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ポーションの効能

 

 

 目が覚めたときにはもう侯爵家に向かう馬車の中。丸一日ほど寝ていた上に、大公閣下に挨拶すらしないままという大失態だ。

 

 

  馬車の中で発熱していることを知らされ、乳母に看病されながら侯爵家の門を潜る。

 馬車を降りる前に手足の感覚が麻痺するほどの痛み止めを使っているので歩くのは危険だとも教えられる。


 お陰で痛みで泣き叫ぶほどはないがそれでも全身に痛みがまとわりついているのは感じられる。



 アニーに抱えられて馬車を降りると侍女や従僕ではなく執事や侍女長、父上——侯爵——に出迎えられる。


「よく生きていてくださいました……!」

「こんな事が起きるとは……!」

「お部屋に医師が待機しております、すぐに診察を」


 そっと乳母が俺をホールの長椅子に寝かせた途端、鈴を転がすような声が——にしては大きすぎる音量で響く。



「ヴィクス! ヴィクス! 生きてるの? 大丈夫なの?」



 姉のシャーロットが階段を転がり落ちそうになりながら駆けてくる。

 思わず、全身に緊張が走る。

 ——姉上が、心配している……?

 五歳児の心が、言い表せない違和感に呑まれる。


「シャーロット! お前も熱を出して倒れたばかりだろう! 部屋に戻りなさい!」

「だってお父様! 馬車は事故で……」


 真っ青な顔に、震える手。本人も具合が悪そうだ。後を追ってきた侍女が姉を抱き上げる。


「どこでそんな話を聞いたんだ? ヴィクスは緊張して熱を出してしまったので一晩泊まらせてもらう。昨夜、帰ってこない理由はそう伝えただろう?」


 父上が姉の前に立ち、顔を覗き込んでそっと言い聞かせた。

 姉の視界から、僕を隠すように。



 なるほど、そういうことにされたらしい。



 身体はまだ塞がり切らない傷だらけではあるが顔だけでも目立つ傷を残さず治療したのはそのためだったようだ。

 優しく姉の頭を撫でて侍女に目配せをすると、戻って来た侯爵がそっと俺を抱き上げた。


「……痛いだろうが、少しだけ我慢してくれ。シャーロットを心配させたくないだろう?」

「……っ……はい」


 俺の姿を確認しようとしているらしい姉は見えたので、そっと包帯の巻かれていない手の方を振ってみる。

 それを確認してわずかに、姉の青白い顔が微笑んだように見えた。安心したように、顔から緊迫感が抜けていく。

 ——あんな顔、見た事がない……。

『姉』を知る『僕』には……鳥肌が立つほど、不気味に映った。


「ほら、ヴィクスも辛そうだろう? 早く部屋で寝かせてあげたいんだ。シャーロットも部屋で寝ていなさい」


 侍女に抱かれた姉を見送りながら、俺も侯爵に抱えられて部屋に向かう。

 命が危なかった、という事はおそらく侯爵には伝えられているのだろう。俺を抱く侯爵の手も僅かに震えている。

 傷を確認していないから、どれくらいの力で抱いていいかわからないのかもしれない。



「母上は、大丈夫ですか? ぼくの弟はどんな様子ですか?」



 この世界の俺の五歳の誕生日。その二か月前に、母上——侯爵夫人——は子を産んでいる。

 俺の——弟。



「ローズも……お母さんもお前が熱を出したと聞いてとても心配していたよ。弟には熱が下がってから会いにいきなさい」



 そっと俺をベッドに下ろすと、すぐに父上は隣の部屋から医師を呼び、部屋に鍵をかける。


「お坊ちゃま、お体の診察をいたしますね」

 

 お抱え医者の言葉と共に服を脱がされて、大公家で巻かれた包帯は切られていくが、一つ一つ包帯を外されるたびに医者の顔は険しくなっていく。

 父上が小さく呻くような声を出したのが聞こえてくる。


「さすがは大公の医官たちですな……これほどの治療をなさるとは。軍人らしい荒っぽい方法ではありますが、命を繋ぐためとしては最善です」

「……そうだろうな。戦場でもない、自分の屋敷で……息子の体で、この惨状を見るとは思わなかったが……」

 

 ——戦場……?

