エピローグ 赤龍の視点
朝の柔らかな陽光が、薄手のカーテンを透かして寝室を淡く照らし出している。
微睡みの中、背中から抱きしめてくる夫――ハヤトのがっしりとした体温を感じて、私は小さく寝返りを打った。かつて赤龍として空を舞い、人間を遥かに凌駕する力を持っていた私にとって、人間の体温は本来低く脆いものだ。けれど、ハヤトの放つこの穏やかな熱だけは、私の魂を底から安らがせてくれる。
だが、今朝の彼からは、いつもとは違うひときわ強い熱が発せられていた。私の太ももの内側に、硬く張り詰めた彼の一部がこつりと当たる。
「ん……んん……」
ハヤトが寝ぼけたような低い唸り声を上げ、さらに私を強く抱き寄せてきた。
「おはよう、ハヤト。……朝から、ずいぶんと元気なのね」
振り返って悪戯っぽく微笑むと、彼はハッと目を覚まし、気まずそうに視線を泳がせた。
「あー……おはよ。ごめん、わざとじゃないんだ。男の朝の生理現象っていうか……」
「ふふっ、知ってるわ。でも、ごめんなさいね。昨日から私、人間の身体特有の『月のもの』が来ちゃってて。一番奥までは、受け入れてあげられないの」
「ああ、分かってる。お前がいい匂いさせてるから勝手に反応してるだけだ。……ちょっと我慢すれば収まるから、気にすんな」
ハヤトはそう言って少しだけ距離を取ろうとする。けれど、彼の瞳の奥に燻る持て余した熱情を、かつて頂点捕食者であった私が逃すはずがない。
私はするりと身体を反転させ、シーツの上からその怒張した熱の塊を手のひらでそっと押さえた。
「っ!? おい、マリナ……何して……っ」
「我慢するなんて、身体に悪いわ。痛いくらいに張り詰めているじゃない」
「無理しなくていいって」
「無理なんてしていないわ。それに……私の番がこんなに熱くなっているのに、そのまま放っておくなんて、妻としての誇りが許さないもの」
私が小悪魔のように微笑むと、ハヤトがゴクリと息を呑む。ほんの一瞬だけ、私の瞳孔が龍特有の縦の金糸へと細まったのを彼は気付いただろうか。
私は白魚のような指先で、布越しにその硬い輪郭をじらすようになぞり上げた。
「んっ……あ……っ、おい……」
「ふふ、声が漏れているわよ。あっという間に終わってしまったらつまらないじゃない? 龍は獲物をじっくりと味わうのが好きなの」
私はハヤトの胸元へと顔を近づけ、その逞しい腰元へと身を滑らせて、シーツの下へと深く潜り込んだ。
「ひっ……! ちょ、お前、本気で……」
「ええ、本気よ。奥が駄目でも、私にはまだこの口があるもの。さあ、私に全部委ねて。その持て余した熱、残さず食べてあげるから」
私は彼の最も敏感な部分を、唇と舌先で丹念に責め立てた。私の与える濃密な愛撫に、ハヤトの大きな手が私の髪にきつく絡みつき、快感に耐えるようにシーツを強く握りしめている。
「んむっ……ちゅ、じゅるっ……」
「ああ、駄目だっ……マリナ、奥まで……っ! いく、い、くっ……!!」
限界を迎えた彼の身体が激しく硬直する。私は彼の腰を両手でしっかりとおさえ込み、逃がさないようにそのすべてを受け止めた。喉の奥深くに向かって、熱く濃密な勇者の雫が力強く放たれる。
彼が長く深い安堵の息を吐き出した後、私はゆっくりと顔を上げた。
「……はぁ、はぁ……っ、ごめん、出しすぎた……汚いから、すぐに出して……」
慌てる彼と視線を合わせたまま、私は妖しく微笑んで、そっと唇を開く。そして、赤い舌先をぺろりと覗かせた。
私の舌の上には、彼が放ったばかりの白濁した液体が、とろりと乗っている。
「っ……! お前、それ……見せつけるなんて……っ」
彼が息を呑んで目を丸くするのを見届けてから、私はその白い雫を一滴残らず、ゆっくりとごくりと飲み干してみせた。
「んっ……こくっ」
微かな嚥下の音が、朝の静かな寝室に響く。
「……飲んだのか? 嘘だろ……」
「ええ、全部いただいたわ。勇者であるあなたの熱いところ、残さず私の中に入れておきたかったから」
私が心底愛おしむように微笑みかけた、その瞬間だった。
――ドクンッ。
喉を通り、胃の腑へと落ちたハヤトの熱が、私の身体の奥底に眠る『赤龍の核』と激しく交じり合った。
選ばれし勇者である彼の純粋な生命力が、私の龍としての魔力を優しく包み込み、中和し、完全に溶かしていく。永遠に消えることのないはずだった私の内なる炎が、ふっと音を立てて消滅した。
背中に刻まれていた龍の痣が、サラサラと光の粒子になって宙に舞い、完全に消え去るのが分かった。
「……あ」
身体から魔力が抜け落ち、私は今、紛れもない『100%の人間の女性』へと完全に生まれ変わったのだ。
(これで、本当の意味で彼と同じ人間になれた……!)
