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第9話 幽霊の少女

 時はあっという間に過ぎた。通行人を助けながら、死の国シェオールを目指す。

 一年以上の旅路でだいぶ生活に慣れてきたロザリアがふと口を開いた。


「ねえ、アウラ。ずっと思ってたんだけど……アンタとユラってどうやって出会ったの?」


 ユラがアウラの腕にぶら下がるようにして笑う。


「おっ、それ聞いちゃう? いいよ〜、私が話してあげるね!」


 アウラは足を止め、ふと視線を遠くへと向けた。燃えるような夕日が地平線に沈みかけ、草原に長い影を落としている。


「……聞きたいなら話してやるよ」


 ぼそりとした声に、ユラは嬉しそうに頷いた。ロザリアも腕を組み、興味深そうに耳を傾ける。

 アウラは少しだけ目を伏せた。思い返せば、それは――自分の旅の中でも、少し特別な夜だった。


「……リコット村って知ってるか?」


 その名を聞いた瞬間、ロザリアの表情が鋭くなる。


「当然よ。あの村は……破壊神ダリアムの遺体が見つかった場所」


 ユラはぽかんとした顔でロザリアを見つめたが、アウラは特に驚く様子もなく、静かに頷いた。


「そうだ」


 ロザリアは険しい目つきのまま、アウラを見つめる。


「……前に言ったわよね。私の直感が正しかったって」


 アウラは何も言わず、ただロザリアの言葉の続きを待った。


「アンタが……破壊神ダリアムを倒したんでしょ?」


 アウラは興味なさそうに乾いた声をこぼす。


「……ああ」


 アウラは少し遠い目をして、静かに言葉を紡ぐ。


「俺がリコット村に着いた時には……すでに手遅れだった」


 ロザリアは無言で息を飲む。ユラもまた、少しだけ表情を曇らせた。

 ――あの夜。

 死の気配が漂う、森に囲まれた小さな村。燃え崩れた家々。血に染まった地面。静寂の中、ただひとり、息をする者の気配すら感じられない――そんな場所で。

 彼女がいた。

 ユラは目を閉じた。静かに、懐かしむように――その時のことを思い出しているようだった。


「……リコット村の幽霊の噂を聞いて、俺はそこへ向かった」


 アウラの低く落ち着いた声が、過去の記憶を紡ぎ始める。


「そこで、俺は――ユラに出会ったんだ」





 夜の静寂が広がる山道を、アウラは無言で歩いていた。木々が生い茂り、獣道のような細い道が続く。夜風が吹き抜け、衣の裾を揺らすが、冷たさは感じない。

 痛覚も、触覚も、とっくの昔に失った。肌に感じるものは何もなく、ただ風が吹いたことを視覚で確認するだけ。


「……幽霊、ね」


 小さく呟く。酒場で聞いた、リコット村の噂。亡者の呻きが夜な夜な響く、呪われた村。近づいた者は二度と戻れない。

 死の国シェオールへの手がかりになるかもしれない。そう思って向かうことにしたが、正直、期待はしていなかった。

 どうせ、アンデッド系の魔物が徘徊しているだけだろう。こういう話はよくある。死霊や屍鬼がさまよい、時には襲ってくる。呪いだの怨念だのと大げさに語られるが、結局は魔物にすぎない。

 だが——。


「村人に被害がないのは、おかしいな」


 普通なら村人が食い殺され、全滅しているはずだ。それなのに、噂では“幽霊に遭った者は戻れない”とだけ言われていた。

 ならば、幽霊は何をしている?村人には手を出さず、外から来た者だけを消している?

