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第20話 魔王デネボラ

 王都デネボラ。

 壮麗な王城の玉座の間——そこに、血の香りを運ぶような冷たい風が流れ込んでいた。魔王ヘルトは、ゆっくりとその腰に携えた漆黒の鞘に手をかける。

 鈍く禍々しい装飾が施されたその鞘は、まるで何かの呪詛を刻み込まれたかのように黒く、不気味な気配を纏っていた。骨のように歪んだ金具が、怨嗟を宿した異形の紋様を形作る。

 まさに魔王に相応しい武器——そう思わせるその鞘から、ゆっくりと引き抜かれたのは——あまりにも神々しい光を放つ、聖剣だった。

 聖剣エクスカリバー。

 白銀の刃が、漆黒の闇に沈んでいた王座の間を照らし出す。暖かい光だった。不浄を祓い、迷える者を導くかのような、優しく包み込む光。まるで、この剣を掲げる者こそが正義であると、世界に示すように。

 しかし、それを掲げるのは、かつての勇者ではなかった。


「……」


 ヘスティは玉座に肘をつき、鋭い視線でその剣を見つめる。黄金に輝く柄、魔族を浄化する刃、そして持ち主に魔族への絶対の耐性を与える力——。何より、ヘルトの右腕に浮かび上がる勇者の紋章が、その剣を扱える唯一の者であることを証明していた。

 ——勇者レペンスが魔王を討伐するために掲げた剣。今、それと同じ構図がここにある。

 しかし、そこには決定的な違いがあった。

 ヘルトの持つ剣は、光に包まれてなお、どこか歪んで見えた。それを握る手には、勇者が持つはずの清廉さはない。禍々しい黒鞘の中から生まれた光の剣——その対比が、あまりにも奇妙で、あまりにも異質だった。まるで、天から堕ちた天使が、まだ汚れていない羽を無理やりまとっているかのように。


「……マタダムはいない」


 ヘスティの言葉に、ヘルトは薄く笑う。その笑みは、優雅でありながら、ひどく冷たかった。光を宿す聖剣を持ちながら、ヘルトの影はあまりにも深く、あまりにも暗かった。


「そうみたいだな」

「なら目的は?」

「宣戦布告だよ」


 その言葉と同時に、ヘルトは空を切り裂くように一歩踏み込み、聖剣を振りかざす。迎え撃つように、黒い斬撃が空間を裂いた。だが、それはすべて無意味だった。光線も、冷気も、魔族の呪詛さえも——。

 全ての攻撃を、ヘルトは回避すらせずに真正面から受け止めた。焼けただれず、凍りつかず、貫かれず、呪われず。ただ、無傷のまま歩みを止めない。

 ヘルトの顔に、ゆっくりとした笑みが浮かぶ。


「魔法も、物理攻撃も、精神支配も……」


 彼は聖剣を片手で握り直し、鋭く突き出す。


「熱も、毒も、冷気すらも——私には通じない」


 刃が放つ輝きが、玉座の間を白く染めた。

 金属の悲鳴が響く。

 ——ガリッ。

 聖剣が、ヘスティの前に展開された魔法障壁を削り始めた。音を立てながら、障壁の表面が削り取られていく。

 その様子を無表情に見つめていたヘスティの影が、揺らいだ。影が膨れ上がる。獣のような巨大な腕が、黒い闇から這い出し、ヘルトを後方へと弾き飛ばす。——しかし、その一撃にも傷ひとつつかなかった。

 ヘルトは空中で姿勢を立て直すと、嗤う。


「被り物なんか被って、人間の真似事か?」


 黒く爛れた獣の手が、ヘスティの影へと引き戻される。

 それを見届けたヘルトは、確信した。


「だいぶ弱っているな。やはり、今が狙い目というわけか」


 静寂が訪れる。

 そして、再びヘルトが口を開いた。


「破壊神ダリアムが眠っていた呪いの森——」


 その名を出した瞬間、ヘスティの指がわずかに動いた。

 ヘルトはそれを見逃さず、さらに言葉を続ける。


「あそこに立ち寄ったことで確信した。——マタダムは強い。だが、それは不死だからこそだ。いかに歳月が過ぎようが、選ばれた者……私やデネボラのように固有スキルを持つ者には、手が出せない」


