お茶会のち暗転
昼食は、今日からスープがポタージュになっていた。
魔法で治療したとはいえ大怪我の後に無理は禁物というのは現代もこの世界も変わらないらしい。
ようやく自分で食べられるようになったのが嬉しくて、ひと匙ずつ食べるのがもどかしい。
「ゆっくりですよ、溢してしまいます」
手のサイズに合わせたスプーンは、ちゃんと僕の一口に合うサイズだ。姉以外の家族には大切にされてきたことはわかる。
一皿のポタージュを食べ終わって、片付けを終えるとアニーが着替えを選び始める。
「シャーロット様がご機嫌だといいんですけど」
以前には家族でお茶を飲んでいたというのに『自分の服が映えない色の服を着ていた』とのことで紅茶をぶっかけられてダメにされている。曰く『ドレスコードがあるのは当然』だとか。
お陰で僕の日常着のクローゼットは地味で控えめな色の服ばかりだ。
「さ、着替えですよ」
選び終わった服に着替え、アニーの手を借りてなんとかソファに腰掛ける。
姉を出迎えるために立ち上がらなければならないけれど、できるだろうか。
扉がノックされた時には心臓は早鐘を打っていた。
飛び上がりそうになりながら、苦しさを堪えて立ち上がり、居住いを正してアニーに扉を開けてもらう。
「いらっしゃいませ、姉上。お茶は用意しましたので、ゆっくりお寛ぎください」
「やだ、私が頼んだのだから私が全て仕切るわ。あなたは座ってるだけでいいわよ」
アニーに手伝ってもらって僕が座るのを見届けてから、連れてきた侍女、ロゼッタにお茶の支度を命じてアニーも下がらせる。
アニーが心配そうにこちらを伺いつつ扉を閉める。その音は死刑を知らせる木槌のように響いた。
これで、僕を守ってくれる人はいない。
姉の目的はなんなのか、心配しているのは本当なのだろうか。
そわそわと落ち着かない気持ちで姉の行動を目で追っていると、お茶の準備を終えたロゼッタまでも下がらせて、シャーロットは自分でお茶をサーブした。
——そんなことを、あのわがままな姉が出来るともやりたがるとも思ってもみなかった。
「熱いから、冷めてから飲みなさい。お砂糖は三つ?」
手ずから砂糖を溶かした紅茶が目の前に置かれても、手をつける気分にはなれなかった。
——姉が紅茶だというなら何であろうと、笑顔で飲まなければならないのだから。
「今日は、僕に何かご用事が?」
先手を取るつもりで切り出すと、シャーロットはいいえと首を振る。
「あなたがちゃんと生きてる。それが嬉しいだけよ。今日からは……これからはあなたをいじめるんじゃなくて、仲良くしたいなって思ったの」
何か、大変なことでも成し遂げたかのように晴れやかな顔で、シャーロットは穏やかにそう答えた。
僕の方は姉にちゃんといじめているつもりがあった事に、冷笑的な気分になるが、何か改心するようなことがあったというのだろうか?
「それであなたも来年から通うのだから、学校の話をしてあげようと思って」
その言葉に、どこか引っ掛かるものを覚える。
学校の話……自慢話の話し相手か……?
