第38話 ロメオの思い出
王都デネボラ——王座の間。
イシアルの声が静かに響いた。
「ロザリアが魔王になれば、このゲートを全て止められる」
その言葉は重く、決定的だった。ロメオの眉がわずかに寄る。イシアルは続ける。
「そのために——ヘスティを殺す」
宣告のような言葉だった。
イシアルの視線には迷いはない。悪者でいい。嫌われ者でいい。ロザリアは初めから魔族になる覚悟をしていた。なら、私はその背中を押す。
——ロザリアはもう半分は人ではない。
仮にロザリアを魔王にする選択を取らなかった時、長い歳月を経て、いずれ彼女も気づくはず。ロザリアを優先したがために数え切れないほどの人々を犠牲にしてしまったことに。そして、いずれ、イシアル自身も選択の重みに気づき、悔いる日が来る。ロザリアを優先してしまったがために、ロザリア自身がその事に気づき、自分を責める。
その気持ちを知ってか知らずか、ヘスティの声が、イシアルの胸を刺す。
「殺していい。それがいいなら」
ヘスティの言葉は氷のように冷たく、まるで感情が抜け落ちていた。だが、その目の奥にわずかに揺れるものがある。
本当に、この言葉の意味を理解しているのか——イシアルは疑問を抱いた。だが、そんなヘスティだからこそ、この二百年、人族は生き延びることができた。優しく、純粋すぎる魔王。その無垢な存在が、イシアルの胸を強く締め付ける。
「ヘスティ様!なりません!」
ロメオの声が空間を震わせた。
「ジョバンナからお役目を授かった!人のために、この世界のために、ひたすら進み続けた。その培ってきた二百年余りを、無駄になんかできない!」
剣を構え、ロザリアの前に立つ。
「ロザリアを魔王にするなんて——言語道断だ!」
次の瞬間、剣撃が閃いた。ロメオの剣を、イシアルの聖剣が受け止める。刃と刃がぶつかり合い、火花が散る。イシアルの腕に痺れが走る。
ロメオの剣は——重い。ただの青年の剣撃とは思えない。その剣には、決意が、激情が、誓いが込められていた。
「ロザリアを魔王にはさせない……!」
ロメオは叫ぶ。
イシアルの剣を押し返し、次々と鋭い斬撃を浴びせる。イシアルは防御に回るしかなかった。
——どうして。魔族でもない、固有スキルも持たないただの青年が、どうしてここまでの剣技を振るえる?
その卓越した剣筋、その揺るぎない気迫——イシアルの勇者の力が、ロメオの記憶を映し出した。
魔界——それは生者を拒む世界。赤黒い空は常に陰り、地には瘴気が這い、そこに住む魔族たちは力を求めて牙を研ぐ。ここでは、強さこそがすべてだった。強い者は生き、弱い者は喰われる。それが魔界の摂理。
そんな地獄のような世界の片隅に、小さなログハウスがぽつんと建っていた。
ありふれた木の家だった。風に揺れる布のカーテン、壁際に並ぶ手作りの本棚、暖炉の火がかすかに揺らめいている。魔界の過酷な環境に似つかわしくない、妙に穏やかな空間だった。
そして、その部屋の中——ロメオはベッドに横たわるロザリアの手を、じっと握りしめていた。
赤髪の少女の額には、玉のような汗が滲んでいる。荒い息遣いが室内に響き、時折、微かなうわ言が漏れた。魔界に連れてこられてから、ずっと彼女は過酷な環境に耐え続けていた。瘴気、汚染された水、体を蝕む魔の気配——魔族でなければ、この世界はあまりにも厳しすぎた。ついにロザリアは熱を出し、倒れた。
ロメオはどうすればいいのか分からなかった。助けを求めたところで、この世界には頼れる人間などいない。だから、ただひたすら彼女の名前を呼んでいた。
「ロザリア……」
そのとき——小さな足音が聞こえた。
「ロメオ、邪魔」
淡々とした声が、ロメオの背後から響く。振り向くと、そこにはヘスティが立っていた。
少女の姿をした魔王。魔界の支配者。けれど、彼女は王の風格を纏っているわけでも、圧倒的な威圧感を放っているわけでもなかった。彼女はただ、静かにロザリアの顔を覗き込んでいた。
