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第24話 再演

 子鹿のように膝を震わせながら、なんとか宿にたどり着いたロザリアは、布団に倒れ込むように力尽きた。まともに歩くことすらままならず、まるで全身の力を吸い取られたかのようにぴくりとも動かない。


「……いくらなんでもやりすぎ」


 宿の中、腕を組みながらユラがアウラを鋭く睨む。


「ああ。でも、あればかりは……」

「言い訳しない」


 食い気味に遮るユラの声に、アウラは観念したように肩をすくめる。


「……ごめん。また明日謝る」

「絶対よ? あと、アウラこそ妙に手慣れてたけど?」

「それはお前もだろ。だいぶスムーズに男湯に入ってたが?」

「き、気のせいよ! きのせい!」


 ユラは大慌てで壁をすり抜け、どこかへ逃げていった。

 翌朝。

 目を覚ましたアウラは、昨日の騒動がまるで夢だったかのような静けさを感じた。

 ……が、視線を横にやると、既にロザリアはベッドを整え、荷造りも済ませ、いつでも出発できる状態になっていた。

 アウラは軽く目をこする。

 ユラは……と見回すと、天井に大の字で張り付いている。まるで何者かに叩きつけられたかのような姿で。

 アウラは眉をひそめ、ぼそりと呟いた。


「……いつも通りの朝か」


 何事もなかったように、ロザリアへと視線を向ける。昨日のことを謝ろうとしたが、ロザリアは顔も上げずに言い放った。


「一切話題に持ち出すな。忘れろ」


 アウラはそれ以上何も言えず、素直に頷いた。



 宿を出て三人で歩いていると、不意に声をかけられた。


「アウラさん……ですよね?」


 落ち着いた低い声だった。その響きには、威圧や敵意こそなかったが、それでも緊張を強いる独特の空気を纏っていた。

 アウラが振り返る。

 そこに立っていたのは、一人の男——。

 銀の甲冑を身に纏い、戦場を渡り歩いてきた歴戦の戦士。短く整えられた黒髪に鋭い眼光、厳つい顎と落ち着いた風格。彼の目の奥には、戦場を生き抜いてきた者特有の冷静さと、どこか焦燥が滲んでいた。

 エルギン——王都デネボラの英雄試練でロザリアと戦った男。アウラにとっては初めて会う人物だったが、一目で理解する。こいつは、ヘスティの使者だ。

 ロザリアもエルギンに気づいた。しかし、彼がアウラを名指しで呼んだことに違和感を抱いたようで、不審げに眉を寄せる。

 隣でユラが「誰?」と小声で囁くが、もちろん彼女の声はエルギンには届かない。


「そっちの赤髪の方は?」


 エルギンの視線がロザリアへと向けられる。


「ロザリアだ。分け合って、今は魔法で少しを容姿を変えている」


 今のロザリアはアウラの魔法によって赤髪の青年の姿に変えられていた。


「そんなことまで」


 アウラの力にエルギンは感嘆の声を漏らした。


「そうよ、悪い?」


 ロザリアは腕を組みながら、エルギンを睨む。かつて自分と拳を交えた相手が、こんな形で再会するとは思ってもいなかったのだろう。しかし、エルギンは特に驚く様子も見せず、静かに頷いた。


「……いいえ。やはり兄妹だなと思いまして」


 その言葉にロザリアがむっとした顔でそっぽを向く。アウラはエルギンの表情を一瞥し、余計な話をするつもりはなさそうだと判断する。


「ヘスティからの命令なんだろう。 それで、用件は?」


 エルギンの眉がわずかに動く。彼が名乗る前にそれを看破したアウラを、少しだけ評価するような目だった。


「さすがアウラ様、話が早いのは助かります」


 そして彼は、静かに語り始めた。

 勇者レペンスが、魔王ヘルトと名乗っていること。魔王ヘルトが戦争を始めること。この事態を伝えるために、エルギンはリントブルムへやって来たこと。ヘスティ女王は、魔王としての力をほとんど失っており、戦争を止めることができないこと。そして——魔王ヘルトに渡り合えるのは、アウラしかいないこと。

 最後に、エルギンは静かに頭を下げた。


「どうか……魔王ヘルトを、討ってください」


 その声は、これまで数えきれないほどの戦場を駆け抜けた者の、それでもなお頼らざるを得ない懇願だった。この戦争の行く末を悟りながら、それでも希望を捨てきれない、英雄の背にすがるような必死の願い。

 アウラはしばらく彼を見つめていたが、やがて「頭を上げろ」と静かに言った。その声には、迷いも、ためらいもなかった。

 了承する——ただそれだけだった。

 エルギンが顔を上げた時、アウラはふと、過去を思い出した。

 勇者レペンス。ある日、この地に現れ、聖剣エクスカリバーを引き抜いた男。彼はどこまでも優しく、人族と魔族の区別なく手を差し伸べた。悪しき者の道を正し、進むべき道を示した。そして——仲間の過去を決して聞かなかった。自らの過去も、思いも、打ち明けることはなかった。

 勇者レペンスは、常に正しくあろうとした。皆の英雄になろうとしていた。

 アウラは、そんな彼の背中を見て変わろうと思った。自らの道を正し、示してくれた男——それが、勇者だった。

 だが、その勇者が今——。

 突然、アウラは歩みを止め、空を見上げた。

 沈黙。

 ロザリアとユラも、それに気づき、戸惑いつつもアウラの視線を追う。エルギンもまた、何かに引き寄せられるように——その目を空へ向けた。

 そして、全員が言葉を失った。

 リントブルムの上空——そこに、一人の男が立っていた。

 銀の長髪が夜の風に靡く。黒の外套が漆黒の翼のように広がり、その足元には巨大な魔法陣が浮かび上がっている。紫紺に渦巻く禍々しい魔力が、空を暗く塗り替えていた。

 美しさと恐怖が混在した存在——それが、魔王ヘルトだった。

 突如、街に影が落ちる。太陽が薄暗く霞み、人々が次々と空を見上げ、困惑の声をあげた。まるで世界そのものが沈んでいくような——そんな不吉な気配。

 エルギンの顔色が変わる。


「……まさか」


 魔王ヘルトの視線が、まっすぐにアウラを捉える。冷たい瞳には、感情の揺らぎすらない。

 そして、彼は静かに口を開いた。


「私は魔王ヘルト。その名を胸に刻み——死に絶えるがいい」


 ——その言葉と同時に、城が眩い光に包まれた。

 次の瞬間、大爆発。

 まるで太陽が地上に落ちたかのような閃光が、空を裂く。爆風が唸りを上げ、水上都市リントブルムを丸ごと飲み込んだ。建物は次々に吹き飛び、瓦礫が宙を舞う。

 それでも、空は雲ひとつない快晴だった。

 朝の爽やかな風が吹いていたはずの街は、一瞬にして死の沈黙に支配される。

 アウラは即座に反応し、ロザリアとユラ、エルギンを魔法結界で包み込んだ。だが、衝撃波が空気を切り裂き、耳をつんざく轟音と共に街が崩壊していく。

 リントブルムは、地図から消えた。


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