チキングリル
僕が皇子殿下の遊び相手を引き受けた、と知った時の姉上の顔は……凄まじかった。
「あなたが行くっていうなら私も行くわよ! わたし『お姉ちゃん』なんだから!」
あれだけ嫌だ嫌だと騒いだというのに。
『ものすごく不服である』『本当に嫌だけど』顔にありありと書いてあるのに。
「姉上が嫌なら……僕だけでもいいよ」
こちらとしては『うっかり釣られてしまった引け目』もある。
けれど姉上は拳を握って反論してきた。
「あなた一人で行かせられるわけないじゃない!」
——正直、死にかけた馬車の事故は『皇城へ上がった帰り道』なので一人で行き帰りする事になるのは怖かった。
もしかして、姉もそれを心配してくれているのだろうか?
……いや、姉は事故のことは知らないはずだ……その可能性はない。
でも……もしまた事故が起きたら……父上は今度こそ長男と……そして溺愛している長女まで危険になるのでは……?
「殿下たちはもう学校に通っているからね、シャーロットは学校から直接お城に行けば良いし、ヴィクスにはお城から迎えが来るよ」
一人で行くわけではないと、父上が教えてくれる。
「ヴィクスも学校に通うようになれば、みんなでお城に行けば良いからね」
それは……特別待遇をさせた……わけではないのだろうか?
普通たかが遊び相手に『城から迎えが来る』なんてあるか?
考えないでおこう。
僕は何も知らない、無垢な子どもです!
今日の分のランニングは午前中に、と言われていた理由はそこからだった。
「じゃあ、今日からヴィクスには大公の迎えが来るから、遅れないように準備しておくんだよ」
「エッ」
「お父さん約束しただろう? 剣術の稽古を頼んであげるって」
まだ、教えてもらう予定だという先生にも会っていないのに?
確かに『遊び相手決定』の騒動の後「来週から剣術の稽古を始めようね」とは、言われたけど!!
普通『普段習う先生との顔合わせ』とか『自己紹介』が先にあるものでは?
「基礎からしっかり閣下が教えてくれるからね」
『そのうち機会を作って特別に指導してもらう』とかではなく?
僕の『先生』に『大公閣下を付ける』って意味だった!?
「あの子は生真面目だから、厳しくなると思うけど。辛かったらお父さんに言うんだよ!」
今日のお昼はチキングリルなのに……!
昨日から楽しみにしてたのに!
緊張して食べられる気がしない……!
「……よ……ろしくお願いします」
「ああ」
馬車を降りた瞬間に呼吸が止まるかと思った。
まさかの『大公閣下直々のお出迎え』である。
なんとか声を絞り出して挨拶だけはできたけど、相変わらず大公の低い声は威圧感がすごい。
「傷は……どうだ」
……そういえば、僕を助けてくれたのは閣下だから、隠さなくて良いのか。
「まだ、うまく動かせない時もあります。でももう走れるようにはなりました」
「そうか」
——会話が短くて息が詰まる!!
運動着に着替えてから来た僕を確認すると、大公はとりあえず庭園の周りを三周、と言いつける。
…………家でも三周は走ってきたのに!
でもこれ以上閣下と楽しく会話できる気がしない!
ランニング! 最高! 何周でも走れます!
軸がブレないように、左右バランスよく……。
アニーたちのようにいっしょに走ってくれる訳ではない大公に感謝しつつ、二周目に入ろうとしたら。
「そこまででいい」
大公閣下がストップをかけて、しげしげと僕を眺める。
「足は問題なさそうだな。次、木剣を持ったことはあるか」
「……いいえ」
「そうか」
閣下が組んでいた腕を開くと、片手に木剣があった。
「一番軽いものを持ってきた。振ってみろ」
「……わ、かりました」
振るどころか持ったこともないって言ったはずなのに!
両手で持つの? 片手でいいの?
……あっ、無理! 重くて片手では持てない!
両手でもちょっとぷるぷるしてる!
そもそも持ち手? 持つところが太すぎてものすごく手が痛い!
「腕……上半身だな」
持ってはみたものの、真っ直ぐに木剣を持つこともできない僕の姿に、閣下は小さくつぶやいて頷いた。
……何が見えたと言うんだ。
「振れるか?」
……だから、持ったのも初めてなんですけど!?
剣先がグラグラする状態で、とりあえず頭の上まで持ち上げて、振り下ろす。
あっ……あぶなかった……剣すっぽ抜けるかと思った!!
そんなことしたら『素質ない』とか言われるかもしれなかった!
なんとか地面に叩きつける前に止められたものの、もう一度持ち上げようとしたら閣下が木剣を取り上げる。
「重すぎるな」
どうしたものか、と考え込んでしまった様子の閣下に後ろから執事さんが近づいてきて、古びた木剣を差し出した。
「閣下、それは大人用ですから。こちら、覚えておいでではないですか?」
…………閣下! 完全に『あっ!』って顔したよ今!!!
今気がつきました!って顔して手にした木剣と僕の体格を見比べたよ!
「すまなかった……私の確認不足だ。子ども用の木剣はこれしかない。私が使っていたものだから、すぐに君の物を用意させる。今日はこれを使ってくれ」
閣下は申し訳なさそうに眉を少し下げて、僕に古びた木剣を差し出してくれる。
ちゃんと……謝ってくれるんだ。
しかも、しゃがんで目線を合わせてくれた。
——かっこいい大人、だ!!
声は低いし、顔は怖いし、高位貴族どころか皇家の人だし、父上からは『生真面目で厳しい』って聞いていたのに。
——雲の上の人が、実は同じ世界の人だった感じがしてくる。
手にした木剣は、持ち手が削れていて、ずいぶん使い古されているのがわかる。
けれど僕の手にもしっかり馴染んで持ちやすかった。
——これが、大公閣下と僕が初めてちゃんと会話できた日だった。
次回更新は6/4 6:00です




