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第33話 第四魔族 鉄壁のサエル

 ゲートを超えた先、目の前に広がるのは荒涼とした大地だった。

 空は暗く淀み、まるで黒い霧が低く垂れ込めたように光を遮っている。かつてここがどんな世界だったのか、もはや知る者はいないだろう。乾ききった土、岩肌がむき出しの大地、そして遠くにそびえる魔王城 。

 その禍々しい影が、赤黒い空を背にして沈黙を守っていた。


「あれが……魔王城か」


 イシアルが低く呟いた。

 確かに、目指すべき場所は見えている。だが、それはまだ遥か遠く。ゲートを抜けたからといって、すぐにたどり着けるわけではない。

 アウラが周囲に目を走らせた。


「……来るぞ」


 それは警戒の言葉だった。

 まるでゲートの起動を感知したかのように、魔物たちがじわじわと姿を現し始める。

 影が動く。岩の裂け目から這い出し、暗闇の中から蠢き、腐敗した肉を持つ獣や、不気味な骨の騎士たちが群れをなして迫ってくる。


「歓迎の準備がいいことね」


 ロザリアが双剣を構え、戦闘態勢を取る。


「……面倒ね。でも、ここで時間を食うわけにはいかないわ」


 彼女の視線の先には魔王城。その距離を考えれば、ここで足止めを食らうのは最悪だった。

 アウラは剣を抜くことなく、静かに地面を踏みしめる。


「手早く片付けるぞ」


 それが合図だった。

 ユラはすでにアウラの背後に回り、魔物たちの動きを察知する。ロザリアは双剣を輝かせ、イシアルは紋章の力を込めて魔力を解放する。

 勇者一行、最初の戦いが始まった。

 魔物の群れを蹴散らしながら進む一行。どこか懐かしい感覚が、アウラの胸をよぎる。

 過去の勇者一行が魔王城に向かった時も、同じように戦いながら道を切り開いていた。あの時、魔王城へ向かったのは勇者レペンス、ミラルフ、そしてマタダムだった。

 だが今回は違う。先頭を行くのはロザリア。傍らには現在の勇者であるイシアル。そして、誰よりも彼を信じるユラ。そして、彼らの前に立ちはだかるのは、かつてのアウラの仲間であり、勇者だった魔王ヘルト。

 魔界の霧が立ち込め、魔物たちが唸りを上げる。その中で、一行は確かに前へと進んでいた。そして、その先——魔王城へと続く道の中央に、影が立っていた。

 魔物たちがその周囲を避けるようにたたずみ、跪くようにその存在を囲んでいる。

 アウラは足を止めた。ロザリアも、イシアルも、ユラも、同じようにその影に意識を向ける。

 こんな場所に 人間 がいるはずがない。

 だが、それは 人間の形をしていた 。

 異様なまでに整った立ち姿。洗練された仕草。そして、どこか高貴な気配すら漂わせる男——それが発した言葉は、柔らかく、しかし確かな威圧感を伴っていた。


「待ってましたよ、勇者一行」


 ロザリアが双剣を握る手に、じわりと汗が滲む。イシアルも警戒を強め、ユラは静かにアウラの後ろへと回る。

 霧が薄れ、その男の姿がはっきりと見える。

 肌の色以外は、人間と寸分違わぬ容姿。しかし、その異様さは否応なく伝わってくる。

 魔族が人の形を成すことはありえない。

 しかし、目の前の魔族の外見はほとんど人間。肌の色を除けば、人のそれと何ら変わらない。魔族特有の異形を持たず、研ぎ澄まされた姿はむしろ貴族のような気品を纏っていた。

 だが、その異様な姿こそが異常だった 。

 魔族は本来、その肉体を魔力の適応に合わせて変化させる。強き者ほど、身体は魔の形へと進化する。翼、角、爪——。それらは魔族が「力」として進化の過程で得るもの。

 だが目の前の魔族は違った 。

 進化の末に「人間の姿」に戻るなど、聞いたこともない。

 ——何かがおかしい。


「初めて見るな」


 アウラは目を細めた。

 魔族の男は、そんな彼の反応を楽しむように、口元を歪ませる。


「申し遅れました。わたくしは、魔王ヘルト様に選ばれし 第四魔族 の一人—— 鉄壁のサエル と申します」


 落ち着いた物腰。気品すら感じさせる話し方。だが、その名を聞いた瞬間、ロザリアは思わず鼻で笑った。


「なにそれ。弱そうな名前」


 軽蔑の眼差しを向け、ロザリアは言い放つ。


「アウラ! イシアルを連れて先に行って! こいつの相手は私で十分よ。この中で一番火力が高いのは私でしょ? あんな 薄い壁 、私がぶっ壊してやるわ! ユラ! アウラを頼んだわよ!」