無表情のまま。
「ヘスティ……ロザリアを助けてくれるの?」
ロメオはすがるように問いかける。だが、ヘスティはすぐには答えなかった。
「分からない」
その言葉は、あまりに冷たく、あまりに淡々としていた。
ロメオの心が凍りつく。だが、それがヘスティという存在なのだ。彼女は人間ではない。人間の感情を持たない。だから、"助ける"という概念すら持っていないのかもしれない。
それでも、彼女はロザリアの額に手を当てた。小さな手はひんやりと冷たく、それが熱に浮かされるロザリアの肌を少しだけ落ち着かせる。
「……放っておいたら、死ぬ」
ロメオは息を呑んだ。
「そんなの……そんなの嫌だ!ヘスティ、ロザリアを助けて!」
ヘスティはロメオをじっと見つめる。その瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。ただ、目の前の少年が、妹のために必死になっている。それだけを見ていた。
そして、ふと——。
「……分かった」
短くそう言うと、ヘスティはゆっくりと魔力を放った。青白い光がロザリアを包み込む。それは魔界の瘴気を薄め、彼女の身体を少しでも楽にするためのものだった。
やがて、ロザリアの呼吸が落ち着く。額の熱も、少しずつ引いていく。
ロメオはホッと息をついた。
「……ヘスティ……?」
か細い声が漏れる。ロザリアが薄く目を開き、ヘスティを見上げた。
ヘスティは、じっと彼女を見つめる。
「お前は、弱い」
唐突な言葉に、ロザリアは戸惑ったように瞬きをする。
「……うん」
それは紛れもない事実だった。ロザリアは弱かった。ロメオが守らなければならなかった。ヘスティが助けなければ、きっとこの世界では生きていけなかった。
「それでも、生きる?」
「……うん」
「どうして?」
「ロメオがいるから」
ヘスティは、一瞬だけ考えた。そして、そっと立ち上がると、ロメオを振り返った。
「ロメオ、食べる」
「え?」
「食べる」
ヘスティは手を伸ばし、テーブルの上のスープを指さした。黒く濁った液体の中に、何かが蠢いている。魔界の食材は、人間には到底食べられない見た目をしていた。
ロメオは思わず顔をしかめた。
「うっ……」
「食べないと、死ぬ」
「……」
ヘスティの言葉は、淡々としていた。
魔界では、力がなければ生きられない。魔力を持たない人間の体は、魔界の環境に適応するしかない。それができなければ、ただ滅びるだけ。
ロメオはゆっくりとスプーンを手に取った。口に運ぶと、思っていたほど不味くはなかった。けれど、飲み込むたびに何かが喉の奥で蠢く感触がした。
「……なんとか、食べられる……」
彼は静かに呟いた。ロザリアが眠っている横で、ロメオは静かにスープを飲み続けた。
魔界は過酷で、残酷で、容赦がない。
けれど、そんな世界の中でも、こうして誰かと生きることはできるのだと——ロメオは、小さく息をついた。
「……ありがとう、ヘスティ」
ヘスティは何も言わなかった。ただ、ロメオの手がロザリアの手を握っているのを、じっと見つめていた。
そして、その目に——微かに、何かが映っていた。
それが何なのか、ロメオには分からなかった。
けれど、確かにそこには——何かが、あった。
ロメオは薪が爆ぜる音を聞きながら、ふと、過去を思い出した。
魔界に来たばかりの頃、ロザリアと二人で初めて外を歩いたときのことだ。
「ロメオ、見て!」
ロザリアが指を差した先には、異様な光景が広がっていた。黒紫の花が、一面に咲き乱れている。魔界の花園。
「こんなところに花が?」
ロメオは驚いた。魔界は荒れ果て、死が支配する世界だとばかり思っていた。しかし、その花は確かに美しく咲いていた。
「ねえ、触ってみようよ!」
ロザリアが手を伸ばす——その瞬間、花の茎が突如牙を剥いた。
「——っ!」
素早く手を引いたロザリアの指先を、茎の棘が掠める。花の根がまるで蛇のように動き、噛みつこうとしていた。
