一回戦 フランス貴族 vs 日本貴族 (黒い安息日) 後編
アントワネットは勝利を確信していた。
フランスを代表する貴族令嬢である彼女が、お抱えのシェフに混ざって自らも腕を振るい、最高の食材と調理方法、そして崇高な料理哲学をもって提供したフランス伝統料理ポトフが負けるわけない。
アントワネットは予測する。
相手は必ず奇策に打って出るはずだと。
そして彼女の読みは当たる。
◇◇◇
阪神甲子園球場の地下に建造された貴族専用の闘技場、その照明が消えた。
やがて中央にスポットライトが当てられ、そこに木造の屋台を引いた老執事と日本代表の貴族令嬢、黒い安息日が現れた。
手際よく屋台の準備をする老執事、そしてそれをボケーっと見ている黒い安息日。観客を含め審査員もイラっとしたが、ともかく屋台は完成し、のぼり旗が立てられる。そこに記されているのは……
── 貴 族 お で ん ──
◇◇◇
ポトフ、和訳すれば「おでん」と表記されることもある。なるほど類似性は高く和風ポトフと言えなくもない。しかし、それをもってフランス代表のアントワネットが提供した究極のポトフに勝つなどありえない。いや、勝負は捨てて日本代表としての矜持だけは示そうとしているのか?
おそらく黒い安息日が求めるのは記録より記憶、なるほど阪神甲子園球場に相応しい方向性である。
注釈)「記録より記憶」
阪神を代表する名選手・新庄剛士の名言
大リーグでも活躍し現在は日ハムの監督
◇◇◇
「さあさあ、準備できましてよ、ホーホホホ!」
お前は何にもしてないだろ、誰もがそう思ったが口にしなかった。審査員たちは貴族ではないので余計なことを言えば後が怖いし、観客は次の展開が気になるからだ。ともかく呼ばれたので審査員たちは屋台の長椅子に座る。カツオ出汁の香ばしい湯気が立ち込める中、正面に立つドレス姿の貴族令嬢。まさにシュールレアリズム。
注釈)シュールレアリズム
シュルレアリスム (surréalisme) 100年前にフランスで始まったとされる芸術運動。日本語では超現実主義と訳され、リアルと幻想が混ざり合う表現が特徴。代表的な画家はサルバドール・ダリ、ピカソなど。
「なんでも好きなタネをお頼みあれですわ」
自分は何もしてないのに、なぜかドヤ顔で注文を聞く日本代表貴族令嬢・黒い安息日。とりあえず審査員の一人が竹輪と大根、はんぺんを頼むと、黒い安息日は慣れない手つきで四角い鍋から出汁とタネをすくう。箸より重たいものを持たない彼女の腕がプルプルふるえ、ついには鍋のふちに触れる。
じゅ。
「ぎやあああああああああああああ!」
「お嬢さまあああああああああああ!」
絶叫する令嬢と老執事。もう限界だった。審査員たちは爆笑した。観客も大爆笑。もはや貴族令嬢世界一を決定する緊張感は失われたのだった。
◇◇◇
「聞いてよ安息ちゃん、審査員って給料安いんだよ」
「でも今日とか特別手当がつくんでしょ?」
「つかない、つかない、ふつうに時給だよ」
「あらいやだ、爺や、何とかならないの?」
すっかり打ち解けた審査員たちと日本代表貴族・黒い安息日。老執事は主の無茶ぶりにも真摯に対応し、大会主催者にかけあって特別手当の支給を交渉している。そんな中でも審査員たちは自らの職務を怠らなかった。
まずおでんは関西風。昆布とかつお節の効いた薄口の出汁をベースに生姜のアクセントが上品に光る、これは姫路の味だ。
そして市販のものと思われた竹輪はでんぷん含有量の少ない焼き立ての手造り。がっしりと肉厚なそれは白身の魚肉に塩を練り込んで粘りを出し、あえての調味料無添加。それを串に刺しくるくる回して焼いたに違いない。これはうまい。
市販の竹輪は凝固剤を加えて水とでんぷんの含有量を増やし量のかさましをしている。ゆえに味が薄くなり調味料を必要とするのだ。なお、そういう竹輪はぷるんぷるんしているので手に持つだけでわかる。良い竹輪は、固いのだ。
