わかりあえないから
この世界はそんなに嫌なものじゃない、
それはあなたの性格が悪いからだ、
自分の経験だけでものを語っちゃいけないよ、
だって俺は今とっても幸せだもの
それは、あなたは運が良かっただけだ、
あなたは悩める人に乱暴な人間だ、
自分の経験だけでものを語っちゃいけないよ、と、
そっくりそのまま返されるだけだ
大事なのは“社会の中でどう扱われているか”
“社会の中でどのように扱われるべきなのか”
運の要素や個人の主観は関係ない
俺も別に不幸なわけではないのだから
でもたぶんこれでは通じない
主観的真実は客観的事実を凌駕する
幸せなのもある意味不幸せだ
それは“止まってしまう”ことだから
ただ“俺たちはわかり合えない”
少なくともそのつもりでいた方がいい
確かにいつかその日は来るかもしれない
でもそう前提するのは、危険だ
確かに正義や愛は最後には勝つのかもしれない
でも闘っている人みんなが生き残っているかどうかは別なんだ
そこにある一つのアプリ
その前には会員制サイトがあり
その前には出会い系サイト
パソコン通信以前は雑誌の文通欄
今、俺たちが幸せになれているのは
前の人たちがたくさん苦労した結果
いろいろな人たちがいろいろに頑張って
そして俺たちは今ここにいる
でもたぶんこれでは通じない
主観的真実は客観的事実を凌駕する
不幸な人々の絶望によって今がある
だからって“知らない”から現実味がない
でも、別にそれはそれでいいじゃない
彼らだってきっと一枚岩だったわけじゃないはず
いろいろな人たちがいろいろに頑張った
ならば今の俺たちも“いろいろ”だから
そう“人間はわかり合えない”
少なくともそのつもりでいた方がいい
その違いたちが何だかんだ“次”を生む
そしたら、いつか僕らは、
世界の中心に辿り着くかもしれない
わかり合おう、なんて思っちゃ駄目なんだ
それは“止まってしまう”ことだから