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第35話 別れ

 ロザリアの身体は大地に横たわり、荒い息が喉の奥で絡まっていた。

 彼女の周囲には焦げた大地と抉れた地面が広がり、その上に立つサエルの目は、狂気に濁っている。


「貴様貴様貴様貴様貴様!!!!」


 怒号とともに、次々と放たれる魔法の奔流が、ロザリアの身体に容赦なく降り注ぐ。焦げついた肉が瞬時に再生し、深く刻まれた傷が一瞬で塞がる。

 しかし、それは癒しではなく、永遠に続く苦痛の再生だった。

 何度も、何度も、何度でも。ロザリアの体は、自らの意思とは関係なく修復され、そしてまた傷つけられる。生き地獄。

 サエルは肩で息をし、荒々しく空気を吸い込んだ。だが、その瞬間、ロザリアがゆっくりと起き上がる。

 血に塗れた彼女の口元に、微かに笑みが浮かんでいた。


「だいぶ、魔力を使ったんじゃない?」


 その言葉に、サエルの表情が僅かに強張る。ロザリアは倒れたまま力尽きていたわけではない。全ては、魔法を使わせ、魔力を消耗させるためだった。

 自動修復する自らの肉体を利用し、相手のエネルギーを消耗させるための戦略だったのだ。


「だからってお前の攻撃で何ができる。この結界を超えられないだろ」


 サエルは冷笑しながら、悠然と手を広げる。その言葉に答えるように、ロザリアは双剣を振るう。

 しかし、刃はサエルの結界に弾かれ、まるで何事もなかったかのように受け止められる。


「十八枚も張られた結界をどう突破する!」


 その挑発に、ロザリアの瞳が鋭く光る。


「対策? そんなの、あるわけないじゃない」


 ロザリアは膝を軽く折り、深く息を吸う。

 胸の奥で、抑え込んでいた衝動が爆発しそうになる。


「私がやることは、ただぶつかるだけよ!」


 咆哮が轟く。

 ロザリアの魔力が爆発的に溢れ出す。その圧倒的なエネルギーに、空間が歪み、大地が悲鳴を上げる。筋肉が膨れ、血管が浮き上がり、体が魔族のものへと変貌していく。

 彼女の足元にひび割れが広がり、膨大なエネルギーが周囲の空気を震わせる。

 次の瞬間、雷の如き轟音とともに——ロザリアが、結界を突き破った。


「ば、バカな! 速さでこの結界を……!?」


 サエルの声が驚愕に染まる。


「遅い攻撃が重くて、速い攻撃が軽いとでも思ってんの?」


 ロザリアは笑う。


「ゆっくり迫ってくる攻撃が、早く迫ってくる攻撃より強いわけないでしょ!早ければ早いほど、その力は爆発的に跳ね上がるのよ!」


 結界が砕ける音が響く。


「ま、まだ一枚目だ!」


 しかし、その叫びが届くよりも早く——ロザリアの速さは、すでにアウラを超えていた。

 彼女の双剣が、アウラの全速を凌駕する速度で舞い、無数の斬撃が繰り出される。


「ば、バカな! こんな脳筋に! 何の策も減ったくれもない攻撃に! 押し切られるだとぉおおお!」


 サエルの叫びとともに、残りの結界が次々に粉砕されていく。

 剥き出しになったサエルの身体——それはまるで、処刑を待つ囚人のようだった。


「魔王」


 サエルの目が、ロザリアの瞳に映る。

 そこに浮かぶのは、淡く光る魔眼の輝きだった。ロザリアの顔には、悪魔のような笑みが浮かんでいた。血に濡れた双剣を携え、狂気の気配を纏いながら、彼女は微笑む。

 双剣の本来の強みは手数だ。

 だが、この一撃に、それは不要だった。

 地を抉るほどの重い踏み込みとともに、振り下ろされる双剣——その刹那、サエルの立っていた大地が沈み込み、巨大なクレーターが生まれる。

 次の瞬間、轟音とともに、サエルの体は爆砕し、血と肉の破片が空へと舞った。

 血の雨が降る。

 そのまま、彼女は血の雨の中を歩き出す。背後には、無数の肉片が散らばり、赤黒い濁流が流れ続けていた。その景色は、まるで地獄のようだった。

 ——けれど、ロザリアの目は、その景色すらも見えていないようだった。

