表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/44

第27話 明日へ

 王都デネボラの地下室。

 静かな石畳の廊下を歩き、アウラたちは薄暗い地下室へと足を踏み入れた。空気はひんやりと湿っていて、どこか閉ざされた空間特有の重苦しさを帯びている。奥へ進むにつれ、明かりは乏しくなり、やがて頼れるのは灯されたランプの柔らかな光だけとなった。

 ヘスティは先頭を歩きながら、何も言わずに扉を開く。その小さな背中は頼りなく見えるが、纏う空気は魔王だった頃の威厳をかすかに残していた。

 ロメオとジョバンナも無言のまま同行し、緊張感は増していく。目的はただ一つ——ロザリアの魔族化を抑えること。

 アウラはゆっくりと息を吐く。


「……まずは、俺がかけたスキルを解除する」


 《敵視固定》——タンクであるアウラが持つ最強のスキル。触れた相手の攻撃対象を自分に固定する能力。これまでヘスティにこのスキルを付与していたのは、万が一のためだった。しかし、今の状況ではヘルトへの対策として他の場面で使う必要が出てくる。さらに、このスキルがロザリアの回復を妨げる可能性も否定できない。

 アウラはヘスティの前に膝をつき、彼女の小さな手を取りながら、静かに呟いた。


「解除する。……問題はないか?」


 ヘスティはぱちりと瞬きをする。


「……いい」


 短く答えた彼女の表情に感情はないが、その瞳にはかすかに好奇の色が宿っていた。

 アウラはヘスティの額に指を当て、ゆっくりと魔力を引き戻す。彼の魔力が徐々にヘスティの身体から剥がれ、視界が一瞬だけ揺らぐ。


「……終わった」


 ヘスティは瞬きをひとつし、軽く首を傾げた。


「これで……自由?」


 アウラは立ち上がると、今度はロザリアの前へと歩を進めた。


「次は、ロザリアだ」


 ヘスティがロザリアの前に立ち、魔法を発動する。アウラが施していた魔法が解かれる。次の瞬間——ロザリアの本来の姿があらわになった。

 ロメオの表情が凍りつく。


「……っ……」


 目の前にいるのは、もはやかつてのロザリアではなかった。

 首から下——全身が、魔族特有の赤黒い肌へと変貌していた。

 その異形は、戦いの中で酷使してきた体の代償。魔族の力を受け入れすぎた証——否応なく、彼女の肉体が変異し始めていることを示していた。

 ロメオの拳が震える。

 その変化は、あまりにも残酷だった。

 ヘスティはそんなロメオの反応には目もくれず、淡々と魔力を込めていく。彼女の瞳に浮かぶのは、興味と観察、そしてほんの少しの探求心。


「魔族……魔力で変わる。欲しい力に合わせて、身体が変化していく」


 抑揚のない声が地下に響く。


「だから、首より上は……変化しづらい」


 次の瞬間——ロザリアの首筋に、紅く輝く魔法の紋様が浮かび上がった。


「——っ!」


 灼熱の苦痛に、ロザリアの背筋が跳ねる。

 まるで白熱した鉄を押しつけられたかのような痛みが、彼女の体を襲う。歯を食いしばりながらも、ロザリアは声を漏らすことはなかった。しかし、その苦しそうな息遣いが、彼女の痛みを何よりも雄弁に語っていた。

 ロメオの拳が白くなるほど握り締められる。


「……やめろ、そんな無理を……!」


 今にも駆け出しそうな彼を、アウラが冷静に制止する。ロザリアの紋様が輝きを増し——やがて、それが一つの形を成した。魔力のこもった宝石が、彼女の首元で淡い光を放つ。

 それは、ネックレスの形をとり、静かに彼女の体を保護するかのように定着した。

 ヘスティは一歩後ろに下がり、ロザリアの様子をじっと見つめた。そして、口を開く。


「……これ、ある限り……完全に魔族には、ならない」


 ロメオの表情が一瞬だけ安堵の色を見せる。

 だが——次の言葉が、彼をさらに深く落とした。


「でも、もう……首から下の変化は続く」

「……どうにかならないのか」


 アウラの問いに、ヘスティはゆっくりと首を傾げた。


「今は、まだ」

「ってことは、可能性はあるのか?」

「完全に魔族……ならなければ、もしかしたら……」

「なら!」


 ロメオが何かを言いかけた瞬間——ヘスティが、小さな声で続けた。


「でも……あくまでも可能性。宝石、壊れたら……無理」


 沈黙が落ちる。

 ロメオの顔が青ざめた。


「……そんな」


 彼の目が、ロザリアの首元のネックレスを見つめる。それは、かすかな光を放っているが——決して永久ではないことを示している。まるで、細い糸一本で繋ぎ止められた命のように。その場の誰もが、言葉を失った。

