お願い
「僕が勝ったら、僕のいうこと聞いて?」
「……でも」
「訓練だから! それに命令じゃなくて『お願い』だもん!」
ちらりと横目で、僕と殿下のやりとりを聞いている殿下の剣術の『先生』を伺う。
「ローレンツ殿下も相手が大人ばかりでは面白くなかったでしょうからね!」
実に快活に、騎士団長様から答えが返ってくる。
殿下が遊びたいと言っていたのは、「僕と剣術の訓練がしたい」ということだった。
皇家の騎士団長様に指導を受けている殿下の相手に、最近ようやく先生に付いたばかりの僕では歯が立たないことは分かりきっているけれど。
騎士団長様のお許しが出てしまったなら、仕方がないだろう。
たまたま訓練帰りの団長様が通りかかったのが不運だったということで。
「では、危なくなったら私が止めますからね! それから殿下はアルセン令息がまだ五歳ということだけは忘れないように!」
「はい。じゃあ、始めよう」
お互いに木剣を構えて、向かい合う。
一瞬、騎士団長様の顔に『おや?』という気づきのようなものが見えた。
構えただけなのに……何か変なところがあったんだろうか。
僕は大公閣下に頂いた木剣が両手で持つタイプだったので貸してもらった木剣も両手で構えたけれど、ローレンツ殿下の剣は僕のものより小さくて軽そうな、片手剣だ。
「はい、始め!」
合図とともに殿下が踏み込んできて、咄嗟に僕は距離を取る。
さらに殿下が距離を詰めるので、鬼ごっこのように僕はひたすら逃げ回る。
「アルセン坊や、逃げてちゃ勝負に勝てませんよ」
騎士団長様がヤジを飛ばしてきたと思ったら。
「そうですよー。ほら、殿下が踏み出す方向を見るんです!」
「殿下ー! もっと読まれにくく動かなきゃ。フェイントを入れるんですよ!」
どこから見ていたのか、騎士がわらわらと現れてああだこうだと次々に口を出し始める。
汗を拭う姿からすると、訓練場からの帰り道がこの広場なのかもしれない。
「僕とヴィトリークの勝負だから黙っててよ」
拗ねたようにローレンツ殿下は騎士たちを睨んで、ニコニコしながら騎士たちは素直に口を閉じる。
「じゃあ鬼ごっこにしてみましょうか。アルセン坊やを捕まえたら殿下の勝ち、その前に一発でも殿下に攻撃が当たったら坊やの勝ちです」
団長がルールを変えてしまったのはまぁいいとしても。
——殿下に攻撃とかできるわけが……!
狙うとしたら殿下の木剣くらい?!
逃げ回る間に木剣同士をぶつけてしまおうと思ったけれど、右手に剣を持った殿下は左手で僕を捕まえようと手を伸ばす。
両手での構えしか習っていない僕は構えようとすると動きが止まってしまう。
「ほらほら坊や、足が止まってますよ!」
「殿下、そこを狙うんですよ!」
黙ってて、と言われたのではなかったかなぁ……。
「わ、わっ!」
構えようとしたところに殿下の手が伸びてきて、慌ててその腕の下を潜った、その時。
「はい! そこまで! 残念ながら殿下の負けですね」
構えを崩した木剣が殿下の脇腹に触れた。
殿下は特に痛みもなかったようで、驚いた顔から、悔しそうな膨れっ面になる。
「……当たってない」
「だめです。俺たちがちゃんと見ました」
「服が触っただけ、僕には触ってないよ! 痛くなかったんだから!」
「それでも、です」
不服そうな殿下の目に涙が溜まり、膨らんだ頬がりんごのように染まっていく。
「当たってない……!」
姉が暴れ出す前兆のような空気に、思わず身構えてしまった瞬間、殿下が僕に抱きついてきた。
「捕まえたから僕の勝ち! お願い、きいて!」
固まってしまった僕を抱きしめたまま、殿下はぐすぐすと泣き出してしまった。
「あーあ、泣かしたー。団長のせいですよー?」
「そうだそうだー、殿下を泣かしたー」
「アルセン坊や困ってるじゃないですかあー」
「……う、うるせぇな! お前らみんな外20周走ってこい!」
「……僕の勝ちだから、お願い……きいて」
哀願する殿下の声に、そっと殿下の背中に手を添えて何をしたらいいかを尋ねる。
