第一皇子テオドール
僕の腕を取って歩くシャーロットは、弟が気になるのか何度も庭園の方へ視線を向け、足が止まりがちだ。
弟のローレンツは滅多なことでは怒ったりしない。そう教えてあげてもいいけれど、それよりも自分より弟が『失礼なことをしないか』と心配しているシャーロットが面白くてそれを眺めていたかった。
「弟とは仲がいいみたいだね」
「そう見えるのなら嬉しいことですわ。弟に親身になってこなかったことを後悔して、今からでも取り戻そうと思っているところですの」
「仲が悪そうには見えなかったよ。彼も君のことを気にしていたし」
パッと嬉しそうな顔になってから、シャーロットは後ろめたいことでもあるように少し眉を下げる。
「不安だったのではないかしら……あの子の歳でお城に呼んでいただけるなんて滅多にあることではないから。……一般的な作法の方は心配していませんわ」
——なるほど『皇家用の作法』はまだだけど、ということみたいだね。
一般の貴族同士の作法と、皇家に面会する際の作法は違う。
じゃあシャーロット本人の方はどうなのかな?
「バラ園はね、皇后陛下が管理しているんだ。気に入った花があったら皇后陛下に頼んで切ってもらおう」
「そうですね、どれも大切にされているのがわかります。ここで咲くのが一番綺麗ですわ」
(切ってもらう必要はない……か)
迂遠な言い回し、というわけではないけどちゃんと『言い回し』は考えられている。
(弟を心配するだけのことはある、ってことかぁ)
「そうだね! 僕もそう思うかな」
厚かましく「皇子からのプレゼントにして欲しい」と強請ってきた子もいたのにね。
『皇后陛下のバラ園』の花は『皇家からの贈り物』だ。シャーロットはこの庭園の花をプレゼントにすることが何になるか知っている。
二つ年下のはずだけれど、シャーロットは『長く社交界を経験した令嬢』みたいな雰囲気をしていた。
「アルセン令嬢は、魔法も得意だよね。学校に入る前にもう魔法を使えるようになったって聞いたよ」
「私のことを知っていただけていたなんて、光栄ですわ。殿下も魔法陣研究で素晴らしい成績を取っておいでだというのに」
「僕は『魔法ってどんなものか』を知るのが楽しいだけだよ。そういう実験をするのが面白いんだ」
「探究心は全ての学問の基礎ですわ。素晴らしいことです」
でも、とシャーロットの笑みが少し意地悪そうになってこちらを向く。
「机を爆発させてしまったのは、危険ですから次からは気をつけてくださいませね?」
この前魔法陣を作ってみようとしてうっかり机に下書きを写してしまったら、魔法が発動して爆発させてしまったことを言っているのだろう。
僕のことも、そういう話が入ってくる程度には知っていると。
「アレはちょっと不注意だったね。先生にも二時間ばかり叱られたよ。でも、そのおかげで『不完全な魔法陣でも不完全なまま発動してしまうことがある』というのはわかったかな」
失敗談を知られているというのは恥ずかしいけれど、こうして話題になるのなら我慢できる。
「あらあら、本当に勉強熱心でいらっしゃるのね。殿下に怪我がなくて何よりでしたわ」
無邪気そうに笑いながら、シャーロットが視線を庭園のバラに戻す。
その視線は、バラを見ているというよりも、僕から視線を外した、という感じだ。
上品でそつのない受け答えや仕草と、『無邪気そうな表情』がどこかズレて見える。
まるで「幼く振る舞おうとしている」ようだ。
「……もしかして、シャーロットは僕の遊び相手になるの、嫌?」
シャーロットが驚いた顔で軽く瞬きをする。仮面のように取り澄ました無邪気な笑顔に戻るまで、ほんの一呼吸。
「選ぶのは殿下ですわ。わたくしは候補にすぎません。呼んでいただけただけで十分すぎるほど光栄ですのよ」
喜んで見せているけれど、「選ばれた者である」という自負は見えてこない。
……興味深いなぁ。
自分をよく見せようとする子どもは何人も見てきた。
シャーロットは逆に『距離を置くために礼儀正しくしている』感じがする。
「無邪気なフリ」や「弁えた態度」が『興味を持つな』と牽制されているようだ。
……みんな僕に近づきたいのに、彼女はそうじゃないんだ。どうしてかな?
片方で『側室の子』とバカにしながら、もう片方で『継承者の証を持つ子』とすり寄る。
『証を持たない皇后の子』であるローレンツは「いないもの」として扱う貴族の方がまだ正直だ。
礼儀正しく接しながらも「僕に取り入るつもりはない」シャーロットは『僕をバカにしている』のか『権力に興味がない』のか。
『興味がない』のなら、いつまで続けられるか。
——側において、観察するのもいいな。
「そう。……じゃあもう少し先まで行ったら東屋でお茶にしようか」
後ろに控える侍女に、ローレンツたちもタイミングを見て呼ぶよう指示する。それからまた豊かな香りの中を、彼女の横顔を眺めながらすすむ。
相変わらず微笑んでいるけど、やはり時折庭園の方へ視線が動く。
蔓薔薇のアーチまで辿り着いて、その先の東屋に弟たちの姿を見つけた瞬間、彼女は本当の笑みを見せた。
ああよかった、と。
年相応の幼気な顔は、残念ながらこちらに向くときにはもう『無邪気な仮面』の下だったけれど。
……いいな。この子ともっと遊びたい。
初めて感じた『恋心』を自覚するには、僕はまだ少し幼かった。
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