「やばっ!……これ、食虫花?」
「いや、もう食魔花だな……」
ロメオは冷や汗をかきながらロザリアを引き戻した。魔界の自然は、美しい——しかし、同時に危険だった。この世界では、花すらも喰らう。
「ロメオ」
ロザリアは指先をじっと見つめながら、静かに呟いた。
「この世界……なんか、すごく綺麗」
ロメオは驚いた。
「お前、今のを見てまだそう思うのか?」
「うん。だって、何もかもが生きるために動いてる。花ですら、生き延びるために戦ってる」
ロザリアの目は、輝いていた。
「……私たちも、きっと同じだよ」
ロメオは、言葉を失った。生きるために戦う——それは、人間も魔族も変わらない。魔界は過酷だった。だが、そこには確かに生の躍動があった。
——それを、ロザリアは“美しい”と感じたのだろう。
ロメオはふと、再びヘスティを見る。
彼女は変わらず静かにロザリアの額を冷やし、魔界の薬草を調合していた。この世界の摂理を知ってなお、ヘスティは“守る”ことを選んでいる。
ロメオには、まだ彼女の本心が分からなかった。だが、この温もりだけは確かだった。
——魔界の中に、奇跡のように存在する、静かな優しさ。
ロメオは、そんなヘスティの姿を目に焼き付けるように見つめていた。
王都デネボラの夜は穏やかだった。街の灯りが波のように広がり、風が静かに石畳を撫でていく。ロメオは城のバルコニーに佇み、遠くに広がる景色を眺めながら、小さく息を吐いた。
——ロザリア、元気にしてるかな。
旅立ってからしばらく経った。彼女の無鉄砲さを考えれば、毎日何かしら無茶をしていることは容易に想像できる。とはいえ、ロザリアにはアウラがついている。きっと大丈夫だ。いや、そう信じるしかない。
「ロメオ」
不意に、背後から静かな声がした。
振り返ると、ヘスティが立っていた。月明かりを浴びた彼女の白い髪は淡く輝き、まるでこの世のものではない幻想のようだった。
「こんな時間に珍しいね。ヘスティは夜更かしするタイプじゃなかったと思うけど」
ロメオが微笑むと、ヘスティは僅かに首を傾げた。
「ロメオこそ、何をしてるの?」
「風に当たってたんだ。……ちょっと、考えごとをしながらね」
ヘスティはロメオの隣に来ると、静かに町の灯りを見下ろした。
「ロザリア?」
「……ああ、そーさ」
ロメオは苦笑し、手すりに寄りかかった。
「ロザリアがいなくなってから、……ちょっと寂しいんだ」
「……ロメオは、ロザリアのこと、大切に思ってるのね」
「当たり前だよ。妹だからね」
ロメオは優しく笑った。
「でも、あの子が旅立ったのは、自分の意思だ。止める理由はなかったし、僕ができることは、彼女が帰ってくる場所をちゃんと守ること。それだけさ」
「そっか」
ヘスティは小さく頷いた。
「ヘスティも……似たようなことを考えてたんじゃない?」
ロメオが問いかけると、ヘスティは静かにロメオを見上げた。
「……どういうこと?」
「アウラのことだよ」
ヘスティのまなざしが、僅かに揺れた。ロメオはそれを見逃さなかった。
「ヘスティは、人間のことを知りたがってるよね。でも、それに、アウラも協力しているの?」
「……」
「ヘスティにとって、アウラはどんな存在なんだろう。僕から見たら、なんだか……妹みたいな感じがするよ」
ヘスティの表情は変わらなかった。ただ、ロメオにはわかった。彼女の中にある"何か"が揺れ動いていることが。
「……うん。……マタダムは、変な人」
「マタダム?」
「……うん。貴方の言うアウラがマタダム。あの本を書いてる人。私のお兄ちゃん」
その言葉に、ロメオの胸がざわついた。
「……それって、どういうこと?」
「わからない。でも、お兄ちゃんだって、ミラルフが言ってた。……私がまだ、魔王デネボラだった時から」
——決定的だった。ロメオの脳裏に、過去の記憶がよみがえる。アウラが、マタダムではないかと問いかけたあの日。彼は何も答えなかったが、今この瞬間、ロメオの中で答えが確信に変わった。
