三回戦 सूअर विंदालू スアビンダル― (豚肉のカレー)
良かれ悪かれ歪みこそ魂の証明
ゆえに私は神の矛盾を肯定する
万人に喜ばれるプレゼントなんてない
だけどお金をもらえたら誰でも嬉しい
だってお金とは可視化されたメリット
世界共通で定められた偶像なのだから
万人に喜ばれる料理も存在しない
ならばせめて、相手に合わせよう
健康と快楽そして感動がメリット
私は禁忌を踏み越える、それで人が救えるのなら
ॐ शान्ति शान्ति शान्तिः
(オーム シャンティ シャンティ シャンティ)
注釈)オーム シャンティ シャンティ シャンティ
自分・家族・世界の平和と静寂を願うインドの聖句。ओम् (オーム)・南無・アーメン、それぞれ詳細は異なるが、広義で同じ意味を持つ。ルーツが同じとの説もあるが、筆者はあえて偶然一致したとロマンチックに解釈したい。
断っておくが筆者は無神論者であり、ごくありふれた平凡な貴族令嬢である。
◇◇◇
ダンスパーティと呼ぶには激しすぎる謎の踊りで、体調が整い消化が促進、再度空腹を覚える貴族令嬢たちが呆然とする中、なぜか顔が赤く腫れたシタールとタブラの奏者が再び現れ演奏を始めた。
そして料理が完成したらしく審査員たちと観客の貴族令嬢に配られる。どさくさに紛れて黒い安息日と老執事も行列に並びスジャータのカレーをもらいにきている。
まずは立ち込めるスパイシーな香り。クミン・カルダモン・コリアンダー、香辛料のフルオーケストラを指揮するのは唐辛子。赤い指揮棒が香りに方向性と躍動感を与えている。
黄色いお米は香り立つターメリックライス。長粒種インディカ米が、これほど美味そうで頼もしく見えるとは。力強いターメリックの香りの影にバターを感じる。これだけでも口にしたいが主役の登場を待つとしようか。
だばー。
やや赤みを帯びた茶褐色のカレーが黄色いライスの上に注がれた。スジャータを思わせる色と穏やかなカレーソースの香りに潜む暴力性、シタールとタブラの奏者が何か言いたそうな顔で演奏を続ける。食べたい。早く食べたい。早くカレーを口にしたい。
席に着いた審査員がスジャータのカレーを観察していた。具はゴロリとした豚肉のみ、野菜は完全に溶け切っている。わずかに感じる酸味を帯びた香りはビネガー (酢) 、俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。これはビンダル― (西インドのカレー) だな。
審査員はスプーンですくって口に入れた。
甘く見ていた。
カレーは辛い。
ちがう、そういうことじゃない。
インドの料理だと思っていた。
ちがう、これは世界の料理だ。
1万年と2千年前から人類が育てた食文化の合体だ。
唐辛子がインドの食文化に合体したのは16世紀。中南米が原産でスペインを経由して大航海時代にインド亜大陸へ到達したのだ。
カレーがイギリスに持ち込まれ、フランス料理と合体するのは19世紀。インドを植民地化していたイギリスのC&B社が混合スパイスをカレーと定義してカレー粉を発明、フランスにも輸入されフレンチの手法と融合。
西洋文化を取り入れようと模索する日本もカレーと出会い昭和に入ってパンと悪魔合体、カレーパンが生まれる。やがて世間にカレーが知れ渡り、庶民的にして極上のご馳走カレーライスは食文化の頂点に立ち現在に至る。
つまりカレーは結構、最近の料理なのだ。
賢いスジャータはそれを認識している。後出しジャンケンと呼ばれるならむしろ有効活用しよう。彼女は日本のカレーも研究済で味も調整、宗教的禁忌も取り払い徹底した合理主義の価値観と、スパイスでインドの世界観を表現する芸術的感性も併せ持つ。さらに栄養学も取り入れ健康への気配りも欠かさない。賢者の国、哲学の国、数学の国、天才の国、それがインド。
インドのカレーはスパイシー!
