貴族の振る舞い
姉上は、相変わらず横暴だった。
突然『いい子になる』と宣言して、周りを困惑させ、父上に心配をかけ僕を振り回して。
そして今回また突然に『やっぱりいい子はやめる』と宣言してくるなんて。
……そう、これが姉上だよ。
また振り回されているという落胆と共に、安堵しているのが悔しい。
自分の信じたことはなんとしても押し通す。
我が強くて、目立ちたがり屋で……でも『完璧な貴族』の頭脳も兼ね備えている。
——それが僕の知るシャーロットだし『ゲームでのシャーロット』でもある。
『聖女様のようないい子』よりはマシ。
——それは確かなんだけど……僕の気持ちは全く追いつかないままだ。
今まで怖かったんだと、やっと言えたと思ったのに。
『今度はどうなってしまうのか』という不安が喉を締め付けて言葉が出てこない。
「私がいい子でいる理由があなただって話……説明するわね。夢の話で、こんなことを話すのは変なんだけど……」
言い淀んでから、姉上は決意したように顔を上げる。
「あなたがいることが、私があの夢の中の私じゃないっていう証拠なの。夢の中のヴィクスは、熱を出したんじゃなくて……馬車の事故で……死んだの」
愕然として、足が止まる。
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
……僕……が死んでいた?
——あの事故で死んでいるのが『ゲーム内のヴィクス』?
つまり『あそこで死ななかった僕』は……そして『僕を助けたいい子の姉』は……両方とも『ゲームに出てこない』……?
——まだ『シナリオ』は開始前だというのに?
さっきは『道理が通ってない』としか思えなかった『僕のために』の意味。
——僕を生かし続けることが『夢が夢であり続ける』ために必要だったんだろう。
だから、『優しくする』し『楽になるように魔法も使った』?
ひどい動悸と、自分の浅い呼吸が耳の奥に響く。
広場から少し離れてしまって、あたりはランタンがほのかに道を照らすだけだ。
行き先は暗い……まるで暗示のように。
立ち止まってしまった僕が、暗さに怯えたと判断したらしく姉上が手を差し伸べてくれた。
「さ、お宿に帰らなくちゃ。あんまり遅くなるとお父様もアニーも心配するわ」
姉上が僕の手を引いて駆け出す。
「ま、待ってください、姉上!」
姉上の告白の衝撃から抜け出す暇もない僕と、言いたいことを言えてスッキリした顔の姉上。
引きずられるようになりながら、楽しそうに走る姉上を追いかける。
酔っ払いの笑い声の響く酒場、ランタンを飾った広場。
さっき散歩してきた道を戻りながら。
姉上は僕を置き去りにする様子もなければ、繋いだ手を叩き落とすつもりもなさそうだ。
——『姉上』だけど、『棘を感じない』なんて初めてなのに。
それよりも、『死んでいたはずの自分』、『それを知る姉』について話をしたかった。
——原作を外れたシャーロットならば、明るい未来もあるのかもしれない。
そんな期待とは裏腹に『シャーロットにあるのは破滅だけ』だった記憶が頭の中を占拠する。
広場を抜けて、交差点に差し掛かった時。
「っ!!」
曲がり角に、蹄の音。ランタンの明かりは複雑な影を落としているけれど、その中に揺れる一つが、大きくなっていく。
——交差点に向かって、馬車が走ってきている。
不意に『事故が起きる』と脳内が警鐘でいっぱいになった。
僕が馬車に乗っているわけではないのに、息が苦しくなるほど動悸が激しくなる。
僕が死んだら、原作通り。
では今生き残っている僕の代わりに……『シャーロットが死ぬ』こともあり得るのでは?