ヘスティの中にある特別な感情は、家族へのそれに似ている。もしかすると、アウラはヘスティにとって、兄のような存在だったのかもしれない。
ロメオはふっと笑った。
「ヘスティがアウラを"お兄ちゃん"って思ってるなら……それなら、僕の気持ちもちょっとわかるかもな」
「……?」
「僕もさ……ロザリアがいなくなって、すごく寂しいんだ」
「……」
「だから、ヘスティの気持ちが、少しだけわかる気がする」
ロメオは、夜空を見上げた。
ロザリアが帰ってくるその日まで。ヘスティが人間のことを知るその日まで。僕は、ここで待つのだろう。まるで、兄の帰りを待つ妹のように。
そう思った時、ロメオはふと気づいた。ヘスティを見つめる自分の視線が、以前とは違うものになっていることに。彼女は人の気持ちを理解できないと言うけれど、それでも、どこかで人に寄り添おうとしている。
無表情な顔の奥にある、言葉にならない感情を探してしまう自分がいる。この気持ちはなんだろう。ロザリアを想うそれとは違う。どこか胸の奥がざわつくような、この感覚は——。
「……ヘスティ」
名前を呼ぶと、彼女は静かに顔を上げた。その琥珀色の瞳に、ロメオは一瞬、心を奪われた気がした。
「……どうしたの?」
「いや……なんでもない」
ロメオはふっと笑って、視線をそらした。
自分でも、答えの出ない感情に戸惑いながら——。
夜の王都デネボラは、昼間とはまるで違う顔を見せる。灯された街灯が道を優しく照らし、夜風が吹き抜けるたびにどこかの家から楽しげな笑い声が聞こえてくる。屋台の明かりがちらほらと灯り、焼き立てのパンや甘い果実酒の香りが漂っていた。
ロメオはふと横を見る。ヘスティは無表情のまま、じっと夜の街を見つめていた。
「……ヘスティ、楽しい?」
「……楽しい、が、わからない」
小さな呟きに、ロメオは肩をすくめて笑った。
「うーん、じゃあさ、ちょっとついてきて」
ヘスティの手を取り、人混みの中をゆっくりと歩き出す。
目の前には、大道芸人が火を使ったジャグリングを披露していた。観客たちの歓声が響き渡る。ロメオはヘスティの横顔をちらりと見た。彼女はじっと、その光景を見つめていた。
「すごいね」
「……うん」
ヘスティの表情に微かに変化があった気がして、ロメオは満足そうに頷いた。そのまま彼は、小さな屋台の前で足を止めた。そこには、焼きたてのパイが並べられていた。
「甘いの、好き?」
「……甘い、の、好きかは、わからない」
「じゃあ試してみよう」
ロメオはパイを二つ買い、ひとつをヘスティに渡す。ヘスティはそれをじっと見つめ、少しだけ首を傾げた。
「……食べる、の?」
「そうだよ、食べるんだよ」
ロメオは自分のパイをかじって、満足げに頷いた。
「美味しい。ヘスティも食べてみなよ」
ヘスティはしばらくロメオを見つめた後、ゆっくりとパイを口に運んだ。
一口、二口——。
ロメオはヘスティの反応をじっと見守っていたが、彼女はただ黙々と食べ続けるだけだった。
「どう?」
「……わからない」
ロメオは思わず吹き出した。
「なんで?」
「……美味しい。でも、甘い。……これが、楽しい?」
その問いに、ロメオは少し考えて、やがてゆっくりと答えた。
「うん、きっと"楽しい"ってこういうことだよ。美味しいものを食べたり、誰かと一緒に歩いたり、くだらないことで笑ったり……そういうのが"楽しい"ってことなんじゃないかな」
ヘスティは小さく瞬きをして、考え込むようにパイを見つめた。
「……ロメオは、楽しい?」
その問いに、ロメオは迷うことなく答えた。
「うん。ヘスティとこうして一緒にいるのは、楽しいよ」
ヘスティの琥珀色の瞳が、夜の街の明かりを映していた。しばらくすると、ヘスティがふわりと、ほんの少しだけ微笑んだ気がした。
「……そっか」