 少しだけ、興味が湧いた。死霊にしては妙に選別がある。もし、本当に“死者”がいるのなら——。

 もしかして、何かが違うのかもしれない。

 そんなことを考えながら、アウラは山を登る。

 幽霊と言うぐらいなのだから恐らく夜に出るのだろう。

 アウラは死を求めて夜の山を登る。道から外れ、側面に広がる生い茂る森の中に入れば、そこはもう“呪いの森”だ。

 行きたい気持ちは山々だったが、ひとまずリコット村の住民にも話を聞くために道のりを進む。話によれば、そろそろ村に着く時間のはずだ。

 やがて、遠くに灯る明かりが見え始めた。

 だが——。

 風に混じる鉄の匂いに、アウラは足を止めた。

 焦げたような、血の臭い。遠くに見える村の入り口。暗闇にぼんやりと浮かぶ建物の輪郭。

 その光景を見て、胸の奥に嫌な予感が生まれる。

 嫌な予感がしたアウラは、歩く速度を上げて村へ向かう。そして視界に広がった光景に、足が止まった。

 建物は無惨に焼け落ち、地面には農具や狩猟具を握ったままの村人たちが血を流し倒れていた。

 急いで彼らの脈を確かめる。しかし——全員、事切れている。


「山賊……か?」


 けれど、この殺戮のあとに見覚えのある乱雑さはない。明らかに何かが違う。


「おい! 生きてる者はいないか! 誰か、いないのか!」


 返事はない。風が吹き抜ける音だけが虚しく響く。

 アウラの胸を締めつける虚無感。

 もっと早く来ていれば、助けられたかもしれない命。変えてやりたかったこの結末。それが叶わない現実に、ただただ無力さを感じる。

 ——何のために生きているのだろうか。

 思考が沈む。早く死にたい、終わりにしたい。その感情がゆっくりと心の奥底から広がっていく。

 地面に横たわる村人を見つめながら、アウラは静かに悲壮感に飲み込まれていった。


「……まだ、いたか」


 低く響く声。

 アウラは力なく振り返る。

 闇に浮かび上がるのは、異形の巨躯。身長は五メートルを超えていた。

 燃え残る炎に照らされたその輪郭。身に感じる圧倒的な威圧感。この力は——第12魔神、もしくはそれよりも。

 なぜ、こんな魔神が人里の村に現れたのか。答えを出すまでもなく、アウラは“呪いの森”の真の意味を理解した。

 だが、そんな敵を前にしても、思考はただ後悔に縛られていた。

 また何もできなかった。誰も助けられなかった。結局、自分だけが生き残る。

 アウラは気力のない声で問いかける。


「何人こ……!? 」


 ——だが。

 その問いかけが最後まで続くことはなかった。言葉が詰まる。

 魔族の視線の先。彼の手前に、白いワンピースを着た黒髪の少女が立っていた。腰まで伸びる艶やかな黒髪が、燃え盛る炎の光に照らされている。

 アウラの心が凍りつく。

 ——生きていた。

 この地獄の中で、まだひとりだけ生き残っていた。絶望に染まった村の中で、彼女はまるで幻のように、孤独に立っていた。

 アウラの胸に込み上げるもの。彼女だけでも助けなければ。

 それは衝動だった。

 考えるよりも先に体が動く。


「逃げろぉぉぉおおお!」


 絶叫のような叫びが、炎の舞う夜空に響き渡った。

 アウラの足は躊躇なく地を蹴り、一陣の風のように駆け出していた。何かに魂を捕らわれたかのように、一心不乱に少女の元へと向かう。遅れれば、また誰かを失う。そう思った瞬間、胸の奥で焦燥が燃え上がる。


「何を言っている貴様ぁぁぁああ!!」


 轟くような咆哮が夜を裂いた。魔族の中心に膨大なエネルギーが集まっていく。右腕に生成される巨大な黒い斧は、禍々しく光を放ち、すべてを切断すると言わんばかりの威圧感を放っていた。

 アウラは冷静に分析する。虹の紋章を持つ戦士すら、一撃で葬れるほどの力。その一撃をまともに受ければ、人間ならば一片の肉塊すら残らないほどに粉砕されるだろう。ただ、それが自分に通じることはない。斬られようと、砕かれようと、自分は死なない。何度試しても、その事実は変わらなかった。

