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第7話 旅の日々

 英雄試練の決勝戦が始まり、結果がわかったアウラは静かに席を立ち、観客席の喧騒を背にして歩き出した。燃え上がるような歓声が闘技場に響くなか、彼はただ一人、静かに出口へと向かう。

 しかし、その背後からはっきりとした声が響いた。


「待ってください」


 足を止め、振り返ると、そこには騎士王ロメオが立っていた。

 彼の表情はいつもと変わらない、穏やかで美しいものだったが、その瞳の奥に、沈んだ影が見え隠れしていた。まるで、迷いを押し殺すように。

 ふと、つまらない質問をしてしまったことに気付き、アウラは小さく息を吐きながら謝罪をする。


「すまない。くだらないことを聞いた……。ああ、それとロザリアは強くなったぞ。アンタが思っている以上にだ」


 そう言って、再び背を向け歩き出す。


「ありがとうございます」


 その言葉が、まるで囁くように届いた。

 足を止め、再び振り返ると、ロメオは深々と頭を下げていた。


「破壊神ダリアムから助けてくれて、妹の、ロザリアの将来をつなげてくださって」


 普段の彼の気品ある姿には似つかわしくないほど、深い感謝が込められた言葉だった。


「どうして……?」


 思わず漏れたアウラの言葉に、ロメオは静かに顔を上げた。彼の目には、一抹の迷いと、それでも決意を固めたような色が混ざっている。


「私の力では破壊神ダリアムを殺せなかった。妹が魔族になってしまうことを、止めることができなかった。だから、いずれ魔族の力で僕よりも強くなるロザリアが、あの破壊神よりもさらに強くなればと願っていました」


 ロメオの声はわずかに震えていた。自責と後悔の感情が、その言葉の端々に滲む。


「ですが、貴方が私たち兄妹を助けてくれた。そのうえで、お願いがあります。図々しいことは理解しています。ですが……もし、もしよろしければ、妹を……ロザリアを、お願いします」


 ロメオの言葉が夜の空気に溶ける。風が静かに吹き抜け、ふたりの間の沈黙が重くなる。

 アウラはその言葉を静かに受け止め、問いかける。


「なぜ俺に?」

「ロザリアは本気で強くなりたいと思っています。強くなることが、彼女の人生のすべてであり、心の支えになっている。その想いを作ったのは私です。それはわかっています」


 ロメオの目には迷いがなかった。まるで、長い時間をかけてたどり着いた答えを、今やっと口にしたかのように。


「だからこそ、ロザリアはきっと貴方を追いかけます」


 彼の姿は、まさに本気で妹を思う兄のものだった。

 アウラは短く息を吐き、もう一度問い直す。


「わかった。だが、本当にいいのか。たった一人の、最後の家族なんだろ?」


 ロメオは唇を引き結び、静かに唾を飲み込んだ。そして、力強い声でハッキリと答える。


「はい」


 その答えを聞き、アウラは静かに決断を下す。


「俺から声をかけることはしない。しばらくの間、外で待っている。その間に来なければ、ロザリアはここに残りたいんだと判断する」


 ロメオはその言葉を受け、ふっと小さく微笑んだ。

 それは騎士王としての笑顔ではなく、妹を愛する一人の兄の笑顔だった。


「お願いします……ロザリアは傲慢で横暴でわがままですが、私といるときはそんなことはありませんでしたから」


 夜の静寂が、二人の間に残された余韻を包み込む。

 遠くで英雄試練の喧騒がまだ続いていた。だが、ロメオの声はそれとは別の次元で、静かに響いていた。




 シェオールを目指し、長い道を歩くアウラ、ユラ、ロザリア。

 空にはゆっくりと夕焼けが広がり、オレンジ色の光が三人の影を長く伸ばしている。足元の草が風にそよぎ、まるで彼らの行く手を優しく撫でるようだった。

 アウラは歩きながらロザリアに声をかけた。


「いいのか? 騎士王ロメオを殺すって目的はどうなった」


 ロザリアはしばらく無言で前を見つめていたが、やがてふっと笑みをこぼし、隠す様子もなく淡々と語る。


「いいわよ。今の私じゃ勝てないし、それにアウラに出会えたから。破壊神ダリアムが死んだ今、あの国に私がいる意味はなくなった。それに、この国を出る前に、最後に英雄試練で強くなった私の力を見せることができた」