ロメオは、その微かな変化を見逃さなかった。ヘスティは人間の感情を理解できないと言う。だけど、今この瞬間、彼女は確かに何かを感じている。ロメオはそう確信した。
——ああ、こんな時間が、ずっと続けばいいのに。そんなことを思いながら、彼はヘスティと並んで、夜の王都をゆっくりと歩き続けた。
剣と剣がぶつかり合い、ロメオとイシアルは現在へと引き戻された。
ヘスティに育てられた少年。ロザリアを守るために剣を握り続けた青年。魔族に囚われても、その誇りを失わなかった王の器。そして——密かに秘め続けた、ヘスティへの恋心。
イシアルの胸に、ひどく痛いものが突き刺さる。ロメオは、ただの人間だった。それでも、魔王に育てられ、剣を振るい続け、何も持たぬまま、それでも戦い続けていた。
イシアルは剣を握る手に力を込める。
「ロメオ……あなたの想いは、痛いほどわかる……」
それでも——。
「それでも、私はロザリアのために剣を振るう!」
強く、振り下ろされた聖剣が、ロメオの剣と正面からぶつかった。
火花が散り、風が吹き荒れる。
王座の間に、再び衝撃音が響き渡った。
「絶対に……絶対に!殺させない!」
イシアルの腕が震えていた。
目の前のロメオは、剣を握りしめたまま、必死に彼女の進行を防ごうと立ちはだかっている。
その姿に、イシアルの胸の奥がずきりと痛んだ。
——どうして、そんな顔をするのよ。
ロメオはただの青年ではない。剣を振るうたびに思い出す。勇者の力が、ロメオの過去を流れ込ませてくる。ヘスティと過ごした日々。何気ない食卓でのやりとり、静かな夜の散歩、笑い合う時間。まるで禁忌のような感情を抱いてしまった青年の、抑えきれない恋慕。
そして——それはイシアル自身にも重なる。
——ロザリア。彼女の笑顔、彼女の声、彼女が何気なく触れた手の温度。あの時のふざけ合い。あの時の優しさ。あの時の——あの時の……。
「絶対に!僕が僕の願いをかなえるために!」
ロメオが叫ぶ。
彼の気持ちを振り払はらおうとしたが、できなかった。イシアルの剣は鈍る。
——何で、こんな時に思い出すのよ。
もしロザリアが、今のロメオと同じ立場にいたら?もし、自分がロメオだったら?もし、自分がロザリアのためなら——どこまでも抗おうとするのだとしたら?
イシアルは心に渦巻く迷いを吐き出さずにはいられなかった。
「どうして……どうして!どうして!どいつもこいつも!」
剣を振るうたびに、胸の奥が締め付けられる。彼らは、どうしてここまで"誰か"のために生きられるのか。どうして、そんなにまっすぐでいられるのか。どうして、自分は——こんなにも醜いのか。
「もう少しぐらい醜くいてよ!」
ロメオの剣を弾く。彼は倒れ込み、床を転がる。
イシアルの視界には、ただひとりヘスティが映っていた。
無表情の魔王。何も言わず、ただ静かに彼女を見つめる。
——どうして抵抗しないの。
「死ぬべき……死ぬべきなの!もう十分生きたでしょ!」
足が前に出る。剣を強く握る。"勇者"として。
「今まで何人の人生を巻き込んだの!その人生にロメオまで巻き込まないで!」
「そうだね」
ヘスティはただそれだけを呟いた。
あまりにも淡々と。あまりにも、優しく。
——どうして、そんな顔をするのよ!!!
「くっ!!!!……言い返してきなさいよ!!!」
剣を振りかざす。あと少しで届く。あと少しで終わる。その時——。
「やめろぉぉぉおおおおおおおお!!!!!!!」
ロメオの絶叫が、夜の王都を引き裂いた。
イシアルは見た。ロメオの顔を。必死に、叫び、手を伸ばす彼の表情を。
次の瞬間、勇者の剣が、ヘスティの小さな体を貫いた。
ヘスティの小さな体が、鮮血を撒き散らしながら剣に貫かれる。その瞬間、世界が反転する。イシアルは息を呑んだ。まるで、異なる二つの世界が一つに溶け合うように、記憶が流れ込んでくる。
一つは、ヘスティの記憶。
もう一つは、彼女の体の元になった存在——ミラルフの記憶。