 耳馴染みのない言葉に思わず耳をそば立てる。

 

「胴体はほぼ潰れたか千切れかけていた。内臓も……おそらく治癒力はほとんどを内臓の治療に回したのでしょう」

 

 スプラッタ映画でも、そんなシーンはモザイクがかかりそうだけれど。

 俺の……僕の体が?

 今、動けはしないけれど生きているのに?

 

「一人や二人の医師だけではこの治療はできません。——お抱え医師も、医療騎士も総動員して当たられたはずです。命が繋がれた、これだけでももう奇跡に値します」


「それでも……もう少し」


  グッと眉間に皺を寄せて、父上が拳で顔を押さえる。


「もう少し……治してやれなかったのかと……つい思ってしまうな……」



「ご存知でしょうが、ポーションも治癒魔法も『その身体の持つ治癒力の最大量』を超えることはできません」

 

 ——どこかで……知っている。その『設定』を……。

 

「…………それは、知っているさ」

「侯爵様のように戦場をご存じの方なら体感でお分かりでしょうね。治癒力が大量に使える状況であればポーションの使用と治癒魔法で千切れた手足をつなぐことも不可能ではない」

 

 一旦お医者様が言葉を切って、少し目を伏せる。

 

「けれどそれは全て対象の体に『使える治癒力』があることが前提です。治癒力を失った……死んだ者の傷を塞ぐことはできないでしょう」

「…………」

 

 父上が、黙り込んだ。

 ——自分の体の状態を、確認したわけではないが……なんだか怖くなってきた。

 

 

「これほどの大怪我……即死していてもおかしくはない。二週間はかけて使う治癒力を無理矢理、一度に使ったはずです。命を繋ぐ部分を最優先になんとしても繋いだ——これ以上治癒力を使おうとすれば治癒力を使い切ってしまって命そのものが保たない——そんなラインです」

 

 『設定』として知っている気がするけど、それを自分の体に置き換えて考えることができない。

 

 「今のお坊ちゃまには使える治癒力はほぼ残っていません。生きて帰ってこられたというのは……まさに奇跡です」

「……」

「けれど、綱渡りであることは変わりありません。二か月……いや、三か月はかかるでしょう。傷は残ってしまうでしょうがその間に、ゆっくりと傷を塞いでいきます」


 そっと消毒薬を塗り、痛み止めを施して、医師は包帯を丁寧に巻き直す。

 


 待ってくれ……そんな……そんなことになっていたなんて聞いてない……!



 話を理解するほどに、全身から冷や汗が吹き出す。鼓動が全身に響くほど大きく感じられ、痛み止めが効いているはずなのに、鼓動と共に痛みが重くのしかかる。

 

 

 すぐそばに……二度目の死があった。

 魔法とポーションがあるなら大丈夫なんだろうとか思っていたさっきまでの俺は、あまりにも軽かった……。

 

 二九歳の俺には魔法が既にありえないので全く実感もなかった。五歳のこの体だって五歳の知識だ。そんなことわからない。

 

 ——『助からないかもしれない』とは確かに思ったけれど、あんな大量出血を見れば誰だってそう思うだろう。



 ポーションと魔法があるこの世界の方が、もしかしたら、死はずっと近くにあるのかもしれない。

 五歳児の僕には少し遠い『死』を二九歳の俺が理解して、もう命は助かったというのに今更恐怖で涙が溢れた。

 



「お辛いでしょう。よく耐えましたね。あとは安静に、少しずつ治していきましょう。今日からお坊ちゃまのお仕事は、たくさん食べてよく眠ることですよ」


 優しく言葉をかけて、何か魔法を唱えたあとベッドサイドから離れた医師は『長期の療養で発生するだろう後遺症』について父上と話しながら部屋を出ていく。

 まだ心臓は大きく、早鐘を打つように全身に鼓動を響かせていたが、二人が完全に部屋を出る前に俺は眠りに落ちていた。

 

 まさか、数日のうちにあんなことになるとは思わずに。

  

 

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