二回戦 中国と人類史、文明の光と闇 前編
我々人類は、なぜ言葉を話すことが出来るのか?
我々人類は、なぜ文字と数学を必要としたのか?
我々人類は、なぜ急激に人口を増やせたのか?
我々人類は、なぜ争うのか?
◇◇◇
四か月にわたりフランスでバカンスを楽しんだ審査員たちを乗せた航空機は、フランス政府の要請により特別な許可を得て神戸空港へ密かに着便した。彼らは休む間もなく空港から直接大会の会場である阪神甲子園球場の地下闘技場へ向かい、そのまま二回戦の審査に入るのだった。
二回戦第一試合は中国代表・诗涵 (シーハン) と日本代表・黒い安息日のお魚定食対決、まずは先攻の日本代表貴族である黒い安息日が提供するのは……
・焼きサバ
・おにぎり
・たくわん
・お味噌汁
以上である。
正直、出来の良い物ではなかった。おにぎりは形が不揃いで、お味噌汁も豆腐とわかめのオーソドックスなもの。たくわんも焼きサバも特筆すべきものは何もない。食材も厳選された者とは言い難く、诗涵 (シーハン) が潜伏させていた諜報員によると近所のスーパーで購入されたものだという。
審査員たちが驚いたのは、あまりに貧相な定食の有様か、はたまたドレスの上に割烹着をかさねたアンバランスな黒い安息日の衣装か。彼らは終始無言でそれらを平らげ、その後微動だにしなかった。やや重い空気が闘技場に流れる。
◇◇◇
その空気を入れ替えんとする優雅な弦楽器の演奏。これは蘇州二胡と呼ばれる中国伝統の楽器によるものだ。曲は知らずとも永遠に聞き続けたくなる哀愁漂う音色に、東アジア圏特有のメジャーペンタトニックスケールを使用した旋律。明るさと切なさを混合したメロディは阪神甲子園球場地下闘技場を黄河、あるいは揚子江へ誘うのだった。
「雅ですわ、これぞ中国ね」
「日本の雅楽と似て非なる素晴らしさね」
「哀愁に潜む独特の陽気さがたまりませんわ」
珍しくまともな感想を言い合う観客席の貴族令嬢たち、そんな彼女たちはきっと自宅に帰った後で、今日の演奏をそれぞれ得意な楽器で再現しようと試みるのだろう。ある者はチェロで、ある者はバイオリンで、ある者はフライングVとメサブギのアンプで。
诗涵 (シーハン) の配下である女性給仕が旗袍 (チーパオ / チャイナドレス) で現れ審査員に食事を提供する。余談だが旗袍 (チーパオ / チャイナドレス) は中国人の民族衣装ではない、北方騎馬民族の民族衣装である。ゆえに本場中国ではやや距離を置かれている感がなくもない。
・清蒸鲜鱼 (白身魚を蒸したもの)
・广式滑鸡粥 (鶏肉の入ったおかゆ)
・榨菜 (ザーサイ)
・謎の中華スープ
審査員たちの前に並べられた中国料理の四品。中国四千年の歴史を見せつける豪華な食事が提供されるかと思いきや、見た目は案外地味である。どうやら広東料理をベースに作られているらしく、四川料理のような刺激を感じない柔らかな香りと色彩。とはいえ世界四大文明の誇りにかけて作られた料理なのだろう、まずはスープから頂こうか。ズズズ……
壜啓葷香飘四邻
佛聞弃禅跳墙来
意訳)
あまりに良い匂いが漂ったので
お釈迦様が座禅を止め
壁を飛び越え食べに来た
中国代表の貴族令嬢、诗涵 (シーハン) が四か月かけ
食材を集め調理した謎の中華スープ
その名は「佛跳牆 」
(ファッチューチョン)
別名「ぶっ飛びスープ」
フカヒレが高級料理とはいえ、数万円もしないだろう。
佛跳牆の値段はなんと、天井知らずなのだ。材料費だけで数十万を超える。本気を出せば、数百万すら超える可能性がある。
注釈)もちろん安価に押さえることも可能
アワビ・ナマコ・牛・豚・鶏・うずら・きくらげ・希少なキノコ・エビ・フカヒレ・魚の唇・貝類・龍眼・ナツメ・タコ、etc……乾物を中心に高級食材を詰め込んだ壺をまるごと蒸して気が遠くなるほど待つ。そして作られるのが佛跳牆、現存する神秘のスープである。
審査員は震えた。こんなもの飲み続けてはアタマがおかしくなってしまう。もはや美味いだの味が深いだの口にする存在ではない。深淵だ。覗けば覗き返す混沌のスープだ。味覚が、知覚が、快楽を受ける神経の受容体がやられてしまう!