 彼女の言葉はひょうひょうとしていたが、その瞳の奥には決意が宿っていた。

 そこまで考えていたとは思わなかった。アウラは少し驚きを隠せない。正直、ロザリアは感情だけで突っ走るタイプだとばかり思っていた。

 その気持ちが表情に出ていたのか、ロザリアが鋭い目つきで睨みつける。


「何その顔。何も考えてないとでも思ってんの? 知ってるわよ……全部」


 彼女の声には、どこか強がるような響きがあった。

 ロザリアは前を向き、遠くの空を見つめながら静かに心の内を語り出す。


「私には魔族の血が流れていて、段々人間じゃなくなってること。お兄ちゃんがいやいや必死に武術を教えていたこと。立場を変わってあげられなくて自分を責めていたこと。苦しい顔を必死に見せないようにしていたこと。自分の気持ちを押し殺していたこと……」


 ロザリアの声が、微かに震えた。


「だから、私は強くなろうとしたの。きっかけは確かにお兄ちゃんから受けたものかもしれないけど、それはいつか私の目標になって、夢になった。憎んでもないし恨んでもない。でも、お兄ちゃんがそれを望んでるならって、憎んだふりをした。それで少しでも楽になるかなって、お兄ちゃんの計画は上手くいってるんだって……。まあ、実際、私の生きる理由にはなったしね。どうしてもお兄ちゃんの前にいると、強気ではいられなかったけど……」


 ロザリアは照れくさそうに笑った。

 その笑顔は、どこか無理に作ったものに見えた。夕日に照らされた横顔は、どこか切なく、それでいて誇り高かった。


「……だから、最後に強くなった姿を見せられてよかったわ。それに、私が残ったらまたお兄ちゃんは私のことばかり考えて……重荷を背負わせちゃうでしょ。ここまで頑張ってきたんだから、もう私のことは考えなくていいようにしたかったんだ。私が私の道を歩いてきたように、やっとお兄ちゃんは自分の道を歩き始めるんだ」


 確かに、ロメオは今までずっと頑張ってきたのかもしれない。

 けれど、それはロザリアも同じことだ。

 ロメオは『マタダムの目録』に書かれていた英雄になりたくて、『騎士王』と名乗った。

 いずれ妹を救う立派な英雄になるんだと。

 アウラは心の中で静かに呟く。

 ――ロメオ……お前はもう立派な英雄だ。ロザリアにとっての、一番の英雄になっていたと思うよ。

 夕焼けの空の下、三人の影は長く伸び、ゆっくりと未来へと続いていった。




 日が沈んだ山の中、静寂に包まれた野営地。焚火の薪がパチパチと燃え、赤々とした炎が揺れている。

 ロザリアはすでに眠りにつき、寝息を立てていた。火の光に照らされたその横顔は、昼間の騒がしさとは打って変わって穏やかだった。

 その傍らで、アウラは丸太に腰掛け、手元の本にペンを走らせていた。

 ユラは静かに降り立ち、アウラの隣にそっと身を寄せる。


「前から気になってたんだけど、何してんの?」


 そう囁きながら、彼の持つ本を覗き込む。

 柔らかい感触が腕に触れる。アウラは一瞬意識を持っていかれたが、すぐに気を取り直し、静かに答えた。


「日記だよ。くだらないこと、適当なことを書いてるんだ。なんとなく……忘れないように、いつか思い出せるようにって。無駄に長生きしてると、どんどん昔のことを忘れていくからな。……まあ、大して思い入れて書いてるわけじゃない。ただなんとなく思い出したときに書いてるだけだ」