隠し包丁を効かせた大根は出汁を閉じ込める野菜のフカヒレである。
フカヒレといえば鮫 (サメ) 、そしてはんぺんは鮫の身に卵白と山芋を練り込んだ最高級品である。形状を無視するなら、焼けば竹輪、蒸せば蒲鉾、茹でればはんぺんである。
「うちの子が野球やりたいって言うんだよね」
「あら、元気があってよろしくってよ」
「でも近所に公園はないし、あっても狭いんだよね」
「あらいやだ、爺や、何とかならないの?」
貴族令嬢が愚痴を聞き、老執事がそれを可能な限り対処し、審査員はおでんをつつく。ここは庶民の、いや、オッサンのパラダイスである。もう一度言わせて頂くが、まさにシュール、シュールレアリズム。
◇◇◇
「結果発表します、勝者、日本代表・黒い安息日」
審査員が勝敗を告げる。喜ぶ黒い安息日、どよめく観客席、そしてフランス代表貴族令嬢・アントワネットは当然納得がいかない。憤慨しつつ審査員たちに猛然と抗議する。
「私のポトフよりおでんが上回ったとでも言いますの!」
「いいえ、あのポトフは間違いなく至高の一品」
「では審査員たちが買収されたということなの!」
「ミセス、お聞きください、この大会は世界一の貴族令嬢を決める戦いであります」
「だからどうだっていうの!」
「貴族としての振る舞いも評価に含むのであります」
アントワネットは更に激昂した。屋台で愚痴を聞いていただけの黒い安息日に、貴族としての振る舞いがあったとは思えなかったからだ。それを察した審査員は続けた。
「おでんも素晴らしい出来でしたが、さすがに貴女のポトフには劣ります、しかし日本代表はおでんという料理を軸に屋台という小道具や照明を落とす演出で、我々の心を解きほぐし、さらに悩みを聞いてくれた上で、そのいくつかを解決しようとしてくれました」
「それが貴族と何の関係があるの!」
「我々はそれをノブレス・オブリージュと評価しました」
ノブレス・オブリージュ (Noblesse oblige) 、「貴族の義務」と訳されるそれは人の上に立つ人物なら当然知るべき概念である。例えば戦地にあっては最前線に立ち、日常にあっても恵まれた地位や財力を、持たざる者に対し積極的に用いることで社会貢献すべきと説いている。
「日本代表はおでんを、屋台を通じてそれを表現しました、我々はそこを高く評価したのです」
「で……でも……」
「ミセス、確かにポトフは素晴らしかった、しかしそれは貴族令嬢ならずとも最高レベルの料理人なら作ることが可能なのです」
「で、でも黒い安息日は何もしなかったわ!」
「そう、それが貴族なのです」
「……え?」
「上流階級 (Upper Class) は働かない、それが貴族の美徳なのです、汗水流して働くことが美徳とされるのはブルジョワ (Bourgeois) 、貴族社会と対極の位置にある存在なのです 」
「あ……」
「働かない、役に立たない、恵まれている、それゆえに心優しく、ただ芸術を愛でる日々を送る、これが貴族として正しい在り方なのです」
がっくり。
膝をついてうなだれるアントワネット。
しかし決着はついた。
観客席のどよめきは、やがて大きな歓声に変わる。
「うおおおおおおおおおお!」
「き・ぞ・く!き・ぞ・く!」
「やっぱり働かなくて正解ですわ!」
「いや、あんたは財政苦しいんだから働きなさい!」
◇◇◇
怒号と化した歓声を背に老執事が控室に戻る。
黒い安息日は闘技場で観客に手を振っている。
老執事はシガーに火をつけ紫煙を吐く。
審査員どもはうまく言いくるめていたが、ようは買収されているのである。お嬢さまは気付いていないが「聞いてよ安息ちゃん、審査員って給料安いんだよ」という発言の意味は深い、罪深い。
それに応えた特別手当の支給や近所の公園建設など、あきらかに賄賂である。
執事となるまで諜報機関で活躍していた彼は知っていた、情報は与えるものではなく、気付かせるものなのだ、と。