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第42話 最後の戦い

 上春レオン。

 それが、日本で生きていた頃の俺の名前だった。

 俺は生まれた時から、自由というものを知らなかった。

 両親は厳格で、何もかもを管理された。起きる時間、食べるもの、勉強する内容、進むべき道。すべてを決められ、従うことだけが俺の役目だった。

 それが普通だと思っていた。しかし——中学に上がる頃、俺は気づいてしまった。俺の家は異常なのだ、と。

 周りの友人たちは、笑っていた。ゲームをし、ふざけ合い、家族と些細なことで喧嘩をし、仲直りしていた。けれど俺には、それがなかった。

 自由を求めた。手に入れたかった。だから、反抗した。

 わざと決められたルールを破り、門限を破り、学校をさぼり、夜の街を彷徨った。だが——どうすれば人と関われるのかがわからなかった。俺は、普通の関わり方を知らなかったのだ。

 ただ、誰かと繋がりたくて、殴り合った。喧嘩を繰り返すたび、どこか満たされる気がした。自分の存在が、そこにある気がした。しかし、そんなことが許されるはずもなく、何度も警察に捕まり、学校では停学を繰り返した。

 最初は怒鳴りつけてきた親も、次第に何も言わなくなった。その無言の圧力が、何よりも恐ろしかった。

 俺は、孤立した。高校には進まなかった。家に引きこもり、ただ時間だけが過ぎていった。親は俺を放置した。話しかけることもなくなった。俺も、もうどうでもよかった。

 気がつけば、何年も過ぎていた。

 そんなある日——俺は異変に気づいた。

 リビングの隅に、二つの影があった。動かない両親。薄暗い部屋の中、腐臭が鼻をついた。——ああ、死んでいる。その事実に、何も感じなかった。何も——何も感じることができなかった。ただ、それだけだった。

 久しぶりに見た生きた人間は、俺の親戚だった。俺を見下ろす、その目。汚物を見るような、冷え切った瞳。それで、すべてを理解した。

 俺は——ただの不要なものだったのだ。それなら、消えてしまおう。

 俺は、家にあった紐を手に取った。静かに、無感情のまま、首に巻きつける。あとは——ただ、力を抜くだけだった。


 不死となったマタダムにとって、人の命など地面に転がる石ころと同じだった。落ちている石を蹴り飛ばすように、彼は人を殺した。痛みも、恐怖も、罪悪感も、すべてが薄れていく。剣が刺さっても、首を斬られても、焼かれても、感覚はすぐに戻る。

 死の恐怖を知らない彼にとって、世界は単調すぎた。何をしても満たされない。どんな刺激も、すぐに慣れる。人を殺すのも、町を焼くのも、戦場を駆けるのも、もはや退屈な遊びだった。

 もっと強い刺激を。もっと、もっと、もっと——マタダムの目に映ったのは、広大な王国だった。

 エレイン王国。かつて世界最大の繁栄を誇った国。マタダムは、ふと思った。国を滅ぼしたことは、まだなかったな。

 どこまでも愚かな思いつきだった。だが、それを止めるものは誰もいなかった。この退屈な世界を、少しだけ面白くしてみよう。

 彼は、自らの持てる最大限の力を試すことにした。

 自爆魔法エンド——存在するものすべてを消し去る絶対の破壊。そして、超魔法ビッグバン——すべての魔力を燃やし尽くし、世界を焼き払う最終魔法。

 その二つを掛け合わせる。彼自身の血を触媒にし、魔法を紡ぐ。二つの最強魔法が共鳴し、核反応を起こすように暴走していく。大気が震え、大地が悲鳴を上げる。

 空気が熱に焼かれ、世界そのものが歪む。魔力は膨れ上がり、光が世界を包み込んだ。

 そして——次の瞬間、エレイン王国は消えた。

 大陸を覆うほどの巨大な閃光とともに、栄華を極めた国は、灰すら残さず消滅した。

 ただの気まぐれで、王国が一つ消えたのだ。マタダムは、ただその光景を見下ろしていた。

 ——さて、これで何か変わるのか?

 何も変わらなかった。心は冷めたままだった。刺激を求めたはずの彼の胸には、ただ、深い虚無だけが広がっていた。




 ——もういいんだ。終わりだ。これで俺も死ねる。長かった。苦しかった。終わりにしたかった。ようやく、すべてが終わる。もう頑張っただろ。いいんだ。最悪の事態は去ったんだ。……って、何を考えているんだ、俺は。もう関係ないことだろう。死ねばすべて終わりなんだから。

 夢が叶う。唐突に訪れた人生の終着点。ずっと目指していたものが、もう目の前に迫っている。ただ、一つだけ後悔があるとすれば——自分の手で、自分を殺せなかったことかもしれない。

 虚空を見つめるアウラの視界の先で、ロザリアが必死にオノクリアに抗っていた。——勝てるはずがない。初めから負けが決まっている戦いだ。それなのに、彼女は抗い続けていた。自分の願いを叶えるために。自分の心に嘘をつかないために。

 必死なロザリアの姿が、静かに、しかし確実にアウラの心を揺さぶる。意識しないように否定していた心が焦り、不安にざわついた。

 ——何をしてるんだよ。無駄だろう。意味がない。

 そう、俺にはもう何もできない。まるでアウラの心の声が届いたかのように、ロザリアと目が合う。

 彼女の瞳が、問いかけていた。


 本当にそれでいいの?


