脱出
ヌシのカエルのお腹の中で。
カエルが自分にかける魔法で回復しながら。
骨と思われる何かや、手応えのありそうなものを蹴り付ける。
急所には当たらなくたって、こっちはお腹の中、何かにダメージは入るはずだ。
回復魔法と思われる鳴き声が、頻繁に聞こえてくるようになっている。
一緒に僕も回復されるので、ありがたく暴れ続けていたけれど、さすがにもう酸素が足りなくなった。
回復魔法で少しだけ楽にはなるものの、暴れ続けているのがつらい。
腕が、足が、重くて。
力を入れてもほんの少し泥を掻くばかり。
ピリピリと皮膚に泥が滲みるようになって、消化液が皮膚を溶かし始めているのもわかる。
もっと、入門書を読んでおくんだったな。
魔法の仕組みよりも『魔力を感知する方法』みたいなものを。
また、カエルの使う魔法の声。
これが……たとえば『身体強化』だったら。
そう考えた時、『攻撃を受けているだろうカエルが回復ばかりしてるわけがない』という当たり前のことに気がつく。
それこそ戦闘力の強化や、攻撃魔法も使っているのでは……?
もし、カエルが『強化魔法』を使っていたら、回復魔法が僕にも効果を出したように、僕も強化されているかもしれない。
これがダメだったら動けずに窒息するしかない。
それくらい最後の力を振り絞って、何か粘膜の隙間のようなものを掴む。
ものすごい力が、指を、腕を押さえつけるけれど、これが最後だと思うと手を離すわけにはいかなかった。
内側に押し返そうとする力が逆に手を固定してくれて、体をその方向へ引き上げる。
また、ぎゅっと僕を包む空間が狭くなった瞬間、両手を粘膜の隙間にねじ込んで力の限り開いた。
次の瞬間、泥と一緒に僕の体はどこかへ押し出される。
「ごほっ! うえっ……うわぁああん!」
放り出されるように、カエルに吐き出されて沼の泥の中に転がり落ちる。
手も、足も、目や、鼻や、何もかも痛くて。
呼吸ができると気がついた瞬間、僕は泣き出していた。
「ヴィトリーク!!」
父上の声、泥を蹴散らして走る音。
「今だ! 仕留めろ!」
「このくそガエルが!」
怒声と共に、騎士たちが僕の後ろのカエルに向かう。
「医療班! 洗浄を!」
「はっ!」
もう大丈夫と父上が声をかけてくれながら、大量の水が泥や粘液を洗い流してくれる。
「擦ってはいけないよ、皮膚が弱くなっている。剥がれてしまうともっと痛いからね」
「ヴィトリーク様、お顔をこちらに……洗浄しますからね」
騎士が柔らかく水を当てながら、顔や髪の泥を洗い流して、治癒魔法の淡く白い光が僕の皮膚を滑って痛みを消していく。
「閣下! ヌシの素材どうしますか!」
「とりあえず、保管しておいてくれ」
身体中の痛みが引いていくのとともに、魔法が使えればよかったのにという悔しさが戻ってくる。
「あっ……ヴィトリーク様、手を」
「手……?」
呼ばれて手を差し出そうとした瞬間、今まで全く気がついていなかった激痛に悲鳴をあげる。
「大丈夫ですよ! すぐに治療できます!」
「どこかにぶつけたのかな。大丈夫だからね」
父上が抱きしめて宥めてくれる腕の隙間からチラッと自分の手を確認する。
お、折れてるよね……これ……!?
手は、溶けかけのろうそくみたいなぐにゃぐにゃの形になっていた。
思わず父上の腕に顔を埋めて、目を逸らす。
治癒魔法の痛みに、またメソメソと父上の腕の中で泣いていると。
「ほら! 治りましたよ! 動かしても大丈夫ですよ!」
騎士が声をかけて手を繋いでくれる。
「あのヌシの素材で何かヴィトリーク様の防具作りますか?」
「そうだね、夕飯の材料にもしてしまおうか」
本当なら、主ほど大きな個体はお祭りの振る舞い料理に使われるというが、少し夕食用にもらおうという話が進んでいく。
「時期より早いですけど、主も討伐できましたからね。肉は保管しておけばいいです。ヴィトリーク様の夕食にしてしまいましょう」
「ヴィクスを食べたカエル、今夜私たちが食べてしまおうね!」
……父上、そう言われるとなんだか食べにくい……。
基地に持ち帰るためにカゴをいくつも並べてその上に主のカエルを乗せる。
それでも手足を地面に引きずるほどの大きさだ。
見上げてみると、縦幅も横幅も馬車くらいはありそうだ。
主、と言うのはこんなに大きいのか……僕が丸呑みになったくらいだもんな。
ヌルッとした質感の皮に黒や緑の複雑な迷彩模様がある。水草に紛れて隠れるのにぴったりだ……。
釣ったナマズや他のカエルも大きなコンテナに積んで騎士たちが運び、僕と父上は基地に戻るために歩き出す。
「もう二、三日狩りはあるけど、ヴィクスはこの後、また狩りに戻りたい?」
「……うん」
ナマズの一匹も釣れなかった上、カエルに食べられただけと言うのは悔しくて仕方ない。
「父上……僕、魔法使えるようになりたいです」
「そうなのかい? 学校で使い方は習えるはずだけれど、その前に、ということかな?」
「……学校で習えるのは、知ってます。でもさっき……暴れるだけじゃなくて他に何かできたらよかったのに……って思って」
「そうか……魔法を教えることはできるよ。でもね……ヴィクスが魔力をきちんと使えるようになる前に教えるのは、とても危険なんだ」
「僕、魔力が何かもわからない……姉上は僕と同じ歳の時には魔法を使えたって言うけれど」
「……シャーロットは特別だよ。比べたりする必要はない」
手を引いて歩いてくれていた父上が、立ち止まって腕を広げる。
その腕の中に収まりながら、ずいぶん精神が体に引きずられてきているのを感じる。
二九歳の頭で、親に抱っこしてもらうなんて恥ずかしい状況のはずなのに。
ささくれて、悔しくて、言葉にならない心が、制御できない。
夜中に屋敷の中を散歩した時もそうだった。
無意識に『抱っこしてもらえる』と思って体が動いていた。
馬車道の魔法を突然思い出したように……『俺』と『ヴィトリーク』の境界が、混ざり始めている気がする。




