特別な子
フランシスは冗談のつもりで言ったが、商人組合や酒場を中心とする街の自警団から本当に嘆願書が持ち込まれてしまった。
流石にそろそろ寝ておきたい時間だ。
時計を確認して、執務室を出る。
扉を一つ潜ればすぐに自室ではあるが、庭の散歩でもしてから寝ようかと廊下に出る。
部屋の前で警備をしていた騎士にももういいと声をかけ、子ども達の部屋に向かう。
ずっとうなされていたというシャーロットは旅行が少し気分転換になったのか穏やかに眠っている。
ぷくぷくした頬がまだあどけないけれど、もうずいぶんお姉さんになってしまった。
長子であるこの子は、婿を取って家を継ぐか他家へ嫁入りするかを自分で選べる立場。
そういう将来のために、自主性を育てるつもりでいたけれど……ずいぶんないじめっ子になっていたのに気がついたのは、お茶の席でヴィクスに紅茶を浴びせた一件だったか。
「あの時はびっくりしたねぇ」
意志の強い子なのはいいことだと思っていたけれど。
その裏で『ヴィクスが両親の関心を奪ってしまった』という思いもあったのかもしれない。
その一件の前から、ずいぶんヴィクスが耐えていたこともその後になって分かった。
「お父さんは、ちゃんとできているかなぁ」
結局シャーロットはある夜を境に突然自ら『いい子』を目指し始め、疲弊し切って見えた。
意志の強さは、育っていて嬉しいけれど、それによって自分を追い詰めてしまうのは……親としては怖かった。
「シャーロットにもヴィクスにも、幸せでいてほしいね」
そっとシャーロットの部屋から隣のヴィクスの部屋へ。
「おや?」
二つの部屋を隔てた扉を開けると、ヴィクスのベッドは空だった。
誘拐ではなさそうなのは窓も開いていないし、掛け布団もきちんと畳まれていることから見て取れる。
ヴィクスの部屋から出ると、部屋の前にはなぜかペン立てが。
「お散歩、だといいけれど」
もっとずっとシャーロットが幼かった時。
ヴィクスが生まれたばかりで、ローズもヴィクスに付きっきりだった時期にシャーロットは夢遊病を発症したことがある。
ヴィクスもそうだとは限らないけれど、それを思い出して辺りを見回し、下の階へ向かった。
すぐに二階の廊下に小さな影を見つけてホッとする。
窓から外を眺めて、ぼんやりと何かを考えている様子だ。
銀色の髪が、月光の中で淡くオパールのような遊色を見せている。
「アレだけは……隠せないのが悩ましいなぁ」
夜に出歩かないよう言いつけておくくらいしかない。
あの子は……『特別な子』だ。
シャーロットもヴィトリーク同様に大切な我が子だけれど、ヴィトリークの『特別』は訳が違う。
あの子は魔力が高い。規格外のそれは外見にも現れることになる。
皇家の人間がそれを『継承者の証』の一つとして数えるほどに。
我が家が複数回皇家からの嫁を迎えていればまあ起きることではある。
先祖返り、と呼ばれる現象だ。
それを理由に皇家の養子となった子どもも昔はいた。
むしろ、それが目的で歴代複数の姫が我が家に嫁入りしたのだ。
『皇家』が途絶えないための、策として。
養子として幸せに過ごした子も中にはいる、そうでなかった子の方がずっと多いけれど。
まぁ、そんなことはもう、今では我が家と皇家の司書くらいしか認識していないだろう。
魔法で色を変えた髪と瞳のことは、ヴィトリーク本人にもまだ知らせていない。
毎日朝晩必ず使う櫛に、姿を変える魔法を付与して掛け直し続けている。それを知っているのは、ローズと私、そして医師のダートン子爵。
櫛の魔法はシグヴァルド——大公が学生の頃使っていた魔法を流用させてもらったものだ。
——彼も『継承者の証』を複数備えて生まれてきた。ただし、兄が立太子の儀を終えてから。
そのため学生の間は魔法で外見を変えていた。
シグヴァルドはずっと『大公家を継いだから継承権は放棄する』と言い張っているのだが、兄——陛下が同意していない。
まぁ陛下のことだから『俺の子どもたちがポンコツだったらシグヴァルドが皇帝やればいいだろう』とでも思っているのだろう。
そういうところが後々政治の火種になりかねないというのに。
我が子がそこに巻き込まれるのだろう未来を苦い思いで想像しつつ、しばらくそうして月明かりで外を眺めるヴィクスの穏やかな横顔を見つめていた。
階下から見回りの騎士が上がってくる気配がして、寄りかかった壁から体を離す。
窓のそばから、あの子を離しておかなくては。
「誰かいるのか……?」
騎士の足音が上がってくる前に、窓の方へ声をかける。
飛び上がったヴィクスが慌ててカーテンの後ろに潜り込んだのを見て、思わず笑みが顔に広がる。
自分の家で、隠れる必要などないというのに。
怒られることはわかっていて、部屋から出てきたのだろう。
ヴィクスが外を眺めていた窓まで歩いて、階段の方へ振り返る。
「閣下、何かありましたか」
「カーテンが動いて見えたんだけど、窓が開いていただけのようだ」
見回りに来た騎士に挨拶をして、開いてもいない窓の鍵を確認させる。
「私もそろそろ部屋に戻るよ。お疲れ様」
「はっ。おやすみなさいませ。失礼致します」
歩き去った騎士の足音が聞こえなくなってから、そっとカーテンを持ち上げる。
「お散歩はこんな夜中じゃなくて、昼間にしなさい」
「……ごめんなさい」
「眠れなかったのかな? お父さんと本でも読む? それとももう眠れそう?」
「寝られそうかなって、思ってたところです」
「そう、じゃあ部屋まで送ってあげようね」
手を差し出すと、なんの戸惑いもなく両手を差し伸べるヴィクス。
抱っこしてもらえるもの、というその仕草を、いつまで見せてくれるだろうか。
「ヴィクスも大きくなったねえ」
片腕には、少し重さを感じるようになったヴィクス。
来年には、学校が始まる。その頃までにやっておきたい事は『皇家と距離を取る』ことと……『自分の身の守り方を叩き込むこと』。




