず、ボサボサしている。切れ目で綺麗にすれば美人なのは間違いない、はずだ。
「やぁ、講義は順調?」
「これを見てもそう言えるのかい?」
「失敬。それにしても汚いね」
「五月蝿い」
女性はつまらなさそうに爆弾をいじりながら俺と軽口を言い合う。すると、袖を引かれた。
「あの…ネコ…?」
「あ、そうだった。明里、爆弾講座の受講生、連れてきたよ」
「え、ほんと!?」
明里が嬉しそうにメリアの方を見た。
「い、一応…?」
メリアが首を傾げながら返答する。その様子を見て余程嬉しかったのか、いそいそと2人分の爆弾を作り、テーブルに置く。
「ほら、こっちこっち!」
明里が座っているソファの隣を優しく叩き、メリアに促す。メリアは促されるまま明里の隣りに座る。
「それじゃ、よろしくね。センセイ」
俺はメリアの前に座り、にこりと笑った。
「その笑い方怖いから普通にして」
明里が怯えるように言った。
「ごめん、こんな顔しかできないや」
「…じゃあ、こっち向かないで」
「ははっ、ひどいなぁ」
俺は軽く笑いながら明里の手元を見る。
明里は洗練され、確実に爆弾を処理する技術を持っている。その技術を直接見て教えてもらうことがメリアにとって技術を受け継ぐためには一番手っ取り早い。
明里はメリアに少しずつ教えているが、メリアが予想以上に飲み込みが早く、驚いているようだ。メリアも爆弾の構造や解体方法が詳しく分かって楽しそうだ。
さてと、俺は目の前の爆弾に視線を向け、蓋を開け、線と爆薬を確認する。
「これは…」
俺はハサミを持ち、一つひとつ切っていく。この程度の爆薬だと火花が出るぐらいだ。緊張感はないが、爆弾の解体は最近あまりやらない。動作確認程度には使えるだろう。なんて考えながら爆弾の解体が終わる。
解体が終わって暇なので、俺は次の講義をある人に頼むことにした。メールを使い、連絡をする。
数分後、了承の返信が来たので次に行く場所が決まった。
そろそろ終わるかと思い、メリアを見るとほとんど解体まで進んでいる。明里に教えてもらいながらと言っても仕組みを理解しないと解体は難しい。やはり、多才だ。
明里が爆弾を机の下から取り出した。大きさは幅10cm、長さ20cm、高さ5cmの小さめの爆弾だったが、中身がおかしい。
「メリアちゃんすごーい!じゃあ、次これやってみよ」
明里のテンションが高くなっている。これはやばい。
メリアの困惑した声が聞こえる。
「あの…これ、」
「指名手配犯から押収した爆弾とほとんど同じ構成の爆弾。勿論、爆薬は少なく作ってあるよ」
「え…」
「じゃ、10分で行ってみよー」
メリアは困惑しながら蓋を取る。俺の予想が当たったかのようにブラフの線と爆薬が異常に多い。絶対に取り違えている。
「はい、10分セットっと…」
「あ、馬鹿っ!」
「え…?」
俺が止める前に明里が時限装置を作動させ、残り10分と表示された。
「ほら頑張って」
明里がなんともないようにいうが、どう考えても爆薬の量がおかしいのに気づかない明里も明里だ。何かあればメリアは助けるが、明里は少し反省してほしい。
「どしたの?ネコ」
「爆薬、おかしいんだけど、わかってる?」
「えー?そんなことないよー」
そう言いながら爆弾を覗き見ると、明里の表情が真っ青に変わっていった。
「やばいやばい!原作使っちゃった!怒られる!」
明里は混乱するととてつもなくうるさい。そしてパニックになる。
「ねぇ、ネコ!どうしよう!」
「あー、もう、うるさいな。メリアがいま解体してるんだから少し待ってなよ」
「原作を10分で解体できるわけないでしょ!?」
「でも全部知識は教えたんだろ?」
「それは勿論!この子は覚えがいいからね!」
「じゃあ、落ち着いて待ってろ」
俺は面倒になって右手で頭をかきながら、明里に言う。
「でもでもー!」
明里が騒いでいるのに対し、メリアは一つひとつ着実に進んでいる。あと5分以内に解体できなければ爆発するが、もしもの時は俺が解体する。
メリアの進み具合は初めて爆弾を触ったとは思えないほど素早かった。しかし、慎重でブラフも丁寧に抜けている。
明里も騒ぐことに疲れたのか、メリアを見て感嘆していた。
そして、残り10秒で解体が終わった。
「終わりました…」
メリアは疲れたようでソファに寄りかかった。明里がそれを見てメリアに抱きついた。
「お疲れー、すごいよー!」
「なにがですか…?」
「あれ?聞いてなかった?」
「何か話しかけてましたか?」
「すごい集中力…」
明里が驚いているのを他所に俺は爆弾を触る。爆発しないように爆薬を取り、分解する。何回か同じ構造の爆弾を見たことがある。
2人が談話しているのを横目に爆弾を分解し、明里に渡す。
「わ、助かるー」
「それじゃ、俺たちは次に行くから」
「うん、またねー!メリア、何かあったらまた来てねー」
「はい」
メリアは笑っているが、影がある。誰なら影を作らずに素の笑顔を見られるのだろう。そう思いながら次の講義に向かう。
情報係の棟へ向かう。
「アジサイ、来たよ」
「待っていましたよ」
