第6話 16歳の少年
英雄試練後の宴会。
英雄試練の達成者に、それぞれ紋章が表彰される。
貴族や富豪たちが見つめる中、たった一人だけ虹の紋章に選ばれたロザリアが、堂々と入場する。滅多に現れない虹の紋章の持ち主。その存在に、会場の誰もが注目していた。
しかし――ロザリアは何も気にする様子もなく、荒々しい足取りで まっすぐ ロメオの元へと向かう。
その大きな態度に会場がざわつくが、ロザリアは一切意に介さない。
騎士王ロメオの宣誓と共に、虹の紋章が授けられようとしたその瞬間。
ロザリアは 鋭い目で静かに問いかけた。
「アウラはどこ?」
ロメオは、隣に控える配下から虹の紋章を受け取りながら、冷たく答える。
「出ていったさ、この国を」
その瞬間、ロザリアの瞳が鋭く光る。次の瞬間、彼女はロメオの差し出す手をはたき落とした。虹の紋章が、会場の床を転がる。
ロザリアは、その場にいる誰にも構わずはっきりと宣言する。
「誰よりも強くなるために参加したの。そんなものに興味はないわ! 私は、私の夢のために進む。誰にも邪魔させないから!」
ロメオを真っ直ぐに見据えた後、ロザリアは勢いよく背を向け、会場を飛び出した。その背を、ロメオは 静かに目で追う。やがて、彼の唇がかすかに動く。
思わず、笑みがこぼれた。
巨大な鉄の門が、ある少女の蹴りによって吹き飛ばされた。轟音とともに、門は地面に叩きつけられ、周囲に砂煙を巻き上げる。その知らせはすぐに、ジョバンナの手によって王室にいる 騎士王ロメオ へと届けられた。
王室。
「はっはっは! ロザリアらしいじゃないか 」
ロメオは朗らかに笑い、対照的にジョバンナは大きくため息をつく。
「あの子ったら、全く……」
そのやりとりを見ていたエルギンは、困惑の表情を浮かべる。
「よろしいのですか?」
ロメオは、ゆったりと椅子にもたれながら 静かに微笑む。
「ああ、いいんだ。 ロザリアは強くなってくれた。これでロザリアの選択を邪魔する者はもういない。ロザリアは自分の意志で、自分の好きな道を選べるんだ。そして、彼女は――アウラの背中を追う道を選んだ」
その言葉は、どこまでも優しく、誇らしげだった。
しかし、その背景を知るエルギンには、とても納得できるものではなかった。
「ですが…… この先の計画は? ヘスティ様には、なんとお伝えするのですか? 」
ロメオは、肩をすくめながら 軽やかに笑い飛ばす。
「それはまた考えるさ」
困惑するエルギンの肩に、ジョバンナが軽く手を置く。
「まぁ…… 慣れなさい」
その言葉に、エルギンは深く溜息を吐いた。
山奥の静かな村――ロメオとロザリアの故郷。
澄んだ空気に包まれたその場所で、二人は両親と共に、ささやかながらも穏やかな日々を過ごしていた。しかし、その平穏はある夜、突然崩れ去った。
漆黒の影が村を覆い尽くし、炎が夜空を裂いた。魔族の襲撃だった。人々の悲鳴と剣戟の音が響く中、ロメオは幼い妹を庇いながら、必死に走った。だが、抵抗は無意味だった。両親は魔族の刃に倒れ、村は瞬く間に蹂躙されていった。
――そして、捕らえられた二人は奴隷として魔界へと連行された。
暗く淀んだ空の下、死臭の漂う牢獄のような馬車の中で、ロメオは幼いロザリアの手をぎゅっと握り締めた。泣き叫ぶこともできなかった。ただ、絶望だけがそこにあった。
だが、その道中、別の魔族の群れが襲いかかった。混乱の中、奴隷も魔族も無差別に殺され、道には夥しい数の死体が転がった。惨劇の只中で、ロメオとロザリアだけが奇跡的に生き残った。
その光景の中、ただ一人、ゆっくりと歩く影があった。
ヘスティ――彼女は血の匂いが漂う戦場の只中に現れた。
魔族でありながら、どこか人間めいた冷ややかな目で、二人を見下ろしていた。泣き叫ぶでもなく、助けを求めることすらできなかったロメオとロザリア。だが、ヘスティは何も言わず、ただ二人を拾い上げた。
それが、彼らの運命を変える出会いだった。
魔界での生活は、過酷そのものだった。食事を与えられる代わりに、命のやり取りを強いられた。訓練と称した戦闘の中で、何度も死の淵をさまよった。何度泣き叫んでも、助けは来ない。生き残るためには戦うしかなかった。
やがて二人は、人界――王都デネボラへと連れてこられた。そこは魔界とは対照的に美しく整った都市だったが、ロメオはすぐに気付いた。ここはただの都ではない。ここは――ヘスティの王国だった。
王都デネボラの女王――それが、ヘスティの正体だった。
そして始まる、さらなる過酷な鍛錬。訓練などという生ぬるいものではない。死と隣り合わせの戦いだった。何度骨を折られ、何度血を流し、何度気を失ったか分からない。
そして、ある日――ロメオは真実を知った。
ヘスティの目的。それは人間と破壊神ダリアムの血を掛け合わせ、最強の子を生み出すこと。
魔族にとって、性別は意味を持たない。だが、最終的に選ばれたのは……ロザリアだった。
その事実を知ったとき、ロメオの血の気が引いた。
冗談ではない。ふざけるな。
何のために、ここまで生き延びてきた?何のために、あの地獄を乗り越えてきた?
