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二回戦 中国と人類史、文明の光と闇 後編


アツアツのお湯にご飯を入れてもお粥にはならない。それはぶっかけご飯、あるいはネコまんまと呼ばれる別の存在である。


その是非はともかく、正しくお粥を作るなら、水にご飯を加え加熱する。ときおり混ぜないと鍋底にお米がくっつくので注意。混ぜすぎてお米をつぶすのもご法度。そこだけ注意すれば美味しいお粥がつくれるはずだ。


しかし中国代表の貴族令嬢・诗涵 (シーハン) が用意した广式滑鸡粥 (鶏肉の入ったおかゆ)は別次元の料理、中華おかゆの作り方は真逆である。


浸水した米、それも長粒種をざるに上げ、沸騰した鍋に入れて煮込む。鍋の湯も鶏でだしを取った黄金色のスープ。わずかに塩を加え暫し待つ。その間に鍋またはフライパンでゴマ油を熱して生姜とあえる。そして別途用意した蒸し鶏を一口大に切ってお粥に投入。


あとは器に移し、皮蛋 (ピータン) と生姜 (+ゴマ油) を添えたら完成。あまり具だくさんのお粥は美しくない。食事と貴族は優雅であるべきだ。



◇◇◇



審査員たちは甘く見ていた。お粥など邪道、炊き立てのふんわりした日本米に敵うはずがない、そう信じてきた。しかしどうだ、これを口にして同じことが言えるのか?そもそも日本米、短粒種の米を食べているのは日本と韓国くらいなもの、世界で生産する米の80%、輸出量だと90%が長粒種なのだ。


レンゲを口に運べばゴマと生姜の香りが漂い、口に入れると舌の上で長粒種の米がシャラリと踊る。噛み締めるとほとばしる鶏の出汁、時折まざる淡泊な蒸し鶏の身が追い打ちをかける。うまい。うまい。本当にうまい。


審査員の一人は癖の強い食材が苦手だった。特に皮蛋 (ピータン) と榨菜 (ザーサイ) を好まない。しかし中華おかゆの具材としてはどうだ、最高じゃないか。ナポリタンで言う所のソーセージのような、うどんでいう所の天かすのような、ドラえもんでいう所のスネ夫のような存在じゃないか。脇役の癖は強い方が、主役の引き立ててくれるのだ。でも悪いなのび太、このお粥は3人前なんだ。



◇◇◇



「結果発表します、勝者、日本代表・黒い安息日」



審査員が勝敗を告げる。喜ぶ黒い安息日、どよめく観客席、そして中国代表貴族令嬢・诗涵 (シーハン) は当然納得がいかない。頭に来た彼女の功夫が炸裂、審査員に崩拳 (打開) を加えると背後にまわって鷂子穿林、続けて双掌の三連打、これぞ崩撃雲身双虎掌 (レイジョウスペシャル) 。どうやら八極拳も使えるらしい。



「10年早いあるね! 納得いかないね!」



「うぐ……しかし判定は……覆りません……」



诗涵 (シーハン) は日本代表・黒い安息日の老獪な執事による買収を疑った。一回戦の第一試合では確かにそのような兆候があった。しかしこの戦いは初めから警戒していたので諜報員を置いて監視していたはずだ。しかも審査員たちは四か月間音信不通だった。これはいったいどういうことだ。



「どうして私の負けあるか!」



「それは……人生で一番……感動したからです……」



「はあ? あのお粗末な料理が? なぜ!」



「それは……それは……」



驚いたことに、審査員たち全員が大粒の涙を流し泣きだした。それは感動の涙というより、辛さと後悔、怒りと悲しみの涙だった。彼らに何があったのか、時は四か月前にさかのぼる……。



◇◇◇



四か月前、フランス代表から送られた航空チケットを手に、ルンルン気分でチャーター便に乗りパリへ向かう審査員たち。それが地獄行きの切符だと知ったのは、パリ国際空港で彼らを出迎えた屈強な男たちに囲まれた瞬間だった。


フランスツアーのバカンスに選ばれた場所はピレネー山脈。フランス外人部隊の訓練所としても有名なこの地で、審査員たちは厳しい軍事訓練を受けることになったのだ。


一回戦第一試合の審査員買収をアントワネットにリークした者がいたらしい。このフランス旅行は、怒りに震える彼女からの返礼だった。アントワネットに騙されたと気付いた審査員もまた、自らの買収がバレたのだと気付かされたのだった。


