第105話 調教師の少女
オーウェンの経営する牧場は、正式名称をギャレットファームと言い、祖父の代から続く牧場だ。
3代目のオーウェンが父親から引き継いだのは、オーウェンが30歳の時だった。運営責任者として事業を引き継ぎ、今は騎手を引退して調教師になった奥さんと共に成長させて続けている。
当然ながら男性と関係を持った女性を乗せないユニコーンは、調教師の育成が非常に厄介である。
ユニコーンの育成に興味を持ちつつ、かつ独り身の女性である必要があるからだ。騎手になる女性は基本的に見目麗しい事が大前提だが、調教師の場合はその限りではない。
例え田舎娘っぽい外見であっても、ユニコーンの調教には何の影響もない。しかも女性の仕事としてはかなり高級取りで、成功すれば結構な年収を得られる。
難しさと危険性、動物との共存が出来る女性であれば適正があると言える。ただやはり全体的には希望者はそれほど多くなく、娼婦の方が楽で良いと考える女性もそれなりに居る。
やはり動物である以上は、汚物の処理などが含まれるので敬遠される傾向があった。そう言った複雑な事情も抱えつつ、ケイバで走る競走馬代わりとして育てているのだ。
「どうかなズークさん、牧場の様子を見て」
「思ったよりも大変そうだ」
「まあ力仕事も多いからね」
オーウェンの案内で、牧場の中をズークが見学して回っている。現在はユニコーン達の調教の様子を見ていた。
美しい銀色の体毛と、立派な一本の角が特徴的な動物だ。どちらかと言えばモンスター寄りの生物なのだが、人間と共生出来る生物については、動物として扱うのがこの世界での一般的な認識である。
体格は通常の馬よりも一回り大きく、高い脚力と豊富なスタミナを持っている。それもあって、女性の商人には馬の代わりにユニコーンやバイコーンを使う人も居る。
ただどちらにせよ金額が馬より高い事と、女性の御者を必要とする点に高いハードルがある。
資金面をクリア出来るのであれば、ケイバの騎手を引退した女性を雇えば何とかなるだろう。
ユニコーンやバイコーンは、女性であれば乗せる生き物であり老婆でも問題はない。
それもあって騎手を務めた女性は、御者をやるか調教師になるかの二択になる場合が多い。ただ人気者になって、お金持ちと結婚した場合はまた変わって来るのだが。
「オーウェンさん、あの子は?」
「うん? ああ、レーナだね」
「随分若くない?」
ズークが興味を示した先には、10代半ばぐらいのうら若き乙女がいた。物凄い美少女という訳ではないが、素朴で味のある元気な少女である。
田舎娘という表現がピッタリの、自然と共にある姿がとても良く馴染む。茶色い平凡なショートカットに、作業着を着たソバカスのある愛らしい子だった。
田舎で農業をやるよりは、遥かに高い給料を貰えるのでここに居る理由はズークでも理解は出来る。
ただ一般的にユニコーンの調教師になるのは、若くても20歳ぐらいだ。ある程度の知識がないと、ユニコーンを正しく育成するのは難しい。
しかしレーナはしっかりとユニコーンを乗りこなし、レース場を模したコースを疾走させている。
「あの子は生き物に好かれる体質でね。12歳の時点で色んな動物を手懐けていたよ。手騎の才能を感じて雇ったんだ」
「テキ?」
「ああ済まない、専門用語だったね。調教師の事さ」
たまたまオーウェンが立ち寄った村で、偶然出会ったレーナという少女。彼女は村の近くで鳥や犬だけでなく、熊までも友達だと言って一緒に遊んでいた。
だがそんな特異な存在を、村人が快く思う事は無かった。両親を亡くして孤独だった為に、仕方なく村で育てていたものの、彼女の扱いに困っていたのだ。
この出会いを運命だと感じたオーウェンが、引取ると言って連れて帰って来た。奥さんや娘にも紹介し、家族同然に扱い育てている。
娘は妹が出来たかの様に可愛がり、騎手となった今も良く実家に帰って来てはレーナを構っていた。
彼女は調教師として既に3年近く働いており、優秀なユニコーンを複数頭育成して来た実績もある。
「へぇ、凄い子なんだなぁ」
「そうなんだ、あの子は天才だよ」
「居る所には居るんだなぁ」
貴方がそれを言うのかと、オーウェンが笑っている。確かに他者から見れば、ズークだって戦闘の天才にしか見えないだろう。
だがズークは自分を天才だと思った事は無い。ただ執念と復讐心で仇を追い続けて、激闘の末に仕留めただけだからだ。
元々ただの村人の子でしか無かったズークは、あの悲劇がなければただの農夫になっていただろう。
確かに魔法の適正は高かったが、レーナの様に生まれ持った独自の能力ではない。ズークにしか出来ない事と、レーナにしか出来ない事は全く違う。
ズークの代わりに戦えるSランク冒険者は居ても、レーナの代わりを出来る調教師はそういないだろう。
その自覚がズークにはちゃんとあるので、自分の事を天才だと思う事は無いのだ。何故その認識が持てるというのに、ギャンブルでは謎の自信を発揮するのだろうか。
ギャンブラーとは得てしてそういう存在なのだろうか。その是非はともかくとして、ズークの牧場見学は続いていく。