 言葉と同時に、ロザリアは戦闘態勢を取る。


「先で待ってる」


 アウラは短く答えると、イシアルと共に魔王城を目指す。

 ユラが振り返り、ロザリアを見つめる。


「ロザリア、がんばって」


 イシアルの声が、戦場の空気に溶け込むように響く。


「当然よ!」


 ロザリアは自信に満ちた笑みを浮かべ、双剣を構えた。

 アウラたちが駆け去る気配を背後に感じながら、彼女は疾風のごとくサエルへと肉薄した。双剣が閃き、風を切る音とともに鋭い一撃が走る。刃は一直線にサエルの胴を捉え——。

 触れることなく弾かれた。

 金属が激突したような鈍い音が鳴る。ロザリアの双剣を握る手に、じわりと汗が滲んだ。

 吹き荒れる魔界の風は、肌を刺すほど冷たいはずなのに、なぜか体の奥底からじわじわと熱が奪われていくような感覚があった。

 目の前の男——鉄壁のサエルは、微動だにせずそこに立っている。まるで悠然と構える王のように、絶対の自信を持って。

 ロザリアは一瞬、心臓を強く打たれるような嫌な感覚を覚えた。こいつ——ただの壁じゃない。

 そんな確信が脳裏をよぎる。


「ほう、あなた一人で私を。魔族にもなり切れていない貴方では、私の相手になりませんよ。お嬢さん」


 余裕をたたえたその声音は、鋼のように冷たい。

 ロザリアの眉が跳ね上がる。


「魔族にならないようにしてんのよ!」


 その叫びと同時に、閃光が走った。

 双剣が弧を描き、猛烈な勢いでサエルの首を狙う。さらに、一瞬の間に何度も連続して斬撃が繰り出される。

 しかし——。

 刃は空を裂くだけだった。


「はははははは。だから聞きませんって」


 サエルは、まるで退屈そうに笑う。

 ロザリアは攻撃を続ける。

 右からの斬撃、左からの返し、剣を逆手に持ち替えての追撃。圧倒的な速度と剛力を兼ね備えた双剣の舞は、戦場で幾千もの敵をなぎ倒してきた。

 しかし——それでも、サエルは動かない。まるで、そこに立つことが絶対の防御であるかのように。

 ロザリアは息を詰める。

 こいつ——ただの壁じゃない。そう確信すると同時に、一旦距離を取った。その瞬間、異様な違和感が襲う。息が、切れる。肩が、重い。魔力の消費が異常なほど激しい。

 ロザリアは目を細めた。そんなことは今までになかった。確かに消耗はする戦いだったが、それにしても減りが早すぎる。


「気づきましたか」


 サエルが冷ややかに笑う。


「わたくしは攻撃を受ければ受けるほど、相手の力を奪う。固有スキル《失気》を持っています。そして、奪った魔力はさらにわたくしを硬くする 」


 ロザリアの額に、一筋の汗が浮かぶ。

 この違和感の正体はこれ——!


「丁寧に教えてくれるのね」


 皮肉を込めて言うロザリアに、サエルは優雅に肩をすくめる。


「ええ。知ったからと言って何も対策などできませんから。固有スキルを持つことが許された選ばれた者。この鉄壁のサエルがご教授差し上げましょう。選ばれた者とそうでない者の差を——」