――ロザリアを守るためではなかったのか。
ロメオはヘスティに必死に抗議した。だが、ヘスティは凍るような冷ややかな目線を向けるだけだった。
「あなたが決めることじゃない」
その冷たい声が、ロメオの心を凍らせる。幼かったロメオに、抗う手段などなかった。そして――ロザリアに真実を伝える勇気もなかった。
だからこそ、彼は罪を犯した。
コップに入れられた赤黒い液体――破壊神ダリアムの精液。それを、毎晩ロザリアに手渡すのはロメオの役目だった。
「嫌だ、苦い……こんなの飲みたくない」
ロザリアは顔をしかめ、コップを押し返す。だが、ヘスティからでは飲んでくれない。だから、ロメオは優しく微笑み、嘘をついた。
「大丈夫、これは薬だよ。強くなれる薬だから」
本当は毒なのに。本当は、彼女の身体を蝕む呪いなのに。
ロメオはロザリアの手を握り、促すようにコップを傾けさせた。信じ切った妹は、嫌そうにしながらも、毎晩それを飲み干した。
――そのたびに、ロメオの心は軋んだ。
だからこそ、彼は戦いの稽古をつけた。必死に剣を振るい、ロザリアに打ち込んだ。兄としての優しさを捨て、憎まれることを選んだ。
「もっと早く動け!そんな攻撃じゃ私を守れないぞ!」
わざと冷たい声を投げつけた。痛みを伴う稽古の中で、ロザリアの瞳は次第に鋭くなっていく。それでいい、それでいいんだ。ロメオは自分に言い聞かせながら、剣を振り下ろした。
それは厳しさを極めた訓練だった。ロザリアに憎まれるために。ロザリアに怒りと憎しみを刻むために。ロメオはわざと厳しく接した。
真実を伝えられなかった。彼女の代わりになれなかった。ヘスティを止めることができなかった。
その無力な現実から逃げるように、ロメオはロザリアを恨ませようとした。地獄のような稽古の中で罪悪感を誤魔化し、ストレスをぶつけるように。
魔族は憎しみと怒りで強くなる。それを、彼は誰よりも知っていた。
大好きな妹が、たった一人の家族が、魔族へと変わりつつあるのを、肌で感じながら。ただ、必死に嫌な気持ちを押し殺した。どんなに憎まれようが、どんなに嫌われようが、そんなことはどうでもよかった。
あの日、亡くなった両親が必死にロメオとロザリアを守ったように。
ロメオにとって、ロザリアが一人でも生きていける強さを持つこと――それが何よりの願いだった。
壊された城門を静かに見つめるロメオ。冷たい夜風が吹き抜け、彼の赤い髪をかすかに揺らす。
遠ざかる足音が聞こえなくなった頃、ジョバンナがそっと声をかける。
「でもよかったの? あんな別れで、全てロザリアのためにここまでやって来たんでしょ」
ロメオは視線を落とし、静かに息を吐いた。わずかに笑みを浮かべながらも、その目は寂しさを帯びている。
「いいんだ。もう心配はいらないって、そういう姿を見せてくれたんだから」
そう言うと、ロメオはゆっくりと顔を上げ、ジョバンナの方を見た。
「それよりも、ジョバンナ。今までありがとう。ロザリアを城から追い出したあの日からだったね。ロザリアの護衛をお願いしたのは。ロザリアの世話や稽古の相手、外での生き方を教えてくれてたことは知ってるよ。護衛以上の仕事をしてくれた」
ジョバンナは苦笑しながら肩をすくめる。
「いいんですよ、ほっとけなかったから。人との関わり方は何も学ばなかったですけどね」
ロメオの感謝の言葉に、ジョバンナは少し照れくさそうに視線を逸らした。
「エルギン、君を唐突にこんなことに巻き込んでしまい、すまない。ただ、付き合ってくれてありがとう」
ロメオは静かに微笑むと、エルギンの肩に軽く手を置いた。
「いえいえ。光栄です。ロザリア様は本当にお強かったです」
エルギンの言葉に、ロメオの表情が少しだけ柔らぐ。けれど、その瞳の奥には消えない何かがあった。
彼は大きく息をつくと、ゆっくりと城門の向こうを見つめた。
まるで、そこにいるはずのない妹の姿を探すように。
「そうか。……本当によかったよ」
夜空に溶けるように、その言葉は静かに消えていった。
ロメオの震えた小さな声に、エルギンは反応しかけた。しかし、その肩にジョバンナの手がそっと置かれる。無言の制止。
ロメオは咄嗟に顔を窓の方へ向けた。だが、込み上げる感情を抑えきれず、頬を涙が伝う。
騎士王と称されるほど強くなったロメオでも、一度決壊した感情を止めることはできなかった。
これまでの行いが、ロザリアとの記憶が、涙とともに溢れ出す。
もっと優しくしてやりたかった。くだらない話をして、一緒に笑い合いたかった。鬼ごっこやかくれんぼをして、何の心配もなく遊びたかった。楽しい思い出を、二人でたくさん作りたかった。
――それが叶わなかった。
押し殺していた願望が、次々と溢れ出る。きっとロザリアも同じことを思っていたのではないか。そう考えた途端、もう堪えられなかった。
この国の子供たちが当たり前のように享受する日常を、ロザリアに与えてあげたかった。だけど、それは叶わなかった。
その現実が、罪悪感と悲しみとなって、一気に押し寄せる。
ロメオの肩が震えた。
そして、子供のように声をあげて泣いた。
今まで耐え続けてきた涙を。ロザリアに一度も見せなかった涙を。ため込んできたすべての涙を、吐き出すように。
騎士王の姿は、そこにはもうなかった。
そこにいたのは、まだ16歳の、ただの少年だった。