扉を開けながら、声を掛けると、嬉しそうにこちらへあるってくる女性がいた。
「もう大丈夫?」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
「いいのよ。それより、敬語を外してもらえないかしら?」
「わかりました」
「それで、ハッキングを教えればいいのかしら?」
「うん。よろしく」
「わかったわ。お名前は?」
「メリアです」
「メリアね。メリア、いらっしゃい」
そう言いながらアジサイはメリアとネコを応接室に案内した。
「俺までいいの?」
「えぇ、ネコさんがいたほうがメリアもいいでしょう?」
「うん」
メリアは返事をするが、アジサイに対して、警戒しているようだった。
「さて、まずはハッキングを教えちゃいましょうか」
アジサイはパソコンを別の部屋から持ってくるとメリアとネコの前に1台ずつ置いた。
「ネコさんはお好きにいじってしまって構いませんよ。ただし、壊さないでくださいね」
「わかったよ」
俺はパソコンで何をしようか考えながら触る。
メリアはアジサイに一つひとつ丁寧に教わっていた。時々「なるほど」や「面白い」などの楽しそうな声が聞こえる。
30分ほど経ち、アジサイがほとんど教えられたらしく、メリアが1人でアジサイが作った資料をハッキングしていた。
「そう、上手ね」
「アジサイの教えが上手だったからだよ」
「あら、お世辞まで言うようになっちゃって」
「本当」
「嬉しいわ」
どうやら相性が良かったらしい。仲良く会話している。
「ネコさん、メリアとお茶してきてもいいかしら?」
「いいよ。俺は刑事課にいるから何かあったら来て」
「えぇ。メリア、美味しいカフェがあるの。私の奢りで行ってみない?」
「行きたい」
「それじゃあ、行きましょ」
「うん」
メリアが楽しそうに笑った。一時的ではあるだろうが、素だろう。
2人にあいさつをして俺はメリアの友人としてアジサイが隣に置けるのではないかと考えながら刑事課に向かう。
「あれ?ネコ、今日は部下いないんだ」
「そっちもね」
後ろから優の声がした。
優が隣に来て話しながら刑事課へ足を向ける。
「こっちは部下の折角の休暇だからバイク専門店に案内したら動かなくて諦めて帰ってきた」
「置いていったのか」
「うん。ま、文句なら明日言いに来るでしょ」
「で、優は?」
「仕事。休暇じゃないよ」
「本当に?」
優はよく休暇中に仕事をする。というか仕事をするところ以外見たことがない。
「本当。赤ずきんにはランクが高い指名手配犯だから今日中に終わらせようと思って」
「なるほど、頑張って」
「はーい。それじゃ、またね」
そう言って優は案内係のいる大樹へと向かい、俺は刑事課へと戻り、いつも通り仕事をする。
メリアとアジサイがカフェでお茶をする。
「それにしても今日は仕事じゃなかったの?」
「うん。今日は休暇で、何もしないでぼーっと家の中にいたらネコがやることがないなら仕事をしてなって言われて仕事をしてた」
「そう…」
アジサイはぼーっとするのもいいことだと思ったが、メリアが次に発した言葉でネコを称賛することになった。
「僕、休みの日って何をすればいいかわからなくて、ぼーっとしすぎて食欲とか、睡眠もしなくなるから、ネコに連れ出してもらえてよかった」
「…食欲がないの?」
「うん。眠気もあまりないから睡眠時間も短いって怒られる」
僕は困ったように笑うが、アジサイの顔が曇っている。
「どうした?」
「何時間ねているの?」
「1時間弱…?」
「ショートスリーパー?」
「いや、違うけど…」
「一番最近で8時間以上寝たのはいつ?」
「ここにきてすぐだから半年ぐらい前かな?」
最初に神様と話をしたとき以来、8時間も眠れていない。というか眠れない。目を瞑るが、ずっと意識があり、寝ている状態にならなかった。
「…」
アジサイは質問をやめ、考えていた。
「眠くて動けなくなることは?」
「今のところないよ」
「それじゃあ、疲れが取れないとかは?」
「それは…あるかも…」
「眠ろうとするとトラウマが蘇る?」
「…はい」
アジサイがどんどん僕の深いところまで質問をしてくるので、なんだか、後ろめたくなる。
僕が顔を下げ、コップの中にあるお茶を見ているとアジサイが声をかけてきた。
「睡眠薬を飲んでみる?」
「睡眠薬…?」
「睡眠導入剤なんだけど…不眠がひどい場合に使用するの」
「…えっと…まだ、大丈夫だと思うけど…」
「…そう、それならよかった…」
アジサイはホッとしたように息を吐いた。
「でも何かあったらすぐに言って。わかったわね?」
「うん」
「それじゃ、そろそろ戻りましょうか」
アジサイが両手を合わせ、声のトーンを明るくした。
「そうだね」
「優やネコさんみたいに仕事人間にはならないで頂戴ね」
アジサイは冗談を言うように軽く笑いながら言う。
「それはどうかな」
否定できなかった。仕事をしている中で生きているものを守りたいという気持ちがある。僕はそのためには自分のことも厭わない気がする。
そんなことを隠してアジサイと天界警察へ戻った。




