シャーロットの不安
「私はいい子になるって決めたのよ……!」
シャーロットは唇をかみしめて、暴れてしまいたい衝動を抑える。
——私は……あの夢で私がどれだけ怖い思いをしたと……。
皇帝の妃になんて二度とならないわ!
それを「側室ならどう」ですって?!
馬車の前でヴィクスが怯えたように私の顔色を窺っている。
第一皇子、テオドール殿下が手を差し出して私を馬車に乗せるまで、笑顔を必死で保っていた。
馬車が走り出してから、ヴィクスが恐る恐る口を開く。
「……姉上」
「大丈夫よ、ヴィクス。暴れたりしなかったでしょ」
「……でも、怒って見えます」
「ヴィクスに怒ってるわけじゃないわ。テオドール殿下に怒ってるの」
ヴィクスに八つ当たりすることも、今までだったらしていたかもしれない。
でも、『いい子』はそんなことしないわ。
お父様に言いつけてやってもいいのに……とモヤモヤするお腹の中の考えと戦う。
「姉上は、テオドール殿下が嫌いですか?」
「嫌い……好きではないわ」
嫌いなだけではない、憎めないところがないわけじゃない。
でも。
「言い方ってものを考えた上であの言い方を選ぶところは嫌いだわ」
侍女にもちゃんとした態度を見せている。
教師たちにだって「賢くて立派な子」と見られている。
その上で……私が『皇妃にはなりたくない』とお父様にお願いしたことも知っていて、なお「じゃあ側室はどうか」なんて聞いてくる——本当に腹が立つ。
「私の反応を試してるところが、嫌いよ」
皇家に近づくごとに、あの夢が現実に忍び寄ってくる気がする。
とくにお城の中を歩く時は、夢に出てきた場所を見かけるたび『本当にあったこと』みたいにその時の景色が目の前に過ぎるから、怖い。
テオドール殿下は、私のそんな反応が楽しいというように、あちこち城の中を連れ回したり、自分と仲良くすると得られる特権を示したりする。
私はそんなものいらないわ。あんな夢が現実になるくらいなら。
あの悪夢のことを思い出そうとするだけで、背中を冷たい何かが這い上がってくる。
「…………」
馬車の帰り道、森の入り口に差し掛かると、ヴィクスがソワソワと周りを気にし始める。
——どうしたのかしら。
「何かあった?」
「っ……いいえ。もう暗くなり始めたと思って」
「そうね。でももうすぐ夏だから、すぐにこれくらいの時間でも外に出られるほど明るくなるわよ」
子どもらしい、不思議そうな答えに笑ってみせた。
言われてみれば、もう薄暗いけれど。
冬に比べれば随分明るくなっているわね。
夏は好きよ。真っ青な空を見るだけで心が晴れる気がするもの。
屋敷の明かりが見えてくる頃には、空には一番星が見えていた。
「シャーロット、ヴィクス、おかえり」
「お父様、お出かけなさるの?」
車止めで出迎えてくれたのは外出着姿のお父様。馬車に荷物を積む姿も見える。
「夏は領地で過ごすだろう? その前に準備が必要だから一週間ほど行ってくるよ」
「まだ寒いのに? 今から行くの?」
お父様が大好きなヴィクスは寂しそうにお父様の服を掴む。
「ヴィクスも行きたい?」
「……うん」
「そっか……じゃあ、そうだな……一日遅らせようか! 明日皇子殿下に行ってきますってご挨拶して、一緒に行こう!」
ヴィクスを抱き上げて、あっさり予定を変えようとするお父様。
ヴィクスには本当に甘いのが悔しくてつい唇を尖らせてしまう。
「……お父様、お仕事の予定はいいの?」
「少しくらいなら余裕を持たせてあるからね」
——私だって、学校が無ければついていきたいわ。
でも、いい子でいるためにはわがままなんか言っちゃいけないもの。
「……シャーロットも行きたいんじゃない?」
「そんなことないわ……ヴィクスと違って私には学校があるんだから」
拗ねた口調になってしまうのが止められない。声が揺れてしまった。
「でも、お父さんにはシャーロットに少し休憩が必要そうに見えるんだ。学校は少しくらいお休みしても構わないよ」
「……でも」
そっとヴィクスを下ろして、お父様が私の目線にしゃがんでくれる。
「ねえシャーロット。いい子になるって言ってくれたこと、お父さんはとても嬉しかったし頑張って欲しいと思ってる。でもね、シャーロットが無理に我慢して、辛い思いをしているのなら、少しくらいわがままを言ってもいいんだよ」
「だめよ。いい子はわがままなんか言わないの!」
思わず大きな声になってしまって慌てて口を押さえる。
「私、もうわがままな悪い子だと思われたくないの……」
私が少しでもわがままを言ってしまえば、あの恐ろしい夢は現実になってしまうと思えてならない。
わがままで自分のことしか考えなかった夢の中の私は……家族も何もかもを失って、炎の中にいた。
誰も助けてくれなかったし、誰も、いなかった。
「全部を我慢する必要はないってこと。自分の意見を持つのはわがままなことじゃない。それに、これからは違うんだろう?」
お父様の手が安心させるように優しく頭を撫でてくれる。
「今だって、怒ったり暴れたりせずにちゃんと話せただろう? シャーロットがちゃんといい子にできてること、お父さんとっても嬉しいんだよ。だから、これはお父さんからのご褒美だよ。一緒に行こうか?」
——いいのかしら、行きたいって、言っていいのかしら。
これがわがままじゃなくて、お父様からのご褒美なら……。
「……うん、私も行きたい」
にっこり笑ってお父様が私を抱き上げてくれる。
「よーし、じゃあ二人も準備をしないとね!」
嬉しそうなお父様の声が、抱えていた氷の塊を下ろしていいという赦しのように聞こえた。