 何かを振り払うように、ただ前へ、前へと進む。

 ロザリアは、全身をその血に染めながら——ただ愉快そうに、声を上げて笑っていた。

 その背中には、どこか決定的な——取り返しのつかない違和感があった。




 イシアルの腕に、突如として黒い裂け目が生まれた。バランが開いたゲートが、虚無の口のように彼女の腕を飲み込んでいく。その瞬間、勇者の紋章が激しく輝いた。

 魔法使いであるイシアルにとって、"触れる"とは物理的なものではなく、相手の魔力に干渉することだった。バランの魔力に触れたことで、勇者の力が発動する。

 意識の奥深く——それは、圧倒的な記憶の奔流だった。黒い影が世界に降臨する。恐怖と絶望に満ちた空間で、幾千もの命が焼かれ、砕かれ、呑み込まれていく。

 バランの視点を通して、イシアルは見た。魔王デネボラがこの世界に降臨した瞬間の記憶。バランが、あの魔王に立ち向かったときの記憶。——そして、魔王デネボラの"本当の力"を知ったときの記憶。

 圧倒的な力の前に、何もかもが無意味だった。あれは"戦い"ではなかった。ただ、"蹂躙"だった。

 しかし——その記憶の海に溺れそうになった瞬間、現実がイシアルを叩き起こした。

 轟音が響く。振動が地を揺らし、狂気のような魔力が空間を切り裂く。

 イシアルは反射的に腕をゲートから引き抜き、魔力の波を感じ取る。


「何——?」


 バランもまた、瞬間的に意識が錯綜したが、そんなことを気にしている場合ではなかった。

 魔界の大地に衝撃が奔る。まるで世界そのものが震えているかのような爆発的な魔力の衝撃波が押し寄せる。それはただの余波ではない。

 魔王ヘルトの幹部の一人が、完全に"消し飛ばされた"のだ。その痕跡が、空間を震わせるほどの威圧感を伴っていた。

 イシアルがバランへと視線を戻した瞬間——オノクリアの巨躯が、視界の端を横切った。まるで弾丸のように吹き飛ばされていく。


「……嘘」


 急いで視線を動かす。そこに立っていたのは——ロザリアだった。彼女があのオノクリアを蹴り飛ばした。血に濡れた戦士が、地を砕きながら駆ける。その眼光は鋭く、抑えきれぬ衝動を孕んでいた。


「ロザリア!」


 アウラが叫ぶ。

 だがロザリアは振り返ることなく、一直線にオノクリアへと迫った。


「スキルを解除して、アウラは先に行って!」


 力強い声が、戦場に響く。


「そのスキルはヘルトに使うべき! こいつの相手は私がするわ!」


 アウラの足が止まる。

 ロザリアの言葉が頭に焼き付く。


「だが——」


 僅かに迷いを見せたアウラに、イシアルが叫ぶ。


「私もいるから大丈夫です! 行って!」


 ロザリアが双剣を構え直す。


「アウラ! 早く!!」


 ユラがアウラの手を引く。アウラは、僅かに目を伏せると、静かに頷いた。そして、オノクリアにかかっていたスキルを解除し、魔王城へと駆け出した。

 その背に、ロザリアの笑みがちらりと見えた。

 それはまるで、燃え盛る焔のように——命を燃やし尽くす戦士の笑みだった。




 バランとオノクリアが、静かに並び立つ。

 対するロザリアとイシアルもまた、肩を並べていた。

 魔界の風が吹きすさぶ中、オノクリアがゆっくりと口を開いた。


「魔王ヘルト様からの命令だ」


 その声は、ただの宣告だった。


「ゲートを開き、各地に魔王軍を送れ」


 瞬間、虚空が裂け、闇の波が押し寄せる。ロザリアとイシアルの周囲に、無数の魔族が現れた。空間が歪み、次々と開かれるゲートの中から、無数の魔族が溢れ出していく。

 そして、それはここだけにとどまらなかった。この瞬間、世界のあらゆる地に、魔族の影が広がっていく。最悪の事態だった。けれど、それを止める手段など、最初から存在しない。

 この惨劇を止める唯一の方法は——バランを殺すこと。しかし、それは不可能だった。イシアルは知っている。バランの"本体"は、この次元に存在しない。狭間に潜み、決して姿を現すことはない。