『ゲームの設定と違うことをしているシャーロット』が……消される可能性。
姉上は、交差点に背を向けている。
もう三歩も走れば……道に出てしまうのに。
姉上は音に気が付いている様子がない。
馬車の影がすぐそこに……。
「……待って!」
姉上の手を強く掴んで、地面に飛び込む。
バランスを崩して姉上が転ぶことを願いながら。
「きゃあ!?」
「ぐえっ!」
「……うわぁ!」
なんとか、姉上が馬車に飛び込む前に、転ばせることに成功した。
まぁ、僕は姉上の下敷きになったけど姉上に怪我はなさそうだ。
姉上の悲鳴に驚いた荷馬車の御者が慌てて姉上を助け起こしてくれる。
僕は自分で転んだ手前、打ちつけたお腹や膝の擦り傷を我慢して立ち上がる。
「ごめんなさい、姉上。怪我はありませんか……?」
いったいどこの子だ、もう夜だというのに……とブツブツ言っていた御者は、姉の服装や、ドレスに気がついた瞬間に真っ青になる。
「きっ……貴族のお嬢様、本当に失礼しました。このようなこと二度と起こしませんので……どうか、どうか穏便に……」
帽子を脱ぎ、膝をついて。
まぁ、これで姉上が怪我でもしていたら、たぶん『荷馬車の仕事』もクビだし、鞭打ちか……それくらいの罰はある。
五歳の僕が知っているくらいには……この世界の貴族は……優遇されている。
「わたしも前を見てなかったわ。でも、合図を鳴らさなかったわね? 夜でも交差点に出る時は合図をするのが決まりよ」
「はい、はい。その通りです……本当に……」
平謝りして処罰を軽くしたい御者。
姉上は不満げな顔をして、辺りを見回した。
「ロゼッタ、いるでしょ?」
「はい、お嬢様」
酒場の角で一人酒をしているように見えていた女性が、立ち上がる。
いつもまとめている髪を、編み込みでドレスアップした、ロゼッタだ。
「お父様に教えておいてね。夜に合図をせずに走っていた荷馬車があった」
「はい、かしこまりました」
「そ、そんな……どこのご令嬢か存じませんが……穏便に」
『侍女が付いてくるほどの高位貴族』ということが発覚して、御者は蒼白になった。
「その代わり、私が転んだ事やここで起きたことは、言わなくていいわ」
今度はロゼッタの方が不満とも不気味ともつかない微妙な顔になる。
「……言わなくていい、のですね?」
『言いつけろ、の間違いではないか』と期待するようにロゼッタは確認したけれど。
「ええ。私は、飛び出す前に立ち止まったわ、そうよね? ヴィクス」
『完璧な答えを出しなさい』と迫る姉の笑み。
「……転んだのは、僕です」
……姉上の意図が分からず、事実と思われる部分だけを答える。
これで正しい答えになっていることを願いながら。
姉は、『よく出来ました』と言いたげに頷いて御者に向き直る。
「ということだから、規則違反通知が来たら、罰金は必ず払いなさい」
軽く自分の服の埃を払い落として、姉上は歩き出す。
「うまく出来たかしら」と呟く声が聞こえてくるような、緊張した顔をしながら。
それでも凛とした歩みは『これぞシャーロット』の風格である。
側にはロゼッタが控えめに付いてくる。
五歳の意識としてはそこまでだけど。
二九歳の僕の正直な感想としては。
——き、貴族の話、難しすぎない? である。
姉上、なんでそんなことできてるの……?
帝王学は僕も習っているけど、姉上のように『咄嗟に出てくる』なんてことはない……。
——そもそも僕五歳なんだけど、普通、この場面に参加させる……?
「……お嬢様、わたしの雇用主は旦那様だとご存知でしょう。雇用主に秘密を作らせるのですか?」
「でも、ロゼッタは私の侍女よ」
「お嬢様のことを報告するように命令も受けているんですけどね」
「それはそうよ。私のこと、お父様はとても心配しているもの」
「お嬢様がヴィクス様を庇ったことが、意外ですので報告したいのですが?」
軽口を交わす、姉上とロゼッタ。
ロゼッタは、姉上の言いつけ通り『姉上が危なかったこと』は言わないつもりのようだ。
こんな会話、していたんだ……。
「私がヴィクスを転ばせてしまったことは、報告していいわよ」
「……転ばせては、いないです」
「いいのよ。ヴィクスは私が馬車とぶつかりそうだったから、引っ張った。あの馬車がちゃんと合図をしていたら、そんなことをする必要無かったんだから」
つまり?
僕が自分で転んだことは、姉上にはわかった。
その上で、僕が姉上を転ばせたことは庇ってくれつつ、僕が姉上を助けるために転んだことを察した。
姉上は僕が転ぶ必要があった理由——『合図をせずに交差点に出ようとした馬車』の処罰はしたかった?
これを、今の一瞬で……?
——僕には、できる気がしない。例え二九歳の頭があったとしても。
この世界で……僕は生きていかなくてはならない……?
——これが『現実になった「シャイニングプリンセス」の世界』?