「ふーん。そういうの、見られても別に何とも思わないんだ」

「そう思うなら見るなよ」

「だって、隠してる感じしなかったもん」

「……まあ、隠してないしな。羞恥心てやつだっけ、もうそんな感情も遠い昔に無くしたよ」


 アウラの言葉は淡々としていた。そこに悲しみはない。けれど、それが無関心とも違うことを、似た境遇を持つユラはなんとなく察していた。

 二人は無言のまま夜空を仰ぐ。

 焚火の光が弱まり、星々の輝きがより一層際立つ。風がそっと草を揺らし、静寂が辺りを包む。

 アウラは心の奥で、小さく安堵していた。

 こんなくだらない会話でも、同じ境遇のユラと些細なことを共感できる。その事実が、どこか心地よかった。


「そっか」


 ユラの優しい声が、夜風に溶けるように小さく響く。

 ふとアウラはユラに目を向けた。

 ユラは穏やかに微笑み、そしてさらに顔を近づけてくる。


「なら、私が全部思い出させてあげる! 忘れてしまったこと! ぜんぶぜーんぶ!」


 その言葉には、無邪気さと強い願いが混ざっていた。記憶をなくし、地縛霊となってしまったユラの願い。自分のことさえ忘れてしまった彼女が、それでも誰かの記憶に残りたいと願う切実な想い。

 どうして俺なんかに。優先順位が間違ってる。


「ははは」


 思わずアウラは笑ってしまった。ユラの言葉は、なぜかすんなりと心に染み込む。


「ちょっと! バカにしてるでしょ!」

「ああ」

「え? ちょ、少しは隠しなさいよ!」


 夜の山の中、二人のやり取りが静かに響く。

 そして、笑いの余韻が残るなか、今度はアウラの方からそっとユラに寄り掛かった。

 普段よりもユラの体が、どこか温かく感じる。

 忘れていた人のぬくもりを、もう一度思い出すように。



 気が付いたら眠っていたアウラ。

 目を開けると、目の前にはロザリアのニマニマとした笑顔があった。焚火の残り火が微かに揺れ、朝のひんやりとした空気が頬を撫でる。

 寝起きのぼんやりした脳を必死に回転させる。なぜロザリアがこんなにも嬉しそうにしているのか。その意図を探るうちに、昨夜の出来事が頭の中で鮮明によみがえった。

 ――ユラに寄りかかって、眠っていた。

 意識が完全に覚醒し、視線を横に向けると、そこにはユラの姿があった。相変わらず無邪気な寝顔を浮かべている彼女を目視した瞬間、アウラはすべてを理解した。

 ゆっくりと身体を起こしながら、ロザリアに問いかける。


「……何でそんなに嬉しそうなんだよ」


 ロザリアは口元を押さえながら、楽しそうに目を輝かせる。


「昨日、いい感じだったんだーって思って! だって寄りかかって寝てたわよね?」


 その言葉に、アウラは言葉を失う。

 隠す理由があるわけではない。事実なのだから。しかし、なぜか心の奥がむずがゆく、落ち着かない感覚に襲われる。


「でもよかったわ! やっとユラがそこにいるんだって感じられたから」


 子供のように無邪気に笑うロザリア。その笑顔には、疑いも揶揄もなく、まだ14歳のただ純粋な喜びが溢れていた。

 それがどこか、悪い気はしなかった。


「あー、分かったね、これで」


 隣から、眠たそうなふわふわとした声が聞こえてくる。ユラが、まるで夢の続きを見ているように呟く。


「これが羞恥心だぞー」

「……そうかよ」


 アウラは、わずかに口元をほころばせながら答えた。

 焚火の煙がゆっくりと空に昇っていく中、朝の静寂に溶け込むような微笑ましいひとときだった。


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