銀髪の少年
どこかに運ばれ、二日目の昼だろうか
水も何も口にしていないという初めての経験に、気を抜くと泣いてしまいそうになっている。
馬車の中ではあるだろう。聞き慣れた音がする。
少しでも動くと何かにぶつかるという狭い空間で、手足も背中も痛くてたまらないけれど、おそらく声を上げると良くないはずだから。
あの言い争いがどうなったかはわからない。けれど、馬車に乗せられてしまってもう一日は経つと思うので、検問も抜けられてしまっているはずだ。
荷馬車ではあるだろうけど、馬車で走る距離ならば歩いて戻るのにどれくらいかかるのか……。
そんなに街から離れてしまったのなら、無闇に騒いでいいことはない。
眠ったのか、目を閉じていただけなのか。
それさえわからないけれど、意識が離れている間に泣いてしまったのか目の周りが乾燥してヒリヒリと痛い。
身につけているものに手を出されなかったのは幸いと言っていいのかな……。
換金すればいいお金になるだろう装飾品も……小さな櫛とか鏡とかブローチとか……あるけれど、まぁ街の中で売り払っても足がつくだけなんだろう。
「いいな、降ろすぞ」
御者席だろうか、そんな声が聞こえたと思ったら、少しの揺れとともに木戸が軋むような音がした。
ガタゴトと色々動かす音がしばらく続き、僕の番が来る。
ガッと袋を掴まれて、床を引きずられ、乱暴に担がれる。
…………いや、いた……痛いんだけど!!
肋骨が……腕が!! 折れちゃう!
「おい、すぐ出品なんだからアザなんかつけるなよ!」
「ウゼぇなぁ……はいはい! ほらお坊ちゃん、ベッドに到着ですよー」
どこかに投げ出されたけど……めちゃくちゃ硬い!?
ベッドって言ったのに!? 硬、えっ……ベットって聞き間違いだった? 床じゃなくて!???
「次の出品だ、袋から出していつも通りに埃を落としとけ」
「……わかった」
幼い声が答えて、扉が閉まる音。
……も、もしかして『男爵家の子』だったりするかな!?
あちこち袋が引っ張られて、足を踏まれたりしながら、なんとか袋から出される。
「…………銀髪」
「……あの……っけほ!」
声をかけようとして口を開いたけれど、あまりに埃っぽい部屋に咳き込んでしまう。
「……」
僕の呼吸が落ち着くまで、少年はただ黙って待っていた。
「どこの子、とかは聞かない。どうせ売られるんだし。とりあえず櫛か何か持ってない?埃を落とせって言われてるから」
「…………自分でできるよ」
渡したら最後、戻ってこない。なんてことがあるかもしれない。
目の前の子は銀髪だけれど、ずいぶん痩せていて、目の下には酷いクマがある。
銀髪、褐色の肌、長い前髪の下でほとんど伏せられていて目の色はよくわからない。
あまり健康そうにも……こう言ってはなんだけど……育ちが良さそうにも見えない。
内ポケットから取り出した櫛で自分で髪を整える。
服の埃を手ではたき落としていると、弱い風が吹いて埃を吹き飛ばしてくれた。
「魔法……使えるの……?」
「役に立てば……売られない……そう思ってたんだけど、そうでもなかったらしい」
お前のせいで、と睨みつける目が今までの苦労を想像させる鋭さだ。
『テベルス男爵』の名前を……出してもいいものだろうか。
もし違ったら? 違う家の子を戻すことになってしまったら……一大事だ。
「あの……僕」
「名前とか言わなくていいから。どうせ適当な名前つけて売られるんだし、それが名前になる」
暗い目は今まで何度もそんな子を見てきたことを教えてくれる。
ボロ雑巾みたいなものを突き出して、これに着替えろと。
「その服は、あいつらが後で端切れにして売り払うから」
「……拒否とか」
「ナイフで服を剥がされたいなら好きにしたら」
ポイと投げ出されたボロ雑巾は、まあ確かにギリギリ服ではあった。
僕が着るにはかなり大きいけどウエストあたりは紐がついているのでなんとかなるということのようだ。
「赤毛の女の子……見たことない?」
着替えながら、少年に話しかける。
「はぁ? ……何人もいたからわかるわけないだろ」
「羊飼いの子。八歳。赤毛で背が高くて、体の丈夫な子」
「知らないって。孤児院からここに運ばれてきた後は売られるのを待つだけなんだから」
「孤児院に?」
「アンタは今夜連れて行かれるみたいだけど、普通は孤児院で働かされて、孤児だってことを印象付けてからここに運ばれてきて売られるんだ」
「親も探しになんてこない、って教えてから」
「でも……おばちゃんたちはまだ探してた……テベルス男爵も……国外に捜索を変えたって」
『親が探していない』なんてことは僕の知る子たちにはなかった。
だから思わず反論してしまう。
「……国外……」
少年の目が、一瞬にして光を得た。
羊飼いのところで聞いた話では『捜索を諦めた』という噂だったけれど。
アニーや父上にその話をしたら『国外に捜索を広げたからそういう噂になったのだろう』と教えてくれたのだ。
「……探せると思ってるの? 国の中にいたって見つけられなかったやつが外に連れて行かれたら見つかるわけがない」
光を取り戻した目は、なんとか希望を形にしようとしている。
期待して、裏切られてきた経験が、『逃げ出せる』『探してもらえている』という情報を否定して、それを否定してもらえるのを待っている。
「少なくとも僕は……そう聞いたもの。父上がそう言ったんだから」
「父上……! はは、どこの坊ちゃんかと思ったらお貴族様じゃん!」
「名前なんか聞いても無駄みたいだから教えない!」
バカにしたように笑われて、唇を突き出して言い返し、ベッドに腰を下ろす。
ムッとした顔になった少年もフイとそっぽを向いて床に座り込む。
「……ちちうえ……かぁ」
泣きそうに揺れる小さな声が、静かな部屋に消えていった。




