ジャズはなぜ廃れたのか
イギリス代表の敗退を見届けた老執事は、主である黒い安息日と共に帰路へ着いた。阪神電車に乗り三宮駅へ、そこでポートライナーに乗り換え神戸空港へ。他に帰る手段はいくらでもあるが、主に飛行機が見たいと駄々をこねられたので、社会見学も兼ねて鉄道でここまで足を運んだのだ。
あらかじめ送迎のリムジンを空港に呼んでいる。
主が飛び立つジェット機を見飽きた頃には到着するだろう。
月が浮かんでいる。
飛行機が飛び立つ。
黒い安息日がはしゃいでいる。
彼女は Fly Me To The Moon を口ずさんだ。
音痴、そして安直な選曲に老紳士は噴き出しそうだった。
リムジンに乗り込むと主は豪快に寝息を立てて眠った。
運転手は老執事に気を聞かせてBGMをジャズに変える。
もう主の好きな「ずんだパーリナイ」を聞かなくて済む、
それだけで十分だったが運転手の好意も無下にできない。
BILL EVANS TRIO / Someday My Prince Will Come
(ビル・エヴァンス : いつか王子様が)
良い曲ですよね、と運転手が言う。
良い選曲ですと、老執事が答える。
本心では、そう思っていない。
ビル・エヴァンスなら Blue In Green にしてくれ、
同じアルバムに入っているのだから。
しかし口にはしない。
ジャズを聞く人間の悪い癖を理解しているから。
知識をひけらかしてマウントを取り、
音楽の教養がない者に講釈を垂れる。
なんて醜い……若き日の自分。
しかし多くのジャズフアンがそうだった。
テンションコードが理解できない人を見下し
ジャストタイムでリズムを取るものを見下し
そして誰もいなくなった。
高度に発展した文化は形骸化し崩壊するのだ。
それは剪定しない薔薇のように。
後は思い出として流されていく。
リムジンは神戸大橋を抜けハーバーハイウェイへ。
神戸湾岸の夜景が流されていく。
ビル・エヴァンスが終わり、次の曲へ。
酒とバラの日々が流されていく。
Wes Montgomery / Days of Wine and Roses
(ウェス・モンゴメリー:酒とバラの日々)
老執事は呟いた。
次の試合は敗れるだろう……
インド代表・スジャータ……
あれは……
……本物の貴族だ、そういう目をしている。
◇◇◇
審査員は目を覚ました。
深夜であっても敵の強襲には飛び起きるよう訓練されているからだ。敵?
ここは日本、敵などいない。いるとすれば人気ラーメン店の行列くらいだ。あいつら開店前から並びやがって……、たまにはスッと店に入らせろ!聞いてるのか、一蘭!歴史を刻め!来来亭!まじで許さんぞ!
寝起きで錯乱しているのか思考が変な方向に飛んでいる審査員、しかしベランダや玄関の気配は本物。窓を避け壁に添い外の様子を見る。1、2、3……、敵は七名、よく訓練された動きを見せる。庭に仕掛けたトラップを避けてアンブッシュ (待ち伏せ) か?
バン。
そのとき部屋のドアが開いた。審査員は庭にトラップを仕掛ける器用さはあっても、ドアのカギは締め忘れていたらしい。数名の人民解放军海军陆战队 (特殊部隊) が部屋になだれ込んできた。取り押さえられた審査員を見下すように、扇子を手にした旗袍 (チャイナドレス) の貴族令嬢・诗涵 (シーハン) が姿を現わした。
「您好、朋友! 福建省の寺巡りツアーへ招待するね」
◇◇◇
「……と、いう訳で次の試合は一か月後じゃ」
「「 ま た か よ !」」
会場にいた貴族令嬢全員が一斉に声をあげた。客席、出場者、その従者、全員が心をひとつにした瞬間だった。主催者の老人、六甲 小呂士 (ろっこう おろし) も申し訳なさそうにしている。ちなみに今回は黒い安息日の老執事も関与していない。純粋に中国代表の意趣返しである。
それはそうと次の試合の段取りは済ませておこう、そう思った主催者に黒い安息日が手を上げて声をかける。
「はいはーい、提案がございましてよ!」
「むむ、なんじゃ?」
「次の試合から客席のみんなも試食してほしいですわ!」
うおおおおおおおおおおおおおおおお!客席から怒涛の歓声、余りの音量に地下闘技場の存在がバレそうになったが、ちょうどそのとき甲子園球場では阪神大山がレフトへ第9号スリーランホームランを放ったところだったので、更なる歓声にかき消されたのだった。
「き・ぞ・く!き・ぞ・く!」
「き・ぞ・く!き・ぞ・く!」
「もう働かずに済みますわ!」
「いやそれは関係ないやろ!」
湧き上がる歓声、満足げにうなずく黒い安息日。
心配する主催者・六甲 小呂士 (ろっこう おろし)
「しかしのう……本当に作れるのかのう……」
「出来らぁ!ですわ!」
「一人で作るんじゃぞ?」
「え! 一人でこの人数分を?」
これは流石に冗談、もちろん使用人はフル活用しても良い。特別に巨大な調理器具も運営が用意してくれるらしい。なんなら食材の手配や人材の貸し出しも。盛り上がりまくる観客席。しかし出場する貴族令嬢はそれぞれの表情を見せた。
喜色満面の黒い安息日、ウケてるのが嬉しいらしい。
顔面蒼白のマルガレーテ、そんな人数分作れるかしら。
冷静沈着のマリア、全ては神の御心のままに。
そしてインド代表・スジャータは、静かに手を合わせた。
「これもまた、ひとつの योग (ヨーガ) 」
黒い安息日はスジャータの瞳が気に入っていた。なんだかわからないが仲良くなれそうだ。そしてスジャータも黒い安息日が気に入っていた。彼女は裏表がない、いわゆるバk……いやいや、純粋な人だわ。
彼女たちはジャンケンをした。先攻は黒い安息日。しかしインド代表との試合で、作る料理など決まっている。もはや勝敗など二の次だ。二人は示し合わしたかのように声をあげた。
「「 カ レ ー を 作 り ま す わ よ !」」
【三回戦 トーナメント表】
日本代表───────
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インド代表──────
ドイツ代表──────
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ローマ代表──────