自慢話なら学校に通う前の僕にまで散々してきたはずだ。
「先生から特別に褒められた」とか「お茶会を主催したら来たいという人がたくさんいる」とか。
——僕には到底無理だろうから羨ましく思え、という但し書き付きで——
「入学試験のための勉強は進んでる? あなたは賢いからきっと大丈夫だと思うけど」
勉強なら、事故に遭う前に……とっくに『入学試験で使われる範囲』は終わっている。
いつまでそんな簡単なことをやっているのかと、馬鹿にしてきたのは……姉だ。
「心配は要らないと思います。『こんなこともできないなんて』と姉上が馬鹿にされない程度にはアニーに教えてもらっていますから」
笑顔を作って、言葉を選びながら答える。
僕の対応に、姉は嬉しそうに頷いた。
「試験には魔力測定もあるの。それからね、学校で魔法を習うのよ」
立ち上がったシャーロットが手のひらに小さな火を立ち上げ蝋燭に火を灯してみせる。これくらいの簡単な魔法から習うのだと。
その魔法は、姉が学校に入学する前には習得していたものだ。
——僕と同じ歳の頃……わずか五歳の時に独学で火魔法と土魔法を使えるようになってシャーロットは天才の名を手にした。これはゲームにも出てくる設定だ。
「姉上は、すごいですね」
こう言っておけば、満足するだろう。という目論見で発した言葉だったけれど、姉は褒めてもらえたのが嬉しかったのか水魔法や土魔法も初歩的なものを披露して見せてくれる。
「あとは、治癒魔法も習ったの」
——マズい
直感が告げていた。姉の治癒魔法の実験台にされるのだ。
対象者がいないと使う場面はない治癒魔法。
おあつらえ向きに僕は病人だ。
治癒魔法は小さなものなら平民でも使うほど簡単で手軽な魔法だが、『治癒魔法を使うには対象者に治癒力が要る』。
僕は今、ポーションの量さえ制限されているほど『治癒力が枯渇』しているのだ。
——ゲーム内では『使える治癒力を使い切ってしまうとダウン状態』で一定量の治癒力が自然回復するまでは一切行動できなくなったはず……。
——しかし、姉はそれを知らない。
姉は本当に善意で動いているのか、それとも僕を……殺す気なのか。
「ありがたいけれど、遠慮しておきます、僕がもう一週間もお医者様にかかっているのはご存じでしょう?」
ぎこちない笑顔でこちらを見ているシャーロットが悪魔のように見える。
ぎこちない顔にもなるだろう。『優しく笑う』なんて経験はないはずなのだから。
「熱が出てずっと寝ていたでしょう? でも、今日はもう起きられるようになっていたから。もう少し楽になるように熱を下げる魔法を使ってあげるだけ。危ない魔法じゃないわ」
さっとソファから飛び降りたシャーロット。考えるより先に、手が頭を守るように動いてしまった。
「まっ……やめてっ!」
手で体を支えられず背骨を貫いた痛みに呻き、ソファにうずくまる。
命が消えかけていたあの痛みが、寒さがフラッシュバックして、手足に力が入らない。
——ゲームならステータス表示がある。でも、今の僕は自分の治癒力が今どれだけ残っているかすらわからない。この体に治癒魔法など使って大丈夫だとは思えない。
「大丈夫、ほんとに簡単な魔法よ。氷を出しておでこを冷やすよりは楽になるはずだから! わたしね、もうあなたをいじめるのはやめたの。だから、今だけ……一回だけ信じてみて!」
近づいてきたシャーロットの手のひらが額に触れる。
「嫌です! やめて!」
ひんやりした手のひら。
動悸が強まって、息がしにくい。
——今じゃなければ、もう一度くらい信じてみたかった。
——何度も裏切られて来たけれど。
でも、『今だった』のならば、僕はなんとしてでも拒否しなくてはならなかった。
逃げたい、逃げなければと思うほど、体は動かなくなり、目が回り始める。
白い火花が、姉の触れる額から僕の皮膚を走っていく。
触れた場所から体温が下がっていき、どんどん目の前が暗く、吐き気がするほどの眩暈がやってくる。黒っぽいはずの視界が白く霞み始めて、声も出せなくなって。
「……やめ……て…………」
姉の声がまるで遠くにいるようにぼやけて聞こえる。
「ほら、少しだけ楽になったんじゃない? ……でも冷たくなるはずはないのにな……」
なんとか意識を保てているのは、皮肉なことにどこかの傷が開いたらしいズキズキする痛みのおかげだった。
「や……め…………」
指先が痺れて、ソファの縁に引っかかっていた手がずるりと滑る。
「……風邪を引いた時にちょっとだけ楽になるくらいの魔法よ! こんなに冷たくなるはずないのに……誰か! 誰かきて! お医者様を呼んで!!」
ようやく僕の様子が普通ではない事に気がついたシャーロットが悲鳴をあげて侍女たちを呼ぶ。
——ああ、ゲームでは限界までポーションを使って『持っているすべての治癒力を使い切る』と死んでしまってゲームオーバー……。
重い手足に引きずられるようにソファから滑り落ちながら、そんなことを考えた。
やり直せるセーブポイントなんて、ないというのに……。