そう安堵した直後、完全に人間となった私の身体に「予想もしなかった少し違う反応」が劇的に現れた。
「……え? あれ?」
赤龍としての『強靭な捕食者の殻』が剥がれ落ちたことで、人間の女性が持つ『羞恥心』や『感情の波』が、何のフィルターも通さずにダイレクトに脳を直撃したのだ。
今まで平然とやってのけていた『小悪魔的な誘惑』や『先ほどの卑猥な行為』の記憶が、純度100%の生々しい恥じらいとなって容赦なく押し寄せてくる。
「わ、私……今、ハヤトの……っ、見せつけて、飲んで……ひゃあああっ!?」
ボンッ! と音が鳴りそうなほど、私の顔は耳の先から首筋まで真っ赤に沸騰した。
シーツの中で真っ赤に茹で上がりながら、私は完全にパニックに陥っていた。
(熱い……顔が熱すぎる。このままじゃ頭がショートしちゃう……っ)
私は反射的に、かつて誇っていた赤龍の力に頼ろうとした。極低温の魔力を練り上げ、氷雪の吐息――『絶対零度の放射』で、この沸騰しそうな頬と身体の火照りを一瞬で冷まそうと試みる。
小さく唇を尖らせて、シーツの内側に向けてふぅっ、と息を吹き出した。
「……ふぁっ」
しかし、そこに広がったのは、空気を凍らせるような冷気ではない。ほんのりと甘い匂いが混じった、ただの生温かく湿った「人間の吐息」だった。
「え……?」
霜一つ降りないシーツを見つめ、私はぱちぱちと瞬きをした。
その隙に、ハヤトの大きな手がシーツをペラリと捲り上げる。朝の眩しい光と、意地悪に笑うハヤトの顔が覗き込んできた。
「お前、さっきからシーツの中で何やってるんだ?」
「み、見ないでってば! これ以上からかったら、丸焦げにしちゃうわよっ!?」
私は必死で威嚇し、今度は身体の奥底から業火を呼び覚まそうとした。かつて地球の軌道すら変えた、あの無敵の『灼熱の炎』を喉の奥に集め、カッ、と息を吐き出す。
「ふんすっ! ……けほっ、こほっ」
当然のように、火の粉一つ、煙一つ出なかった。
喉の奥が少しイガイガして、可愛らしい咳き込みが出ただけだ。口からこぼれたのは、やはりただの無害で温かい人間の息だった。
「あ……」
「あっははははっ! 丸焦げにするって、お前……ほんとに、ただの普通の女の子になっちゃったんだな」
腹を抱えて笑い転げるハヤトを見て、私はようやく自分の身体に起きた劇的な変化を、心の底から理解した。
私の内側にあった恐ろしい魔力の炉心は、彼が注ぎ込んでくれた純粋な生命力によって完全に中和され、消滅したのだ。
絶対零度でビールをキンキンに冷やすことも、灼熱の炎で唐揚げを一瞬で揚げることも、もう二度とできない。
けれど、火傷しそうなほど顔を赤くして、恥ずかしさに身を捩るこの脆くて敏感な「人間の女性」としての感覚は、魔法なんかよりもずっと温かくて、胸の奥がくすぐったくなるほど愛おしかった。
「〜〜〜っ! もう、笑わないでよぉ! 魔力が出なくなった私なんて、ただの足手まといじゃない……っ、ああっ、穴があったら入りたい……っ!」
私は再びシーツをすっぽりと被って、ベッドの隅にダンゴムシのように丸まってしまった。最強の女流棋士の威厳も、恐ろしい赤龍の面影も見る影もない。ただの恋する初心な女の子の反応だ。
「馬鹿だな。俺がお前を一生守るって誓っただろ。龍の力なんて最初からいらないんだよ。俺の腕の中で、そうやって可愛い人間の女の子のままでいてくれれば」
ハヤトは笑いを収めると、とろけるほど優しい瞳で私を見つめ、シーツごと力強く、壊れ物を扱うように抱きしめてくれた。
その確かな腕の温もりに包まれながら、私は最強の赤龍としての過去に永遠の別れを告げ、ひとりの「マリナ」という人間の女性として彼と共に生きていく喜びを、深く深く噛み締めたのだった。