 例え奇跡的に狭間の中のバランを見つけ出し、討つことができたとしても——その瞬間、ゲートは全て閉じる。二度とこの世界に戻ることは叶わない。

 過去の記憶が鮮明に蘇る。魔王デネボラとの戦いで、バラン本体が感じた恐怖。あの圧倒的な力の前に、彼は決して再び"外に出る"ことを選ばない。

 ならば——この状況を打破するには、もうロザリアしかいない。


「ロザリア、お願いがある」


 イシアルの声は静かだった。だが、確かにその胸の奥に、覚悟が宿っていた。ロザリアは双剣を握りしめたまま、イシアルを見つめる。


「この状況を救うには、もう貴方しか手段がない」


 ロザリアの瞳が揺れることはなかった。


「あるなら何でも言いなさい!」


 イシアルは、一瞬だけ目を伏せる。

 そして、重く残酷な言葉を紡いだ。


「……死んでしまうことになる。……それでもいい?」


 沈黙。

 世界の喧騒が遠のく。

 けれど、ロザリアの唇に浮かんだのは——笑顔だった。


「いずれそうなるだろうって、わかってたから」


 穏やかな声が、風に乗る。


「そう心の内を打ち明けたこともあったでしょ。もう覚悟はできてるから」


 イシアルの拳が、震える。けれど、彼女は振り返らなかった。背を向け、進むべき道を選ぶ。


「そう。ここは任せるよ、ロザリア」


 小さな声で、ロザリアが最後の願いを託した。


「……イシアル。お兄ちゃんをお願い」


 その一言に込められた、全ての想い。イシアルは、しっかりと受け止めた。


「……うん」


 小さく頷いたイシアルは、まるで祈るように、静かに呟く。


「……ホメロン、ごめんなさい。使わせてもらうね」


 その名を呼ぶのは、これが最後になるのかもしれない。


「これでお別れ。今まで、ありがとう」


 呼吸を整え、彼女は叫んだ。


「バラン!!! 取引して!!!!!」


 凍てつくような声が、戦場に響き渡る。


「ホメロンとの記憶を代償に——ヘスティの元につなげて!!!!」


 その瞬間——黒い裂け目が生まれた。

 ゲートが開かれる。

 それは、"運命を変える扉"だった。

 王座の間に足を踏み入れた瞬間、背後のゲートが音もなく閉じた。

 そこは荘厳な雰囲気を持つ空間だった。しかし、今は静寂が支配している。玉座に座るヘスティと、その傍らに立つロメオ。ロメオの顔には驚きが浮かんでいた。

 だが、ヘスティの表情は違った。まるで、すべてを知っていたかのように、何の動揺も見せずにただこちらを見つめていた。イシアルは確信する。それは、《魔王》のスキルによるものなのだろう。この世界の流れを読み、運命を見通すその力——。

 ロメオが口を開いた。


「イシアル……。どうしてここに?」


 戸惑いをにじませた声が、静かな空間に響く。


「ゲートで各地に魔族が出現し、ジョバンナとエルギンも地下のゲートから魔族の侵入を防ぐために戦っています。それと関係が?」


 イシアルは静かに頷いた。


「私は、ヘスティ様に用があってここに来ました。バランと契約し、ここに導かれたんです」


 一刻の猶予もない。時間がない。イシアルは真っ直ぐにヘスティを見据え、言葉を続けた。


「ヘスティが人間になるには、あとどのくらいかかりますか?」


 ロメオは困惑の表情を浮かべながらも、ヘスティに視線を向ける。


「どのくらいって……。あと一か月以上はかかるはずです。ようやく成功の兆しが見えてきたところで……」


 その答えを聞いた瞬間、イシアルは静かに剣を抜いた。

 王座に向け、聖剣を突きつける。


「もう時間がありません。ロザリアを魔王にするために——ヘスティ様には、死んでもらいます」


 その言葉が、玉座の間の空気を凍らせた。

 ロメオの瞳が大きく見開かれる。


「何を言っているのですか!?」


 鋭い声が響く。

 戸惑いと怒りが入り混じった声だった。


「どういうことか説明してください!」


 ロメオは瞬時に間合いを詰め、イシアルの前に立ちふさがる。その背後では、ヘスティが静かにイシアルを見つめていた。

 まるで、これもまた"知っていたこと"であるかのように——。

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