 胸の奥が、ぐちゃぐちゃにかき乱される。その言葉を否定するように目を閉じ、心の中で叫んだ。

 ——ここで俺に何ができる!?無敵だったから何とかなっただけだ!力を失った俺に、一体何をしろっていうんだ!?もう十分だろう、な? 終わりだ、終わり。ああ、清々する。これでやっと解放される。

 そんな自分に、もう一人の自分が問いかける。

 ——本当にそれでいいのか?皆は?ここまでやってきたのにか?

 必死にその考えを振り払おうとした瞬間、なぜかユラの笑顔が脳裏に浮かぶ。

 ——もう会えるからだろう?

 そう思おうとしても、その顔が胸の奥で引っかかる。

 あの言葉が、ふいに蘇った。

 

『後悔なんてしないでね』


 ユラの最後の言葉が、アウラの心を焼くように焦らせる。まるで、あの笑顔が「それでいいの?」と問いかけているように——。

 同時に、アウラの中にユラの声が蘇る。それがいつ言われた言葉だったのか、思い出せない。けれど、その言葉は、まるで最初からそこにあったかのように、アウラの心の奥へとすっと入り込んだ。


 『アウラ。大丈夫。あなたは強い。自分が思っている以上に強いんだよ』


 ユラの声は穏やかで、優しく、それでいて確信に満ちていた。


 『逃げるためにその夢を追いかけているんじゃない。死の恐怖を恐れないため。だから、自分の人生すべてを賭けて行動できる。どんな意思にも、逆境にも打ち勝てる。そんな、誰にも負けないような、最も人間らしい力を求めている……そんな、強い人間なんだよ!』


 ——最も、人間らしい力。

 アウラは目を閉じる。

 その言葉が、心臓に直接、突き刺さる。


 『何にだってなれるよ!人生は決まってない、だから思い通りにできる。あの日、アウラがそう教えてくれたんだよ?』


 そうだ。あの日、壁の向こう側で、俺はユラにそう伝えた。なら、今度は——。


 『さぁ、見せてあげようよ。そして気づかせてあげよ?人の本気がどれだけ凄いのかって!』


 その瞬間、アウラの閉じていた目が開かれる。

 ロザリアの怒鳴り声が、意識を引き戻すように響いた。


「アウラ!!」


 ハッとしたように顔を上げる。

 ロザリアが、必死にオノクリアに抗いながら、血まみれの顔でこちらを睨みつけていた。その目には、怒り、悔しさ、そして——涙が滲んでいる。


「アウラ!!もう死ねるんでしょ!?最後なんでしょ!!?なら戦いなさいよ!!足掻きなさいよ!!!」


 その声は、まるで背中を蹴り飛ばすような怒号だった。


「歴史に書ききれないほどの悪行を今までやってきたんでしょ!!!最後ぐらい、真剣にその罪を償いなさいよ!!!!マタダムなんでしょ!!!何のために書いてきたのよ!!!そのマタダムの目録に!!恥のないような最後にしなさいよ!!!!!!!」


 ロザリアの言葉が、鋼の槍のように突き刺さる。アウラは気づいてしまった。自分の本心を。自分が何を求め、何を目指していたのかを。

 あの日、引きこもっていた自分から変わりたかった。誰かに認められるような、そんな人間になりたかった。自分の意志に打ち勝てるような、強い人間になりたかった。

 ならば——最後に立ち向かうべき相手は決まっている。

 アウラは、腹に突き刺さった剣を掴み、ゆっくりと体を起こす。


「ヘルトォォォォォオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!」


 声が、咆哮となり、魂を震わせ、世界に轟いた。

 剣を引き抜く。

 裂けた肉が、骨が、血が飛び散る。

 痛み?そんなもの、関係ない。痛みは、魂を燃やすための燃料だ。

 激痛を、咆哮に変える。

 ヘルトが、口元を歪めながら、新たな剣を作り出す。


「アウラァァアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」


 二つの声が、ぶつかり合う。

 感情が、衝突する。魂が、激突する。剣が、交差する。

 マタダムの目録に記された最後の戦いの火蓋が、今——切って落とされた。


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