領地へ
ヴィクスはソワソワしながら馬車の窓から外を眺めていた。
走り出した馬車。後ろには荷物を積んだ馬車が続き、侯爵邸を出て、街を走り抜けていく。
父上は僕たちの前の馬車に乗って……なんと馬車の中でも仕事をしているそうだ。
昨夜も、というか明け方まで父の執務室の明かりはついていたと聞く。
——体、大事にしてほしいな……。
徹夜続きにエナジードリンクの飲み過ぎで突然死とか、僕のいた会社にも……いやいや、考えるな。
「ヴィクスは領地に帰るのも久しぶりね。どこか行きたいところはある?」
姉上の声に、窓から離れて座席に座り直す。
領地に行けることになってから、姉上は憑き物が落ちたように穏やかな顔をしている。
その代わり、どこか遠くを見ているように……不意に物思いに沈む顔をする。
……やっぱり、皇子様の遊び相手をするの、相当嫌だったんだろうなぁ。
ローレンツは『何日行くの』『いつ帰ってくるの』と大騒ぎだったけれど、テオドール殿下は『そう、お土産期待してるね』とあっさりしたものだったらしい。
——これがゲームに出てきた『シャーロット』になるなんて、思えないよなぁ。
権力大好き、目立つことはもっと好き。
自分の優秀さを認めないなんて有り得ない。弱者は強者の糧になることでしか存在できない。
誰よりも優秀な私は誰よりも目立つべき存在! という悪役キャラが、酔い止めを渡して僕の心配してくれている……。
「ちゃんと飲むのよ? 苦いからって飲んだフリはダメ」
僕の手のひらに収まるほどの小瓶だが、青臭い草の味と妙な酸味が舌に残って思わず顔が歪む。
「はい、ちゃんと飲めたわね」
姉上が飴玉を小瓶の代わりに手のひらに乗せてくれて、自分も一つ飴玉を口に入れる。
くれたのは僕の好きなハッカ味。
そもそも姉上が嫌いだから、押し付けてきたのがハッカ味だったのに、僕が好きだと知ったら無理をして自分で食べていた……。
今は大好きないちご味の飴に笑顔を浮かべている。
「今日はたぶん街道の途中で一泊。明日の昼には屋敷に着くはずだけど、明日も馬車に乗ったらちゃんと飲むのよ」
コロコロと口の中をさっぱりさせてくれる清涼感を楽しんでいると、姉上が明日の分の酔い止めを渡してくれた。
……道中で一泊!?
——馬車って……そうか、馬車だもんね。
新幹線や飛行機で行くわけじゃないから……。
ということは、一泊で行ける距離の領地って——かなり首都に近い、のでは?
「夏はお母様も行けるはずだけど、まだリュートが避暑地の別荘まではいけないのよね」
残念そうに姉上が窓の外を眺めている。
「あなたは覚えてないと思うけど、あなたも避暑地まで行けるようになったのは三歳ごろなのよ」
……二年前のことくらい覚えてる!
と言いたいところだけれど、海がキラキラしていたとか、冷たい牛乳を飲んだとか、崖のようなところを走り回れて楽しかったとかの断片しか覚えていない……。
ただ、明るい青空と高地らしい草原の匂いは記憶にある。
あれは確か、姉上が母上とお花畑を見に行ったから……怒鳴られることに怯えずに、思いっきり走り回れたんだった。
……これがあの日の姉と同一人物……かぁ。
「そこはどのくらいかかるの?」
「そうね……あの時はあなたが疲れちゃうから、多めに休憩を取って、七日目の夕方に別荘に着けたんだったと思うけど」
——七日……?
移動だけで……一週間?
それはちょっと、赤ん坊には無理だろうなぁ……。
三歳でもだいぶ辛いのではないだろうか。
移動に飽きてしまったり……いや、した記憶あるな、僕に。
そして、そんな僕に姉が怒っていた……。
あの頃の姉なら、『シャーロット』と言われても納得なのだけど。
「シャーロット様、ヴィクス様。あの山を越えたら、お昼ですよ」
御者が連絡を受けたようで、馬で並走しているアニーが僕たちにも教えてくれる。
乗馬服姿のアニーは、ものすごくカッコ良かった。
乗馬が得意、というレベルを超えて馬が自分の一部かのように操っている。
「シャーロット様は覚えておいでですよね。ヴィクス様、見えますか? あの山です」
指し示す方向には……山はいくつもある。
丘のようななだらかな山から、幾つも連なったノコギリ型の山。
「あの、尖った山の裾をまわって反対側についたら、お昼ごはんです」
どれが『あの山』かはわからない、けど複数の山の間にそれらしい姿を見つける。
白っぽく霞むほど遠くにある山がひときわ尖った形をしている……あれかな。
——結構……遠い。
……山を越えたら一泊するよって言われても納得しそうな距離に見えるけど。
じゃあ今どれくらい走ったのかと、窓から身を乗り出して後ろを確認してみる。
——なんと、出発した首都は、遥か彼方。
朝食のパンケーキ程度の大きさになっていた。
……馬車、速くない?
馬車らしい揺れはもちろんある。窓の外の景色が新幹線のような速度で流れていく、なんてこともない。
馬だって、のんびりトコトコ歩いている、という感じだ。
それなのに、一時間ほどしか走っていない馬車はもうこんなに首都から離れている。
——ファンタジーだなぁ……。
思わず遠い目になってしまった。
そういえば、ここはゲームの世界だ……。
お昼にあの山の向こうまで、行けそうな気がしてきた。
この早すぎる馬車もきっと、街道に魔法がかかっているとか……そういう理由があるんだ……たぶん。
——僕は家の外のことは、ほとんど知らないのだから。