 ヘルトはニヤリと笑いながら、一歩前へ進む。


「だからこそ——いくら不完全とはいえ」


 彼は、ヘスティを見据えた。


「あの破壊神ダリアムを、マタダムが一人で倒せるはずがない」


 重苦しい空気が、玉座の間に満ちる。聖剣の輝きが、ヘスティの顔に淡い影を落とす。


「ヘスティ——お前が、自分の力を代償にして、破壊神ダリアムの力を奪ったんだろう?」


 ヘスティの表情がわずかに動いた。

 それは、まるで“図星”を突かれたかのような僅かな変化だった。その反応に、ヘルトの笑みが深まる。


「違うか?」


 緊張が極限まで張り詰める。

 光と闇が交差するその場で——。

 戦いの幕が、今、開かれようとしていた。







 意識が浮上する。

 微かに揺れる視界の中、見慣れたはずの天井がぼやけて映る。ゆっくりと瞬きを繰り返し、意識がはっきりするにつれて、全身を締めつけるような激痛が襲いかかる。

 ロメオは息を吐きながら、体を起こそうとした——が、ほんのわずかに動かしただけで、裂傷が開くような感覚が走った。


「……っ」


 奥歯を噛みしめる。目を落とせば、全身に巻かれた白い包帯が無数の傷を物語っていた。——負けたのだ。

 鮮明に蘇る戦いの記憶。ヘスティの漆黒の刃が、何のためらいもなく彼を切り刻んだ感覚。どれほど剣を振るい、どれほど技を磨いたとしても——力の差は歴然だった。

 騎士王と呼ばれるまでに至った己ですら、まるで何の抵抗もできないまま沈んだのだ。


「……気が付きましたか?」


 涼やかな声が耳に届く。ロメオは、ゆっくりと顔を向ける。ジョバンナがいた。彼女はずっと、この部屋で彼の目覚めを待っていたのだ。

 窓の外から差し込む月明かりが、彼女の白銀の髪を淡く照らしていた。


「まだ傷が完全に癒えてはいません。無理に動かないでください」


 彼女の言葉には、静かな気遣いが滲んでいる。ロメオは少しだけ口元を緩め、苦笑する。


「ここでは私に敬語は不要だ」


 ——それは、あの日と同じやり取りだった。

 ジョバンナが初めてロメオの護衛となった日。剣すらまともに握れなかった少年時代。彼女が堅苦しく敬語を使うたびに、ロメオはこの言葉を返していた。

 ジョバンナの表情が少しだけ緩む。


「……懐かしいわね」

「ああ、本当に……。もう10年くらいになるのかな」


 ロメオは目を細めながら、天井を仰いだ。


「今思えば、剣の振り方もろくに知らなかった僕を、ここまで追い詰めるなんて……。人間がすることじゃないよ」


 苦笑交じりに言ったが、その言葉の裏には、未だ拭えぬ敗北感が滲んでいる。


「そうね。でも、そもそも人間じゃないものね、あの方は」


 ジョバンナは微笑しながらも、どこか切なげな瞳をしていた。


「……何も知らないのよ。人間の価値観も、感情も。だから——」

「何百年もかけて、それを知ろうとしている」


 ロメオは、静かにその言葉を噛み締める。


「……知ろうとしている?」

「ええ。それが……私の家系が代々受け継いできた役目。あの方が人として生きられるように、見守り続けることが、私の使命」


 ジョバンナはどこか誇らしげに、そしてどこか哀しげに呟いた。

 ロメオは、しばし言葉を失う。


「……そうだったんだ」


 ——その時だった。

 ズシンッ!!!