 だが――目の前にいる少女は違う。自分以外の人間は、皆、死んでしまう存在だ。

 アウラは迷いなく魔族に背を向け、少女をぎゅっと抱きしめた。細い肩が震えているのが伝わる。


「お前がただものではないことはわかっている。お前の実力を認めよう。だからこそ思い知るがいい!」


 魔族の咆哮が再び響く。黒い斧が唸りをあげるように振り上げられる。


「古の神の右腕を切り落とした悪魔の力を――‼死ねぇぇぇえええ!レクイア・ラーズ‼」


 空気が裂け、周囲の景色が歪むほどの膨大な魔力が炸裂した。

 今まで一度も感じたことのない衝撃にアウラの意識は捕らわれていた。


「うぉぉぉおおおおおおお!!!!」


 魔族の咆哮が夜の山間に響き渡る。しかし、その轟音はアウラの耳には届いていなかった。そんなことよりも、今目の前で起きていることが、彼の全意識を支配していた。

 体に触れる少女の感触。手のひらに伝わる布の繊維のわずかなざらつき。そして、確かな温もり。

 まるで夢のようだった。

 あまりの衝撃に、アウラは開いた口を塞ぐこともできない。

 呆気に取られていた次の瞬間、魔族の斬撃が背中を襲った。

 刃がアウラの身体に触れた瞬間、轟音が山々に轟き、激しい衝撃波が木々をなぎ倒し、焼け落ちた村の残骸をさらに吹き飛ばした。

 しかし、アウラは目の前の少女に意識を奪われ、攻撃を受けたことにすら気づかなかった。


「はっはっは。これが私の最強の一撃。貴様、誉めてやろう。まだ生きているようだが、流石にただで済んではいまい」


 砂煙の中からアウラの魔力を感じ取った魔族は、再び黒い斧に魔力を籠める。


「な……なんだと! ふざけるなぁぁぁぁぁああああああ!」


 煙が晴れる。

 そこに立つアウラは、魔族に背を向けたまま、呆然と少女を見つめていた。

 最大の一撃を受けてもなお、無傷。

 その光景に、魔族の誇りが深く傷つけられた。


「馬鹿にするのもいい加減にしろぉぉぉおおおおおお!!」


 怒りに燃え、魔族はひたすらに斬撃を浴びせる。

 しかし、それでもアウラの意識は目の前の少女に釘付けだった。

 衝撃の中、ようやく意識を取り戻したアウラは、震える声を漏らす。


「なんで……なんで……。今まで、一度も……。え、俺……ずっと……忘れてた……」


 遠い昔に置き去りにした感覚。

 人のぬくもり。

 触れることで得られる確かな実感。

 声が震え、目の奥から熱いものが溢れ出す。

 そんなアウラを、不思議そうに見つめていた少女の瞳にも、ゆっくりと涙が滲んだ。


「……私の……私の姿が。……見えているんですか? そんな……私の、姿。私は……幽霊で、何年も……誰にも……」


 アウラは、この少女こそが噂の幽霊だと理解した。そして、彼女の言葉の節々に、どこか自分と重なるものを感じた。

 震える少女の前で、アウラはそっと両手を伸ばす。

 少女もまた、ゆっくりと手を伸ばした。

 二人の手が触れ合う。

 互いの手の中に、確かなぬくもりが広がる。

 涙を流しながら、アウラは笑った。


「ちゃんと……聞こえてる。君の声。……ちゃんと聞こえてるし、見えてるから」

「……よかった。貴方に……あえて。本当に……」

「俺もだよ……」


 その間、二人の背後では、魔族が必死に斧を振り下ろし続けていた。

 だが、アウラは一切の傷を負うことなく、幽霊の少女にはそもそも攻撃が当たらない。

 この二人の感動の出会いを邪魔できる者は、誰一人として存在しなかった。

 そこには、ただ二人の世界が広がっていた。


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