四か月。それは地獄の日々だった。フランス政府が正規軍を送りたくないような危険地域に問答無用で送るための特殊部隊、それがフランス外人部隊である。いわば公式の傭兵であるが、世界中の腕自慢が名声とフランス国籍を得るため入隊する。その訓練期間が四か月なのだ。訓練とはいえあまりに過酷で死者や脱走者が後を絶たない。ゆえに訓練が開始すると電話等連絡手段は取り上げられる。


四か月。ピレネー山脈は険しく逃げられない。そこで山岳訓練を終え、次は重装備を担いで1日40㎞の行軍。それが3日続いた。同時期に入隊した腕自慢が次々と脱落していく。かつて第二次世界大戦後の元ドイツ軍人や元ナチス親衛隊も入隊し、生活のため恥辱に耐えて戦ったフランス外人部隊。その過酷な訓練は続く。



これは余談だが、1863年、メキシコ軍850名がフランス外人部隊64名と接敵、メキシコ軍が降伏勧告を出すも


Váyase a la mierda, usted, sus mexicanos y su coronel

(地獄に堕ちろ、メキシコ人、大佐もだ!)


と返答し応戦、そして全滅した。しかしメキシコ軍も甚大な被害を出し、総司令官ミラン大佐は彼らをこう評している。



「こいつらは人間ではない、鬼だ」



注釈)

日本語のwikiではメキシコ軍2000名と記されている



◇◇◇



四か月後、審査員たちは解放された

慣れない食事

通じない言語

厳しい訓練

後悔の日々


帰ってきた日本で最初に口にしたのは

手作りのおにぎり

温かい味噌汁

甘いたくわん

やや焦げた塩さば


間抜けな笑顔の日本人令嬢が

似合わない割烹着でそれを提供する

帰ってきたんだ

帰ってこれたんだ

故郷に


この瞬間を俺は生涯忘れない


貴族?

大会?


知ったことか!


おにぎりが

みそ汁が

たくわんが

日本が、一番幸せで嬉しいんだ

せめて今だけは、そう言わせてくれ!



◇◇◇



诗涵 (シーハン) は闘技場の中央で、地団太を踏んで悔しがっている。到底納得いかないのだ。主催者の六甲 小呂士 (ろっこう おろし) に抗議するも、事情を知る彼は審査員たちが哀れすぎて何も言えないでいる。そして何も理解していない貴族令嬢、黒い安息日はのん気に観客席へ手を振っている。


フランス貴族・アントワネットに情報をリークしたのは誰だったのか。その犯人は今、控室でシガーに火をつけ紫煙を吐いていた。


情報のリークは中国代表・诗涵 (シーハン) が諜報員を潜伏させる遥か以前、一回戦が終わった時点で済ましている。フランス外人部隊への送致を提案したのも老執事だった。急な海外生活を余儀なくされると故郷の手造り料理が染みるはず、そのためにお嬢さまへ料理の特訓をさせたのだ。賭けだったが読みは当たったらしい。


フ―。


紫煙が部屋を舞う。

老執事は自問自答する。

我々人類は、なぜ言葉を話すことが出来るのか?


違うな、質問が間違っている。

言葉を話すから、人類なのだ。



注釈)

我々人類は、なぜ言葉を話すことが出来るのか?


口呼吸出来るからである。

哺乳類で唯一、人類だけが口呼吸できるのだ。


作中で老執事が言う「言葉を話すから、人類なのだ」も間違いではない。現生人類である我らホモサピエンスがネアンデルタール人を駆逐した要因は知能でも筋力でもなく (むしろ劣っていたとする説もある) 言語能力の有無であるとする説があり、私も個人的にそれを支持している。


ネアンデルタールも人類、言語を発していた可能性は学会でも指摘されている。しかし現生人類であるホモサピエンスに比べ喉の発声を担う器官が劣っており、少なくとも我々のような複雑な言語や長い言葉を話すことは出来なかったとされる。


なお、ネアンデルタール人は全滅したわけではない。現生人類、おもにヨーロッパでホモサピエンスと融合し、現在もDNAが受け継がれている。なお、我々アジアの人種はデニソワ人のDNAを受け継いでいる。

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― 新着の感想 ―
一見すると穏やかに見える「フランス旅行へご招待」という章題の裏には、審査員達の悲劇があったのですね。 これは確かに同情してしまいます。 しかしながら裏を返せば、審査員達は外人部隊用の訓練メニューを見事…
これだけ立派で頭良さげな作品の中で── お嬢様だけがアホ そして執事が黒すぎる!
小ネタの豊富さについ見失っていましたが、SFだったんですね……。 今見直したら、キーワードに人類史なんてのも入ってました。 Civilizationシリーズなんてものを延べ数1000時間プレイしている…
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