「殿下じゃなくて、ローレンツって呼んで」
「ろ、ローレンツ殿下?」
「殿下って呼んじゃだめ」
「ロー……レン……ツ……」
良いのかなぁ……でも『お願い』だからなぁ。
「……えへ」
ぎゅっと抱きしめる力が強くなって、涙声のまま殿下が笑ったのを感じる。
「戻しちゃだめだよ」
少しだけ腕の力が緩んで、見上げると泣き笑いの……ローレンツと目が合った。
「では、迎えの馬車が来る頃です。アルセン令息は我々がお送りしますから、殿下はお部屋に戻って目を冷やしてもらってください」
騎士団長様がローレンツを促し、ローレンツも頷いて僕に数歩歩み寄った。
「また明日ね、ヴィトリーク」
「はい。また明日、ローレンツ」
右手を組んで約束を交わし、ローレンツは手を振った。
殿……ローレンツと別れて少し歩いてから、団長がそっと僕に話しかけてくれた。
「殿下が、あんなに子どもらしくいるところを、初めて目にしました。なんと言っていいかわかりませんが……ありがとうございます」
さっきヤジを飛ばしていたのと同じ人物なんだろうか、と思うほどの静かな声だった。
「第二皇子殿下は……皇位を継ぐことはない。ですがいずれ我々騎士団を実質的に率いる立場になるはずの方です。我々としては、それを望んでいる、とも言いますが」
——待て待て待て、なんか子どもにする話じゃないこと言い出した!
「アルセン令息の師匠は、ノクスラーゼ大公閣下ですね? もしもその時、殿下と仲違いしていなかったら、殿下をよろしくお願いします」
剣の師匠のことまでバレてるのは、何で?!
もしかしてあの『おや?』ってそういうことだったの?
目を白黒させる僕にハッとした様子で団長様が言葉を切った。
「…………なーーんて、ちょっと難しいですよね! 忘れてくださって大丈夫ですよ」
パッと笑みを浮かべ、困ったように団長様は頭を掻いた。
忘れて、って僕はびっくりしてまだ耳元で心臓が暴れているのに、無理がある。
一瞬で柔らかくなった空気に安堵したものの、僕にはまだ言っておかないといけないことが残っている。
「……あの、僕の剣の先生のこと、誰にも話しちゃダメって……」
「アルセン坊や、剣士というのは構えにクセがあるんですよ。同じ型に見えても個人それぞれにね。アルセン令息の構えは、ノクスラーゼ大公閣下にそっくりでしたよ」
筋が良さそうだ、と付け加えて団長様は僕に「秘密は守ります」とウインクと共に約束してくれる。
「陛下にだって喋りませんよ」
その軽い仕草とは対照的に、言葉は至極まじめなトーンだった。
「さ、お気をつけてお帰りくださ……」
不自然なところで切れた言葉に団長様を見上げると、視線は馬車の方へ向かっている。
その顔は呆れとも諦めとも言えない微妙な表情で。
「第一皇子殿下、どうされたのですか?」
馬車の前にはなんだか不機嫌な姉上と、楽しそうではあるものの平謝りしている第一皇子殿下。
「なんでもないよ。シャーロットに失礼なことを言っちゃってね」
「……テオドール殿下」
これはもう完全に呆れた声だ。第一皇子殿下はよくこういうことをやるのだと、すぐにわかるほどの。
「あまり人を揶揄うようなことをしてはいけませんと、何度も申し上げていますが?」
「シャーロットは、僕の婚約者になるのは嫌みたいだから、側室はどうかなって聞いただけだよ」
爆弾発言にも程がある……!
いや、殿下……冗談……だよね?
姉上は今にも殴りかか……いや、意外なほどに、冷静な顔をしている。ものすごい不機嫌顔ではあるが。
「何を言い出すかと思えば」という冷めた不機嫌さだ。
僕が馬車に乗るのを待ちながら、姉は第一皇子殿下を一瞥して、静かに目を伏せる。
——火がついたら烈火の如く暴れ狂う、それが姉というものだと思っていた僕は、その姉の冷たい顔に喉を締め付けられるような恐怖を覚えた。
カクヨムさんの『MFブックス異世界小説コンテスト』応募のため
しばらく更新お休みになります。
更新再開はコンテスト最終候補発表の9月ごろです。




