第3話 騎士王ロメオ
宿のコテージ、夜風が静かに吹き抜ける。
ロザリアは部屋に入る、冷たい夜風に身を晒していた。手には酔い冷ましの水。けれど、頭の中には先ほど酒場で出会った旅人――アウラのことしかなかった。
自分と大して変わらない年齢に見えるが、直感が告げる彼の底知れぬ力。剣を交えたわけではないのに、その実力が計り知れないことだけは分かった。
自分はまだまだ最強には程遠い。けれど、それでも勝てるビジョンが浮かばない相手に出会うことなど、今までなかった。
――アウラ。
彼の名を、知らぬ間に口にしていた。
そのことに気付き、ロザリアは照れくさそうに小さく笑う。そして、その恥ずかしさを誤魔化すように、夜風を求めてバルコニーへ出た。
ふと、数日前の出来事が脳裏をよぎる。それは、今と同じように夜風に当たろうと外に出た時だった。遥か遠くの山の方から、邪悪な魔力の波動が襲ってきた。
――瞬間、全身の血が凍る。
今まで感じたことのない恐怖が、脊髄を駆け上がった。
全身が総毛立ち、手足の力が抜ける。震える足は言うことを聞かず、そのまま膝をついてしまった。
死ぬ。
そう、本能が警鐘を鳴らした。圧倒的な魔力の咆哮に、息をすることすら忘れる。
あれは何だったのか――。
ロザリアは震えながら、その存在を思い出す。アウラ。
そして、同時に憎き相手――騎士王ロメオの存在が脳裏を過った。
「アウラ。……もしかしたら、あんたが」
一つの可能性に気づいたロザリアは、決意を固めた。
彼を追う。
何かが始まる気がした。
明確な原因は不明だが、ユラはアウラの地縛霊として 一キロ以上離れることができない。 それが彼女にとって当たり前であり、アウラにとってもまた日常の一部となっていた。
初めての町に足を踏み入れたユラは、だいぶテンションが高いようで、アウラが寝ている間も町中を浮遊して飛び回っていたらしい。
朝、目を覚ましたアウラは、いつものように窓を開けて朝日を確認する。そして、何気なく天井を見上げると――。
ユラが頭を天井に突っ込んだまま直立して寝ていた。
まるで幽霊という概念そのものを体現したような寝相に、アウラは呆れたように息をつく。
「相変わらず寝相が悪いな」
返事はない。すぅすぅと寝息を立てながら、ユラはまだ夢の中のようだった。
アウラは何もなかったかのように着替え、いつものように大道路での情報収集へと向かう。
「別についてこなくたっていいんだぞ」
隣を歩くユラは、眠たそうに目をこすりながら小さな声で返した。
「んー……別に……暇だし……」
どうやら、まだ完全には目覚めていないらしい。
歩行者を何度もすり抜けながら、ふと気になったことを問いかける。
「擦り抜ける時、嫌な感じしないのか?」
「何年すり抜けてきたと思ってんの……そんなの何も感じない」
そう言うと、大きくあくびをする。
「そんなものか」
アウラは変に納得していたが、その瞬間、遠くから大きな声が響いた。
「アウラ!!! 見つけたわよ!!! 今度こそ逃がさないんだから!」
鋭い声に振り向くと、陽光を浴びて鮮やかに輝く 赤髪の美少女 が仁王立ちしていた。
その堂々たる態度に、周囲の人々も何事かと視線を向ける。
ユラはふらふらと前に出て、少女の隣に並ぶと、眠そうな目で彼女を指でツンツン突きながら問いかける。
「ロザリア……どうして……」
言い終えると同時に、また大きなあくびをする。
アウラはどう言葉を返すか悩んだが、その隙をロザリアは与えなかった。
「貴方が何て言おうが、付き合ってもらうから!」
そう言い放つと、ロザリアは迷うことなくアウラの襟を鷲掴みにする。
強引すぎる力に、周囲の人々の視線が一気に集まった。
「いいじゃん。付き合ってあげなよ〜」
アウラは顔をしかめながら、すぐそばにいるユラにぼやく。
「ほら。こんな横暴な彼女だぞ。一生解放してくれそうにないじゃないか」
ユラはアウラの状況を見つめながら、ひょうひょうとした声で言う。
「そお?悪そうな人ではなさそうだけど」
「え? 俺の今の状況見て? 引きずられてるけど……拒否権すら与えられてないけど」
ロザリアには、アウラがただの独り言を言っているようにしか見えない。だから、まるで異様なものでも見るように冷たい目線を向ける。
「アンタやばいよ」
「いや、アンタには言われたくない」
デネボラ城、王室。
豪奢なシャンデリアが柔らかな光を放ち、大理石の床には赤い絨毯が敷かれている。荘厳な雰囲気が漂う王室に、騎士たちの声だけが静かに響いた。
「ロメオ騎士王、ご報告します。英雄試練の準備は順調に進んでおります。それから、金の紋章を持つ騎士の選別を終えました」
報告を受けたロメオは、玉座に腰掛けたまま穏やかな微笑を浮かべ、正面で跪く二人の騎士へと視線を向けた。
「ジョバンナ、それから君も顔を上げてくれ。ここは王室だから、そこまで堅苦しくしなくていいよ」
「「はっ」」
短く返事をし、立ち上がるジョバンナ。そして、もう一人の騎士は恐る恐る顔を上げた。
「君、名前は?」
ロメオは朗らかな笑顔を向けた。その表情は優雅で、美しく、あまりにも整いすぎていた。
「……エルギン」
騎士王と呼ばれるにしては、あまりにも華やかすぎるその容姿。
赤く燃える髪、涼やかな金色の瞳、整った鼻梁と端正な唇。そのすべてが、同じ男であることを忘れさせるほどに美しく、威厳に満ちていた。
エルギンは無意識のうちに見とれていた。
「そうか、エルギン」
ロメオは柔らかく微笑む。
「君に折り入って頼みがあるんだ。騎士の名を捨て、戦士として今回の英雄試練に参加してもらいたい」
「そんな……」
エルギンの戸惑いを、ロメオは微塵も気にする様子はなかった。
玉座から軽やかに立ち上がると、ロメオはエルギンの目の前まで歩み寄り、屈託のない笑みを浮かべながら囁く。
「聞いてくれるよね?」
その美貌と気迫に圧倒され、エルギンは息を詰まらせた。
「……はい」
「ありがとう、エルギン」
ロメオは満足そうに微笑む。しかし、次の瞬間、その微笑はどこか冷たいものに変わった。
「君には今回の英雄試練で 僕の妹、ロザリアを殺してほしいんだ。 」
空気が凍りついた。
エルギンは言葉を失う。そんな彼をよそに、ロメオは何気ない口調でジョバンナに問いかけた。
「ところでジョバンナ。ロザリアは今何をしてる?」
「はい。例の男と一緒にいます」
その言葉に、ロメオは興味を失ったようにため息をつく。
「……そうか」
つまらなそうに吐き捨てたロメオの瞳には、冷え切った光が宿っていた。