 ヘスティは淡々とした表情のまま、首をこてんと傾げた。そして——まるで他人事のように、静かに呟く。


「……壊れたら、もう戻らない。そういうもの」


 その無機質な声に、ロメオの手が震えた。

 ロザリアは黙ったまま、ネックレスにそっと指を添える。その瞳に、苦しげなものが宿るが、それを口にすることはなかった。

 この変化は、もう止められない。

 それが、今ここで下された残酷な事実だった。




 城を出ると、空はすでに夕焼けに染まり始めていた。街路に長く影が伸び、風が静かに頬を撫でる。遠くで鐘の音が響き、石畳に響く馬車の音や行き交う人々の声が、穏やかな日常を彩っていた。その光景の中に、戦争の気配はまだない。だが、確実に迫りつつある未来が、彼らの胸に静かに影を落としていた。

 アウラ、ユラ、ロザリア、イシアルの四人は並んで歩きながら、それぞれの思いを抱えていた。ヘスティのもとを去ったばかりの彼女たちの胸には、拭えぬ迷いと決意が入り混じっていた。

 ふと、ロザリアが足を止める。橙色の陽光が彼女の横顔を照らし、その赤髪に淡い輝きを落とした。


「別に気にしなくていいわよ」


 その声は、どこか軽やかだった。だが、その瞳の奥には、熱い炎が宿っている。


「初めから覚悟してたことだし、可能性が見えただけで満足よ。そんなことよりも今は魔王との戦いに備えるべき。あんなのでも、ヘスティは私にとって母親代わりだからね。あの人が私を守ってくれた。だったら、今度は私があの人が守ってくれたものを守らないと」


 ロザリアは夕焼けを背負いながら、遠くを見つめる。

 イシアルはその姿に息を呑んだ。

 彼女はロザリアを見ていた。彼女はいつも迷いなく進んでいく。強く、まっすぐで、止まることを知らない。魔族になりかけているという絶望的な状況にも関わらず、それすら受け入れた上で戦い続ける彼女の姿が、あまりにも眩しかった。

 そして、今度は自分の番だった。


「ロザリア! 私、付き合う」


 自らの想いを真っ直ぐにぶつけた。

 ロザリアの目がわずかに見開かれる。驚きと、それ以上の何かが混ざった表情。だが、すぐに彼女は満足げに口角を上げると、何の迷いもなくイシアルの手を掴んだ。


「そう。なら、本気で付き合ってもらうわよ!」

「望むところ!」


 二人は同時に駆け出した。

 足音が響く。

 まるで戦場へと飛び込む騎士のように、並んで走る二人の姿は、すでに戦いの幕開けを迎えたかのようだった。

 ロザリアの赤い髪が夕陽に照らされ、燃えるように揺れる。イシアルの金の瞳が、その光を映し返しながら真っ直ぐ前を見つめている。

 互いの意志を確かめながら、互いに支え合いながら、どこまでも駆けていく。

 夕暮れの風が、二人の姿を包み込んでいく。

 その背中を、アウラとユラは静かに見送っていた。

 ユラがふわりと微笑む。


「若いっていいね」

「まぁ、そうだな」


 アウラは短く答えた。

 二人の背中を追いながら、ユラはアウラの袖をそっと引いた。


「ねぇ、アウラ。私たちもあんな時あったのかな?」

「……どうだろうな」

「ふふっ、まぁ、今があるからいいか」


 アウラはユラの言葉に返すことなく、そっと目を細める。

 遠く、駆けていく二人の背中。その先に、イシアルの屈託のない笑顔があった。

 人見知りで、引きこもっていた少女が、今、ロザリアと並んで、まるで無邪気な子どものように笑っている。

 彼女自身は気づいていないだろう。だが、その笑顔は純粋で、まっすぐで、どこまでも楽しそうだった。

 それを見て、アウラとユラは顔を見合わせる。そして、どこか安心したように、互いに微笑んだ。

 まるで親が子の成長を見守るかのように、どこまでも優しく、あたたかく——。

 夕陽の中、二人の影は長く伸び、どこまでも寄り添うように並んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