 突如として、大地が軋むような衝撃音が響いた。城全体が揺れ、壁の装飾が微かに震える。窓の外、遠くの夜空に閃光が炸裂する。


「……来たわね」


 ジョバンナが静かに息を吐く。

 ロメオは眉をひそめ、痛む体を押し起こそうとする。


「……何が起こっている?」


 ジョバンナは、真っ直ぐロメオを見つめると、短く告げた。


「魔王ヘルトが攻めてきたのよ」

「……魔王ヘルト?」

「ええ。魔界を統べる、現魔王」


 ロメオの胸に、焦燥が広がる。


「皆を守らないと……!」


 痛む体を引きずりながら、ベッドから立ち上がろうとする

 ——が、次の瞬間、全身を締めつけるような痛みが一気に弾けた。視界がぐらりと揺れ、支えを失った体がベッドから崩れ落ちる。


「くそ……!」


 硬い床に背を打ちつけ、肺の奥から絞り出すように息を吐く。無理に動いたせいで傷が開いたのか、包帯の下でじわりと滲む血の感触があった。


「っ……!」


 ロメオは思わず眉を寄せ、ジョバンナを見る。


「……これは?」

「見えてないの? この部屋はヘスティ様の結界によって隔離されている」


 静かなジョバンナの声が響く。

 ロメオは拳を握りしめ、苛立ちをぶつけるように床を殴った。


「くそっ……!」


 この城が揺れ、何かが起こっている。

 それなのに、自分はここに閉じ込められ、何もできずにいる——。


「今動いても無駄よ」


 ロメオが再び身を起こそうとすると、ジョバンナがそっと彼の肩を押し、無理矢理ベッドへと戻した。


「気持ちは分かるわ。でも、これは彼女なりの優しさなのよ」


 ロメオが睨むようにジョバンナを見た。


「……優しさ?」

「あの人のことだから、きっと何も説明していないでしょうし、説明する意味すら理解していないでしょうからね。代わりに——私が知っている彼女のすべてを教えるわ」


 ジョバンナは静かに息を吐くと、ロメオをじっと見つめた。


「ヘスティ様は、生まれながらにして《魔王》のスキルを持っていたの。魔王デネボラとして、この世に生まれたのよ」


 その声は淡々としているのに、どこか遠い昔を思い出すような響きがあった。


「魔族ってのはね、生きるために強さを求める生き物よ。強いものが弱いものを一方的に組み敷いて、子をなす。発情期が来れば、それはもう本能みたいなものでね。家族なんて概念はない。ただ強者が生き、弱者が消えていくだけの世界——」


 それは暫くの間、へスティと共に魔界で暮らしていたロメオとロザリアがよく知っている光景だ。

 ジョバンナはひとつ間を置き、続けた。


「だけどヘスティ様は、生まれた時から最強だったの。誰にも脅かされることはなく、誰とも争う必要がない。だからなのかしらね……魔族にはない『何か』を求めるようになったのよ」


 ロメオは黙ってジョバンナの言葉を聞いていた。


「それが——人間への興味だった」


 ヘスティは、戦いのために生まれてきたのに、戦う必要がなかった。だからこそ、人間のように争い、愛し、家族を作る生き物に強く惹かれたのだろう。


「そんな時、勇者一行が魔王城を訪れた。けど、彼らが知ったのは意外な事実だったのよ」


 ジョバンナは少し唇を歪める。


「この戦争を引き起こしたのは、ヘスティ様じゃなかったの。人間たちが勝手に恐れて、勝手に戦争を始めた。ヘスティ様はただ、人を知りたかっただけなのに」


 ロメオの拳がわずかに震えた。幸いなことに、人の感情がわからない魔王デネボラは人間からの憎しみや怒り、憎悪を何も理解していなかった。戦争も人間の交流の一つだと思っていた。


「それを理解した勇者一行のひとりがいた。——ミラルフ」


 名前を口にすると、ジョバンナの顔が一瞬だけ柔らいだ。


「彼女はね、魔族と人間が共存できる世界を作ろうとしたの。そしてヘスティ様を人間の世界へと連れ出した。戦いの象徴じゃなく、未来の架け橋として——」


 ミラルフの提案で、一つの町が作られた。


「その名も『デネボラ』」


 魔王の名を冠しながらも、そこは希望の町だった。いつか、魔族と人間が手を取り合える場所になるように。そして『魔王デネボラ』という名前が、恐怖の象徴ではなく、平和の象徴となるように——。


「だけど、ミラルフ様の体は……あまりにも脆かったのよ」


 ジョバンナの声がかすかに湿る。


「生まれつき体が弱くてね、長くは生きられなかったの。それでも、彼女は最後まで笑っていたわ。死の間際に、こう言ったの」


 ジョバンナは目を細め、記憶をたどるように言葉を紡ぐ。

『形から入れば、わかることもあるかもしれない』

 それが、ミラルフの最後の言葉だった。


「それを聞いたヘスティ様は……彼女の皮を剥ぎ、その身に纏ったのよ」


 ロメオの眉がわずかに動いた。


「まるで、人間の皮を纏えば、人間になれるとでも思ったみたいにね。ヘスティ様にとっては、それが最善の答えだったのよ」


 そして、それ以降——彼女は『ヘスティ』と名乗るようになった。


「ミラルフ様の隣には、彼女の親友がいたわ。——ルピリア様」


 ジョバンナはその名を口にすると、優しく微笑んだ。


「ミラルフ様は、最期にルピリア様へ願いを託していたのよ。『何があっても、ヘスティの味方でいてあげて』ってね」


 それは使命となった。


「ルピリア様が亡くなった後も、その願いは『お役目』になったの。受け継がれて、代々……そして、今の私に引き継がれた」


 ジョバンナは静かにロメオを見つめた。


「ヘスティ様は今も、人を知るために生きているわ」


 ジョバンナはロメオの様子をちらりと確認し、静かに語り始めた。


「ヘスティ様はね、ミラルフ様が亡くなってから、もっと人間のことを知りたいと思うようになったの。だって、人と魔族が一緒に暮らす世界を作るなら、まずはその仕組みを知る必要があるでしょう?」


