第144話 連れ去られた先で
ズークとアザミナが戦闘を開始した頃、転移でプロスペリタ王国まで飛ばされたレーナは困惑していた。一瞬にして見た事のない部屋へと、移動していたのだから当然だ。風の舞う牧場から、高価な調度品が並ぶ室内で周囲を見渡すレーナ。一体どういう事だろうと、現在の居場所を知ろうとする。少なくともギャレットファームでないのは確実だ。こんな部屋は一室もないし、牧場主のオーウェンに成金趣味はない。この部屋のように、やたらと華美な装飾を好まない。
「えっと……ここはどこ?」
恐らくは偉い人の部屋なのだろうと、レーナは漠然と思った。今は昼間だった筈なのに、窓の外は真っ暗だ。月が浮かんでおり、余計とレーナを混乱させる。ちょうどこの星のほぼ裏側へ来たから、時差が発生しているのだ。だがレーナはそんな知識を持っていない。棚の上に置かれた時計は、日付が変わる少し前を示していた。
「どうなっているの?」
まるで夢か幻でも見ているようだと、レーナは時計を見て啞然とする。眠っていたつもりは無いのに、時間だけは経過していた。本当に夢を見ているのかと、彼女は自分の認識を疑う。自分の手で軽く頬をつまんでみるが、感触は間違いなくリアルだった。少なくとも夢では無さそうだ。状況を把握出来ていないレーナが悩んでいると、誰かが部屋へと入って来た。
「うん? おお! あやつめ、やりおったか」
ネズミのような外見をした、中年男性が喜んでいる。その正体は大商会カッティーヴォの商会主、ヴィルターだった。彼はレーナを知っているが、レーナの方は全く知らない人物だ。10代の少女からすれば、この状況で知らないオジサンとの邂逅は不安を生む。
「あ、貴方は誰ですか?」
「私はヴィルターだ。君の事は良く知っているよ、レーナ君」
自分は相手を知らないのに、向こうは自分を知っている。レーナの側からすれば、ただ恐怖でしかない。彼女は少し後退りながら、ヴィルターの様子を窺う。警戒心が明らかなレーナの態度に、ヴィルターは少しだけ気を遣う事にした。商人として成り上がって来た彼は、10代の少女と交渉するぐらい簡単だ。
「怖がらなくて良い。君に危害は加えない。ただ私の手伝いをして欲しいだけだ」
「て、手伝い?」
いきなりそんな事を言われても、レーナには意味が分からない。何故こんな所に居るのかも、まだ理解していないというのに。せめて説明ぐらいして欲しいと、レーナは思っている。だが知らない男性を相手に、どう対応して良いのか分からない。そんなレーナの様子を見て、ヴィルターは状況の説明を始める。
「少々強引な招待になってすまないね。私はここ、プロスペリタ王国で商会をやっている。それなりの規模でね、私の下で働いて欲しいのだ。もちろん給料はちゃんと支払おう」
誘拐という方法を取っておきながら、ヴィルターは悪びれもなくレーナを雇いたいという。プロスペリタ王国という国の名は、レーナも聞いた事がある。ただその国は、かなり遠くにある筈。そこまで言われてレーナは、自分が転移で無理矢理連れて来られた事を悟る。
「こ、こんなの誘拐じゃないですか! ローン王国に帰らせて下さい!」
「強引だった事は謝っただろう? それに、ローン王国より良い暮らしを約束するよ?」
あくまで条件さえ良ければ、文句はないだろうとヴィルターは迫る。だがレーナからすれば、そういう問題ではない。ギャレットファームのオーウェンと、その妻であるリエラの事は両親のように思っている。もちろんユニコーンやバイコーンも同様だ。いきなり引き離されて、首を縦に振る事なんて出来る筈も無い。良い暮らしが出来るかどうかを、求めているのではない。村人達に気味悪がられて、避けられていた自分を家族になってくれた。そんなオーウェン達ギャレットファームの人々は、レーナにとってとても大切だ。お金で買えるものじゃないと、彼女は良く分かっている。
「お願いします……帰して下さい」
「……レーナ君、私もこれ以上の強引な手は使いたくない。分かって貰えないかな? ああ、それと助けを呼んでも無駄だ。この建物は防音設備が優秀でね」
ヴィルターは笑っているが、口から出て来るのは脅しだ。レーナを手に入れる為に、随分とお金を使ってしまった。アザミナが帰って来ていない点も考えると、最悪一番良い奴隷を失った事になる。彼はこれまでの損失を取り戻さねばならない。
「私は君を奴隷にする事が出来る。ただしその場合、君に自由はなくなる。そうなりたいかね?」
「そんな……私は……」
戦闘能力がまるでないレーナは、この状況を無理矢理突破する手段はない。奴隷になって酷使されたくなければ、大人しく雇われるしかなくなってしまう。涙を流しながらレーナは、ただ膝から崩れ落ちた。目的の少女を手に入れたヴィルターは、漸く運が回って来たとほくそ笑む。誰にも見られていないと、彼は思い込んでいる。彼の頭上、天井裏に潜入捜査へ来ていた、2人の騎士が居ると知らない。隙間から4つの眼が、泣き崩れるレーナを見ていた。
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