スジャータが作ればヘルシー!
観客のひとりとしてフランス貴族・アントワネットもスジャータのカレーを食べている。フレンチの技法を取り入れた現代のカレーだが、意外にもフランス料理はカレーを高く評価しなかった。しかしカレーはフレンチを取り込んで更なる高みへ。アントワネットは感激してスジャータに告げた。
「素晴らしいですわ、美味しかった、メルシー!」
(メルシー [Merci] ありがとう)
中国でも人気を博しているカレーを当然ながら口にしていた诗涵 (シーハン) も次元が違うと驚嘆、四川料理とも違う辛さへの解釈に感動している。
「これはいいね、もっと食べたいね、ハオチー!」
(ハオチー [好吃] 美味しい)
すでにお代わりも済ませ、老執事と共にスジャータの前に現れた日本代表・黒い安息日、満面の笑顔でスジャータの手を取り感想を述べる。
「こんなカレー食べたことありませんわ、おいしー!」
(おいしー [美味しい] カレーが好きなフレンズ)
ここでスジャータの覚悟が決まる。
◇◇◇
審査員たちはかぶりを振った。面倒だからだ。こんな勝負のジャッジは口にするまでもない。それでも言わねばならない、仕事だから。
「勝者、インド代表、スジャ……」
「辞退します」
スジャータが衝撃の宣言をする。
闘技場が凍り付いた。
うろたえる審査員たちと主催者・六甲 小呂士 (ろっこう おろし) には目もくれず、スジャータは黒い安息日の手を取って告げる。
「貴女が決勝戦に出なさい、そして必ず勝つのです」
「え? え? なんで?」
「貴女が勝つべきなのです」
「いや、それならスジャータが勝てば……」
「貴女には勝つべき資格があるのです」
「じゃあ仕方ありませんわ、ホーホホホ!」
ずこー。老執事はズッコケた。お嬢さまはどうしてそれで納得できるのだ。そこは資格ってなに?とか聞く所だろう。しかし彼女に何を言っても無駄だ。なんせバk……いや、純粋であらせられる方なのだから。
「……では改めて、勝者、黒い安息日!」
陽気にはしゃぐ日本代表・黒い安息日。よくわからないがとりあえず歓声を上げる観客の貴族令嬢たち。審査員たちも、主催者も、老執事も納得がいかなかった。当の本人、スジャータは笑顔で拍手をしている。老執事は察した。あれはダメだ、覚悟を決めた人間の顔だ。何を聞いても答えまい。
老執事は主催者・六甲 小呂士 (ろっこう おろし) に耳打ちした。
「どう思われますか、ご老人」
「おぬしも老人じゃろうに、それより聞きたいのじゃが」
「私で分かることなら何なりと」
「招待状を送った【R】とやらは誰なのじゃ? 」
「 ! ! ! 」
老執事は驚愕した。招待状の【R】は六甲 小呂士 (ろっこう おろし) の頭文字「R」ではなかったと言うのか。聞けば六甲氏も【R】という存在から巨額の運営費を振り込まれ、世界貴族令嬢協会の会長として大会の主催を任されたらしい。引き受けはしたが、相手が何者だか知らないとのこと。そんな馬鹿な!
◇◇◇
スジャータは気付かれないよう闘技場の奥に引き下がり、遠くで黒い安息日を見つめていた。彼女の笑顔は崩れなかったが、一筋の涙が頬を伝った。
必ず勝つのよ……黒い安息日……
私には、その資格がないの……
勝てないし、勝ちたくないの……
貴女なら……もしかしたら……
黒い安息日がスジャータに気付いて手を振った。こっちにおいでよ、そう言ってるらしいが遠くて聞こえない。だけど近くても聞こえない、涙が乾くまでは。
がんばるのよ……黒い安息日……
こんな日々を守るために……
罪なき人々を守るために……
貴女が次に立ち向かう相手は■■■■よ……