魂を現世に戻すべく清蒸鲜鱼に手を付ける。普通に上手い。ただ正直に言うとそれだけだ。佛跳牆のようなバケモノを作る中国料理にあっても魚料理は日本に劣る。安心した彼が次に手を伸ばしたのは广式滑鸡粥、鶏肉入りの中華おかゆである。
「!!!!」
あえて語彙力を下げていうなら、中華のおかゆはヤバい。炊き立てご飯にこだわり過ぎた日本人が失った米料理のポテンシャルを引き出している。ていうか、米はヤバいのだ、マジで。
◇◇◇
ヨーロッパの人口が7億人。
中華人民共和国の人口は14億人。
国土面積の問題もあるが、実は中国の人が住める土地は限られている。広い国土と思われがちだが東部に偏っていて、西部はもちろん北部など人口密度は10%以下である。
とはいえ2000年前、すなわち1世紀の時点で人口6000万人を誇っていた中国、当時の世界人口3億人と推定されているので破格の人口密度である。なぜ中国は、いや、東アジアは人口が多いのか。そもそも人類は、なぜここまで人口が増加したのか。
答えは明確、農業を始めたからである。
特に米の収穫量は麦を大きく上回る。近代から人口を大幅に伸ばしている地域は、そのまま米を生産し、主食とする民族が住む地域なのだ。
狩猟を中心とした生活から、保存と大量生産を可能とした農耕へシフトした時点で人類は大きく変化した。生産数を上げるため数学を覚え、生産物を交換する異民族との交流は文字を産んだ。元来、文字や記号は言語が通じない者に対して有効に活用できるツールなのだ。古代の日本で固有の文字文化が育たなかったのは、島国で異民族との交流が無かったためである。
しかし悪い奴らは気付く。いや、それは現代人の価値観による残酷な言い方かもしれない。訂正しよう、飢えた賢い奴らは気付く。生産しなくても、奪えばいいんじゃないか?狩猟民族を襲ったところで得る物は食い散らかした獣の骨くらなものだろう。しかし農作物は奪うことができる。さらに賢い奴が気付く、農作物をつくる土地も奪えるじゃないか!
私はこう定義したい。狩猟時代の争いは喧嘩であり、農業を始めた人類の争いが戦争であると。1世紀の時点で6000万人だった中国の人口は、3世紀、あの有名な三国志の時代で770万人に激減する。飢餓と天災も要因の一つだが、やはり戦乱が主たる原因であると言えよう。
東アジア、特に中国における主食・米の存在は重い。それは人口増加と文明をもたらした救世主であり、人類を土地に縛り戦争を産んだ呪いでもあるのだ。
◇◇◇
賢明なる読者諸君はお気づきかもしれないが、本作のカテゴリーはSF (空想科学) である。宇宙船もなく、ロボットもなく、未来でもなく、それでも民俗学・人類学という科学に立脚した正統派のSFを書いているつもりなのだ。
パロディが多めなのも古き日本SF界隈の血を受け継いでいるからだ。ゴメン、嘘。単に好きだからだ。というわけで後編へ続く。