 ロメオは拳を握ったまま、じっとジョバンナを見つめていた。


「それで……まず、魔族と人間の間に子供を作れないかって考えたのよ」


 ロメオの眉がぴくりと動く。


「……それが、そんな簡単にうまくいくはずがない」


 ジョバンナは小さく笑った。


「ええ、その通り。でもヘスティ様は、試してみないとわからないって思ったのね」


 ジョバンナは肩をすくめ、淡々と続けた。


「でもね、魔族にはそもそも性別って概念がないのよ。だから、人間の種を魔族の体に入れて育てようとしたけど……結局、生まれてくるのは魔族だった。魔族の力が強すぎるせいね。逆に、人間の体に魔族の種を植えた場合、宿した人間は命を落として、生まれてくるのは魔物だった」


 ロメオの表情がわずかに歪む。


「……そんなの、ただの実験じゃないか」


 ジョバンナは苦笑する。


「そうね。でも、ヘスティ様にとっては、人間を知るための研究だったのよ」


 ロメオは奥歯を噛み締めた。


「……それで、ロザリアが選ばれたってわけか」


 ジョバンナは頷いた。


「ロザリアは、生まれつき魔力が多くて、体も丈夫だった。ヘスティ様はね、最初から彼女が適任だと考えたのよ。……そして、あなたは男だったから、選ばれなかった」


 ロメオは息を吐くように言った。


「……そんな理由で?」

「そうよ。でもね、ヘスティ様はそこで終わりにしなかった。『人間にとって大切なもの』を知ろうとしてね」


 ジョバンナは微笑んだ。


「そう。私がヘスティ様の側付きでしょ? だから、ヘスティ様は『ロザリアにもジョバンナのような存在が必要だ』って考えたのよ。それで、その役割をロメオ、あなたに任せたの」


 ロメオは深く息をつく。


「……それで、あの地獄みたいな鍛錬が始まったってわけか」


 ジョバンナの表情が一瞬曇る。


「ええ。ヘスティ様は人間の気持ちなんて分からなかった。だから、あなたを強くするために、手加減なんて考えもしなかったのよ」


 ロメオは鼻で笑った。


「手加減どころか、死なせる気だっただろ。何度、意識が飛んだかわからない」

「でも、生き延びたわよね?」


 ロメオは沈黙する。


「そんな時、ヘスティ様は気づいたのよ。ロザリアもロメオも——破壊神ダリアムとの間に子供を作るつもりなんて、これっぽっちもなかったってことにね」


 ロメオは拳を握る。


「ロザリアは力を求めていた。それを知ったヘスティ様は、ちょうどいいと思ったのよ。彼女が破壊神ダリアムを倒せば、ヘスティ様の目的も、あなたたちの願いも叶うんじゃないかってね」