 その声は不快なほどに滑らかで、自信に満ちていた。

 ロザリアは唇を噛む。サエルの言葉はただの誇示ではない。確かに、固有スキルとは生まれながらに与えられる、特別な力。それを持つ者と持たざる者の差は、歴然としている。

 アウラは 死を超越する不死 を、イシアルは固有スキル《勇者》という力を持っている。

 けれど——ロザリアは 何も持たない 。

 それが何だというのか。

 生まれつき与えられた才能がなければ戦えない? それが運命なら受け入れろと?そんなこと、認められるはずがない。

 強くなるために、ここまで積み上げてきた。戦って、鍛えて、諦めずに前へ進んできた。その道のりに、与えられた才能など必要なかった 。

 ——ならば


「固有スキルを持たないただの人間の一撃——受けてみる?」


 ロザリアの体から、激しい魔力が噴き上がる。足元に纏わりついていた魔力の膜が弾け、赤黒い魔族の足が露わになった。魔力が膨張する。

 次の瞬間、轟音が空気を切り裂いた。ロザリアの踏み込んだ地面が砕け、爆風が戦場を包む。風圧が辺りの瓦礫を吹き飛ばし、地を這う魔力がその場を焼き払う。

 刹那、ロザリアの姿が掻き消えた。

 目にも止まらぬ速さでサエルの懐へと入り込む。

 ——双剣が閃く。

 しかし、サエルは既に結界を展開していた。透き通るような薄膜の障壁が、ロザリアの刃を受け止める。


「——!」


 ロザリアは舌打ちし、一瞬で後方へ跳躍する。

 だが、サエルの目には、今の瞬間が明確に焼き付いていた。

 ——速い。

 明らかに速すぎる。

 彼は冷や汗を滲ませながら、余裕を装った笑みを浮かべる。


「驚きましたよ。確かに速さは凄まじい。ですが——」


 サエルは手をゆっくりと上げ、結界の膜を叩くように指先を滑らせる。


「相性が悪いですね。あなたの火力では、私の結界は破れません。その魔力の使い方、どうやら魔法は苦手なようですね 」


 ロザリアの眉がピクリと跳ねた。サエルの言葉は的を射ていた。結界は物理攻撃に対して圧倒的な耐性を持つ。それは、イシアルとの戦いで痛いほど思い知っている。

 しかし、だからといって——。


「……知らないわけじゃないわよ」


 ロザリアは静かに呟いた。再び一歩踏み込む。サエルの目が細められる。再び双剣が閃いた。結界が打ち鳴らされる音が響く。——だが、破れない。

 ロザリアは即座に後退し、次の瞬間には再び突進した。結界が再び双剣を弾く。それを何度も繰り返した。斬る。離れる。詰める。斬る。

 息を切らしながら、ロザリアは動きを止めた。


「攻撃を与えるたびに奪う、と言いましたよね」


 サエルが、口元に笑みを浮かべる。


「あなたは速さに特化した双剣使い。つまり、相性は最悪です」


 涼しげな顔でサエルは言った。

 だが、その瞬間——。


「……そんなこと、知ってるわよ」


 ロザリアが、軽く飛び跳ねた。ぴょん、ぴょんと、その場で。

 サエルの顔に、一瞬だけ疑問の色が浮かぶ。

 何をしている?

 ロザリアは腕を組み、鼻を鳴らした。


「さっき、アンタが言ってたでしょ?」


 軽く肩をすくめながら、ロザリアはニヤリと笑う。その笑みは まるで、すべてを見透かしているような笑みだった。

 サエルの表情が、僅かに強張る。ロザリアはまだ、 本気を出していない 。

 そして、それこそが サエルにとって最も予想外の事態だった——。


「よし! 準備運動は終わりね。次は本気で行くわよ!」


 ロザリアの声が響くと同時に、彼女の体から禍々しい魔力が噴き上がった。

 その姿は 人間の皮を被った魔族 。首から下のすべてがすでに 赤黒く染まった魔族の体 へと変貌していた。

 地面が軋む。風が、彼女の動きに追いつけず、流れを乱す。

 サエルの顔にわずかな困惑が浮かんだ。その微かな表情の揺らぎを、ロザリアは見逃さなかった。


「どんだけ早くなろうと!」


 言葉が終わる前に、ロザリアはすでに消えていた。

 目に見えない速さ。

 サエルが反応した瞬間には、彼女の姿はすでに彼の背後に立っていた 。


「なんですって?」


 ぎこちない声が漏れる。その刹那、結界が崩れる音が響いた。

 パリンッ。

 まるでガラスが砕けるように、サエルの絶対の防御は無残にも音を立てて弾け飛んだ。


「へ?」


 間の抜けた声が、サエルの口から漏れた。理解が追いつかない。自分は絶対に負けないはずだった 。それなのに——ロザリアの双剣が光の筋を描いた。

 次の瞬間、世界が傾いた。視界がぐるりと回転する。何が起きたのか分からないまま、サエルの 首は宙に舞っていた 。

 風が吹き抜ける。

 サエルは、ようやく気づく。自分が斬られたということを。


「あっ……」


 意識が薄れゆく中、彼の最後の視界に映ったのは、背を向けて走り去るロザリアの後ろ姿だった。

 彼女は、もうアウラを追うことしか考えていない——はずだった。

 ロザリアの足が、ピタリと止まる。嫌な音が背後から響いた。

 ズルリッ……ズズ……。

 不快な肉の蠢く音、岩が削れる不吉な音。ロザリアはゆっくりと振り返る。

 そこにいたのは、かつてのサエルではなかった。切り落とされたはずの胴体が、軋みながら立ち上がっていた。その肉塊は、膨れ上がり、無様な巨躯へと変貌していく。


「よくも、よくも、よくも、よくも……!」


 サエルの声が変質する。

 先ほどまでの上品さは、どこにもなかった。魔族らしい醜い咆哮が、地響きと共に響き渡る。ロザリアは双剣を構え、睨みつけた。そこにいたのは、もはやサエルではない。無様に膨れ上がった、魔族の成れの果てだった。

 岩の塊が肉と同化し、異形の巨体を作り出す。

 —— その巨体は 20メートルを優に超えていた。


「ヘルト様に貰った、この体を……!よくも、よくも……!!」


 その咆哮が、大気を震わせる。

 ロザリアは一歩踏み込んだ。

 サエルだった"それ"の喉元に向かって、一閃。刃は、確かに岩の表面を削った。しかし、斬り裂くには至らない。まるで大地を切り裂こうとするかのような硬さ。

 ロザリアの額に、汗が滲む。

 それが嬉々として叫ぶ。


「貴様は絶対に殺す!! ぶっ殺してやるぅぅぅぅぅうううう!!!」


 大気が揺れた。

 ロザリアは剣を握り直す 。

 ——これからが本番だ 。


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