5話 現実
数年後、私は軍事訓練校を――首席で卒業した。歳は十六の頃だった。
軍事訓練校卒業記念に撮られた写真には同期の成績優秀者が集められ、その中心には学長の横で笑顔を貼り付けて笑う私の姿があった。
その周囲には笑顔で私の脇腹を肘で小突く者から不満げに私を睨みつける者、涙を流して崩れ落ちた者から戦う決意を感じさせる者など、各々が違った反応を見せていた。
私は訓練校での研鑽の日々の結果として首席の成績を納めた。
それでも訓練校のカリキュラムの中で、特筆して自分のことを優秀だと感じることはついぞなかったし、学ぶべきことを粛々と吸収する日々を送っただけだと記憶している。
今日この日、学び培うだけの時間は終わった。
これからは実践し実行していかねばならない。
庇護されるだけの立場は終わり、勝ち取って、生き抜かねばならない時がやってきた。
私は自分自身、訓練校での研鑽で力をつけ、成長したという自信があった。
だからこの力でお姉さんを守るために行動できると確信している。
待っていてくれ――――――私の雫お姉さん。
軍事訓練学校を卒業してまもなくのこと。
私は少尉として機甲大隊に配属されることが決まっていた。
天津軍の中で機甲大隊に所属するということは、天津の主戦力兵器である人型二足歩行戦車――カラーギアに搭乗して、最前線で敵と戦うことを意味する。
私はお姉さんを守るという目標に一歩近づけた気がして舞い上がっていた。
だからすぐにでも、この喜ばしい事実をお姉さんに報告しようとする。
そんな私がお姉さんの現状を知るのは、すでに彼女が軍隊に徴兵された後のことだった。
呼吸の仕方を忘れるほどの衝撃、訓練校に缶詰の自分にはどうすることもできない。
いや、仮に訓練校の外にいたとして、金も権力も持たない私にできることはなかった。
軍隊に所属するということは、お姉さんの命が危険に曝されるということ。
幸いお姉さんが配属されたという補給部隊は実際に武器を持って戦う部隊ではない。
お姉さんの医療の心得が考慮されたとすれば、配属先が医療部隊でないのは少々不可解ではあるが、補給部隊は負傷者の後送も担うため想像に難くはない。
しかしお姉さんは勇敢な人だ。
その生き様が、その存在が、人を助ける――いや、人を包み込む形をしている。
例えそれが誰であっても、銃弾の飛び交う戦場の最中にあっても、自分の背負うリスクを承知の上で助けに行くはずだ。
お姉さんは常に安全な場所にいてほしい――そんな私の願いは叶わない。
だからせめてお守りにと、お姉さんにペンダントを送った。
天津の軍人になって初めての給料で買った、大事な人へのプレゼントだ。
私はお姉さんを守ると誓った。
ゆえにお姉さんの居場所をいついかなる時も知っておかねばならない。
このペンダントには発信器が内蔵され、常にその位置情報を発信する。
この時は、これがお姉さんを守るために私ができる最善の方法だと思えた。
しかし、それでもこの時の私の中には言葉に出来ない不安が渦巻いていた。
それが蠢いて形を得ようとしたところで、私は思考を打ち切って鍛錬に逃避した。
怖かった、考えたくなかったのだ。
お姉さんが死んでしまうことなんて。
初出撃までの訓練期間、機甲大隊で知らされた日本の現状は――絶望的すぎた。
日本人の力だけでは日本列島の均衡を支えきれず、大国の力に頼り切った状態。
巨大軍事同盟中華ロシアの助力で成り立っている北海道の『天津』。
カラー先進国オーストラリアの助力で成り立っている九州の『大和』。
そして唯一、大国を含めたその他の勢力の助力なしに本州の大部分を支配しているのが、機械と融合して人間の枠を超えた『大阪』だというのだから笑えない。
『大阪』は『天津』と『大和』両政府に宣戦を布告して、本州の7割以上を占領する。
さらには世界大阪化宣言を布告し、旧日本領内のみならず世界中に喧嘩を売った。
そして『大阪』はその宣言通りに、圧倒的な武力と技術で朝鮮半島およびハワイ諸島への電撃作戦による占領を成功させる。
これは世界中の人々に、『大阪』に対する危機感を抱かせるには十分すぎる戦果だった。
中華ロシアから『天津』の上層部に『大阪』の殲滅を急かす圧力がかけられている、という話は天津軍の兵士たちの間では有名な噂話である。
これは朝鮮半島を占拠した『大阪』が、そのまま北上して中華ロシア領に侵攻するのを防ぐためであり、同じ民族のケツは自分たちで拭けという意味が込められていた。
CEMの侵攻が激しい西アジアと欧州からの脅威を考えれば、中華ロシアが『大阪』の相手などしていられない状況なのは間違いない。
この現状はおそらく本州侵攻を急ぐ『大和』も同じで、アジアの小国を束ねるオーストラリアがCEMの対応に手一杯なために、侵攻の圧力をかけられていると推測できる。
だから『天津』所属の私が最優先すべきは――『大阪』の排除と殲滅のはずだ。
そのために今日まで『大阪』と戦うことを想定して訓練し、生きてきたはずなのに。
『大阪』を倒せば日本を守ることができて、お姉さんを守れるはずだったのに。
なあ、私――――今の私。
お前は一体、何と戦っている?
私の現状――カラーギアを駆って大阪と戦い、CPからの指示を無視して命令違反を犯し、半端な修復率の機体状況のまま救難信号の元へと全速力で向かっている。
通信の内容から相手は大阪ではない――隕石から現れた未知の生命体――CEMだ。
第31補給部隊は対大阪の作戦行動中にCEMの奇襲を受けたと推測される。
「考えれば考えるほどに最悪の状況だ。お姉さんを失えば、私は、私は……」
救難信号の発信地点に近づくごとに、私の中で自分を作り上げてきたものがボロボロと崩れ落ちていくのがわかった。
ああ――そうか。
雫お姉さんが軍隊に徴兵されたことを知ったときに体を駆け巡った不安、その正体。
もしかすると私は、漠然とだがこの未来を予想していたのかもしれない。
しかし私はそれを直視しなかった。
こんなことは起こるはずがない、あってはならないと。
だが案の定、あのときの漠然とした不安は最悪の形で現実となった。
「……お姉さんが戦場にいる可能性は? ペンダントの位置情報は受信できたか?」
不安に耐えかねた私はAIに尋ねる。
《回答――検討材料の不足。ペンダントの位置情報は電波状況の悪化により取得は困難》
僅かな希望を抱く私へと、AIは想像通りの返答を返してきた。
そうだよな……わからない。お姉さんが生きているのかも、死んでいるのかも、そもそも巻き込まれてすらいない可能性だってある。
「引き返すなら今だ。ここから先に進めば戻るのは困難。だが、それでも――」
私の思い過ごしならばそれでいい。
だがもし、お姉さんの命が危機に瀕しているならば、私は駆けつけなくてはならない。
命令違反? 軍法会議? 死刑?
――知ったことか。
私は今までなんのために勉学に励み、誰のために訓練を続けてきた?
それは雫お姉さんのことが好きだから、彼女が私の全てだから助ける。
私はお姉さんを助けるために強くなった、そうだろう?
自分の愛と覚悟の原点を再確認した私は、カラーギアの速度をさらに上げた。