「そんな……」

「でもね、ロメオ。破壊神ダリアムの力ってのは、魔王の力そのものなのよ。だから、ロザリアがその力を奪うたびに、ヘスティ様はどんどん力を失っていった」


 ロメオは小さく呟く。


「そんなこと、知らなかった……」

「当然よ。ヘスティ様はそんなこと、いちいち説明しないもの」


 ジョバンナは皮肉っぽく笑った。


「そして、結局——破壊神ダリアムは、アウラに殺された」


 ロメオは目を閉じ、唇を噛み締める。


「ヘスティ様の目的は失敗したのよ。そして……ロザリアが出ていった」

「……あの日……」


 ロメオの喉が詰まる。


「ロメオ、あなたは泣いていたわね。ヘスティ様は、それを見ていたのよ」

「……っ」


 ジョバンナは静かに続ける。


「ヘスティ様なりに……謝罪と気遣い、そしてプレゼントのつもりだったのよ。騎士たちを、水槽に入れたのは」


 ロメオが顔を上げる。


「ヘスティ様が作り上げたその水槽は、一切の魔力を断つ。腐敗もしない、老化もしない、崩壊もしない……だから、騎士たちは死なずに、ただ生き続けることができるのよ」

「……そんなもの……」

「ヘスティ様なりの優しさよ」


 ジョバンナの言葉に、ロメオは顔を歪める。


「そして……魔王ヘルトがここに来ることも、分かっていたのよ」


 ロメオの指が震える。


「ヘスティ様は騎士たちを死なせたくなかった。だから、水槽に入れた。そしてあなたと私を、この結界に閉じ込めた」


 ロメオは震える拳を握りしめ、顔を伏せた。


「……そんなもの、優しさとは言わない」


 ジョバンナはただ、静かに目を閉じた。


「それでも、あの人はそうするしかなかったのよ」


 彼女の言葉は、あまりにも静かで、あまりにも優しかった。

 そんな彼の横で、ジョバンナは静かに語り出した。


「……ロメオ、あなたはヘスティ様のことをどれだけ知ってる?」


 その問いに、ロメオは瞬時に答えられなかった。


「ヘスティ様がどんな気持ちで、どんな想いで生きてきたか……考えたことはある?」


 言葉に詰まり、ロメオは唇を噛む。

 ジョバンナの問いかけは、まるでロメオの核心を突くようだった。


「どうしてヘスティ様は、何も言わないんだ……」


 絞り出すように呟くロメオ。ジョバンナは優しく微笑んだ。


「それは、ロメオも一緒でしょ?」

「……」

「ロメオはヘスティ様のことを知ろうとした? 理解しようとした?」


 その言葉に、ロメオの胸が痛んだ。——考えたことがなかった。

 ロメオにとって、ヘスティはただの支配者であり、ロザリアを弄んだ存在だった。彼女の行動を許せないと思っていたし、憎んだこともあった。けれど、それがすべてだったのか?

 ロメオとロザリアを助け、育て、居場所を与えたのはヘスティだった。

 ジョバンナは、そんなロメオの沈黙を見つめながら、淡々と続ける。


「ロメオは精一杯だった。それでいいのよ。妹を守ることに必死で、それ以外のことを考える余裕なんてなかったのはわかってるわ。でも、あの方は……ずっと、人間を知ろうとしてきたの」


 ロメオはゆっくりと視線を上げる。


「人に歩み寄ろうとしている。でも、そのやり方がわからないの。何百年もかけて、今もなお——」


 ジョバンナの声は、どこか遠い響きを持っていた。


「だから、少しくらいは、私たちも歩み寄るべきなんじゃないかなって……そう思うの」


 ロメオは深く息を吐いた。


「……そう、だね」


 自分の中のわだかまりが、少しずつ氷解していく。

 ヘスティの行いがすべて許されるわけではない。だが、それでも彼女は——ただ理不尽な存在として、憎むべき相手ではなかったのではないか。ヘスティを倒そうとした時のあの迷いは、無意識の中で彼女の優しさを感じていたのかもしれないと、今ならそう思えた。

 しばらく黙考したのち、ロメオはふっと笑みをこぼした。


「……地下室で出会ったときの、あの服装。ジョバンナの趣味だったんだね?」


 唐突な言葉に、ジョバンナがぴくりと肩を揺らす。


「な、なに言って……!」


 恥ずかしそうに目をそらすジョバンナ。


「別に……! 少しでも人間の価値観をわかるかなって思っただけよ!」


 後半は小声になりながら、ぶつぶつと口を動かす。

 ——ヘスティはジョバンナに「着せ替え人形」にされていたのだろう。

 ロメオは思い返す。

 地下室で出会ったヘスティ。あの場で彼女が言った言葉。

 ——『ああ、この姿には理由がある』

 その意味を、今になってようやく理解した。

 だが、そこでロメオは大切なことを思い出し、真剣な表情で問いかけた。


「……ヘスティ様は、昔よりも力が弱っているんだよね?」

「……ええ」

「なら、ヘスティの力が失われている今、魔王ヘルトと戦うのはまずいんじゃ——」


 その言葉が終わるよりも早く、部屋を覆っていた結界が、音もなく消滅した。

 空気が凍るような、張り詰めた沈黙が落ちる。

 ジョバンナとロメオは、互いに息を詰めながら視線を交わした。

 結界の解除——それが何を意味するのか。

 ——ヘスティが、敗れたのか?

 沈黙が、重くのしかかる。

 ロメオは、唇を噛みしめた。

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